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第29話 バイクとバスを購入

 新ダンジョン、Aランク文明型『黄昏の環状都市』。


 その名の通り、空は永遠に終わらない茜色の夕暮れに染まっていた。


 視界を埋め尽くすのは、上下左右、無数に立体交差するハイウェイ。

 地平線の彼方まで続くアスファルトの道は、走り屋たちにとっては天国であり、迷い込んだ者にとっては無限回廊の地獄だ。


 その道を、一台のバイクが疾走している。

 刃多じんたの愛車である市販のバイクだ。


『ぴぃー!』


 胸ポケットから顔を出したピコちゃんが、風圧に負けないよう、お揃いのゴーグル(昨日の報酬で購入)をつけて、楽しそうに声を上げる。


 すれ違うのは、暴走車のような形状をしたモンスターや、空を飛ぶエイ型の機械獣。


 だが、刃多はそれらを巧みなハンドルさばきで回避し、あるいはブーメランで牽制しつつ、速度を緩めない。


「刃多。このダンジョンは『ループ構造』だ。ただ走っているだけでは永遠に出られない」


 インカム越しに、れんの冷静な声が響く。


「特定の『周波数サイン』を見つけろ。電子看板デジタルサイネージのノイズに、隠しルートへのナビが含まれているはずだ」


 刃多は、流れる景色の中で、一瞬だけ表示が変わる電光掲示板を見逃さなかった。

 肉眼ではただのノイズ。

 だが、刃多の『絶対空間把握』は、その明滅のパターンを「道」として認識する。


 あるいは……。


 刃多は今、自身が『精霊王の息子』であると認識している。


 そして、クロノミナル財団と精霊王に何らかのつながりがあると考えながら、ギミックを解き明かしている。


 自身の感覚が『精霊王へのルート』に近しいものであると、無意識に感じている可能性はある。


「……見つけた」


 刃多は、直進する一般車両モンスターの流れを無視し、唐突にハンドルを切った。

 ガードレールの切れ目。

 一見すると奈落へのダイブに見えるその場所へ、迷わず突っ込む。


 景色が歪んだ。

 タイヤが空をつかむ感覚と共に、刃多のバイクは、地図にはない「VIPルート」――かつての財団専用道路へと着地していた。


 ★


 隠しルートを抜けた先。

 刃多の目の前に、ドーム状の施設が現れた。


 夕日を反射して輝く、全面ガラス張りの美しい建造物。

 入り口の看板には、優雅なフォントでこう書かれている。


『Chronominal Motors』


「クロノミナル・モータース……」


 刃多はバイクを止め、ヘルメットを脱いだ。

 自動ドアを抜けると、そこは静謐せいひつな空気に満ちたショールームだった。


 廃港のような汚れた廃墟ではない。

 空調が効き、床は磨き上げられ、新車同然のビークルが整然と展示されている。

 ここだけ時間が止まっているかのようだ。


 刃多は、吸い寄せられるように歩き出した。

 展示されているマシンの数々に、普段は無表情な瞳が、子供のように輝き始める。


「おいおい、刃多の目がマジだぞ。あいつ、ホントにバイク好きなんだな」


 モニター越しの海斗かいとが苦笑する。


 刃多が足を止めたのは、ショールームの中央ステージだった。

 そこに、一台のバイクが鎮座していた。


 流線型のフォルム。

 装甲の隙間から漏れる淡い魔力光。

 タイヤではなく、重力制御ユニットで接地する、未来的な機構。


機動二輪モト・チェイサー プロトタイプ』

『価格:3,000 Clock』


 説明書きには、「魔力駆動エンジン搭載」「空間跳躍ユニット(別売)完全互換」の文字。


 刃多は、ガラスケースにそっと手を当てた。


「……これ」


 刃多が呟く。


「かっこいい。欲しい」


 それは、「攻略に必要だから」という理性的な判断ではない。

 「欲しいから買う」という、純粋な所有欲。

 刃多が初めて見せた、年相応の少年の欲望だった。


「即決かよ! まあ、金はあるしな!」


 つばさが笑う。

 だが、蓮の声がそれを制した。


「待て、刃多。買うのは構わないが……その奥だ」


 蓮に言われ、刃多は視線をバイクの奥へと向けた。

 そこには、バイクとは比較にならない威圧感を放つ、黒鉄の巨躯が鎮座していた。


 装甲車のような頑丈さと、キャンピングカーのような居住性を兼ね備えた、巨大なバス。


『多目的装甲バス』

『価格:7,000 Clock』


「刃多。そのバスだ」


 蓮の声に熱がこもる。


「その『動く要塞』があれば、僕たちも、安全にダンジョン内部に入れる。部室の機材を積み込めば、文字通り『移動司令部』になるぞ」


 刃多は、バイクとバスを交互に見た。


 バイクは、3,000。

 バスは、7,000。

 合計、10,000 Clock。


 重要保管庫で手に入れた電子マネーの残高と、一桁も違わずピッタリだ。


 刃多は頷いた。

 迷いなく、購入端末にブラックカードをかざす。


『決済完了。Thank you. 良い旅を、クロノミナルの探索者よ』


 電子音声と共に、展示されていたバイクとバスが光に包まれる。

 刃多は両手を広げ、アイテムボックスの『渦』を展開した。

 巨大な二つの影を、無理やり――しかし嬉しそうに、亜空間へとねじ込んだ。


 ★


 ダンジョンの出入り口、セーフティゾーン。

 そこには、連絡を受けたバスケ部員全員の姿があった。


「おーい刃多! 買えたかー!」


 手を振る海斗の前に、刃多がバイクで戻ってくる。

 そして、バイクを降りると、何もない空間に手をかざした。


 ズドォォォォン!!


 重量感のある音と共に、巨大な「装甲バス」が出現した。

 さらにその横に、未来的なデザインの「新バイク」も並ぶ。


「うおっ! マジかよ! すげえデケェ!」

「うわー! 中、めっちゃ豪華! ここ住めるじゃん!」

「アイテムボックスの容量。マジでどうなってるんだろうな」

「野暮な詮索と疑問は割愛しよう。実に美しい都合のよさじゃないか」


 海斗と翼が、子供のようにはしゃいでバスに駆け寄る。

 剛の頬が引きつって、航は微笑んだ。


 みんなで中に入り……栞が目を輝かせる。


「キッチンもある! 冷蔵庫も動いてる! ここでお茶淹れられるね!」

「フム。座席の革も悪くない。移動する部室としては申し分ない美しさだ」


 航も満足げにソファに腰を下ろす。


「よし、乗り込め! 運転は俺が……」

「却下だ」


 運転席に座ろうとした海斗の首根っこを、蓮が掴む。


「お前の運転じゃ酔う。剛、頼めるか。一番安定性があるからな」

「ああ。任せてくれ」


 剛がどっしりと運転席に座り、ハンドルを握る。

 ダンジョン内ビークルは免許不要。魔力登録だけで誰でも動かせるが、剛の安定感は別格だ。


 部員たちがバスに乗り込み、準備が整う。

 刃多は、愛車(市販車)をしまい、新しい『モト・チェイサー』にまたがった。


 そして、アイテムボックスから、あの『空間跳躍機動ユニット』を取り出す。

 バイクの接続部に近づけると、まるで吸い込まれるようにセットされた。


 カシャーン!


 小気味いい音が鳴り、ユニットがバイクと一体化する。

 システムが起動し、淡い光が車体を包んだ。


「……ん。完璧」


 刃多はスロットルを軽く回す。

 唸るようなエンジン音が、心地よく響いた。


 バスの窓が開き、海斗が顔を出す。


「へっ、最高だぜ! 野郎ども! 『黄昏の環状都市』攻略開始だ! ついてこい刃多!」


「……ん」


 刃多が頷く。

 巨大な装甲バスと、最速のバイク。

 二つの影が、夕暮れのハイウェイに向けて、爆走を開始した。


 バスケ部は、ついに「全員」で、ダンジョンの深淵へと旅立ったのだ。

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