好きになれない進化心理学の話
少し前に、お気に入り作家さんと『進化心理学』界隈の人がツイッターで論戦してたことがあって、その時のバトルを最近リツイートで目にした。
進化心理学っていうのは、wikiによると、『ヒトの心理メカニズムの多くは進化生物学の意味で生物学的適応であると仮定しヒトの心理を研究するアプローチのこと』、なんだけど、ぼくはその考え方が好きになれなくってね。
今回は、その事を少し考えてみよう。
そもそも論になるけれど、進化に『目的』を見る人って意外なほど多いんですって。
どういうことか?
つまりね。キリンの首が長くなったのは高い木の上の果実を取るためだ(目的)、みたいな考え方をする人って結構多いんですって。
新型コロナウイルスの弱毒化にしてもそう。
別にウイルスが目的を持って進化しているわけじゃないよね。
そういうものが生き残りやすいってだけでね。
実際、首の短いキリン(小人症)なんかも最近見つかっている。
進化論ってさ。
本来、『進化(変異)は常にいろいろな形で起こっていて、結果として適者が残った』(適者生存)って考え方なんだよね。
別に、進化(変異)は目的をもって起こってるわけじゃないんだ。
一個一個の進化には個別の因果があってね。それぞれの進化が必ずしも連続してない。
結果として、適したものが生き残ってるだけでさ、そこには目的とか意味とかないじゃん。
クジラみたいに、海に帰っちゃう哺乳類もいるじゃん?
何が言いたいかって言うと、結果から直接原因の推測を行うことって、本来不可能なんだよね。
ほら、3+4=7だけど、7は必ずしも3+4じゃないじゃない?
5+2かもしんないし、8-1かもしんない。
結果から目的を推理するんじゃなくて、直接原因を観察するのが科学だと思うの。
ところが進化心理学はそうはなってないんだ。
進化に、意味(目的)を求めちゃってるの。
進化(結果)を見てさ。例えば、その形質が発現する前の過去の類人猿の心理(目的)を知ることなんてできるんでしょうかね?
ぼくは無理だと思うんだよね。
だから、今の所、進化心理学はぼくの中でオカルト扱いだ。
身体構造変化の結果として行動や考え方に変化がもたらされた、という話に終始してくれるなら否定はしない。
でもその場合、進化云々は不要じゃん? ふつーの心理学とか社会学とか民俗学で十分だよね?
だいたい、彼ら的にLGBTQの人とか、どうなるんでしょうね?
進化心理学方向の知識は全然ないので、詳しい人がいたら教えていただきたいです。
今回はそんなお話。




