第一章 十七話 紅白戦③―一回表―
――一番、中堅手、新山れな。
この打順、守備位置にはあたしなりのこだわりがある。
小学三年生の時のクラス替えにより偶然、夏波と同じクラスになったことがすべての始まり。
その頃の夏波は今と比べると綺麗で美人さんというよりは可愛いと言った感じだった。性格の方は今と同じように大人しくてまさにお人形さんのような子だった。
それに比べてあたしは休み時間になると毎回男子に混じり、ドッチボールやケイドロで遊ぶ、いわゆる「お転婆」な小学生だったと思う。
それまで話したことのなかったあたしたちが何をきっかけに仲良くなったのか、今では良く覚えていない。
小学生低学年の女の子らしく、気づいたら仲良くなっていたのだと思う。
良く放課後に私の家で二人で漫画なんかを読んだりして遊んだ。大人しそうな見た目に反して少年漫画が好きなことを知って驚いたことを今でも覚えている。時には夏波の双子の弟の七海も交えてゲームなんかもやって遊ぶこともあった。
ある日、たまには休日に遊ぼうと誘ったら言いにくそうに『用事があるから、ごめんなさい……』と断られてしまった。
次の週、その次の週も同じように誘ったけど同じように断られてしまった。
当時のあたしは仲良くなったと思っていた子に取ってつけたような理由で遊びの誘いを断られ続けたのが悔しくて、悲しくて「用事ってなに?」と泣きべそをかきながら尋ねた。
そんな私の様子を見て夏波があわあわして右往左往し始め、慌てて『……じ、実は――』と話し始め、その時初めて夏波が少年野球チームに所属していること、その練習で土日の休みは基本練習で遊べなかったことを教えてくれた。用事と言って言葉を濁していたのは同学年で野球をやっている女子が居なくて、変に思われないか心配していたのだそう。
『あ、あたしも野球やりたい!!』
そんな夏波の話を受けてあたしは即座にこう言い放った。
次の週末からあたしは夏波と同じ少年野球チームに体験入部した。
あたしは単に最近仲良くなった友達と一緒に遊びたい一心で体験入部したけれど、そんなあたしに夏波は心底嬉しそうに喜んでくれた。そのことがあたしにとっては何よりも嬉しかった。
経緯がそんなだったからあたしは野球のことは何も知らないところからのスタート、それにも関わらず夏波はルールの説明から練習の相手までとても丁寧に教えてくれた。少年野球チームのコーチたちも皆優しくて次第に野球の面白さが理解できるようになった。
『れなは脚が早いし左打ちだから一番打者が良いかも!!』、『あ、れなは肩も強いね。……脚も早いなら中堅手とか向いてるかも!!』
仲間が増えて珍しくハイテンションだった夏波が言った言葉。単純思考なあたしは夏波のその言葉を素直に受け取り、その時から一番、中堅手を目指すようになった。
実際に練習をしてみると、ただひたすらに打球に追いつく為に全力疾走できる爽快さやチームで一番打席に立つことが出来る楽しさを覚え、見事に野球にのめり込む様になった。
それがあたしにとっての原点。
打席に入る前に数スイング。そして相手チームの守備位置を確認する。
それがいつものパターンだ。
三塁手と遊撃手が通常では考えられないほど深い。そして中堅手は空いている右翼をカバーするように右に寄っている。
紅白戦の特殊ルールだからこそのポジショニング。
「ふぅ……。」
逸る気持ちを抑えるように深呼吸をしてから打席に入る。
そして可能な限りゆっくり、時間を掛けてストレッチするかのように腕を伸ばし、大きく構える。
つい先日、扇コーチからこの打ち方に名前があることを聞いて、増々この打ち方に愛着が湧いた。
『――神主打法』
同年代であたしと同じ構えの人は見たことがない。
小学生の時にコーチに『新山は性格だけじゃなくて打撃もせっかちだなぁ』と言われ、あたしなりに色々動画サイトを見て調べ、行き着いた打撃の形。
深呼吸をして、ゆっくりと間合いを取るようにすると少し緊張が落ち着いた気がする。
「じゃあ始めるよ。」
「は、はい」
本当は審判が試合開始のコールをするけれど、今日は居ないから相手チームの捕手が一声掛けてくれた。
相手投手は左投げ。
投球練習を観た感じ球速は結構速く感じた。少なくとも夏波よりは速いと……思う。
――一球目。
セットポジションから投じられた直球は外角に大きく外れ、ボール。
うん。やっぱりバットに当たらないような速さじゃない。
――二球目。
またも直球が外角に大きく外れ、ボール。
立ち上がりで制球が定まってない?
一番打者の役割はとにもかくにも出塁すること。
特に初回は多くの投手にとっての鬼門だ。
あたしは投手経験がないからどこが難しいのか正直良くわかっていない。
でも今までの実戦や試合観戦の経験則で初回に制球が定まらず、四死球により出塁を許し、先制点を許す、そんな場面を幾度となく見て来た。
ここで下手に打ちに行ってアウトカウントを取られると立ち上がりに苦しむ相手投手を助けてしまう。
(ここは相手もストライク取りたいだろうし好球必打。際どいコースは一球、待球しよう。)
――三球目。
先程と同じリズム、フォームから球が放たれる。
(すっぽ抜け!?)
18.44m。それが打者と投手との距離。
打者はその短い距離で球を見極める。
故に、投手の指先から球が放たれてから1、2メートルで軌道を判断しコースを予測する。
確かに放たれた球は一瞬、滑ったかの如く浮き上がり、あたし目掛けて飛んできた。
(――っ曲がって!!)
気づいた時には既に遅かった。
死球を予期して数瞬でも強張った身体では何も出来ない。
あたしに出来たことは背後から緩く白い弧を描き、ど真ん中に構えた捕手のミットに収まるのを見送ることだけだった。
――ど真ん中ストライク。
(カ、カーブ……。)
今のあたしの表情を鏡で見たら多分悔しそうな表情を浮かべていると思う。
カーブ自体は決して珍しい変化球じゃないし、あたし自身打ったこともある。
それこそ中学野球でだって良く見るオーソドックスな変化球だし、変化球有のバッティングセンターでも良く投げられる球種。
でも手が出せなかった。頭になかった軌道だった。
――四球目。
(投球テンポが速い……!!)
捕手が返球するとすぐさまセットポジションに移り、投球動作に入る。
前の球を後悔する暇など与えない、そう思わせるかのようなテンポ。
(ま、またすっぽ抜け!?)
またもあたし目掛けて放られたように錯覚するような軌道。
しかし、先程とは異なり鋭い角度で曲がることなく白い直線を描いた。
鞭で鋭くアスファルトを打ち付けたような音が響く。
ゆっくりと音源の方に視線を向けると高さはあたしの胸より少し低く、そして本塁ベースの幅ギリギリの場所にミットがあった。
「い、今のはストライクで良いよね?」
マスク越しに相手チームの捕手――確かキャプテンだったはず――に問い掛けられた。
内角高め一杯。
「は、はい。一杯で決まってますね……。」
今日は主審を置いていないから際どいコースは両者の判断で決めること。
扇コーチは試合前の言葉を思い出し、捕手の意見を肯定する。
2ボール、2ストライク。
カウント有利から一転して追い込まれた。
――五球目。
ここまで直球で大きく外れた球が二球。ど真ん中のカーブ。内角高め一杯の直球。
三球目は失投で、四球目はまぐれ?
狙って投げるには際どすぎるコースだし……
ああ!!もうっ!!
頭を整理出来ないまま、またも投球動作に入った。
内角高めに向かって来る山なりの軌道。
(ま、またカーブ!!
で、でも今回は出だしの軌道がさっきより枠は捉えてる!?……いや、曲がりが大きい分外れる!!)
先程の直球の時とは異なる鈍い捕球音が鳴った。
――外角低め一杯。
今回は捕手から声が掛からなかった。
何故ならあたし自身が天を仰ぎ、暗に認めているから。
「1アウト!!」
捕手が大きい声を挙げ、周りもそれに応える。
相手にとって最高の立ち上がりを許してしまった。




