【書籍化告知用小話】 騎士に彼女は隠し事をする
書籍刊行まで一ヶ月となりました。活動報告をご覧になっていない方にもお知らせしたかったので、告知用小話を投稿します。
時系列が多少前後し、シオンたちがエスティスに到着した直後のお話になります。
エスティスの港から公邸に向かって、馬車は走る。私は、窓を開けて外を眺めてみた。
チェディスとは空気が違う。暖かいし、少ししっとりとしているような……。空気だけじゃなくて、植物の緑の濃さや、土の色まで少し違うような気がした。
「急に、春真っ盛りになったような感じだな……」
私の肩越しに外を眺めながら、オルセードがつぶやいている。この様子だと、エスティスの夏はチェディスより暑いかもしれない。
私たちの暮らす外交武官公邸は、こぢんまりしたクリーム色の建物だった。植物をモチーフにした彫刻がしてあって、どこか女性的で、居心地が良さそうだ。チェディスを離れたから、余計素敵に見えるのかもしれないけれど。
玄関ホールに使用人さんたちが集まっていて、オルセードと私を出迎えてくれた。
「オルセード様、シオン様、エスティスにようこそいらっしゃいました。精一杯、お仕えさせていただきます」
初老の執事さんが挨拶し、全員を紹介してくれる。荷物を運んだり給仕をしたりする従僕さんの一人と、馬車の御者さんは、チェディスの屋敷にいた人なので元々顔見知り。それ以外の人は、この公邸での仕事が長いベテランさんたちだ。オルセードと私も、挨拶を返す。
皆は仕事があるので、その場はすぐにお開きになったけれど、メイドさんらしき人が一歩前に出て頭を下げた。
「担当のメイドが決まるまで、奥様のお世話は私がさせていただきます。至りませんが、どうぞよろしくお願いします」
「お願いします、助かります」
私も挨拶を返す。私の担当のメイドさんは、近いうちにオルセードが面接して決めると言っていた。「君の世話を任せるのに、滅多な者には頼めない」そうだ。
オルセードは執事さんと一言二言交わしてから、私の方を振り向いた。
「シオン、俺は官邸に顔を出してくる。暗くなる前には戻るから、君の部屋でくつろいでいてくれ」
私がうなずくと、彼は私を見つめたまま私の手を取った。指先に軽く唇を当て、そしてすぐに出かけていく。忙しいことだ。
「それでは、お部屋にご案内します」
メイドさんの案内で歩き出しながらも、私はちょっと振り向いた。
実はさっき、退出していく使用人さんたちの中に、ちょっと気になる様子をした人がいたのだ。
「あの……ちょっとふくよかな、エプロンをした男の人は、厨房の人?」
歩きながら聞いてみると、メイドさんはうなずく。
「はい、公邸料理人です」
「そう……」
「お着替えになったら、お茶をお持ちしますね。それとも、先に公邸の中をご覧に?」
そう聞かれて、私は足を止めた。
「中を見たいです。あの……まず今、厨房に行ってみてもいい、かな」
私が言うと、メイドさんは不思議そうにしつつも「はい」とうなずいた。
厨房は、ちょっとした騒ぎになっていた。
「お医者様を呼びましょうよぉ」
「何を言うっ、ご夫妻がいらして最初の食事だぞ、俺が痛たたた」
「無理ですって、誰か代わりの人を」
私はメイドさんと顔を見合わせてから、厨房に顔を出す。
「あの……」
「奥様!」
使用人さんたちがびっくりして、直立不動になる。その中央に、椅子から立ち上がりかけた料理人さんがいた。脂汗をかいている。
「おっ、おくっ」
「座って!」
私は急いで、料理人さんに座るように促した。さっき挨拶してくれた時、様子がおかしかったような気がしたんだけど、やっぱり具合が悪かったんだ。
「どうしたんです?」
「申し訳ありません、腰を痛めてしまったようで」
助手さんなのか、ひょろっと背の高い若い男性が半泣きで言う。料理人さんが「お前は黙ってろっ」と叱りつけつつ顔をゆがめた。ぎっくり腰かも……相当痛そうだ。
「無理しないで下さい、夕食はあるものでいいし、あ、外でも食べられるのかな、それでもいいですし。オルセードには私から言います」
「そういうわけにはっ……歓迎の晩餐を……ううっ」
料理人のおじさんも、とうとう半泣きになってしまう。張り切ってくれたんだな、調理台にもその辺の箱の中にもたくさんの食材があるから……
「ええと、私もちょっと船酔いしてしまって、あまり食べられないし……体調が万全の時に腕を振るって下さい。ね。楽しみにしてますから」
理由を付けて料理人さんを説得する。一応、船酔いしたのは嘘じゃない。エスティス到着直前に結構船が揺れたため、港ですぐに馬車に乗ることができない程度には酔ってしまったのだ。今は平気だけど。
とにかく、周りの人も「奥様もこうおっしゃって下さっているのだから」と後押ししてくれ、料理人さんはしょんぼりしながら自室に引き取った。すぐにお医者さんが来てくれるとか。
「代わりの料理人を探します」
執事さんが厨房を出ていこうとするので、私はついつい声をかける。
「あの、当てはあるんですか?」
「……はい!」
なんか、間があったよ。誰かに無理言って来てもらわなくても……
「急に探すのは大変でしょう、本当に今あるものでいいので」
「公費で手配させていただいた食材です、無駄にするわけには。早く調理せねば傷むものもありますし」
そうか、冷蔵庫がないんだもんね。料理はしなくちゃならないんだ。
「すみません……僕が調理できればいいんですが、まだ見習いになって日が浅くて」
助手の男性がしょんぼりしている。
助けたいと思うあまり、私はどうにかしようと厨房を見回した。
「材料はこれ? お肉と野菜と……あの、切ってスパイス振ってハーブ載せて、オイルかけてオーブンで焼いちゃうとか。それだけでも美味しいですよね」
すると、その場の全員が目を丸くして私を見た。
執事さんが言う。
「お、奥様、料理がおできになるのですか?」
「できるってほどじゃないですけど、オーブンで焼くくらいのことは」
うっかり言ってしまってから、しまった、と口をつぐむ。
村長の家での二年間で、こちらの厨房の使い方を知ったのだ。最初はかまどもオーブンも使い方がわからなくて、ものすごく怒られて……あんまり思い出したくないけど、他の仕事より炊事はまだマシな方だった。冬、厨房にいれば暖かかったから。
でも、貴族の奥様が料理なんて、普通ならできるわけがない。皆、いぶかしむだろう。
が、私はもうこういう時の振る舞い方を決めている。
恥ずかしくもないことで、嘘をついたりしないって。
「以前、少し教わったんです」
私はそれだけ言った。使用人さんたちは、ありがたいことに深くはつっこんでこなかった。
色々聞いてみると、料理人さんと助手さんの二人で、公邸にいる人々全員の食事を作る予定だったらしい。武官夫妻(つまりオルセードと私)の分と、使用人さんたちの分は、別メニューだそうだ。でも、今日は緊急事態だからということで、料理経験のあるメイドさんに全員分のスープをまとめて作ってもらい、助手さんが肉と野菜のオーブン焼きを作ることになった。
「手伝います」
申し出ると、執事さんが大慌てで、
「とんでもないことです、奥様に私たちの仕事をやらせるなど!」
と悲鳴を上げた。私は答える。
「助手さんだけじゃ大変そうだから……。あ、それと私、簡単なパンなら焼けます。パンもいるでしょ」
助手さんは期待を込めた目つきで、執事さんと私の顔を見比べている。
その時、私は内心「あっ」となった。
私が料理をすることになったら、つまり……うーん、問題がひとつあることに今さら気づいた。まあ、些細なことだからいいか。
元々感情が顔に出にくい状態の私は、ポーカーフェイスで続ける。
「交換条件でどうですか」
「交換……?」
「料理のお手伝いのこと、オルセードには絶対、黙っていてほしいの。手伝うから、私のお願いも聞いてもらう、ってことで」
「旦那様に、秘密に?」
皆、不思議そうにしていたけど、そろそろ時間もない。
「では……では、大変恐縮ですが本日だけ……」
執事さんが言い、その条件で手伝うことになった。
最初に、オーブン焼き用の野菜の下処理を手伝った。皮を剥いて切っていくだけで、助手さんは目を丸くしている。
私は意識して表情を柔らかくし、印象が良くなるように努めながら使用人さんたちを見回した。
「ごめんなさい、皆さんの仕事場を乱してるのはわかってるんですけど」
こんな台詞、いつもの仏頂面で言ったら何かの皮肉に聞こえてしまう。
助手さんが笑顔になった。
「い、いえ! 時間が押していたので、助かります!」
私はうなずき、それから村で覚えたパン作りに取りかかった。といっても、材料を混ぜ合わせてこね、ちょっと寝かせるだけのものだ。無発酵で少し固いので、生地を薄く広げてチーズを載せる。焼けばピザっぽくなるはず。
ふと窓の外を見ると、空が夕焼けに染まっている。
……やばい、そろそろオルセードが帰ってくるかも。
私は借りたエプロンを外し、まくった袖を元に戻しながら言った。
「それじゃ、私は部屋に戻ります。パンは食べる直前に焼いて下さい。皆さんの分も。本当に、絶対オルセードには内緒で」
「は、はい」
「ありがとうございます!」
使用人さんたちの声に送られて厨房を出たけれど、私はすぐに引き返して聞いた。
「あの……。私の部屋、どこでしたっけ」
ようやく自室に行き、着替えてしばらくすると、ノックの音がした。どうぞと答えると扉が開く。外出着のままのオルセードだった。
何となく立ち上がると、彼は私に近づきながら言う。
「シオン、初日から一人にして済まない。困ったことはなかったか?」
私はさらりと答える。
「別に。ここで休んでた」
「そうか。今、執事から報告を受けたんだが、料理人が腰を痛めたそうだ。簡単な食事しか用意できなかったとのことだが、構わないだろうか」
「ちょうど良かった。まだ少し船酔いが残ってて、私、あまり食べられないかもと思ってたから」
そう答えると、オルセードは何故か微笑む。
「君はここの女主人だ。使用人たちには何でも遠慮なく言ってくれ。それと」
いったん口ごもってから、彼は言った。
「……食事を、共にしてもいいだろうか。ここでの生活について、君と話したい」
チェディスの屋敷では、私は食事を自室で取っていた。船ではオルセードと一緒に食べたけど、この公邸でどうするかは決めていなくて……
オルセードをじっと見てから、私は答える。
「……着替えてきたら?」
彼は軽く目を見開くと、一段階明るいトーンの声で「ああ」とうなずき、すぐに部屋を出ていった。
あっという間に着替えて戻ってきたオルセードと連れ立って、食堂に行った。大きな楕円形のテーブルの一番上座――いわゆるお誕生日席――とその斜め前に、席が用意してある。オルセードの席と私の席だ。
これからは、この距離で食事をすることになるんだな。何を話せばいいんだか……。でも、エスティスでの暮らしや、その先がうまく行くようにと考えると、オルセードとはたくさん話をしておかなくちゃ。特に、オルセードが仕事で得た知識を、色々と聞いておきたいと思う。
腰かけるとすぐに、従僕さんが料理を運んできた。
ベーコンの入った野菜スープと、肉と野菜のオーブン焼き、それにチーズパンと果物。夕食として十分立派なものだと思う。でももちろん、そのうち食べられるであろう公邸料理人さんの料理も楽しみだ。
肉を切って、口に運ぶ。うん、程良く焼けてる、助手さん上手だな。チーズパンはまさにピザのようにカットしてあって、食べやすいように……と配慮してくれたのが感じられた。
オルセードは、私が食べる様子を気にしている。
「シオン、口に合うか?」
「美味しい」
うなずくと、「よかった」と言いながら彼もパンを口に運んだ。
「簡単な夕食と言っていたが、十分美味い」
「うん」
私はもう一度うなずくにとどめ、パンを食べるオルセードの口元をじっと見つめた。
まさか、私の手料理をオルセードに食べさせることになるなんてね。
厨房の手伝いを申し出たときには、私もちょっと焦っていたのか、そのことに思い至らなかった。途中で気づいて「あっ」となったのはこのことだったのだ。
……もし、自分が食べてるのが私の作ったパンだって知ったら、この人はどういう反応をするのかな。「君に料理をさせるなんて」と使用人さんを叱るかな。それはどうかわからないけど、とにかく、たとえまあまあ程度の味でも「絶品だ」とべた褒めしそうな気がする。
私は本来、オルセードに手料理をご馳走するような『妻』じゃないので、絶対、教えないけど。
「……どうした?」
オルセードが心配そうに私を見る。
「何でもない」
私は薄く微笑んでみせ、食事に戻るのだった。
【騎士に彼女は隠し事をする 完】




