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ゆるーいエッセイ  作者: 樋口諭吉


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親ガチャとか自己責任論とか

『親ガチャ』とか『自己責任論』とか、そんな話題を最近目にすることが多くなってきました。


 今回はそれについて考えてみようかな? と思います。


 まず、親ガチャにしても自己責任論にしてもさ、『個々の状況』は個人の属性に紐付けられたもので、本来一般化できないよね。


 そもそも、人によるじゃない?


 程度問題というかさ。


 人によって『親ガチャや自己責任論が成立するしない』とか、どんだけ当てはまるかみたいな程度は、変わってくるんだ。


 一般論化できない。


 まぁ、せっかくエッセイを書こうと思ったんだし、ここで終わるのもつまんないからもう少し考えてみるけれど。


 親ガチャとか自己責任論として、現に析出して見える『一般論っぽいブツ』は一体何なのか?


 要は『他責思考』だよね。


 責任が自分以外にあるって考え方。


 お前がだめなのはお前のせいで、俺(たち成功者)のせいじゃないよ、とか。


 俺がだめなのは親のせいで、俺のせいじゃないよ、とかね。


 政治や経済が悪くなると、こういう他責思考が増えてくる。


 苦しくなるとみんな不満を言いたくなるし、不満を言うときに『自分のせいだと思う人』はいないでしょ?


 迷信とかも流行るだろうし、治安も悪くなってるんじゃないのかな。


 なんでこんな思考になるか? って言うと多くの人が『世界は公平だ』、あるいは『世界は公平であるべきだ』と思ってるからなんだよね。


 だから、人は因果が応報であって欲しい。


 だけど『現実は』といえば、世界は公平じゃないし、因果は一方通行だ。


『勧善懲悪は、物語の中』オンリーなんだよね。


 勝ち組が、自分達が負けるようなルールを許容すると思います? ぼくは思わない。


 勝ち組がルールを決めるなら、勝ち組とそのお仲間がますます勝つようにルールを作るよね。


 だから、ほうっておけば自然と格差は拡大する。


 そもそも、スタート地点が当然にみんな違うじゃない?


 エッセイの前の方で取り上げたけど、誕生日スロットだってだいぶキツイよね。


 1日生まれが遅ければ、とかさ。


『6歳』と『5歳1ヶ月』が同じフィールドで勝負するとか、辛くね?


 コミュ障ガチャだって、相当キツイよ?


 コミュ障だと、状況をひっくり返せる数少ないチャンスが回ってこなくなるからね。


 程度の差こそあれ、みんなそれぞれ不平不満を抱えているものだ。


 それが、コロナ禍なんかで情勢が悪くなると析出する。


 そして……。


 程度の話をするのならば、それこそ個人の問題なんだよね。一般化はできない。


 循環したので、今回はそんなお話。

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― 新着の感想 ―
[一言] 己の不遇不幸は免罪符にはならない。 ソレだけなんですけれども、ね。 とは言え、独り自責に悩み苦しむ人には、身勝手な放言も時に救済となり得る事もあるのがまた何とも。 毒塗れの爛れた怪…
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