第24話 第七実験区画
資神歴495年、第七実験区画。
刃多がバイクでゲートを突破した瞬間、世界は赤一色に染まった。
ウゥゥゥゥゥ――ッ!!
鼓膜を叩く警報音。
通路の照明はすべて非常用の赤色灯に切り替わり、回転する赤い光が、無機質な壁に不吉な影を落としている。
平和だった駅前の風景とは、まるで別世界だ。
「……始まったな」
モニター越しに、蓮の緊張した声が響く。
「この区画はすでに『崩壊のプロセス』に入っている。史実通りなら、あと数十分で制御装置『オリジン』が臨界点に達し、全てが消滅する」
タイムリミットは数十分。
その間に、最深部の『制御室』に到達し、暴走を止めなければならない。
刃多は、無言でアクセルを回した。
カメラ目線のまま、崩壊が始まった通路を疾走する。
★
進むにつれて、異様な光景が広がり始めた。
ドォォォン……!
通路の壁にある配管が破裂し、爆炎が噴き出す。
だが。
「うわっ、なんだあれ!? 止まってる!?」
翼が叫ぶ。
噴き出したはずの爆炎と、飛び散った瓦礫が、空中でピタリと静止していた。
まるで、そこだけ動画を一時停止したかのように。
「バグってんぞ! ゲームならフリーズ案件だ!」
「フム。破壊の瞬間が凍り付いている……実にアバンギャルドで美しい光景だ」
航だけは、その終末的な光景に美学を見出しているようだ。
「『時空震』だ。オリジンの暴走により、このエリアの時間の流れが狂っている」
蓮が解説する間にも、刃多の行く手には次々と異常が発生する。
天井が崩落して通路を塞ぐ――と思いきや、瓦礫が巻き戻るように天井に戻り、再び崩落を始める。
破壊と再生の無限ループ。
一歩タイミングを間違えれば、無限の瓦礫に押しつぶされるか、静止した爆炎に突っ込んで焼かれるか。
だが、刃多は減速しない。
『ぴっ!』
胸ポケットから顔を出したピコちゃんが、鋭く鳴く。
右だ。
刃多は迷わず車体を右に傾ける。
直後、左側の空間が歪み、見えない衝撃波が通り過ぎた。
『ぴぃ!』
次はジャンプ。
刃多は前輪を持ち上げ、空中に静止していた「爆発で吹き飛んだ床の破片」に乗り上げ、それをジャンプ台にして跳躍した。
バイクが宙を舞う。
その下では、崩落と再生を繰り返す床が、ちょうど「崩落」のサイクルに入り、奈落の底へと消えていた。
ダンッ。
着地と同時に再加速。
刃多とピコちゃんのコンビネーションは、崩壊する世界すらもアトラクションのように駆け抜けていく。
「ここまでくると訳が分からん!」
「刃多すっげえっ!」
海斗と翼は大盛り上がりだ。
「しかし、恐怖がないのか? あまりにも心臓が強すぎる」
「ふむ、ピコちゃんも一緒になって喜んでいるし、その影響で刃多も楽しいのかな? 実に美しいコンビだ」
剛が首をかしげて、航は紅茶を飲んだ。
★
やがて、通路の突き当りに、巨大な隔壁が現れた。
最深部へのメインゲートだ。
分厚い合金の扉が固く閉ざされ、『セキュリティロックダウン』の文字が点滅している。
「解除コードを探している時間はないな。だが、ギミックとして固定されているわけではなさそうだ……刃多、アレを使え」
蓮の指示に、刃多は頷いた。
走行中のバイクの上で、ハンドルから両手を放す。
そして、背中に背負ったホルスターから、一本の『黒い棒』を取り出した。
いつものブーメランではない。
武骨で、飾り気のない、黒い鉄の塊。
『ダイナナ重工製・可変式質量兵器』
刃多が魔力を込めると、カシャカシャと機械的な音が鳴り、遠心力によって巨大なハンマー状のブレードが展開した。
それはもはや、投擲武器のシルエットではない。
振るうための「鈍器」だ。
「……どかす」
刃多は、カメラ目線のまま、腕を振りかぶった。
そして、全力で投擲する。
ヒュンッ――
風切り音ではない。
砲弾が空を裂くような、重低音が響いた。
ドォォォォォォンッ!!!!!
激突の瞬間、隔壁全体が悲鳴を上げ、ひしゃげた。
物理法則を無視した質量衝撃が、ロックされた合金の扉を蝶番ごと吹き飛ばす。
爆煙を突き破り、刃多のバイクが中へと飛び込んだ。
「いい威力だ。やはりダイナナ重工の設計思想は『火力』にあるな」
剛が満足げに頷く。
「もはやブーメランじゃなくて鈍器だろアレ!」
海斗のツッコミは、轟音にかき消された。
「いやでも、ちゃんと戻ってきてるよ? 私も納得できてないけど」
栞は苦笑しているが、納得できていないことに関しては全員が同意である。
多分、刃多も同意である。
★
ゲートの先。
そこは、広大なドーム状の空間だった。
天井は高く、無数のケーブルが垂れ下がっている。
その中心に、巨大な球体の装置――『オリジン』が鎮座していた。
バチッ、バチチチッ!
制御を失ったオリジンから、青白い稲妻のような魔力が撒き散らされ、周囲の空間を削り取っている。
そして。
そのオリジンに絡みつくようにして、ソレはいた。
「■■■■――ッ!!」
咆哮。
だが、それは生物の声というより、金属が擦れ合う悲鳴に近かった。
巨大なドラゴン。
だが、その姿はあまりにも痛々しい。
白かったはずの鱗はどす黒く変色し、半身は機械部品と融合してただれている。
背中の翼は片方が千切れかけ、代わりに魔力の奔流が翼の形を成していた。
『精霊王竜グラトニア・プロトクローン』
かつて、グラトニア家の王女を素体に生み出されようとして、失敗した成れの果て。
ピコちゃんの「なり損ね」であり、悲しき兄弟。
『ぴぃ……っ!』
刃多の胸ポケットから、ピコちゃんが悲痛な声を上げた。
怖がっているのではない。
悲しんでいるのだ。
ピコちゃんは、小さな前足で刃多の服を強く握りしめた。
その声に反応したのか、プロトクローンが巨大な首を巡らせた。
濁った眼球が、刃多と――その胸にいる「完成品」を捉える。
「■■、■■■……!!」
憎悪か、羨望か。
あるいは、ただ「助けてくれ」と叫んでいるのか。
理解不能な絶叫と共に、プロトクローンがオリジンからさらに魔力を吸収し、その体を膨張させた。
ズズズ……ッ!
空間全体が軋み、崩壊が加速する。
「刃多」
蓮の声が、静かに、しかし強く響いた。
「あいつを倒して『オリジン』を停止させるんだ。そうすれば、爆発は止まる」
そして。
「ピコちゃんの『過去』を、終わらせてやれ」
刃多は、バイクを止めた。
スタンドを立て、静かに降りる。
手元に戻ってきた『トランス・ブーメラン』を構え、震えるピコちゃんの頭を、指先でそっと撫でた。
「……大丈夫。すぐに終わる」
刃多は、カメラ(仲間たち)を見つめ、頷く。
そして、振り返らずに、暴走する巨竜へと向き直った。
過去の悲劇が生んだ怪物との、決戦が始まる。




