6話『フロイト機関(前)』
前回で一区切りと言ったな。あれは嘘だ。
次章のために書いたストックですが、一章に絡める必要性が出たため、急遽投稿します。
テンポの都合から、前後編に分割しての投稿です。
それは、進路希望調査を提出した日の、放課後の事であった。
いつも通り三鷹と馬鹿話をしたのち、「明日以降の三枝はどんな風に変わってるかな」なんて密かな楽しみにしながら、校門を出たその瞬間。
「栗栖くん。」
背後から呼び止められ、栗栖玲治は「んぁ?」と腑抜けた声を出しながら振り返った。
そこに立っていたのは、クラスで一位二位を競う美少女……そして数日前に『イド』で苦楽を共にした、華炸桐花だった。校門に背を預けている彼女は、ちょいちょいと、小さく手招きをした。
玲治は周囲を見渡し、自分以外に人影がないのを確認すると、そそくさと桐花に駆け寄った。それを見た彼女は、何事かと眉をしかめる。
「なんでそんなに挙動不審なのよ。」
「いや、勘違いだったら恥ずいじゃんか。……んで、どうしたんだよ。」
「ちょっと三枝さんと、貴方の様子をね。あれから、三枝さんはどうかしら。」
「今は自分のペースでイメチェン中。って、同じクラスなんだから少しは気付くだろ。」
そう言われると、桐花は心底困り果てたようにため息を吐いた。
「私、そういう所はからっきし駄目なのよね。本当に疎くて。」
「……目ん玉後頭部に付いてるんじゃないか。」
何も考えず咄嗟に出たその軽口へ、桐花は彼の脛を蹴ることで応じた。
「それで、栗栖くんの方はどう?あれ以来、体調はどうかしら。」
「たった今負傷しましたが如何か。」
「そう、元気そうで何よりだわ。」
……いやまぁ、今のは自業自得だろう。玲治は目尻に涙を滲ませながら立ち上がると、自身の肩を軽く揉んでみせる。
「まぁ、まだ気怠さは残ってる気がするけれど。調子はいいよ。……強いて言えば、ツムグの奴が頭ん中で煩いくらいだな。」
玲治は人差し指で、トントンとこめかみを叩く仕草をしてみせた。
とある事情から栗栖玲治の中に目覚めた「ツムグ」という名の少女。コイツが終始、とにかく煩い。授業中は「退屈だ」と喚き散らし、食堂に行けば「おいコレなんだ!?」と捲くし立て、親友の三鷹と駄弁っていれば「おいコイツいいやつだぞ!?」と脳内で膝を叩く。黙っている時間の方が少ないと感じるほどには、俺の相棒は喧しかった。終いには耐えかねて「少しは静かにしてくれませんかねぇ!?」とキレると、
“仕方ねーだろ赤ちゃんなんだから。”
と開き直られる始末。さいですか、じゃあもう何も言わんよ。
それを聞いた桐花は、可笑しそうに「ふふっ」と微笑む。
「それはあれね。まだ目覚めたばかりで、色々物珍しいのよ。私の時も、似たような感じだったわ。」
「さいですか……。まぁ、俺の方はそんな感じかな。それを聞くために待ってたのか?」
「そんな訳ないでしょう、今のはただの世間話。本命は『これ』よ。」
言うと、桐花は黒い鞄から名刺入れを取り出し、一枚をこちらに差し出した。受け取り見ると、それは黒の筆記体のみが記された、とてもシンプルなものだった。名刺の中央には『フロイト機関「心象干渉部門」所属 華炸桐花』と記載されている。
玲治は名刺から顔を上げ、困惑した表情を浮かべた。
「フロイト機関……?」
「私が所属する組織よ。一昨日、病院で「改めて紹介する」って約束したでしょう。今日、その都合がついたからここで待っていたのよ。」
と、二人の前に一台の軽自動車が停車して、ドアが自動で開かれる。桐花は「行くわよ。」と言いながら、車内に乗り込もうとする。……思考が一瞬止まり、遅れて困惑がやってくる。
「え、いやいやちょっと待て。今からか?俺の都合とかは?」
「あら、何か予定でも控えていたかしら。それならごめんなさい。」
「いやないけど……ないですけれどもッ!!」
「なら大丈夫ね。」と、桐花は車内から手招きする。玲治は色々言ってやりたい衝動に駆られるも、しかし何も思い浮かばない。悶絶し、声にならない悲鳴を上げると、やけくそ気味に車に乗り込んだ。
フカフカの背もたれに沈み込みながら、ムスッとした様子で玲治は告げる。
「……説明はしてくれるんだろうな。」
「勿論そのつもりよ。……そんなに怒らないで頂戴。私も、ついさっき連絡をもらったのよ。」
二人を乗せた車は、静かに車道を走り抜けてゆく。霞む街並みを、桐花は車窓越しに眺めている。そのすらりとした横顔を見ながら、玲治はなんとなく「綺麗だな。」という感想を抱いた。決して見惚れたとかではなく、率直な感想である。
校内での彼女の扱いは、それこそ「麗しの令嬢」「高嶺の花」である。人によっては、話しかけるのも烏滸がましいと崇拝する程だ。同じクラスに属していながら、まぁ会話する機会は来ないんだろうな、なんて思っていたが。よもや、こうして車内で二人になる仲になるとは。
人生何があるか分からないよな……なんて思っていると、頭の中から“……玲治お前、たまにキショくなるよな。”との一言。そんな意図はねーよ馬鹿野郎。
と、車窓から街並みを眺めていた桐花が口を開いた。
「とは言っても、どこから説明するべきかは悩ましいわね……。質疑応答形式でもいいかしら?」
「ん、あぁ……じゃあそもそも、この『フロイト機関』ってのはなんだ?」
玲治は、手元のシンプルな名刺に視線を落としながら尋ねる。
桐花は頷くと、
「さっきも言った通り、私が所属している組織の名前よ。私や貴方のような、『イド』に干渉できる逸材を集め、『イド』を用いた犯罪に対処する組織よ。」
「『イド』を用いた犯罪?」
「今の主だった案件で例えるなら“マーブル”の一件ね。その流通経路を辿り、大元を叩く事が主な目的よ。その『心象干渉部門』っていうのは、いわば実働部隊。“マーブル”によって『イド』が暴走した人のところへ赴いて、その暴走を食い止める専門部門よ。」
と、桐花は告げる。成程。自己流に噛み砕いて解釈するなら、つまりは「心の警察」といったところだろうか。そう纏めると、桐花はコクリと頷いた。
「それで、なんで俺を紹介する話になったんだ?」
「逸材と言った通り、『イド』に干渉できる存在は希少なのよ。故に慢性的な人材難……という側面もあるのだけれど、実態としては保護ね。」
「保護っつうと、悪用されるって事か?」
「正解。相変わらず勘が鋭いわね、貴方。」
「ご褒美に飴をあげるわ。」と、カバンからキャンディを取り出す桐花。いや子供への褒美じゃないんだからと笑いながら、それを受け取り、口に放り込む。
桐花曰く、俺のような『イド』に潜れる存在――彼女らフロイト機関が『ダイバー』と呼ぶ存在は、そのまま野放しにしておくと犯罪に利用されるか、自身の能力を悪用して犯罪の発起人となるケースがあるのだという。故に発見次第、保護や誘致といった名目で『先んじて囲う』のだそうだ。
「特に、貴方の場合はね。」
「俺の場合?どういうことだ、それ。」
「貴方は『レアケース』なのよ。栗栖玲治くん。」
突然フルネームを呼ばれ、思わず背筋を伸ばす玲治。見ると彼女の眼光は、鋭く据わっていた。何度か関わってみて痛感したことだが、彼女が時折見せる、内面まで覗き見るようなこの視線が、玲治はどうも苦手だ。見られているとどうも、つむじのあたりがムズムズするのだ。
「貴方、自分がツムグちゃんを目覚めさせた時のこと、覚えている?」
「あぁ。三枝の事をなんとかしなきゃって強く思ったら、急に頭の中に、ツムグの声が聞こえてきて……、」
「その後よ。三枝さんの『イド』に潜る際のこと。」
「その後?……あんまし覚えてないけど。確か、三枝の額に手を重ねて、気付いたらあの廊下に居たな。」
「それよ。それが『レアケース』で、前例がないのよ。」
そう言われて、玲治は顔をしかめた。彼女が何が言いたいのか、玲治にはまるで見えてこなかった。
彼女は息を吐くと、カバンから銀色の拳銃を取り出した。それは確か『E.M.P』とかいう、使用者の精神を弾丸として放つ銃だったはずだ。……まさか、常に携帯しているのだろうか。だがしかし、三枝のような突発的なケースもあるのだろう。
彼女は銀の拳銃を指の腹でなぞりながら、こう告げる。
「この銃は武器としてだけではなく、心象世界への転移装置としての役割もあるの。私たち『ダイバー』は、この銃を使用しない限り『イド』に潜ることはできない。……できない筈なのよ。」
「……それを俺は、掌に触れただけで潜れた。そんな前例がないから『レアケース』という事か。」
「そういう事よ。加えて、貴方みたいに『トワ』が自然発生することは稀なのよ。だから猶更、私たちとしては貴方を保護しておきたいの。」
なるほど……と一瞬納得しかけて、いやしかし待てよ?と疑問を抱いた。
『E.M.P』を使わずとも心象世界に潜れるのが前例がない、というのは分かった。しかし『トワ』が自然発生しないというのは、一体どういう了見なのだろう。仮にそれが稀だというのなら、では桐花や他の『ダイバー』は、どうやって彼らを目覚めさせたというのだろうか。
疑問を投げかけると、桐花は「当然の疑問ね。」と、小さく頷いた。
「……これまでの記録や、私の場合を例に挙げるなら、外部からの干渉――例えば他の『ダイバー』が心象世界に潜った際に、なんらかの形で触発されて、というのが多いわね。大概は、そういった外的要因で『トワ』は目覚めるの。でもごく稀に、貴方のように自発的に目覚めるケースもあるらしいの。私も現役で目にするのは貴方が初めてだけれど……。」
「そう、なのか……。」
玲治が頷くのと、車が停車したのはほぼ同時だった。
両扉が自動で開く。「続きはまた後でね。」とだけ言い残し、桐花は車から降りた。玲治もそれに倣い、車から降りる。
二人が降ろされたのは、高層ビルの前だった。ビルの隣を見ると、地下駐車場へと続くスロープが伸びている。街から少し離れているのか、周囲には他の高い建造物は見当たらなかった。周囲には木々や花々が植林されていて、なんだか落ち着いた雰囲気の場所だ。
桐花が自動ドアを潜るのを見て、玲治も慌ててそれに倣う。……と、自動ドアの横、社名が刻まれている看板を、玲治はチラリと見た。
「有限会社 高木建設」――見間違えるはずがない。確かにそう、刻まれていた。
「ちょ、ちょちょちょい待ち!?これ、名前、」
玲治は先を征く桐花を呼び止めると、その看板を指さした。
おそらくは過去に、何度も同じことを問われてきたのだろう。玲治の言いたいことを理解した桐花は、冷静に告げた。
「フロイト機関の存在は、一部の提携施設を除いて秘匿されているの。そこに書かれているものは仮の社名よ。……こっちよ、着いてきて。」
そう言うと、彼女はエレベーターに乗り込んだ。扉が閉まる前に、玲治も乗り込む。
地上五階層で、エレベーターが止まった。
建物内の風景は、ごくごく普通のオフィスビルと遜色なかった。だが床や天井の配色の影響だろうか、オフィスビルほどの緊張感はなく、むしろ安心感さえ覚えた。どこからか、ラベンダーの香りが漂ってくる。
玲治が案内されたのは、フロアの最奥――他の扉に比べて、やや重厚な造りの扉の前だった。桐花は扉を数度ノックすると、「華炸桐花、入ります。」と扉を開けた。
そこは、廊下と比べて華美な内装の部屋だった。赤い絨毯が敷かれた床に、床全面に貼られたガラス窓。来客用と思われるローテーブルとソファ、そして奥には、大きなオフィスデスクと上等な椅子が置かれていた。
“なんか、ドラマとかでよくある社長室みたいだな。”とはツムグの言葉。俺もそう思う。
「やぁ、華炸くん。お疲れ様。……学校終わりだというのに申し訳ないね。今日ぐらいしか、予定がつきそうになかったんだ。」
部屋から直結している給湯室から現れたのは、一人の成人男性だった。年齢は六〇代前半といったところだろうか。細型で、紺のスーツを纏っている。短い前髪はセンターで分けられており、その下では細眼鏡が輝いている。柔和な目をした男性であった。
「ちょっと待っててね。」とだけ告げると給湯室に戻り、暫くすると、盆にマグカップを三つ乗せて戻ってきた。部屋の内装とは不釣り合いに、どれも百均に売っていそうな、可愛らしいマグカップだった。彼はそれをローテーブルに並べると、「二人とも、どうぞ。」と着席を手で促した。
「失礼します。」
「ど、どうも……。」
桐花と玲治は各々会釈すると、ソファに腰を下ろす。ボフンと腰が沈み込み、玲治は一瞬バランスを崩し掛けた。
男性も対面のソファに腰を下ろすと、マグカップを手に取りながら、その口をゆっくりと開いた。
「お茶請けがなくて済まないね、いま丁度切らしているんだ。……栗栖玲治くん、だったかな。まずは初めまして。私はここの所長をしている、高木優作という者だ。」
男性――高木優作はそう言うと、こちらに右手を差し出してきた。
「――ようこそ『フロイト機関』へ。私たちは、君を歓迎するよ。」




