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ゆるーいエッセイ  作者: 樋口諭吉


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いじめの構造といじめられる側の責任

いじめについて、いじめられる方にも責任があるっていう自己責任論があるじゃん?


それに対して、「いいや、いじめるほうが絶対悪だ。いじめられる方に責任なんてない」


そんな意見があるじゃん?


あの、被害者無罪、あるいは、いじめられる方無責任論みたいなやつ。


まあいじめる方は絶対悪だよね。それに対していじめられる方には非がないと思いたい。


感情的には擁護したいところなんだけど、完全には肯定できないと思うんだよね。


実際は、自己責任な部分もちょっとはあるだろ?


今回は、いじめられっ子や元いじめられっ子が目を塞ぎ耳を覆いたくなるようなちょっと残酷なそんなお話。


最近、僕は、マズローの欲求5段階説のピラミッド型ヒエラルキーの解釈を誤解している可能性に気がついた。


あのピラミッド型のヒエラルキー、『下の欲求が満たされたとき云々』だけじゃなく、実は、同時に存在し得るものなんじゃないかと。


わかりやすく数式っぽく書くと、


『承認欲求=帰属(社会的)欲求+安全欲求』かも、と思ったわけだ。


つまり、『帰属するグループの中で、より安全な確固たる場所(立ち位置)にいたいと思うこと』。


それが承認欲求の正体で、しかも、いじめの原因かつ、マウントとりの原因になってるんじゃないかということだ。


どういうことか?


・グループ内の序列の低い人間を叩けば、序列の上に行ける、序列の上に行けば安心できる。だからマウントを取る。


・グループ外の人間をグループ内の人間が叩いているときに一緒に叩かないとグループ内での自分の立場や安全が脅かされる。だから、いじめに追随する。


きっかけはムカつくとか、そんなくだらないことかもしれない。


喧嘩のきっかけについては双方に悪い部分があるだろう。ここが、『いじめられる側は悪くない』と必ずしも言えないポイントの一つだ。


でも、その時点ではただの喧嘩なんだ。


だけど、それが『喧嘩』で終わらずに、いじめにまで発展してしまうのは、『差しで争っている奴ら』の周囲に『承認欲求』が働くからなんじゃないのか?


そうだとすると、残念なことに、これは本能的なものなのでいじめの撲滅は難しい。


もういじめが発生した段階で、いじめの対処は非常に困難なものになっているのだ。


いじめをする側を叱ったところで、いじめられっ子が孤立している状況は改善しない。結局いじめられっこの側は、逃げるしか方法がなくなる。


孤立した段階で、あるいは孤立が予見された段階で、いじめられそうになった側が自らいじめを回避する行動を取る(僕ならそうする)か、それができないなら救いを求める行動を起こさなければいけない。


そういうふうに、いじめられる側が『救いを求めて動ける』ように『教育するべきだ』と僕は思う。


救いを求められなければ、警察だって動かないし動けない。


そういう意味で、救いを求めないものについて、自己責任論を完全に否定することはできないのだ。


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