ヴィーガンの排他性ってさ。
最近、なろうエッセイでヴィーガンが流行っているようだけど、僕は声を大にして言いたい。
『他人の権利を守ってこそ、自分の権利もまた守られる』ってことを。
ヴィーガンって、比較的多くの人が排他的で高圧的だよね。
なんでそう喧嘩腰で、上からくるのか?
正義の両面性に気付いてるかい?
植物しか食べないのは自由だが、他人の食べる権利を侵害してほしくないものだ。
皆さん規制は嫌いでしょ? 僕は、概ね何につけてもルールで縛るよりも、『教育を十分に施した上で』、モラルによって自由に選択させたほうがいい結果になると思っている。
僕はタバコは吸わないが、タバコの規制にも気分的には反対だ。
『ポイ捨てしない。分煙する。健康不安のある人の周囲で吸わない。タバコを吸いたくない人がいるところで吸うときは十分に配慮する』、そういったモラルを徹底すれば、なにも禁煙までしなくても良かったんじゃないか? と思っている。
だってさ。あなたも『好きな食べ物やめろ』って頭ごなしに言われたら嫌じゃないですか?
『植物食はアルカロイドがあるから危険だ! 禁止する』とか、『二酸化炭素を吸収してくれる植物を食べるなんて野蛮だ』とかさ、頭ごなしに言われてみ? 大きなお世話じゃないですか?
例えばね。絶滅危惧種を共通の利益のために保護しようとかさ。そういうのはモラルに関わる尊重すべき別の次元の問題だよ?
そういうのじゃなければさ。他人がクジラを食べてもいいでしょう。犬を食べてもいいでしょう。タコやイカを食べてもいいでしょう。昆虫を食べてもいいでしょう。植物を食べてもいいでしょうよ。
モラルなんかの教育は十分に施した上で、多様性に任せたほうがより多くの人が幸せな社会になるんじゃないだろうか?
僕はそんなふうに思ってる。




