表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
かりそめの妻でよかったはず、なのに  作者: しきみ彰


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

8/20

「シエナ! わたし、もういい! イライアスとなんか結婚しない!」


真っ赤に目を泣きはらしたセレスティアがそう言いながらやってきたのは、それから二か月経った春先の夕方だった。

まさかの発言に固まったシエナは、しかし明らかに傷心した様子のセレスティアを見て瞬時に彼女を泊めようと判断をする。

そのため、メイドに頼んでレニエ侯爵家に使いを出してから、シエナはセレスティアの手を掴んでそのまま私室へと引っ張っていった。


(手、冷たいわ)


 この分なら、食事よりも先にお風呂に入るべきかもしれない。

 そう思いメイドに指示を飛ばしながら、シエナはセレスティアを暖炉の前に置いた椅子に座らせる。

 そして彼女を毛布で包み、シナモンとひとかけらのバターを落としたミルクティーを渡してから、口を開いた。


「今日はもう遅いから、ここに泊っていって。レニエ侯爵家にももう使いは出したから」

「……うん」

「お風呂も沸かしたから、セレスティアが先に入っていいわよ。体、すっごく冷たいもの。温めないと。夕食はそれからね」

「……シエナと一緒に入る」


 それを聞き、シエナはくすりと笑った。


「分かったわ。ほら、行きましょ」







 そうして久しぶりに、二人は一緒にお風呂に入った。


(十二歳くらいまでは、一緒に入ることもあったけれど……体が大きくなってからは、それもなくなっていたわね)


 それなのに一緒に、とセレスティアがねだったということは、きっと風呂場で話したいことがあるのだろう。そう思ったシエナは、メイドを下がらせてふたりきりで風呂に入る。

 体を洗い、湯船に浸かったところで、セレスティアがようやく口を開いた。


「……今日は何の連絡もなく来て、ごめんなさい。わたしの家に連絡もしてくれてありがとう……」

「あら、急に謝ってお礼まで言うなんて、どうしたの? でも、どういたしまして」

「……うん、あのね……わたしのこの性格のせいで、イライアスを怒らせてしまったの」


 そう言ってから、セレスティアは話を始めた。


 ――曰く、ここ最近、イライアスの付き合いが悪いらしい。

 というのも、彼が本格的に当主教育に入ってしまったからだ。


 そのため、騎士団での仕事以外はほとんどの時間を父親であるクルーニー伯爵と過ごし、セレスティアが「会おう」と手紙を送っても「無理だ」と返ってくることが増えたらしい。

 それに業を煮やしたセレスティアは、今日イライアスの実家に連絡なしに突撃したのだ。


 そして開口一番、その行為を「一年後にクルーニー伯爵家の小伯爵夫人となるのにふさわしくない!」とイライアスに言われてしまったらしい。

 それに衝撃を受けたセレスティアは、イライアスのために持ってきたケーキの入った箱を彼目がけて投げ、飛び出してきた……ということだった。


「……わたしだって、知ってるの。自分が淑女らしくないってことくらい」


 ぶくぶくと肩まで湯船に浸かりながら、セレスティアは言う。


「わたしだって分かってる。イライアスが、わたしと結婚するために当主教育を頑張ってることくらい」

「そうね」

「でも、二か月間一度も会えない、なんてないじゃない! わたしだって……夫婦になる前に話したいことがあったのに……」

「それはなに?」


 そう問えば、セレスティアは言いにくそうにする。しかし意を決したように告げた。


「……怖いの。親友から夫婦になることが」

「……セレスティア」

「今更何言ってるのって思うよね、分かる! 婚約発表をしたときはわたしも気にしてなかったの! でも……わたしなりに夫婦について、両親とか親戚とかから聞いて、これで……親友の延長で夫婦になるのが正しいのか、愛がなんなのか……分からなくて。だからイライアスと話し合いたかったの……」


 そう言うと、セレスティアの目尻からじわりと涙がにじむ。


「そ、それなのに、全然会ってくれなくて……これで夫婦って言えるの? って余計思って、焦って……わたし、イライアスにひどいこと言っちゃった」

「何を言ったの?」

「……大嫌いって。今まで言ったことなかったのに!」


 顔を覆って叫ぶセレスティアを、シエナはそっと抱き締めた。


「でも、本心じゃないのでしょう?」

「……うん」

「なら、素直に謝りましょう。大丈夫、理由をきちんと話して謝れば、イライアスは許してくれるわ。彼は心の広い人だもの」

「……でも、会ってくれなかったら?」

「大丈夫、そこは私に任せて」


 シエナはそう言い、ぱちんと固めをつむってみせた。






 セレスティアが泊まった翌日の朝。

 シエナは、兄が住む東棟に向かっていた。

 昨日のうちから話は通してあるので、直ぐに通してもらえる。


「おはよう、シエナ」

「おはようございます、お兄様」


 そうして顔を合わせたのは、自身の兄であるザッカリーだった。

 赤い髪をオールバックにまとめた姿は、とてもかっこいい。シエナと同じオレンジ色の瞳をしているが、騎士服をまとっていることもあってか逆に力強く見えた。意地悪く見えがちなシエナとは大違いだ。

 シエナは手短にセレスティアの状況を話す。


「……というわけで、お兄様。お仕事が終わった後、イライアスを我が家にまで連れてきてくださいませんか?」

「それは構わないが……シエナも、幼馴染の痴話喧嘩に巻き込まれて大変だな」

「ふふ。お兄様、私は大親友が私を頼ってくれたことを喜んでいますよ。……だって本当に大切な友人ですから」


 それに、思うのだ。


(恋はやっぱり、いいものじゃない)


 シエナは、セレスティアの悩みが羨ましいとも感じつつ、同時に彼女の苦悩に同情してもいた。だって二人が婚約することになったのは、キャンベル公爵令嬢が勝手な噂を社交界でべらべらと話したからだ。だから二人はろくに恋がなんなのかも知ることができないまま、成人を迎えてしまった。


 そして今、こうして悩んでいる。

 シエナはイライアスに恋をしているから、その悩みですら羨ましいと思ってしまうけれど。でもだからこそ、二人に協力するべきだと思うのだ。


(それが、私なりの……二人の親友であることに対しての誠意であり、贖罪だから)


 だからどんなに胸が苦しかったって、シエナがそれをやめるわけがないのだ。

 だって二人には本当に、幸せになって欲しいから。


「私はまだ結婚をしていませんから、二人の本当の気持ちを知ることはできませんが……それでも、協力することくらいはできます。なのでお兄様、イライアスに少し話をしてあげてくれませんか? お兄様はもうご結婚されてますから、私よりも的確なアドバイスができるので」

「ふむ、確かにな」

「はい。それにお兄様はイライアスと同じく、次期当主です。きっと彼の心情を一番理解できると思うのです。その上で二人で話し合えば……きっと……」

「……分かった。可愛い妹と、可愛い弟分のためだ。俺も一肌脱ごう」

「ありがとうございます! お兄様!」

「いいさ。シエナの頼みを、俺が断るわけがないからな」


 ザッカリーはそう言うと、にかりと歯を見せて笑った。



 *



 そうして夕方になってから、イライアスがガルシア家にやってきた。


 彼はシエナと顔を合わせると、ばつの悪そうな顔をして目を逸らす。

 そんな彼を見ながら、シエナはくすくすと笑った。


「別に、咎めたりはしないわ。けれどイライアスだって分かってるでしょう? セレスティアと話し合う必要があることくらい」

「……ああ」

「だったら、温室に行ってらっしゃい。そこにセレスティアがいるから」


 さすがのシエナも、お節介を焼くのはここまでだ。

親しき仲にも礼儀あり、という言葉があるように何事も関わりすぎれば不和の元になってしまう。そしてこれは二人の、これから夫婦になる二人の話だ。なのでシエナは、素直に頷き走って行くイライアスを、胸を痛ませながら見送った。


――それから、一時間、二時間、と時間が経った。

オレンジ色だった空にはすっかり夜の帳が下り、星々がきらきらと宝石のように輝いている。

その間、シエナは私室でずっとレースを編んでいた。

セレスティアのウェディングヴェールだ。

レースを作る際、いつもは自身の感情から目を逸らすために無心でやってきたが、このウェディングヴェールだけは違った。


(セレスティアが、花嫁として何事もなく幸せに暮らせますように)


 そう、ただセレスティアの幸福だけを願って糸を編んだ。

 だって、幸せになって欲しかった。

 唯一無二の親友だから。


 それがたとえシエナが恋をしている相手だとしても、否だからこそ、とびっきり幸せになって笑顔でこれからの結婚生活を送って欲しかった。


 祈る、祈る、希う。


 そして――この感情が一生、二人に知られないことを願う。

 そうしてレースを編んでいると――


「シエナお嬢様。セレスティア様とイライアス様が、お帰りになられるそうです」


 そう、メイドから告げられた。







「シエナ、ありがとう! おかげでイライアスとしっかり話ができたわ!」


 セレスティアは本当に嬉しそうに、それでいて晴れ晴れしい顔をしてシエナにお礼を言ってきた。

 イライアスも、来た当初のようにばつの悪そうな顔ではなく、憑き物が落ちたようにすっきりした顔をしている。……だからその頬に平手された痕(紅葉)があったことに関しては、見て見ぬふりをすることにした。

 シエナは笑いながら言う。


「こんな時間なのに帰るの? 二人で泊まっていけばいいのに」

「いや……セレスティアのご両親に、今日はきちんと連れて帰りますって言ってしまったんだ。だから俺がきちんと責任を持って送り届けるよ」

「……そう。それなら、しっかりね。旦那様」

「だって、旦那様」

「……いや、それはまだと言うか、気が早いというか……」


 ごにょごにょと何やら言っているイライアスに、セレスティアは肘打ちを食らわせる。


「話し合ったでしょ。これからはわたしから逃げないって。なら旦那呼びくらい慣れなさい」

「はい……」

「ふふ……じゃあ二人とも、気をつけて」


 そう言い、シエナは二人を玄関まで見送った。

 そうして私室へと戻ってきたシエナは、レース編みを再開する。

 そのおかげか。押し寄せてくる悲しみから目を逸らすことができて、シエナはほっとしていた。

 けれど、これでようやく二人が幸せになれる。

 そしてシエナもそれを笑顔で見送れる。そう、思っていたのに。






 それから半年後。レース編みをしていたシエナは、兄からの言葉に針を取り落とした。


「……え?」


 ――セレスティアが、死んだ?

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ