擬音の持つ情報密度を活かすには?
ツイッターで、『ドボンという擬音の情報密度のお話』をお気に入り作家さんとしていて考えたのだけれど、これ、創作に使えるんじゃないかなぁって思ったので書いてみることにする。
友達との無駄話は、たとえ話題が逸れて元の主題がわからなくなったとしてもそれなりに楽しかったりするのに対し、小説の会話文中でそれをやられるとクソつまらなくなるのはなぜか? みたいなことを考えてまして、ぼくなりのそれの答えが『読書単位時間あたりの情報量』(情報密度)にあるんじゃないかって思ったんだ。
つまり、話している場合には声のトーンであったり身振り手振りであったり友達の表情であったりといった言語以外からの情報があって情報密度は高く保たれているのだけれど、小説の会話文にはそれがないから、常時話題に進展がないと情報密度が薄いままになるんじゃないかと。
その考え方でいくと、同語反復、同義語反復、同じような表現の繰り返しなんかも、読んだ時間に対して相対的に情報量が小さくなるので詩的な効果やら特別な効果を狙っているのでないのならば避けたほうがいいかもしれない。
例えば、ドボンという擬音には、『ある程度豊富な水の中に、ある程度重量を持ったものがある程度勢いよく音を立てて入る』というようなニュアンスがすでに含まれている。
であれば、それに類する言葉を付け加えることは読書時間あたりの情報密度を薄めるだけなんじゃないかと。
ちょっと例を出してみよう。
『湖にドボォンっと大きな水柱があがった。
巨大戦艦から放たれた荷電粒子砲を最大速力で緊急回避しバランスを崩した総重量190tの黒神ノイマンが、小さな湖に不時着したのだ。ノイマンの勢いと重さそして衝撃によって湖の水は溢れ湖は枯れてしまった。
報復として黒神ノイマンは、不時着のきっかけを作った巨大戦艦に即座に核ミサイルを発射した。』
わかりやすいようにわざと大げさにはしているのだけれど、昔のぼくが書きそうな文章だ。
すげー読みづらい。
この読みづらさの原因は、同語・同義語反復や同じ意味の繰り返しで、ドボンのもつ情報密度を薄めていることにある。
これを、こう変える。
『湖にドボォンっと大きな水柱があがった。
溢れ出す水は周囲の木々をなぎ倒し、ほうぼうに巨大な水たまりを作った。湖のあった大きなクレーターの中心に聳える黒神ノイマンの足元にはぬかるみが残るばかりである。
黒神ノイマンは、不時着のきっかけを作った巨大戦艦に即座に核ミサイルを発射した。』
ドボンの持つ情報を反復しないことで、情報密度をあげてみた。
今回は、情報量とはちょっと違う、情報密度のお話。
時間がないので本日はここまで。




