第一章 二十八話 紅白戦⑭―一回裏― 決着
投手のメンタルは存外に脆いやつが多い。それは俺がこの高校に入って学んだ事実だ。俺から見た投手という人種は良く言えば自信家で、我先にと先頭を進んで行くタイプ、悪く言えば我が強く、目立ちたがり屋で頑固、そんな奴が多いイメージ。だけどそんな奴らだからこそ一度自信を失えばその歩みは止まる。それを何となしに理解できてから俺はそれをプレイに多少なりとも活かすことが出来るようになった。例えば、守備の際に味方が打ち込まれた時には少し間を置きにマウンドに発破を掛けに行ったり、攻撃の際にはどうすれば相手投手を崩せるか、それを考えて打席に立つようになった。
――その結論。相手の一番自身のある球を打つこと。
当然、直球にしろ変化球にしろ一番得意としている球なのだから威力は高いことが多いし、キレやノビ、精度も高い。打つ側としてもそれ以外の球を狙うのとは難易度が遥かに違う。だからこそ、文字通り打てば響く。何よりそれはあの人に教わったことだ。
次の一球は確実に仕留めて今度こそあの女投手の心を完全に叩き折る。
(来いよ。内角高め。完膚なきまでに叩きのめしてやる!!)
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「……なぁ沢井。あの子は、というか扇先輩は勝負球、何にすると思う?」
「勝負球っていうか夏波ちゃんの場合、勝負コースってことになると思うけどね。」
2アウトになって次の回に向けてベンチ裏で肩慣らしの為にキャッチボールをしていたトッキ―がベンチに戻りしな、そう声を掛けてきた。
勝負球、例えばトッキ―の場合SFFという落ち球系の変化球がそれに当たる。手元で鋭く小さく縦に変化するボールで、握りはフォークボールのように人差し指と中指で挟む込む様に握る。但し、フォークと違って指の挟み込みを浅く握る為、フォークより変化幅は小さく、その代わり球速が速いことが特徴。トッキ―はそれ以外にカーブ、チェンジアップ、ツーシームを持ち球にしているのでそれらを最大限に利用して勝負球に持ち込む。
それに対して夏波ちゃんは直球一本。故に勝負球は必然的に直球になる。だから対戦をする上で読むべきはどのコースに投じるか、ということになる。
ちらりと先輩に視線を移すと地面の一点を見据える姿が映った。私がベンチサイドからいつも観ていた光景。
「……ワンチャン、扇先輩なら竜朗を敬遠とかやりそうな気もしたんだけど、しなかったからね。……直球だけでどうやって勝負するんだろうって。」
「敬遠、確かに先輩ならやりそう。……でも何だかんだ先輩は夏波ちゃんたちの選択を優先すると思う。トッキ―がその辺一番よく分かってるんじゃないの?」
「まぁ……なぁ……。扇先輩のリードはずっと投手優先だったからね。」
先輩の捕手としての特徴、それは徹底して投手に寄り添うプレイをするということだ。捕球、配球、送球といった捕手の守備面の能力だけで言えば先輩は全国トップクラス。そしてそのプレイの根底にあるのは『どうやったらこの投手の能力を最大限に引き出せるか』という考え。試合中、ベンチサイドから見えるその姿はまさに"献身"、そのものだった。
「……投手の気持ちっていう観点ならまぁ、一打席目にやられた分、やり返したいだろうね。」
「えー夏波ちゃんはそう言うかなぁ。まだ初めて会って数日だけど大人しくて素直で良い子だよ?」
「いや、性格のことは知らんけど、でも一応エースなんでしょ?ならどんなに建前で勝負してたって絶対に心の奥ではやり返したいと思ってるね。……逆に言えばそういうのが無ければエースじゃない。」
「出た。先輩直伝の投手論。はいはい、どうせ私はマネージャーだからそういうのは理解出来ませんよーっだ!!」
マネージャーを始めてからずっと思っていたこと。私はどんなに皆の手伝いが出来ても所詮はマネージャー、プレイヤーにはなれない。こういう試合勘というか勝負勘みたいなプレイヤーならではの話になると私はいつも置いてきぼりだ。それが悔しくて思わず「べぇー」っと子どもっぽいことをしてしまった。
「うっ……ごめんて。」
「で?そんな投手目線だとどうなるんです?勝負球。」
変にすねた様な言い方をしてしまった私にバツが悪そうに謝るトッキ―。その様子を見て若干の申し訳なさを感じつつ話題を変えるように聞いた。
「――う~ん。やっぱり一度はやられた内角高めじゃないの?」
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「……勝負球、内角高め。」
ロジンを触りながら、ぼそりと呟く。誰かに伝えるためでなく、自分に言い聞かせるように発した言葉は誰の耳にも届かず、マウンドに吹き抜ける夕風と共に吹き抜けていった。
どうか、この小細工がバレません様に。そう思いながら投手板を踏み、いつものようにセットポジションに入る。
2塁走者を伺う為に、首を振るとそこには皆が居た。
一打席目は完敗だった。二打席目は私が逃げた。じゃあ次は?
れなが全力で走ったから先制できた。皆が打ち込まれた私をフォローしてくれた。えりの言葉が皆を奮い立たせてくれた。扇さんの言葉が私の心を繋いだ。扇さんのリードのおかげで今、この一球に辿り着けた。
――まだ終わってない。私はまだ戦える。限界はそこじゃない。私が自分で底を決めるな。
求める球はどこまでも真っすぐに伸びてゆく直球。それを相手の胸元へ抉るように投げる。
ゆっくり投球動作に入った。けれどその途中で脳裏に浮かんだのは一打席目、甲高い金属音と共に白球が遠く、小さくなって行く光景。
(大丈夫、大丈夫。この球自体はきっと一打席目と大きく変わらない。だけど扇さんが褒めてくれたプラスアルファが乗っている。)
自分自身にそう言い聞かせ、もう止められない脚の踏み出し、腕の振りを継続する。
「っ……お願い、届いて!!」
「来た来た来たぁ!!」
ボールを指で弾いた感触は良い。リリースポイントも問題なさそうだった。けれどそこには待ってましたとばかりに始動を始めた相手打者が居た。その事実に背筋が凍り付く。
『――球が止まって見えた』
これは野球の神様と呼ばれる人が残したとされる名言だ。その神様は球史に残る名打者として数々の記録を残したことで知られる。どういう意図を持って言った言葉なのか、私には知りようがないけれど、私は投手の目線でそれを今、体感していた。
神様も残酷だと思った。打者として打つ瞬間を見せてくれるならまだしも、投手に打たれる瞬間を見せつけるなんて。
(やっぱり……打たれる!?)
そんな私の心中を察したかのように、
――大丈夫!!
中腰の姿勢でミットを構える扇さんのマスク越しに映る表情がそう言っているように感じた。
眼前で全力でスイングを掛けにいった打者に臆することなく、扇さんの視線は白球から外れない。
そして時を圧縮したかのように止まっていた光景が解き放たれる。
その瞬間、『カシュッ』そんな摩擦音が微かに聞こえた。
「あれ?ボールが消えた?……まさか打たれた!?」
バットを振り抜いた状態で動きを止める四番がそこには居た。あの四番のスイングスピードは目を見張るものがある。だから打球のインパクトが速すぎて打球が見えなかった可能性はあった。だけど咄嗟に後ろを振り向いても野手陣は誰も動いていない。
「……ナイスボール!!!!」
「あ”あ”ークッソ、最悪!!」
グラウンド上に満ちていた沈黙を破ったのはそんな正反対なリアクションをした扇さんと四番だった。
「ミ、ミットに入ってる……。」
「夏波、ナイスピッチ!!」
「四番から三振だよ!!」
状況がイマイチ飲み込めず、呆然とマウンド上で立ち尽くす私にいつのまにか駆け寄ってきていたれなとえりが抱き着きながら自分のことのように喜んでいた。
「なぁ、おい。」
れなとえり、二人に引っ張られるように自分のベンチへ戻る私に向かってぶっきら棒な声が掛かる。
「今の一球、一、二打席で見た直球とは違ってた。……何を変えた。」
「え、えっと、いつもよりマウンドでの立ち位置を三塁側に寄せました。」
四番のそんな問いかけに私の心臓は思いの外跳ねた。あの一球だけで気づけたこの人の実力はやはり本物だ。
そう。変えたのは投手板を踏む場所。ただそれだけ。
野球のルール上、投手は投球時に投手板のどこかに足が触れた状態で投げなければならない。そして投手板は約61cmの長さがある。
だから私は投手板の踏む位置をいつも踏んでいた一塁側から三塁側方向の端っこギリギリに切り替えた。対左打者の対角線上にズレるようにあえて。
――所謂、対角線上の投球術。『クロスファイヤー』
「あ”ーくそ。だからあれだけ食い込んで見えたのか。……それ、扇先輩の差し金か?」
「いや、アイディア自体は久遠さんのものだよ。」
そんな問いにマスクを取りながら扇さんが私の代わりに答える。
「まぁ考えの"種”みたいな話とそこまでの配球は僕が主導した感じはあったけど…………言ったでしょ?『僕ばっかり見てると足下掬われるよ』って。」
「くっ……。」
「初球にど真ん中を放る。初対面、年上の胸元に釣り玉投げる度胸も、際どい外角に投げられる精度も土壇場で自分の武器を工夫できる頭もある。……竜朗、君はそういう相手に負けたんだよ。」
「……………………久遠って言ったか。次は絶対に負けない。」
そう言い放ち、ベンチへ下がる神場さんの瞳は鋭く、今日初めて敵として認識されたように見えた。
「……まったく、負けず嫌いもあそこまで突き抜けるといっそのことすがすがしいね。」
「でも、凄かったです。一球で違和感を感じる洞察力も一球に対する執念みたいな気持ちも。……結局、扇さんが捕ってくれていなければ、まだ続いていましたし。」
打席結果で見れば空振り三振になっていたけれど、バットに掠ってはいた。扇さんが捕球してくれなければ、ファールとなりまだ対戦は続いていたはず。
「まぁ、何はともあれ、『ナイスピッチ』、良く投げたね。」
「はい!!」
扇さんがはにかんで差し出す手のひらに私は自身の手をそっと合わせて応えた。




