第19話 ダブル弁慶
夕暮れのコンテナヤード。
茜色に染まる広場で、アバター装備に身を包んだ『ハウンドレッド』の残党たちが、ニヤニヤと笑みを浮かべて展開している。
彼らの目の前には、一台のバイクが迫っていた。
乗っているのは、レディースのライダースーツに身を包んだ、華奢な少女(に見える少年)。
Fランクの初心者。
そして、彼らが光聖から奪った『最新装備』を持たぬ、ただのカモ。
……はずだった。
「おい、止まらねえぞ!?」
残党の一人が声を荒げる。
バイクは減速するどころか、さらに加速しているようにすら見えた。
「ビビってブレーキ踏めなくなってんのか!? おい止まれ! 轢くぞ!」
リーダー格の男が叫ぶ。
だが、ヘルメット越しの刃多の瞳は、彼らを『敵』として認識していない。
ただの、『通過すべき障害物』として処理している。
『蓮さん。言われた通り、素通りする』
「ああ。止まる必要はない」
蓮の冷徹な指示が飛ぶ。
刃多は、ハンドルを握る手に力を込めた。
目の前には、道を塞ぐように並んだアバターの壁。
だが、刃多には見えていた。
彼らの立ち位置、重心、そして恐怖によるわずかな揺らぎが生み出す、『隙間』が。
ブォンッ!
バイクが唸りを上げ、車体が鋭く傾く。
「なっ!?」
接触ギリギリ。
刃多は、アバターとアバターの間のわずかな隙間へ、針に糸を通すような精度で突っ込んだ。
プロレーサー顔負けの、超精密スラローム。
「うっひょー! 当たらなければどうということはない!」
翼が歓声を上げる。
残党たちが慌てて剣や鈍器を振るうが、ピコちゃんの予知と、刃多の異常な空間把握能力の前では、全てがスローモーションのように空を切るだけだ。
風のように、包囲網を抜けようとする刃多。
「クソッ! 舐めやがって!」
焦ったリーダーが叫んだ。
「ならばこれだ! 光聖もこれで止まったんだよ!」
リーダーの合図で、数人の男たちが、一斉に操作を行う。
バシュッ、という音と共にアバターが解除される。
現れたのは、ある程度頑丈な革装備だが、『生身』の人間たち。
彼らは、加速するバイクの進行方向に、両手を広げて飛び出した。
「止まれ! 生身だぞ! ぶつかればお前もタダじゃ済まねえぞ!」
人間の盾。
Aランクの光聖すらも『倫理観』によって停止させた、最悪の切り札。
普通なら、急ブレーキをかける。
あるいは、ハンドルを切って転倒する。
だが。
『……どかないなら、どかす』
刃多は、アクセルを緩めなかった。
それどころか、ハンドルから両手を放した。
その手には、いつの間にかアイテムボックスから取り出された、二枚のブーメランが握られている。
鋭利な刃がついたいつもの物ではない。
質量と強度に特化した、分厚い金属製の『打撃用』ブーメランだ。
刃多の手首がしなる。
「は……?」
飛び出した男たちが、呆気にとられた瞬間。
放たれた二枚の凶器は、地面スレスレを這うような軌道を描き、吸い込まれるように『標的』へと向かった。
標的は、飛び出した二人の男の、『両足の脛』。
ガッ!!!
鈍く、重い音が響き渡った。
「ぎゃあああああああああっ!!」
絶叫。
脛を砕かれた激痛により、男たちの膝が折れる。
彼らは、糸が切れた人形のように、その場に崩れ落ちた。
立ちはだかる壁が、地面に転がる障害物へと変わった瞬間。
刃多は再びハンドルを握り、前輪を持ち上げた。
ブォオオオオオッ!
ウィリージャンプ。
のたうち回る男たちの頭上を、バイクが華麗に飛び越えていく。
『ぴー!』
空中で、ピコちゃんが眼下の男たちを見下ろし、「ばーか!」と言わんばかりに嘲笑した。
ダンッ、と着地。
刃多は一度も振り返ることなく、そのまま一直線にダンジョンの出口へと走り去った。
残されたのは、排気ガスの臭いと、脛を押さえて転げまわる男たちの呻き声だけ。
「い……痛ぇ……足が……」
「あ、あいつ……なんなんだよ……」
リーダー格の男が、震える声で呟く。
光聖は止まった。
生身の人間を前にして、苦悩し、剣を止めた。
だが、あいつは違った。
躊躇いも、葛藤もなく、最適解として『骨を砕く』ことを選んだ。
「光聖とは違う……! 『生身』だろうが……お構いなしかよ……!」
彼らは思い知った。
自分たちがカモろうとした『Fランクの弱者』が、光聖以上に『ヤバイ奴』だったということを。
★
一方、バスケ部部室。
「うわぁ……マジでやったよ『ダブル弁慶』」
翼が画面を見ながらドン引きしている。
「脛への同時打撃……。見てるだけで痛いな」
剛も顔をしかめたが、そこに非難の色はない。相手は自ら当たり屋をしてきた犯罪者集団だ。同情の余地はない。
「フム。斬撃による殺傷を避け、打撃による無力化を選んだ。実に人道的で、かつ合理的な判断だね」
「航の『人道的』のハードル、どうなってんだ?」
海斗がツッコミを入れるが、航は涼しい顔で紅茶を飲んでいる。
「あと、すごく今更な疑問なんだけど、バイクのスピードよりも速いブーメランって、なんか直観に反する気が……」
「本当に今更だな」
栞のつぶやきに蓮はメガネのブリッジを上げながら答えた。
「で、実際どうなん?」
「魔力をまとわせることで加速する物質で作られている」
「銃弾だったら凄いことになんだろそれ」
「なるが、モンスターからドロップするときはブーメランになることが多い。ただ……そもそもブーメランがかなり扱いにくい武器な上に、加速して戻ってくるのを掴むのも難しい」
「なるほど、品質は高いが、市場価値としては二束三文ってわけか。ブーメランの形で流通するってことは、溶かしたり分解したりしたらその加速効果が失われるってことか?」
「そういうことだ」
「納得だな。まぁ、刃多にとって都合がいいし、それも込みであのブーメランにしたんだろ?」
「海斗が直感で選んだがな」
「結局、海斗の勘かよ……」
剛と翼がブーメランについて話している。
概ね、二人が話した通りの内容だ。
要するに、『使いこなせば強いが、その難易度が高すぎる二束三文武器』を買い込んで、アイテムボックスに詰め込んだのが刃多と言うわけである。
「とにかく、これで帰り道の安全も確保された」
蓮が、PCのキーボードを叩き、データを保存する。
「お疲れ、刃多。今日はゆっくり休んでくれ。次の『実験区画』への突入は、万全の状態で行くぞ」
『ん。わかった』
スピーカーから、少し眠そうな、しかし満足げな刃多の声が聞こえた。
光聖を絶望させた『ハウンドレッド』を、ただの交通事故として処理し、バスケ部は『日常』へと帰還する。




