第33話 ぶっ飛んでやがる。
Aランクダンジョン『黄昏の環状都市』。
その一角に存在するセーフティゾーン、『トワイライト・パーキングエリア』。
毒々しいネオンサインが輝くサイバーパンクな雰囲気の無人PAに、場違いなほど巨大な装甲バスと、流線型のバイクが停車していた。
激しいカーチェイス――いや、一方的な蹂躙劇を終えたバスケ部の面々は、ここで束の間の休息を取っていた。
「ふぅ……ようやく落ち着いて飲めるね」
ベンチに座った航が、優雅にティーカップを傾ける。
琥珀色の液体が、夕日を透かしてきらめいていた。
「……さっきは私の服にシミを作ろうとした無粋な輩がいたが、掃除しておいて正解だったよ」
航の言葉に、自販機で買った『ダンジョン産謎肉の唐揚げ』を食べていた海斗が、呆れたように口を開く。
「お前……あの車列を壊滅させた理由、『服が汚れそうになったから』かよ……」
「それ以上の理由が必要かね?」
航は、心底不思議そうに海斗を見た。
「美しくないものは、視界から消すに限る。私のティータイムを邪魔する権利は、神にすらないのだよ」
彼にとって、数億円の最新鋭試作機をスクラップにしたことなど、袖についた埃を払った程度の認識らしい。
海斗は「関わっちゃいけねえ人種だ」と首を振った。
一方、その横では、刃多が愛車『モト・チェイサー』のボディをクロスで磨いている。
ピコちゃんは、PAの巨大なゴミ箱に興味津々で頭を突っ込もうとして、栞に「ダメよ! 汚いから!」と回収されていた。
「刃多。最後、随分と派手に踏み潰したな。避けることもできただろ?」
剛が、缶コーヒーを飲みながら尋ねる。
刃多の最後のジャンプ。
リーダー車を踏み台にしたあの一撃は、回避するだけなら必要のない、過剰な破壊だった。
刃多は、手を止めて少し考え、淡々と答えた。
「……ん。でも、真っすぐ行きたかったから」
「真っすぐ?」
「どかないなら、踏むしかない」
剛は絶句した。
彼の思考に「相手の車の値段」や「人命」というパラメータはない。
あるのは「最短ルートを行く」という目的と、それを阻む「障害物」という認識だけ。
障害物があるなら、避けるよりも粉砕して道を作る方が、彼にとっては「自然」なのだ。
(……ヒメノの連中も不運だったな)
二人の会話を聞いていた蓮は、内心で同情した。
(よりにもよって、この部室で一番『話が通じない』二人を本気で怒らせるとは)
彼らにとって、9億円の破壊行為は「ただの事故処理」でしかない。
誰も、自分が何をしたのか、その社会的・経済的意味を理解していなかった。
★
一方その頃。
翠星高校、探索本部。
照明を落とした凜華の個室は、モニターの青白い光だけが照らす、陰鬱な空間となっていた。
「……全損? 8台の装甲車と、5台のバイクが、全部?」
凜華の声が震える。
モニターに映し出されているのは、ドローンが撮影したハイウェイの惨状だ。
無残にひしゃげた装甲車。
バラバラになったバイクの残骸。
黒煙を上げる「数億円のスクラップ」。
これらは全て、彼女が「父に無断」で、「探索部の演習用」と偽って横流しした会社の資産である。
「嘘でしょ……あのFランク一人に? 回収不能? スクラップ? ……ふざけないでよ!!」
ガシャンッ!
凜華はデスクの上の物をなぎ払った。化粧品や資料が散乱する。
「意味が分からないわよ! なんで!? なんでこんな壊し方をするの!?」
彼女は、破壊された車両の解析データを見て、理解の範疇を超えた恐怖を感じていた。
これは戦闘ではない。解体だ。
『あ、あの……音声データの一部を復元しました』
部下からの通信が入る。
バスの上にいた剣士の男――航の、攻撃直前の音声だ。
『……ああ。私のティータイムが……汚された』
「……は?」
凜華の思考が停止する。
「紅茶? ……紅茶がこぼれたから、数億円の装甲車を切り刻んだって言うの……?」
彼女のビジネスロジックが音を立てて崩れ去る。
損得勘定も、戦略的撤退も、そこにはない。
あるのは、「不快だから消した」という、災害のような理不尽だけ。
さらに、もう一つの映像。
バイクの女――刃多が、高価な装甲車を「踏み台」にしてジャンプする瞬間。
「こっちもよ……! 避ければいいじゃない! なんでわざわざ踏み潰すの!? 私の資産をなんだと思ってるのよ!」
凜華は、自分が相手にしているのが「商売敵」でも「正義の味方」でもないことを悟った。
「……狂ってる。あいつら、金も、技術も、命さえも……何も見ていない」
こんな連中が、私のビジネスの邪魔をしているのか。
「許さない……」
理解できない恐怖は、やがてどす黒い殺意へと変わる。
「私の『価値観』を否定する奴らは、徹底的に潰す。ビジネスじゃない。これは『害獣駆除』よ」
彼女は、損得を度外視した「禁断の手段」に手を伸ばすことを決意する。
★
再び、黄昏のパーキングエリア。
栞から高級精霊フードをもらってご満悦のピコちゃんを眺めながら、翼が壁の掲示板を見ていた。
「ん? なんだこれ」
そこには、デジタルグラフィティのような文字で、奇妙な噂が書き残されていた。
『深夜0時、第3ジャンクションにて待つ。――音速の亡霊』
『勝てば「空への道」が開かれる』
『負ければ無限ループの藻屑』
「おい蓮! なんか面白そうなの見つけたぞ!」
翼の声に、蓮が反応する。
掲示板の内容を確認し、手元の『鈍器本』……『財団資料』と照らし合わせる。
「……ビンゴだ」
蓮が口元を緩める。
「この環状都市は、かつてクロノミナル財団の『車両実験場』だった場所だ。この書き置きにある『音速の亡霊』とは、財団のテストパイロットAIのことだろう」
「AIとレースってことか?」
海斗が身を乗り出す。
「そうだ。そして『空への道』……これは、最深部にある『中央管制塔』へのルートだ」
蓮は、資料の最終ページを開く。
そこには、このダンジョンに眠る最大の遺産が記されていた。
「そこには、財団が遺した『時間移動エンジン』の設計図……オリジン級の秘宝が眠っている」
「時間移動エンジン……!」
剛が唸る。
それは、単なるアイテムではない。この世界の技術体系を覆すほどの代物だ。
「ただし、物理的な道はない。亡霊とのレースに勝利し、『音速』に達した瞬間のみ出現する『光のハイウェイ』を走破する必要がある」
「へっ! レースかよ! バイク乗りの刃多に喧嘩売るとはいい度胸だ!」
海斗が笑う。
刃多は、その言葉に反応して顔を上げた。
「……音速」
新バイク『モト・チェイサー』と、装着されたワープユニットを見つめる。
その瞳に、静かな炎が宿った。
「……勝つ。行きたい」
即答だった。
「よし。バス(移動司令部)とバイク(エース)の準備は整った」
蓮が宣言する。
「ハウンドレッドも、理事会も、光聖も置き去りにして、僕たちはこの都市の『最速』を目指す」
ここからは、彼らの新しい遊びの時間だ。
「行こう。ここからは……『Speed』の時間だ」
「よっしゃ! まだまだこれからだ。張り切っていくぞ!」
「「おーっ!」」
「ぴいーっ!」
休憩は終わり。
刃多はバイクに、他のメンバーはバスに乗り込んで、エンジンを点火。
彼らは再び、ハイウェイを加速していった。




