捨てられた『努力』
なろう小説にしても少年漫画にしても『努力』が書かれることって、少なくなってるような気がしませんか? 僕はそう思います。
友情・努力・勝利がいつしか、与えられた力・俺TUEEE・周り全部奴隷になっている。
書いてみて再認識したけど酷いなこれw
なんでこんな事になったかっていったら、みんなが『努力』をやめたからだよね。
ちょっと考えてみてください。『競争』とか『努力』とか忌避されていませんか?
みんないっしょ。優劣をつけない。競争しないでみんなで一緒にゴールテープを切る。
それって本当にいいことですか?
リアルでも、平社員のままでいいとか、そういう人増えていませんか?
『ゆとり』とか『さとり』とかさ、世代を批判してるわけじゃないよ? 表現の話ね。僕はこんな表現がまかり通っている事自体が悔しいわ。
成長しないものは死んでいく。競争しなければ成長しない。努力しなければ競争のステージに立てない。
悔しいけどそんなあたりまえが、当たり前じゃないように言い含められている。
承認欲求ってあるじゃん? 承認ってさ、工夫や努力をして『してもらうもの』であって、強権的に『させる』ものじゃないんだよ。
『してもらう』と『させる』は、似て非なるものなんだ。
『させる』の方はほんとうの意味でコンセンサスを得てないからね。物語なら世界を統一後に暗殺されるパターンだ。
『どう承認してもらうか?』、どんな努力や工夫をするか。本当はそこにこそドラマがあって失敗があって、物語の本質があるんじゃないだろうか?
なろうのテンプレを見ていると世相が見えるようだよ。
『努力』=悪、そんなふうに思わせたい連中が僕らの周りにいるのさ。




