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第1話 トム・バードウッドの目的

 その日は、緑ノ月にしては珍しいほどの肌寒い日で、朝からぱらぱらと小雨が降っていた。


 リーフガルド発サンカーヴ行きの魔導列車は、ラーワンの皮と骨で作られた折り畳み式の編傘を持った人たちでごった返していたけど、終点へ近づくにつれてその数は徐々に減っていった。乗車してから一時間あまり経過して、サンカーヴの小さな駅舎(ステイション)に魔導列車が到着した頃には、乗客はぼくを含めて十数人程度に減っていた。


 魔導列車から降りてすぐ、腕時計(ウォッチ)を確認したのを覚えている。時刻は朝の八時前だった。


 普段なら、下宿先の安賃住宅(アパート)にいる時間帯だ。もっと具体的に言うと、マジック・アトラス・カンパニー製の粉砕機(ミル)黒焦豆珈琲(ブラックコーヒー)を鼻歌まじりに挽いて一杯淹れながら、点けっぱなしの電視台(テレビ)地下魔構(ダンジョン)関連のニュースをチェックしていた頃合いだ。その後は、額にかかるくらいの黒髪を整髪料(ワックス)で整え、襟制服(ジャケット)に着替えて、歯を磨いて口内洗浄(マウスウォッシュ)をしてから、(バッグ)を手にギルドへ向かうというのが、ぼくの習慣だ。


 でも、その日はギルドの活動日じゃなかった。週に一回だけある、貴重な休業日。冒険局第五班を除く《星の金貨(スターチップ)》のメンバーは、みんなそれぞれに休暇を満喫しようと計画していたはずだ。


 前日の夜に、魔道具マニアのルイ先輩は、ゼンジンに新しくオープンしたばかりの魔導具店に行く予定だと楽しげに話していたし、文献調査局のミス・グレーレディことグレンダ・アームストロング女史は、家族と一緒にサンタベルカの大神殿を観光してくると言っていたな。


 そうそう、魔石局のリドル・スタインベック君は、先週ようやくできたばかりの彼女と、カンパーニュの水棲館に行くんだって、惚気顔でぼくに喋ってくれていた。彼女つったって、きみのそれは魔動人形(ゴーレム)だろうがと突っ込んだら、彼はちょっと不機嫌そうに小鼻を膨らませて『先輩は真実の愛ってやつを知らないまま年老いていくんでしょうね。あと、これ何度も言ってますけど魔動人形(ゴーレム)じゃなくて美少女魔動人形(ガーラーテイア)ですから!』とかなんとか言ってきた。そりゃあ、彼女いない歴イコール年齢の独身者たるぼくに、魔動人形(ゴーレム)……もとい美少女魔動人形(ガーラーテイア)を恋人扱いすることの素晴らしさなんて、わかりっこないけどさ。


 そして、みんな言葉の最後に、決まってこんなことを言ってきた。


『トム、知ってるか? 明日のラックベルさんの結婚式の相手』

『SS級冒険者ですって。お似合いよね。あとで披露宴の撮画(ショット)送ってもらおうっと』

『先輩。ラックベルさんの結婚について、なにか言うことあるんじゃないですか?』


 うるさいなリドル君。ぼくは人形愛好家(ピグマリスト)な君とは違う、ましてやSS級冒険者になんてなれっこない、どこにでもいる普通人間なんだから。放っておいてくれよ。


……と、そんな平々凡々の、このトム・バードウッドが、せっかくの貴重な休日を何に使おうとしていたかというと。


 地下魔構(ダンジョン)への潜入だ。


 このことは、リーランド上長(リーダー)以外のメンバーには伝えていない。ほかのメンバーが事前に知っていたらどんな反応を見せただろうか。思うにきっと……


 ルイ先輩なら『素材集めか? なにか新しいトリック撮画(ショット)でも思いついたか?』

 ガルフ先輩なら『オメーはもっと女遊びしろ。女連れて潜ってこい』

 リザ先輩なら『ほかにやる事ないわけ?』


 ……とまぁ、こんな感じの反応だったに違いない。


 向かった先は、サンカーヴの駅舎(ステイション)を出て、西へ五キロほど進んだところにある地下魔構(ダンジョン)。通称は《ロングレッグス》。旧い呼び名には《サンカーヴに堕とされし魔王の髭》なんてのもある。まぁ非常に長ったらしい。魔王の体の一部を元に掘建(ビルド)された地下魔構(ダンジョン)なんて、ほかにいくらでもあるから、今ではこの呼び名は文献上でしかお目にかかれない。


 いまから一五〇年近く前。まだ暦の表記が聖暦ではなく神暦であった時代。魔族を率いて地上征服と人類絶滅を目論んだ古の大魔王・(おそ)れる(かお)のデルスウザーラが、自らの肉体の一部を素体に侵略拠点として、このスラヴ大陸のあちこちに掘建(ビルド)した巨大迷宮層。


 それが、現代において地下魔構(ダンジョン)と呼ばれているものの正体だ。


 文献によると、懼れる貌のデルスウザーラは神様に近い存在だったらしく、どれだけその肉体を傷つけたとしても、瞬く間に再生したって話だ。つまり、地下魔構(ダンジョン)掘建(ビルド)するのに必要な肉片は、半永久的に手に入る状態だったらしい。

 だからなのだろう。大魔王は地下だけに飽き足らず、やがて地上にもその手の代物を建造していった

 まぁそうは言っても、精霊の加護を受けし勇者たちの手によって、地上に建造された魔構――地上魔構(ジグラット)は、生みの親である魔王もろとも崩れ去り、いまでは跡地としての面影をわずかに残すのみとなっているんだけど。


 でも、地下魔構(ダンジョン)は別だ。


 精霊たちの力を借りた勇者たちの手で大魔王が滅ぼされ、歴史のページが神暦から聖暦へ変遷しても、それはなぜか破壊を免れ、戦後も人類に対して猛威を奮い続けた。つまり大魔王がこの世から消えても、あの地下の迷宮は稼働し続けているってことだ。

 瘴気(マナ)が溢れる地下魔構(ダンジョン)はモンストルたちの発生地点となり、魔族の残党が海を渡ってランガドル諸島へ退却してからも、人類社会に闇の牙を向け続けた。そんな恐ろしい地下魔構(ダンジョン)を平定することを目的に設立された民間営利組織。それが、Gildi Útlagr Í Dýflíss Lið――ダンジョン内の怪物を討伐する集団組織――ギルドだ。


 でも、ギルドの活動目的も、今と昔じゃ大きく変わっている。それというのも、地下魔構(ダンジョン)の探索で手に入る資源が、当初の想定よりも魅力的だったからと言われている。

 資源というのは、つまりモンストルのこと。それを利用してギルドが【魔石】の開発に成功したのが、ひとつの大きな転機になった。それはモンストルの遺骸から抽出される燃料固形物で、鍛造技術や縫製技術と組み合わさることで、対モンストルに特化した携帯可能な武具……魔道具の発明を現実のものとした。魔族と異なり、生まれつき魔力を持たない人類がモンストルたちと渡り合い、地下魔構(ダンジョン)を平定するうえで、それは必須の武器となった。


 時代がうつろい、魔道具の需要が年々高まっていくと、それに比例するかたちでモンストルの討伐を主な仕事にする職業――すなわち【冒険者】の母数もどんとん増えていった。おかげで、それまで様々な事情から未踏のままだった地下魔構(ダンジョン)の謎が、次第に明らかになっていった。

 その過程で、地下魔構(ダンジョン)の平定――つまりモンストルの根絶が現実的でないと世界各国が協議して判断を下した結果、ギルドは地下魔構(ダンジョン)を「半永久的に探索可能な資源採掘場」へと認識を改めた。


 それ以降、国へ上納される魔石の量は年々右肩上がりを続けたって話だ。ありがたや。ご先祖様たちの働きのおかげで、ぼくらの暮らしは昔とは比べ物にならないほど豊かになっている。超長距離移動を可能にする魔導列車などの交通機関や公共設備、呼々石(ココイシ)に始まる遠隔通信技術……ぜんぶ魔石を基盤とした技術の産物だ。

 やがて、地下魔構(ダンジョン)では魔石以外の有益な素材も豊富に手に入るようになり、それらの素材はギルド下請けの加工業者たちの手で、いまでは日用品や雑貨として市場に並んでいる。

 ギルドによる地下魔構(ダンジョン)の探索活動それ自体が大陸経済の大部分を占める一大産業に発展しているなんてのは、ぼくが暮らしているこの世界では常識も常識だ。


 そうして、人類にとっての地下魔構(ダンジョン)の意味合いが変われば、魔道具の意味合いも自然と変わるものだ。それはモンストルを絶滅させるための武器ではなく「狩る」ための道具へと役割を変え、ギルド創設当初から存在していた冒険者と呼ばれる職業も「モンストル討伐の兵士」的な立ち位置から「社会的な名誉を賜る」に相応しい立場へと変わっている。


 どうして命の危険と背中合わせの冒険者職が子供や若者たちから人気なのか――これを手にしているあなたが冒険者でないのなら、不思議に思うかもしれない。でも考えてみてほしい。人類の文化を発展させる魔石や素材がモンストル由来であるなら、それを狩る冒険者という職業が、社会的にどれだけ重要であるかはわかるはずだ。

 もちろん地下魔構(ダンジョン)に潜るのは冒険者だけとは限らない。古代文献を調査する人や、地下魔構(ダンジョン)の各階層の形状調査や専有面積を調べ上げる測層部隊の人たちだってそうだ。でも、自分に課せられた仕事をしながら襲い掛かるモンストルの相手をするのは、どう考えても現実的じゃない。そのために護衛としての需要も冒険者にはある。

 個人や団体じゃなく、社会全体が必要としているから冒険者という職業は成り立っている。つまり冒険者になるということは、人類社会の発展に貢献する仕事に就くことを意味していて、そうした人は社会から尊敬のまなざしで見られる。そのうえで命の危険に晒されるのだから、税制面や社会福祉の面で優遇されるのは当たり前。超大手ギルド所属の冒険者ともなれば、三十歳で一生遊んで暮らせるだけの財を築き上げることができる。目指す人が多いのも頷ける。


……つまりなにが言いたいかというと、この聖暦一〇八年の現在(いま)は、ギルド全盛の黄金時代ということだ。多くの子供たちが冒険者になることを夢見ている。


 ぼくも、むかしは心の底から冒険者になりたいと願っていた。冒険者になって、まだ人の手が及んでいない未知の地下魔構(ダンジョン)を探索して、好奇心を刺激される毎日を送りたかった。


 そのうえで、みんなに言えることがあるのだとしたら、ただひとつだ。


 誰しもが、立派な冒険者になれるわけじゃない。


 さっきの内容と矛盾するけど――これを読んでいるあなたが、冒険者養成学校に通う学生であると仮定して話しておくと――まず知っておいてほしいことがある。それは、ギルドは法律や倫理を「探索」を盾に踏み荒らす荒くれ者の集団ではないということだ。


 ギルドは営利組織。すなわち利益を第一優先とする健全な組織だ。そこには仕事をする上で守るべき規範があり、所属する局があり、その局内にて、各々が各々に与えられた役割を全うしなければならないという決まりがある。


 冒険者が持ち帰ってきたモンストルをはじめとする各種素材を分析にかける解析局。

 素材の管理と保管、魔導具の配送を担う物流管理局。

 モンストルの遺骸から魔石を作り出す魔石局。

 過去の歴史的文献を蒐集・調査して呪文を構築する文献調査局。

 魔石と呪文を元に、魔導具を開発する魔導開発局。

 魔導具のうち、一般市場向けに改良されたものを販促にかけて利益を稼ぐ販売局。

 地下魔構(ダンジョン)の測量調査を主な任務とする測層局。

 そして、ギルドの花形である冒険局……

 組織の詳細な構成内容は各ギルドで異なるが、うちの《星の金貨(スターチップ)》は、だいたいこんな感じで成立している。


 このトム・バードウッドはというと、地方の養成学校を卒業して王都へ上都し、試験に合格して《星の金貨(スターチップ)》へ入会。念願叶って冒険局第五班へ配属されたんだが……勘違いはしないでほしい。


 誰しもが冒険者になれるわけじゃないと言った手前、ぼくが冒険者になった話をしたら自慢話と誤解されかねないだろうけど、そういうことじゃないんだ。嘘はついていない。むしろ今になって思うと、冒険局に入ったことは失敗だったとすら考えている。


 だってぼくは、立派な冒険者にはなれなかった、落伍者なんだから。


 どこのギルドでも大概そうだと思うが、冒険局は体育会系な性格の者たちが多くを占めている。一日十二時間を超える探索が終わった後は、近くの店で朝まで酒を飲んで親睦を深め、翌朝になって何食わぬ顔で地下魔構(ダンジョン)へ潜入する。これの繰り返しだった。養成学校時代に聞いていた話より、めちゃくちゃハードだった。ぼくは元来の人見知りな性格と、生まれつき酒が飲めない体質なのもあって、彼らのペースに振り回されっぱなしだった。無理して酒を一気飲みして、翌日の探索中に頭痛がひどくなって、先輩の魔導具にゲロをぶちまけてぶん殴られたこともあった。


 そんな醜態を何度も晒しまくったせいだろう。冒険局第五班に編成されて一年が過ぎた頃には、ぼくは誰からも期待されなくなっていた。先輩や上長からの扱われ方は、誰が見てもわかるくらい雑なものになっていった。


 探索中にベテラン冒険者たちの仕事を見て、彼らの使う魔導具の利点や使用時の注意点について質問しようにも、返ってくるのは『見て覚えろ』の一言のみ。だから技能模倣(コピー)系の魔導具を購入したんだけど、それが知られると『新人がそんなものに頼るな』と没収された。


 ぼくはとことん疲弊していった。憧れの職業に就いたはずなのに、次第にやる気は失われていった。そういう態度を隠さず人前で見せるようになっていったから、周囲からの評価はどんどん下り坂になる。ぼくはますますふさぎ込む。その悪循環が、いつしかぼくの当たり前になっていった。


 そんなに辛いんだったら、さっさと転職すればよかったじゃないか……そう言うかもしれない。けど、それはできなかった。人は精神的に追い詰められると、現状を変えるのに必要な、なけなしの勇気すら摘み取られてしまう。周囲の劣悪な環境を、己に課された試練であると、そんな自罰的な思考に囚われやすくなってしまう。それに、なんだかんだとなりたくてなった職業だ。そんな簡単に諦めるなんて、当時のぼくにはできなかった。みみっちいプライドがそうさせた。


 冒険局第五班に入って二年目の衰ノ月。寒さの厳しい日だった。ぼくは地下魔構(ダンジョン)の探索中に、大怪我を負った。日頃の疲れで頭が回っていなかった。その隙を、岩陰から飛び出してきた大型齧歯類のモンストルに襲われたのだ。厚さ一ミリ弱の軽鋼鎧(メイル)は、モンストルの鋭い前歯であっさりと砕かれ、右腕の肘から先が見事に潰れた。


 地上へ緊急送還されて治療を受けた結果、なんとか一命は取り留めたけど、右腕は欠損。これがダメ押しとなって、ぼくは配置換えされた。第五班の人たちにしても、お荷物が消えてせいせいした気分でいたに違いない。


 ぼくの新たな配属先として選ばれたのは、広報宣伝局。会誌の発行や魔導具カタログの製作。それに映像系の魔導技術である【キネマトリクス】を使った、冒険者募集を呼びかける映像広告の製作が、いまのぼくの主な仕事だ。異動して、もう十年になる。これがいわゆる『影響紡ぎ(エフェクター)』ってやつだ。


 影響紡ぎ(エフェクター)の仕事なんて、自分に向いているのかなと、最初は半信半疑だったけれど、でもやっているうちに面白くなってきたのは事実だ。みんなにカタログや会誌や映像広告を見てもらうのに、どういうデザインをするべきか。そこでは地下魔構(ダンジョン)の探索とは全く異なる素養や技能が要求されたけど、どうやらぼくは、こっちのほうに適性があったみたいだ。


 広報宣伝局は冒険局と違って、班を形成する必要に迫られるほど大規模なチームじゃない。むしろギルド最小だ。いまも当時も、ぼくを含めてメンバーはたった五人。顔ぶれも、いまと当時でひとつも変わってない。《星の金貨(スターチップ)》の中でも地味すぎる存在。目に見えてわかる成果を出しやすい冒険局と比較すると、ぼくらの仕事は数値化することが難しいから、どうしても高い評価は得にくい。わかっているけど、なんかモヤモヤする。


 それに、いまのギルド業界はあらゆる面で買い手市場だ。広告なんて打たなくても、一般向けに販売した魔導具の品質の高さが口コミで伝われば楽に売れるし、ギルド入会志望者は勝手に面接を受けに来る。広報宣伝局がわざわざ力を入れてまでやる必要性はない……そうした空気感が、ウチのギルドにはある。ゆえに、誰からも軽んじられる。みんな大人だから口に出さないだけで、広報宣伝局なんてあってもなくてもおんなじだと、そう下に見ているんだ。


 そんな冒険者でもないぼくが地下魔構(ダンジョン)へ潜れるのか? それもギルドの休業日に。


 結論から言うと、事前に特別入構証を発行していれば、潜れる。冒険者だろうと影響紡ぎ(エフェクター)だろうと、そこは変わらない。ただ、業務上潜る機会が冒険局の連中と比較すると、極端に少ないというだけだ。


 あの日、ぼくがサンカーヴの地下魔構(ダンジョン)へやってきた理由。


 それは、仕事で使う素材集めのため。


 ただそれだけ。


 安賃住宅(アパート)にいたって、なにもやることがなかった。でも、せっかくの休日を無為にやり過ごすのは、なんだかもったいなく思えた。


 だったら、休み明けから仕事を円滑に進めるうえでも、いまのうちに素材を集めてしまおう……そう考えていた。


 だから、ギルド本拠地のある王都・リーフガルドから、南に位置する小さな街・サンカーヴまで、片道一時間以上もかけてきたのだ。


 本当に、ただ、それだけのためだった。


 ……はずだった。

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