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ひざまずく騎士に、彼女は冷たい  作者: 遊森謡子
後日談・番外編
19/24

仮面夫婦の誠実な距離

 ――チェディスから来た駐在武官殿の奥方は、身体が弱い。夫について海を渡ってきたものの、ずいぶん無理をしたようだ――


 ……この国での私は、そういうことになっている。

 一度、お屋敷に関係者を招いて食事会をしたことがあったけど、オルセードはそれもあえて着任直後にさっさと開催した。つまり、「無理をして体調を崩した妻はまだ寝込んでいる」状況で。私が面倒ごとに顔を出さなくて済むようにしたわけだ。


「真面目な騎士様が、嘘八百」

 少し呆れていると、彼は言った。 

「俺のような男と結婚してすぐの移住で、シオンが大変そうだから、落ち着くまでゆっくりさせたいと話したら、今のように解釈された」 

 あ、そう……。もしかして、私が到着直後に船酔いで死んでたのを利用したのかもしれない。

「でももうずいぶん経つし、誰かがオルセードを訪ねて来たら挨拶はする」

「そんな必要はない」

「何で。あなたの任期中、私ずっと隠れてなきゃいけないわけ?」

「いや……しかし……」

 なぜか渋るオルセード。

 私を気遣ってるのはわかるけど、ずっと病弱で引きこもり設定じゃ、うっかり町にも出られないじゃない。私は淡々と言った。

「たまにはその辺に出て散歩しないと鬱になります」

 オルセードはすぐにうなずいた。

「わかった。では明日、俺と出かけよう」

「ネビアと行きます。何なの? チェディスでも私、キキョウと二人で外出してたじゃない。ここではダメなわけ?」

「いや、ダメなわけではないが、こちらの人間はチェディスより遠慮がない。いきなり距離を詰めてくるようなところがある。その……シオンには悪いが、俺の人間関係にも関わってくるから、あまり外に出て接触を持つと」

 私は黙って、彼をじっ……と見つめた。

 これから仕事なので軍服を着ている彼は、またもや私の前にひざまずいて手を取った。

「……今夜、もう少し詳しく説明する。待っていてくれ」

 そして、手の甲にキスをすると、出かけていった。


 入れ替わりに、ネビアが入ってくる。

「いいお天気ですね! シオン様、お出かけになりたいっておっしゃってましたよね、今日はお出かけ日和ですよ!」

 だよね。私もそのつもりでいたんだけど、まさかオルセードがいい顔しないとは思わなくて。しかも何なの? あの煮え切らない態度。

 ……ダメとは言われてないんだった。人と接触を持つなって話だっけ?

「……ちょっと買い物だけ、行こうかな。お昼までに帰るけど」

 私が言うと、ネビアはにこにことうなずいた。 


 つばの広い帽子に動きやすいワンピース姿で、私はネビアと一緒に町に出かけた。

 チェディスより南に位置するこの国は、空の色も日射しも植物も、少しずつ色が違う。人種や言葉はほとんど変わらないのに、町をぶらぶらしているだけで全てがもの珍しく見えた。

 ネビアはこの町生まれのこの町育ちだそうで、私が書店に行きたいというとすぐに案内してくれた。二階建ての、割と大きな書店だ。さすがに日本の書店よりは本が少ないし、一冊がお高いけど、いかにも上流階級な格好をしたお客さんがそこそこ入っている。

「ネビア、何か可愛い動物の絵がたくさん載ってるような本はない? 一冊選んでほしいなって。私はここで、小説を選んでるから」

「かしこまりました!」

 ネビアは張り切って二階に上がっていく。お屋敷には癒し系の本がないから……ネビアならちょっと変わった面白い本を選んでくれそうで、楽しみだ。

 私は一階に残り、小説の棚で何冊かパラパラめくってみた。結構、哲学的な内容が多いかも……

「本がお好きですか?」

 いきなり、声をかけられた。

 振り向くと、紳士的な身なりをした面長の男性。オルセードと同い年くらいだろうか。

「あ、はい」

「突然失礼、黒髪が目に留まって……チェディスから来られた武官殿の、奥方では?」

 あれ、髪色はもう知られてるんだ。黒髪、割と珍しいらしいし。

「はい」

「やはり。私は議員をしている者で――」

 簡単な自己紹介を聞きながら、「本当にいきなり距離を詰めてくるんだな」と少し驚く。オルセードの言った通りだ。

 その議員さんは続けた。

「我が家は大きな図書室が唯一の自慢なのです、ぜひどうぞ」

「ありがとうございます、いつかぜひ」

「今日は武官殿はお仕事で?」

「はい」

 ひたすら短く答えて、あまり話が続かないように……と思ったのに。

「そうですか。では、これからいかがですか? 今日は妻もおりませんし」

 は?

 え、待って。黒髪を見て、私がオルセードの妻だって気づいて声をかけてきて。今日はオルセードはいない、あちらも奥さんがお留守。で?

 ……ナンパされた経験はないけど、議員さんが公衆の面前で(すぐそばに会計カウンターがあって店員さんがいる)、結婚してるってわかってる私相手にはやらないよね。ナンパじゃないなら何なんだ?

「ええと、用事を済ませて家に戻らないと」

「そうですか、ではお時間のある時にぜひ。ご連絡をお待ちしていますよ」

 議員さんはヒョイと私の手を取り、チュッとやって、去っていった。

「シオン様、これ! 面白い本ありました!」

 ネビアが本を抱えて戻ってくる。

「どうかなさいましたか?」

「ううん。あ、これ表紙、爬虫類? 意外と可愛い」

 私はそれを手に取りながら、内心首を傾げていた。

 何だったんだ、一体。  


 本の会計を済ませて、店を出る。

「シオン様、他にご用は?」

「ううん、何も。そろそろ帰ります」

 ちょっと出歩いただけで声をかけられるとは思わなかった。本当はどこかでお茶くらい、と思ったけど、帰った方がよさそう。

「では、あちらの方から帰りませんか? 少し遠回りですけど」

 ネビアは私を案内したくてたまらないようだ。遠回りくらいはいいか。

 私はネビアに頼んで、髪を帽子の中にうまくしまい込んでもらってから、歩き出した。


 道の途中に石造りの門があり、その先の町並みは少し変わっている。何だか見覚えのある雰囲気……

 門をよく見ると、文字が彫り込まれている。

「『小チェディス』……?」

「はい! ここは、チェディスから移り住んできた人々が店を連ねているあたりなんですよー。恋しい食べ物とかがありましたら、ここで買えます! シオン様をご案内したいと思ってたんです!」

「そ、そう」

 私にとって、チェディスは恋しい場所でも何でもないんだけど、ネビアは知らないからな……

 それでも一応チラチラ通りを眺めながら、私たちは緩やかな上り坂を歩いていった。久しぶりの外出だから、いい運動だ。


 しばらく歩いた所で、進行方向がざわざわし始めた。

「何でしょう。ちょっと、見て参ります」

 私を道の端の日陰に案内してから、ネビアが小走りに去っていく。その後ろ姿を目で追っていると……

 いきなり、私とネビアのいる場所の中間あたりの脇道から、男が飛び出してきた。着崩した軍服はこちらの国のもの、手にはその辺で拾ったかのような金属棒。

「待て!」

 同じくこちらの軍人さんが、抜刀(抜剣?)しながら男を追って走ってくる。男が往来の真ん中で向き直り、追っ手との間でギン、ギィン、と武器がぶつかり合った。

 こっちに移動して来そうだったので、急いで後ずさる。と、靴の踵が石畳に引っかかった。

「うわ」

 靴が片方脱げてしまった。わっとっと、と下がってしまってから戻ろうとした瞬間、軍人が吹っ飛ばされて私のそばの壁に激突。驚いて身体をひねると帽子も落ちてしまい、髪がなびく。

 男は警戒するように、血走った目であたりをギロリと見回った。さすがに怖くて、私は靴も帽子もあきらめて建物の陰に隠れた。

 ネビアは? さっきから姿が見えないけど、巻き込まれたりしてない?


 その時、ドドッドドッと、前方から馬の足音が近づいてきた。

 今度は見慣れたチェディスの軍服姿……

 げっ。オルセード。私には気づいてないみたいだけど、こんなところで会うなんて。

 馬から飛び降りたオルセードは、いつもと変わらない。鞘に入ったままの剣を手に、ほとんど無造作に男に近づいていく。ふと、あの村長の所に私を助け出しに来た時の彼を思いだした。

 男はオルセードに気づくと、うなり声を上げて金属棒を構え……え、オルセード、何で剣を抜かないの。

 目の前で人が殴られる、と思ったら、胃がギュッと縮んだ感じがした。

 金属棒と、鞘から抜かないままの剣。ガッ、と二人の武器が衝突する。しばらくギリギリとにらみ合い、それからパッと離れた。

 と思ったら、ドスッ、と音がして、男がよろめいて地面に膝をついた。

 一瞬の早業だった。オルセードは男を突き放しながら男の手首に一撃を加え、棒が逸れて空いた鳩尾に鞘の先を突き入れたらしい。たぶん。


 うめいて動けない男。さっき吹っ飛ばされた軍人さんがどうにか復活し、オルセードは彼と一緒に淡々と男を縛り上げた。息をつめていた野次馬たちが、ざわざわとし始める。

 それからオルセードはふと、道に落ちていた女物の靴に気がついたらしい。靴を拾い上げ、さっとあたりを見回して――

 目が合った。

「シオン!」

 さっ、と彼の顔が険しくなり、私に駆け寄ってくる。

「シオン、なぜここに! 怪我は? 足を見せろっ」

 いきなり私を横抱きにして、すぐそばの花壇に座らせ、裸足の方の足を検分する。私は一応、申告した。

「……靴が脱げただけだから」

 緊張が解けたせいか、語尾が震えてしまった。オルセードが心配そうに私を見上げる。

「シオン様!」

 人混みを抜けて、ネビアが駆け寄ってくる。

「ご無事ですか!? 申し訳ありません、おひとりにしてしまって……!」

「あ、ネビア良かった、無事だった。オルセード、何だったの今のは」

「こっちの軍隊で、禁止薬物を使っていた奴だそうだ。軍規違反で免職を言い渡されたとたん、隠し持っていた残りの薬を一気に飲んで一暴れということらしい。その後小チェディスに逃げ込み、俺も追っていた」

 あ、駐在武官のオルセードのテリトリーなのか、ここは…… 

「危な……。何で剣を抜かないの」

「こっちの人間を俺が斬ってしまうと、色々と問題が……。それに、剣を持っていない相手に剣で切りかかるのもどうかと思ったまでだ」

「は?」

 出たよ、生真面目オルセード。

「命あっての物種でしょ?」

「命が危なければその時は抜く」

 つまり、この程度は危なくないと判断したわけ? 余裕か。

「心配してくれたのか、シオン」

 オルセードは微笑み、そっと私の足に靴を履かせる。

 ……あの村で、自分を灰かぶりみたいだって思ったけど、今度はシンデレラのようだ。まあ、シンデレラでは王子様が履かせるわけじゃないし、オルセードは王子様ではないけれど。

「……帰る。今日はもうこれ以上はいい……」

 ため息をつきながら立ち上がると、オルセードの表情がまた険しくなった。

「これ以上とはどういうことだ。他にも何かあったのか」

「知らない人に話しかけられただけ」

「シオン」

 オルセードは断りなく私を抱き上げると、さっさと馬に乗せてしまった。

「帰るぞ」

「ちょ、あなたは事後処理でしょうが」

「……っ……とにかく家までは送る!」

 ネビアはそんな私たちを見ながら、拾い上げた帽子を手にしてにこにこしていた。


 私を馬に乗せ、オルセードとネビアは歩く、という道のりだったけど、とにかく私たちは帰宅して。

 すぐに仕事に戻ったオルセードは、夕方、改めて帰ってきた。

「シオン、あれから体調は何ともないか」

 彼は私の様子を確かめるように見つめながら、言う。

「しばらく出かけない方がいい」

「ちょっと待ってよ。それはまた別の話だよね」

「…………」

「全く……どうして私を外に出したくないのか、説明してくれるんじゃなかった?」

 私は横目で彼を見た。

「貴族の奥方の仕事なんて、社交がメインなんじゃないの? そりゃ、私はやろうと思ったって貴族じゃないからちゃんとはできないだろうけど、挨拶もしなくていい、知り合いも作るなっていうのはおかしい。どういうこと?」

 オルセードは視線を泳がせる。

「それは……」

「あ」

 唐突に思いついて、私はそれを口にした。

「もしかして、私の代わりにそれをやる女性がいるの?」

 だってほら、オルセードのお父さんも奥さんがいなかったけど、新しい恋人が手伝ったとか何とか……

「そういうことなら、私は目立たない方がいいけど。そうならそうと前もって説明し」

「待てシオン、俺にはシオンだけだ!」

 必死の形相になるオルセード。

 ……何だか、変な感じ。私たちは形だけの夫婦で、つまり仮面夫婦ってやつで。そりゃ、オルセードが今さら恋人を作ったら、私に償うとか言ってたのはどうした!? って思うだろうけど、そもそもチェディスでもオルセードが結婚した場合のこととか考えてたしなぁ。

 ……待って。逆はどう? 私がもし恋人を作ったら、オルセードはどう……え?

 もしかして、オルセードが私を隠そうとしているのは、恋人を作るかもしれないと思ったから? ええと、何だっけ、「こちらの人間はチェディスより遠慮がない。いきなり距離を詰めてくるようなところがある」だっけ?

 私はスパッと聞いた。

「オルセード。こっちってもしかして、恋愛に奔放なの?」

「……っ……」

 彼は黙りこくってしまった。

 こちらも口をつぐんでしばらく待っていると、やがて低い声。

「……こちらでは、貴族の奥方は恋人を持つのが普通らしい……夫もそれを黙認すると……」

 ははあ。

 聞いたことがある。昔のフランス宮廷とか、そんな感じだったって。こっちもそうなんだ。

「じゃあ、今日私に声をかけてきた人は……」

「誰なんだ」

「言わない。でも、今日は妻がいないからって、家に誘われた」

「誰なんだ」

「言わない」

 何で言わなきゃなんないんだ。それに、夫が黙認しなきゃいけないような文化なら、生真面目なオルセードは知らない方がいいよ。トラブルの元だ。

「シオン、とにかくそれは『あなたの恋人に立候補する、自分を選んでくれ』という意味なんだ」

 オルセード、眉間に深い皺。歯ぎしりしそうな様子だ。

 彼にしてみたら、気が気じゃないんだろうな。元々、私が恋人を作っても文句を言えない立場だったのに、こっちの国に来てさらに「それが普通」みたいになってしまったわけだから。

 日本じゃ、不倫なんてしたらもう大変なんだけどな。離婚理由になるどころじゃなくて、社会的に抹殺される勢いというか。そういうものだと思って育ってきた私も、不倫する気なんかさらさらない。

 でも、それを懇切丁寧に説明してオルセードを安心させてあげるのも、何だか違う。それじゃあまるで、愛し合ってる夫婦みたいじゃない。

「忘れないで、オルセード」

 私は少し前屈みになって、オルセードに顔を近づけた。

「私はまだ、あなたを罰し終えてないんだよ。……まだ、あなたから、全部断ち切ってない」

 オルセードは今、チェディスからやってきた駐在武官。まだ、チェディスとつながっている。

「任期が終わったら、あなたは私と別の国に行く。あなたに恋人ができていても、私に恋人ができていても、関係ない」

 軽く、唇を合わせた。私にとって、キスは彼を縛るもの。

 唇を離して、続ける。

「全部捨てて、私と二人で行くの。その時に面倒なことになるの、私は嫌なんだけど」

「シオン」

 私しか映っていないオルセードの瞳を見て、少しいじめたくなった。

「その時にすっぱり別れられるような、割り切った関係なら、アリかもね」

「シオン……」

 微妙に涙目になったオルセードが可哀想で、少し愛おしくて。

 さっきはなかなか格好良かったのに、こんな文化のこの国にいる間ずっと、彼は可哀想であり続けるんだ。そう思うと、愛おしい一方でうんざりするような……とても面倒くさいような、変な気持ちだった。


 そんな気持ちだったから。

 数日後、あの議員さんにバッタリ会って「今日お時間があったら、我が家で楽しみませんか?」と誘われたとき、私はため息をついてこう答えた。

「夫の相手で精一杯で……」

と。


【仮面夫婦の誠実な距離 終】

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