『月が綺麗ですね』は告白じゃない説
酔った頭ですげーどうでもいい話を一つ。
例えば、英語を日本語に翻訳するときに、しっくりこないなぁって思うことはありませんか?
いや、そんな事を言いつつ取りあげる例が中学生レベルの話で恐縮なんだけどさ。
よく日本人男性は、パートナーに対して『love』って言う機会が外国人に比べて少ないとか、日本人男性はシャイだ。とか言いません?
ぼくは違うと思うんだよね。
シャイじゃなくたって、あんまり言わなくないですか?
loveと『愛する』って言葉。そもそも、似て非なるものなんじゃないかなぁ? って。
loveには、『一緒に積み重ねた時間を想起する』みたいな機能があるんだけれど、『愛する』はその機能がloveにくらべて弱い。
つまり、loveは、愛の強化に使えるんだけど、『愛する』はその場面で使えないということなんじゃないかな。
愛とloveのニュアンスを近づけるなら、最低限『愛し「て」る』の、「て」(時間の経過)が必要になる。
そうして助詞の力に頼って、『愛してる』としても、『愛の強化』に使えるか? って言われるとどうだろう? ぼくは難しいように思う。
『月が綺麗ですね。』は、当時の書生さんの意識高さを鑑みるに、初対面の男女が月夜に睦言を交わしたりはしないと考えられるので、積み重ねた二人でいる時間的なニュアンスを含んでいるものと思われる。
つまり、愛の強化のシーンで使用される語なんじゃないだろうか?
ろくに話したこともないような男子が隣のクラスの女子に告白するようなシーンで使われるニュアンスじゃなくってさ。
そういう意味でいうと、『月が綺麗ですね』は、『このラブロマンス、感動するねー』とかと同じようなニュアンスで使われる、愛を強化する言葉なんだと思われ。
『死んでもいいわと返せ』とかはだいぶ見当外れなんじゃないかな、と。
身も蓋もない言い方をすると、月が綺麗ですねは告白じゃなくて、恋人同士がイチャイチャしてる感じなんじゃねーの?
今回はそんなお話。




