14. サウザンヒル公爵夫妻の噂
「おはようございます、奥様」
今日もアメリの挨拶で新しい朝が始まる。
「おはよう、アメリ。良い朝ね」
「はい、本当に!今日も良いお天気ですよ!」
別邸の客間のカーテンを開けながら、アメリが満面の笑みで答える。
王城での話し合いの後、私たちの離縁は撤回された。
しかしそれから2週間が過ぎても、私は別邸で暮らしているままだ。
事の真相とリチャード様の本当の気持ちが分かったとはいえ、「はい、そうですか」とすぐに全てを元に戻すことは私には出来なかった。
どれだけ真摯に謝ってもらっても、された仕打ちと味わった哀しみが打ち消しになる訳ではない。
自分の狭量さに苦笑いしつつ、私は質素なドレスに袖を通して身支度を整え、客間を出る。
玄関ホールでは、真っ赤なバラの花束を両手で抱えたリチャード様が待っている。
「おはよう、エレクシア!」
リチャード様は私の姿を見ると、はにかんだように笑ってこちらへ近づいてくる。
「今朝庭に出たらバラが見事に咲いていてね。ぜひ部屋に飾ってくれ」
「まあ、綺麗なバラ。それにとても良い香りですわ。ありがとうございます、リチャード様」
私は笑顔でそれを受け取ると、アメリに部屋に飾ってもらうように言って託す。
「さあ、朝食に向かおう。今日はマリオが気合を入れて、エレクシアの好物のチーズが入ったじゃがいものガレットを作ってくれたぞ」
「それは楽しみだわ!マリオのガレットは一級品だもの」
リチャード様が差し出した肘に手を添えると、リチャード様は嬉しそうに微笑んでから歩き始める。
離縁を取り消してから、リチャード様は毎朝こうやって私を迎えにきて、毎晩別邸まで送り届けてくれる。
第一王子殿下がくださったお休み期間中だけの行為かと思ったが、休みが明けても毎日それを続けている。
彼なりの誠意の表し方なのだろう。
「おはようございます、奥様」
本邸に入ると、玄関ホールでカールが出迎えてくれる。
今回の騒動で私たちはカールを大いに振り回してしまったが、離縁がなくなったと知ると心から喜んでくれた。
そして騒動前と変わらず私たちを支えてくれている。
「おはよう、カール」
私が挨拶を返すと、カールは微笑んで礼を返してくれる。
それからダイニングに向かう間、すれ違う使用人は皆一様に微笑みを浮かべて私たちを見守っている。
ダイニングに入ると、美味しそうな匂いが空腹を刺激する。
席に座り食前のお祈りをして、早速好物のガレットに口をつける。
蕎麦のクレープが香ばしく、ホクホクのジャガイモとチーズの相性が抜群だ。
「今日の夜会でカシオペア妃殿下が、エレクシアが今開発しているミント商品を宣伝してくださるそうだぞ」
「まあ!本当ですか?先日お渡しした商品を気に入ってくださったのかしら?」
私は以前から開発を進めていたものの離縁することになって開発を断念していた、公爵領特産のミントを使った商品開発を再開し、先頃いくつかの商品を売り出した。
元々お茶に入れたり料理の添え物としてしか使われていなかったミントを、飴に練り込んだり香水に配合したりして用途の幅を広げただけなのだけど。
「ああ。先日喉を痛めていらっしゃった時に渡したミント飴がよく効いたみたいだ。エレクシアの商品開発力を大層褒めておられたよ」
まるで自分のことのように喜ぶリチャード様を見て、何だか気恥ずかしくなる。
「……お気に召していただけたなら良かったです」
私が照れを隠すようにガレットを頬張ると、それをリチャード様が甘やかな視線で見守る。
それを見ていた使用人たちも自然に笑顔になり、ダイニング全体が微笑ましい空気に包まれるのであった。
◇◇◇
煌びやかな宮殿の中をリチャード様の腕に手を添えて歩く。
今日は一年の中でも大規模な夜会のひとつである、国王陛下のお誕生日を祝う大夜会。
国内の全ての貴族が招待され、色とりどりのドレスを纏い祝いの日に華を添える。
私はこの日のためにリチャード様が誂えてくれた星屑を縫い付けたように煌めく青のドレスを着て、ゴールドのアクセサリーを身につけている。
私たちが会場に入場すると、人々の好奇の視線が降り注ぐ。
「……なぜか、すごく注目されている気がするのですが」
「それは……「サウザンヒル公爵」
リチャード様が何かを言いかけたところで、前から近づいてきた人物に声をかけられる。
「お久しぶりです、サウザンヒル公爵夫人」
「……オマーリ卿。ご無沙汰しております」
オマーリ卿はリチャード様に声をかけた後すぐに私に向き直り、不敵な笑みを浮かべる。
公爵であるリチャード様を軽んじる態度に、少しムッとする。
オマーリ卿……エミリオ・オマーリ侯爵令息。
私の学生時代の同級生で、黒く艶めく髪にオリーブの瞳に泣き黒子が蠱惑的な美丈夫である。
学生時代から様々な浮き名を流していたけど……正直言って私は彼のことが苦手だ。
「知り合いか?エレクシア」
「ええ、学生時代に同級でしたの」
「エレクシア夫人とは学生の頃、親しくさせていただきましてね……」
怪訝な顔をするリチャード様にオマーリ卿は挑発するような言葉を投げかけ、リチャード様の眉間の皺はさらに深くなる。
そもそもオマーリ卿とは親しくもないんだから嘘をつかないで欲しいわ。
「今宵の貴女は夜の女神のように美しい……」
そう言ってオマーリ卿は私の手を掬い上げ、指先にキスを落とす。
指先に唇が触れている間、オマーリ卿にねっとりとした視線で見つめられ、思わず身震いする。
「おい、いつまで妻の手に触れている?」
リチャード様が苛立たしげに私の手を取り上げる。
「おっと……これは失礼。エレクシア夫人はまだ人妻でしたね」
「まだ、とはどういう意味だ?」
リチャード様が不機嫌そうに問いかけると、オマーリ卿はニヤリと口角を上げる。
「お2人が既に別居中というのは有名な話ですよ。ということは、離縁も秒読みなのでしょう?」
なるほど。
入場の時に好奇の視線を感じたのは、そのような噂が広がっているからだったのね。
「オマーリ卿。私たちに離縁の予定はありません。残念ながらあなたがエレクシアを得る機会は一生ないでしょう。……国王陛下に謁見に参りますので、失礼」
リチャード様はやや強引に私の手を引くと、足早にその場を去る。
「リチャード様。私、オマーリ卿とは全く親しくありませんでした」
私がそう言うと、リチャード様はピタリと足を止め「そうか」と小さく呟き、優しく微笑んだ。
◇
国王陛下との謁見を終え、フロアに戻るとすぐに音楽が鳴り始める。
「一曲踊ろうか、エレクシア」
差し出された手のひらに、手を重ねる。
「喜んで」
リチャード様に導かれ、フロアに出て踊り始める。
あの騒動以来、久々に体を密着させたため、ドキドキと胸が高鳴る。
「この会場の中で、君が一番綺麗だ。エレクシア」
美しい碧眼に蕩けるように見つめられ、顔が上気してしまう。
そう言うリチャード様こそ、この会場のどなたよりも美しいわ。
ダンスを終え、少し休憩をしようと飲食のスペースに移る。
「ドリンクを取ってくる。ワインでいいかい?」
「ええ、ありがとう」
リチャード様がその場を離れた途端、胸元がざっくり開いた赤いドレスを着ている黒髪に薄紅色の瞳の令嬢が近づいてくる。
「あなたがサウザンヒル公爵の奥様?」
「ええ……あなたは?」
不躾に声をかけてくる令嬢に、全く見覚えがない。
恐らく高位貴族の令嬢ではないだろう。
「私はヒラリー・デュークス。単刀直入に言うわ。リチャード様と早く別れてくれない?」
この人は何を言い出すのだと私が目を丸くしていると、ヒラリー嬢はしたり顔で笑みを浮かべる。
「リチャード様はね。王城の図書館で私に声をかけてこられたの。……恐らく私に一目惚れしたのね。どうせあなたたち、離縁するんでしょ?私が公爵夫人として立派にやっていきますから、さっさと去ってちょうだい」
ヒラリー嬢はもうすでに公爵夫人になったかのような不遜な態度で一方的に話をしている。
その素養では到底公爵夫人は務まらないのでは……と思いつつ、この女性が例の『前世の恋人』なのかしらという考えが浮かぶ。
「リチャード様とは親しいのですか?……例えば、ずっと前からの知り合いであるとか」
探りを入れるために質問をしてみると、ヒラリー嬢はぱぁっと顔色を明るくする。
「出会いは最近なのよ!そう……目と目が合った瞬間……まさに、『運命の出会い』だったわ!」
うーん。
ヒラリー嬢には『前世の記憶』はなさそうだわ。
「……誰が『運命』だって?」
夢見心地に『運命』を語るヒラリー嬢の後ろから、ワイングラスを両手に持ったリチャード様が近づいてくる。
「リチャード様!」
飛びつこうとしたヒラリー嬢を華麗に躱し、リチャード様は私の側まで歩み寄る。
「エレクシア。待たせてすまない」
私に甘やかな視線でワイングラスを渡した直後、まるで氷のような冷たい視線をヒラリー嬢に投げる。
「……何だ?君は」
「リチャード様、私です!図書館でお声掛けいただいた……ヒラリーですわ!」
ヒラリー嬢はキラキラした目でリチャード様を見上げるが、リチャード様は表情を変えずに黙殺し、再び私に視線を向ける。
「……マナーがあまりにもなっていない。貴族かどうかも疑わしいな」
「男爵家ですが、立派な貴族です!そこの女性と離縁された時には私が公爵夫人としてリチャード様をお支えしますわ!」
あまりに自信満々で堂々としたヒラリー嬢の態度に、却ってこちらが恥ずかしくなる。
恐らく私とリチャード様が離縁するという噂を聞いて突撃してきたのだろう。
実際にヒラリー嬢と結ばれるために一時は離縁をするという話が出たのだから、彼女が言うこともあながち間違ってはいない。
しかし例え離縁するのが本当だとしても、現時点で私は公爵夫人であちらは男爵令嬢。
私を侮っていい理由などないのに、それすらも理解できない方が公爵夫人としてやっていける訳がない。
「離縁だと……!?私がエレクシアのような美しく品があり、教養も人柄も申し分ない妻を手放すわけがないだろう!君がエレクシアに勝っているところなど何一つないぞ?鏡を見て出直せ!」
リチャード様は私の腰に手を回し、恐ろしいほど怒りを孕んだ声で怒鳴り上げる。
ヒラリー嬢はまさか怒鳴られると思っていなかったのか、吃驚して目を白黒させている。
いつの間にか私たちの周りには、騒ぎを聞きつけたギャラリーが集まっている。
「あ……離縁されないのですね。……それは失礼しました」
ヒラリー嬢は辺りをキョロキョロ見回して顔を紅潮させ、そそくさと去って行った。
ギャラリーの方々も、私たちの離縁の噂が嘘だったのかとヒソヒソ囁き合っている。
―――ギャラリーに聞かせるためにわざと怒鳴り上げたわね……。
私が呆れてリチャード様の顔を見上げると、リチャード様は蕩けるような瞳で見つめ返してくる。
「仲が良いのは結構だが、イチャイチャするのは帰ってからにしてくれよ」
突然ギャラリーを割って第一王子殿下と妃のカシオペア様がおいでになり、ギャラリーがどよめく。
「リチャード卿がエレクシア夫人を手放すはずがないわ。こんなに素敵な商品を開発できる才媛だもの!」
そう言ってカシオペア様がミント飴をギャラリーに配り出す。
「これはね、喉の調子が悪い時に舐めると効果覿面なのよ!喉が悪くない時でも、口がスッキリして気分がいいの!」
ミント飴の宣伝をしてくださるカシオペア様を見ながら、私はリチャード様と目を見合わせて微笑み合う。
その姿を見た人々から私たちの仲が伝聞で広がり、サウザンヒル公爵夫妻の離縁の噂はたちまち消えてしまった。
その後も私たちはしばらく別居を続けたが、約束通りリチャード様は毎日私に行動と言葉で愛を伝え続けた。
待望の長男が誕生し、駆けつけた義両親が涙を流して大喜びしたのはそれから1年半後の話。
〜 完 〜
★あとがきと御礼★
これにて完結でございます〜。
最後までお付き合いいただいた皆様、誠にありがとうございました!
期待された結末ではなかったかもしれませんが、元々ざまぁを主軸に書いた作品ではありませんでしたので、ご容赦くださいませ。
今回の作品では、回を追うごとにリチャードが嫌われてしまって大変心苦しかったです。
自分の中では憎めないキャラ設定にしたかったのですが、表現力が足りないばかりにただの下半身が緩いポンコツ野郎になってしまいました(;ω;)
もう少し離縁前のエピソードやエレクシアのリチャード評を入れれば良かったかな?とか、前世を思い出した時の行動の理由が後出し感になってしまったところなど含め反省は多々ございますが、後作に活かせればと思います。
新作もどんどん書いておりますので、また目に触れる機会がありました時は応援よろしくお願いいたします( ´ ▽ ` )
hama
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「義姉と間違えて求婚されました」
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