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8 家族の肖像画

 トントン、とノックをすると、返事があった。


 扉を開け、中に入る。ブルーグレーの壁の落ち着いた部屋。どっしりした書き物机の向こうで、オルセードが目を見開いて素早く立ち上がった。

「シオン?」

 部屋に一歩入った私は、淡々と言った。

「ききたいこと、あって」

「少し待て、言葉を……ああ、そこにかけて」

 オルセードは私にソファを勧めながら、サッと机の上に置いてあった瓶を手に取った。あれ、術薬?

 差し込んであった栓を彼が抜くと、うっすらとあのレモンみたいな香りが広がった。やっぱり香水っぽい。香りが届く範囲で魔法が効く、というのも不思議な感じ……まるでルームフレグランスだ。

 私がこの部屋に来たときのために、瓶をわざわざハルウェルに用意させてた? 来るかどうかもわからないのにね。


 私は瓶のことには触れず、ソファにも座らず、立ったまま用件を言う。

「だいぶ文字が読めるようになったから、図書室の本を借りてもいいか、聞きに」

 オルセードも立ったまま、うなずく。

「もちろん、構わない。君の自由にしていい」

「ここの本も?」

「ああ……この部屋の本はほとんど仕事関係だから、君の興味を引くものはないかもしれない」

 私はちらりと、部屋の中に視線を走らせる。オルセードの私室、兼、家で仕事できるようにした部屋らしい。

「仕事は今、何を?」

「報告書を読んで意見したり……あと、部下が尋ねてくることもある。騒がしくして済まない」

 ああ、たまに遠くから金属音がする。あれは、訪ねてきた部下にオルセードが剣の稽古をつけてあげてるとか、そんな感じなんだろう。騎士団長様だったそうだし。それと、報告書に意見……顧問みたいな感じ?

 騎士団を辞めても、できる範囲でかつての地位の責任を果たそうとしている。仕事に関して忠実なのはよくわかる。融通はきかなそうだけど。


「……」

「……」

 沈黙。オルセードは深緑の瞳で、あちこち見ている私を見つめている。


 ほら。言いなさいよ。お祖母さんちに一緒に来てくれ、って。お祖母さんが私に会いたがってるんでしょ?

 顔さえ見せて、「身寄りがないから保護している」とでも言えば納得するかもよ。見た目で言えば、おっさん一歩手前のオルセードとギリ十代の私(しかも無愛想ガリチビ)なんだから、そんな関係じゃないことくらい大人なら雰囲気でわかるだろうし。


 部屋の壁に、家族の肖像画があるのを見つけた。男の子はたぶん子供時代のオルセード、それにおそらくご両親。オルセードはお父さん似なんだな。お母さんは細身で色気のある美人だ。

「お父さんと、お母さん?」

 絵に目を向けて聞くと、ほんの少し間があって、後ろからオルセードの声がした。

「そうだ。父は、海を渡った先の国の駐在武官だから、ここにはいない」

 お母さんも一緒にその国に行ってるってこと? と思いながら「ふーん」と答えると、彼は言った。

「……済まない」


 これは何に対する謝罪だろう、と少し考えて、ああ……と思い当たった。

 オルセードは親と別れて暮らしてるけど、会おうと思えば会える。でも私は会えないから……ってことか。

 それを悲しいと思う気持ちはある。でも、辛いとか、悲しいとか、そういうネガティブな感情は、氷の一番奥にしまわれていた。日本の記憶も、相変わらずずっと遠くの方にぼんやりと見えているだけだから、感情もあまり迫っては来ない。


「私は、両親の記憶はずっと遠くにある感じ。こっちに堕ちたせいかな」

 少々嫌みっぽく言うと、オルセードは机を回り込んでこちらにやってきた。私の後ろに立ち、低い声で言う。

「きっと、そうなのだろう。元の世界の全てから引き離されて、君は俺のところに堕とされてしまった。俺だけのために」

 申し訳なさそうに言ってるけど、そういう言い回しはやめてって。私は天女でも天使でもない。変に美化してごまかさないで。

 ……まあでも、彼の場合はそのつもりがなく、単に起こったことをそのまま言っているつもりの可能性もあるけれど。迷惑な天然、なのかもしれない。


 私はさっさと話を戻した。

「お祖父さんとかお祖母さんも、一緒には暮らしてないんだ?」

「祖父はどちらも、もう故人だ。祖母は……ああ、いや……」

 何だよ。お祖母さんは? はい、お祖母さんはどうしたって?

 こんだけ話を振ってやってるのに。もうやめようかな会うの。

 さすがにイラッときて、私はオルセードを振り向いた。 


 オルセードが、柔らかい表情で私を見ていた。


 私は彼を、まじまじと見つめてしまった。私の前ではいつも苦悩の表情をしているオルセードが、柔らかい表情になっているの、初めて見る。

 彼は、穏やかな声音で言った。

「ハルウェルから、何か聞いたのか?」

「聞いてない」

 私は即答する。あんな男の話はノーカンだ。

「聞いてないから、話があるならあなたが言って」


 すると、オルセードは再び表情を引き締めた。

 もう何度目になるのか、彼は私の前でひざまずく。そして、視線で尋ねるようにしながら、慎重に私の右手を取った。

 払いのけたいけど、そうすると彼が例の件を言わなくなってしまいそうなので、私は嫌々ながらもされるがままになっていた。

 彼は言う。

「シオン。実は、祖母が君の噂を聞きつけて、会いたいと言っている。もちろん、君が会いに行かねばならない義理などないし、俺などが君に頼みごとをするのはおこがましいが……。俺と共に、会いに行ってはくれないだろうか。嫌ならいいんだ、断ってくれ」


 やっと言ったか。私がハルウェルから既に話を聞いていることは、どうもわかっていそうだけど。

 ……ここで行かなかったら、もっとややこしいことになる。ラーラシアさんを挑発しちゃった結果だけは、ちゃんと始末しよう。


「一度、会うだけなら」

 短く言うと、オルセードはハッとなった。それから頭を深く下げた。

「ありがとう。……君は、優しい人だ。こんな状況でも。……尊敬する」


 はい? 尊敬?

 この人にはプライドってもんはないのかな。大の大人に、私みたいな小娘が「一度だけなら会ってやってもいい」みたいな態度を取ってるのに、わかってる?


 そんな風に思っている間に、私の手を大事そうに持ち上げた彼は、手の甲に唇を近づけて――

「そういうのはいらない」

 私は今度こそ、パシッ、と手を払いのけた。

 オルセードは息を呑んで、固まってしまった。女性にこんな風に拒否されたこと、なさそうだよね。

 私は後ずさりながら言う。

「色々決まったら、教えて」

 そして、さっさと部屋を出た。

 別に逃げた訳じゃない、もう用事は済んだから。ていうか日本では、恋人でもない男の唇なんか、身体に触れさせたりしないんだから。


 ……一瞬、ほんの一瞬、私は罪悪感を覚えた。

 なんか私、偉そうにしてるけど、何もやっていない。私が自分の意志でオルセードの命を救ったんならともかく、そうじゃないのに。

 って、違うでしょ、私は巻き込まれたんだ。代わりにたくさんのものを失ったんだから。

 その私が、罪悪感を覚えてどうすんだ。これ以上もやもやして、どうすんだ。



 オルセードのお祖母さんの住む侯爵家は、昼の列車に乗って夕方に着く距離の領地にあった。

「…………」

 駅から馬車で到着し、玄関前で降り立った私は、言葉もなく建物を見つめる。

 まるでお城みたいな、立派なお屋敷だ。いや、でもそこじゃない。そこじゃないんだよ。

 玄関ホールの向こうで、大勢の人が集まってる気配がするんですけど。

「……今夜、何か集まりがあるらしいな」

 そうつぶやくオルセードも、どうやら知らなかったらしい。

 嫌な予感がして、私は回れ右をした。

「かえる」

「待ってくれ、今日はもう列車がない」

 腕で抱えるようにして、優しく止められた。オルセードは私のことを壊れ物のように扱う。

 仕方なく、私はオルセードが取り出した術水を首筋にちょっとつけ、彼と連れ立ってむっつりと侯爵家の玄関を入っていった。既にこの家の執事さんみたいな人が待ってるし。

「オルセード様、お久しゅうございます。お連れ様、シオン様ですね、ようこそいらっしゃいました」

 白髪の執事さんはそつなく挨拶する。私も、内心色々思うところはあったけど、執事さんには軽く会釈した。

「今日は何かあるのか? 俺は聞いていないんだが」

 オルセードが聞くと、執事さんは驚いた表情になった。

「そうでございましたか、これは失礼を……奥様主催の夕食会が催されます。オルセード様とシオン様も、てっきり夕食会にいらしたのだと」

「お祖母様……黙っていたな」

 オルセードは眉間にしわを寄せ、私に向き直った。

「シオン、済まない。お祖母様にだけ君を会わせるつもりだったが、そうもいかないようだ」

 私はちょっとため息をつくと、言った。

「どんな人たちが来てるの」

 オルセードが執事さんを見ると、執事さんはいくつかの名前を言った。うなずきながらそれを聞いたオルセードが、私にわかりやすいように伝える。

「侯爵家の親族と、お祖母様と特に仲のいい上流階級の貴族ばかりだ」

「ちょうどいいかも。きっと皆さん、安心するんじゃない? 私がこんなだから、オルセードとは何でもないってことは見ればわかるでしょ。悪い噂がこの機会になくなるなら、それでいい」

「悪い噂などない。あっても俺は気にしない」

「あなたが気にするかどうかは関係ない。ラーラシアさんは、気にしてた」

 私はきっぱりと言う。

「嘘をつくのは後々面倒だから嫌。私、何か聞かれたら、オルセードに連れてこられて屋敷に住んでるって言うから」

「ああ。それでいい」

 オルセードは深くうなずいた。

「シオンは、気を使う必要はない。君が辛くないように過ごしてくれ」


 ……取り繕わなくていいわけ? この人本当に、超がつく生真面目だよね。

 何だか、不思議になってきた。オルセードはどうして、こんな性格になったんだろう?

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