第18話 疲れたので土産を持って帰ります。
自販機の前で、至福の朝食タイムを終えたピコちゃんは、満足げに刃多の胸ポケットへと戻っていった。
『……行くか』
刃多はバイクにまたがり、エンジンをかける。
目指すは、ニュース速報が告げた『第七実験区画』。
世界が崩壊を始めた、その中心地だ。
だが、ハンドルを握る刃多の手が、わずかに震えているのを、モニター越しの蓮は見逃さなかった。
「……待て、刃多。今回はここまでだ」
「あ? なんでだよ蓮。イベント始まってんだぞ?」
海斗が不満げに声を上げる。
目の前で『世界の危機』が起きているのだ。ゲーマーならずとも、突っ込みたくなるのが心情だろう。
「刃多の集中力が限界だ。Aランクのゴーレム戦、大量の魔石運搬、そしてこの『時間移動』の負荷……これらは全て、今日一日でこなしたものだぞ」
言われてみればその通りだ。
刃多はSランク級の能力を持っているとはいえ、肉体はただの華奢な高校一年生だ。
不満を漏らさないのが刃多だが……。
「この状態で『崩壊現場』に突っ込むのは、遊びではなく自殺行為だ」
「フム。最高のショーを楽しむには、万全のコンディションが必要だ。無理をして失敗するのは美しくないね」
航も紅茶を置き、同意した。
「まぁどっちかっていうと、僕たちの方も驚き疲れてるよね」
「そうだな。さすがに過去に行けるというのは想定外だった」
翼が呆れ半分、疲れ半分でそういった。
剛は大きく頷く。
『……わかった。戻る』
刃多も、自身の疲労は自覚していたのだろう。
素直にエンジンを切ろうとする。
「ああ。だが、手ぶらで帰るのも癪だ」
蓮は、手元のキーボードを叩き、マップデータを検索する。
「帰る前に一つだけ、『お土産』を回収してくれ。駅の近くに『資料室』があるはずだ。第七実験区画の構造図が欲しい」
「お土産か。いいな!」
★
刃多はバイクを押し、駅に隣接する『資料保管庫』へと向かった。
先ほど発行した『ゲストID』をかざすと、ロックが解除される。
中は静まり返っており、整然と並んだ棚には、業務用のマニュアルや記録媒体が収められていた。
「……棚番号C-04だ」
蓮の指示に従い、刃多はその棚の前に立つ。
そこには、一際存在感を放つ、分厚いハードカバーの本があった。
『クロノミナル港・重要資料(年鑑)』
刃多がそれを手に取る。
ズシリ、と重い。
厚さは10センチを超えているだろうか。
「うわっ! 重そう! もはや本っていうか『鈍器』じゃん!」
翼が引いている。
刃多は、その本を片手で持ち上げると、ブン、と軽く振ってみせた。
『……いい重さ。殴れそう』
「武器として判定するな」
剛が即座にツッコミを入れる。
刃多は満足げに頷くと、その『鈍器本』をアイテムボックスの渦へと収納した。
★
目的の物を手に入れ、駅のホームへと戻る刃多。
その背中を見送りながら、蓮は、モニターの端に映っていた『資料室の他の本棚』を、名残惜しそうに見つめていた。
「……今は、これで我慢するか」
ポツリと漏れた本音に、海斗が反応する。
「お前、ホントはあの『本社ビル』の書斎に籠りたかったんだろ? なんで我慢してんだ?」
以前、本社ビルの書斎で、蓮は膨大な資料を前に『舌打ち』をしていた。
本来なら、ここにある資料も全て読破したいはずだ。
蓮は、海斗の方を見ずに答えた。
「……勘違いするな。僕が優先するのは、お前が『楽しい』と思うダンジョン探索の構築だ」
蓮は、メガネのブリッジを押し上げた。
「僕が書斎や資料室に籠って、数日間動かなくなってみろ。お前は退屈で死ぬだろう?」
「へっ、違いねえ! ありがとな、参謀!」
海斗はニカっと笑い、蓮の背中をバシッと叩いた。
蓮はよろけながらも、やれやれと肩をすくめる。
そして、海斗が画面に向き直った一瞬の隙に。
「……チッ」
小さく、しかし明確な舌打ちをした。
「おや」
航だけが、それに気づいて微笑む。
知識欲と友情の狭間での葛藤。
欲望は隠しきれていないようだ。
★
刃多を乗せた列車が、光のトンネルを逆走する。
やがて、窓の外の景色が、鮮やかな「過去」から、暗闇のトンネルを経て、埃っぽい「現代」の廃港へと戻った。
プシュー、と扉が開く。
そこは、静寂と腐朽に満ちた、いつもの『霧とコンテナの廃港』の地下駅だった。
「戻ってきたな」
刃多はバイクを取り出し、エレベーターで地上へ。
地下倉庫を経由し、重い鉄扉を開けて外に出る。
かなり、長い時間、ここにいたらしい。
空は茜色に染まり、コンテナの影が長く伸びている。
「さて、と」
蓮は気持ちを切り替える。
「持ち帰った資料を解析して、次回の『実験区画突入』のルートを……む?」
モニター越しの蓮の思考が、中断された。
『ぴっ!!』
胸ポケットから顔を出していたピコちゃんが、鋭く鳴いた。
敵だ。
刃多は出口に向かってバイクを走らせていたが、アクセルを緩めることなく、広場へと差し掛かる。
その行く手を阻むように、コンテナの陰から数人の男たちが姿を現した。
全員が、アバター装備で武装している。
光聖を襲い、装備を強奪した『ハウンドレッド』の残党たちだ。
彼らは、刃多の進路を塞ぐように展開し、ニヤニヤと笑みを浮かべている。
「よう、お嬢ちゃん。Fランクのくせに、随分と奥まで散歩してたみたいじゃねえか」
先頭に立つ男が、刃多のレディーススーツを見て声をかけた。
どうやら、完全に女だと思われているらしい。
「うわ! 出たよハウンドレッド! マジで待ち伏せしてやがった!」
翼が叫ぶ。
光聖の配信を見て警戒はしていたが、本当に帰り道を狙っていたようだ。
「へっ、懲りねえ連中だ」
海斗は、不敵に笑った。
光聖を絶望させた『生身作戦』の使い手たち。
だが、今のバスケ部にとって、彼らは『脅威』ですらない。
「……刃多、やるか?」
海斗の問いかけに、刃多は答えない。
ただ、バイクを止めず、カメラ目線のまま、ハンドルを強く握り直した。
その瞳に、焦りの色は一切ない。
あるのは、歪んだ好奇心と、合理的な『処理』への意志だけだった。
『……新技。やっていい?』
「どんな技だ?」
『さっきの鈍器本。『過剰防衛フルスイング』を顔面に』
「やめとけ。傷害罪で訴えられたら負けるぞ」
新技には却下要請が出たようだ。
当たり前である。




