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かりそめの妻でよかったはず、なのに  作者: しきみ彰


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7/20

 シエナ、十八歳。セレスティアとイライアス、十六歳。

 全員が成人を果たした後の冬、シエナにとって大きな決断のタイミングがやってきた。


「シエナ、お願い! わたしのウェディングヴェールを作って欲しいの!」

「……え?」


 シエナがセレスティアにお願いをされたのは、結婚発表があった翌日だった。

 その日も三人はいつも通りそれぞれの家に集まり、各々自由に趣味の時間を過ごしていた。そして今日はシエナのガルシア伯爵家の番ということで、イライアスは嬉々としてシエナの兄に稽古をつけてもらいに行っている。なのでガルシア家のアトリエにいるのはシエナとセレスティアだけなのだが。


 突然のことで何が起きたのか分からず、シエナはレースを編んでいた手を止める。

 その一方でセレスティアは、持っていた筆を水入れに突っ込みながら、改めて頭を下げてきた。


「お願い! 色々考えていたんだけど、シエナに作ってもらったヴェールで結婚式に臨みたくって!」

「そ、それは、嬉しいけれど……でも、大した腕はないのに……」

「……それ、本気で言ってるなら、シエナのレースを欲しがっている仕立て屋さんが軒並み泣くと思うよ」


 それに対して、シエナは困った顔をする。


(そうは言っても……このレースは、現実逃避の産物だから……そんなに褒められたものではないのよ)


 そんなこと、決して言わないが。

 というのも、レース編み自体はもともと好きで始めたことだったが、今となってはことあるごとにやってくる胸の痛みと罪悪感をこらえる意味で行なっているからだ。

 罪悪感と胸の痛みは両方とも、イライアスに対する恋心が理由で起きている。


(あれからもう五年も経つのに、この恋心は一向になくならなかった……)


 むしろ、ことあるごとに勝手に反応して、シエナの心を悩ませる。困ったものだ。

 そして罪悪感は、そんな汚らわしい感情を捨てられていない自分が二人のそばに居続けていることに対してのものだった。この恋心を隠し通すと思っていた際は、まさかそんな感情を抱くことになるとは思わなかった。


(本当は、二人のそばにいる資格なんてないのに)


 それでも、シエナはずるいから、このままがいいから。

 そう言い訳をして、自分の気持ちに蓋をして二人のそばにい続ける。そしてそのたびに、もう一人の自分が耳元で囁くのだ。


『いつまで親友ごっこを続けるつもり? 親友であり、親友の婚約者でもある彼への恋心を捨てられていない時点で、貴女は裏切り者なのよ』


 分かっている、そんなこと、知っている。

 それでも、聞きたくなくて。シエナは逃避のためにレース編みに没頭した。

 そして没頭しすぎたせいで、無駄に技術が上がってしまった、というわけである。


 なのでシエナ自身は、いくら褒められたとしても、それを自慢できなかったし。セレスティアには特に使って欲しくなかった。それがウェディングヴェールならなおさらだ。


(だってこんなもの、縁起が悪いし……)


 だから今まで製作したものは自分で使うか、家族にだけ使ってもらっていた。

 ……まあその肝心の家族である姉が仕立て屋にそれを使ってもらうように頼んだ挙句、社交界で「これ、妹が作ったレースなのよ!」とおおっぴらに自慢してしまったせいで、こんなにも広まってしまったのだが。

 暖炉の火種にでもすればよかったと思う。今更言っても遅いが。


 内心ため息をこぼしながら、シエナは困った顔をしてセレスティアを見る。

 そして、その瞳がキラキラと輝いているのを見て、ぐっと胸を詰まらせた。


『お願い、お願い』


 そんなセレスティアの声が聞こえてきさえする。事実、シエナがもう少し沈黙を保てば、彼女はきっといつも通りの可愛らしい顔をしてシエナにお願いをしてくるだろう。

 そしてシエナは、その『お願い』というものにめっぽう弱いのだ。


(つい、なんでもしてあげたくなってしまうのよね……)


 かと言って、本当にこんな呪いのようなものをセレスティアの、よりにもよってウェディングヴェールにしていいのか。ぐるぐると悩む。

 しかし。


「……シエナ、だめ?」

「……っ」

「ねえ、お願い! 結婚式では、シエナが作ってくれたものを身につけたいの!」


 そんな可愛らしいことまで言われてしまえば、断る選択肢なんてあっという間に霧散してしまった。

 シエナはゆっくりと息を吸い込む。


「……分かったわ、セレスティア」

「本当!?」

「ええ。私が、貴女に嘘をついたことなんてないでしょう?」


 言ってから、とびきりの隠し事をしていることを思い出し、シエナの胸にひときわ大きな痛みが走る。


(だけれど、嘘では、ないのだから)


 また言い訳を重ねて、秘密を箱にしまい込んで鍵をかけてから。シエナは微笑みを浮かべたのだった。







 それからしばらく二人でおしゃべりに興じていると、こつりこつりと足音が聞こえた。

その足音が誰のものなのか、シエナは知っている。


(……イライアスの、足音)


 他の人であれば、足音の違いなんてほとんど気づけないのに。どうして彼の足音だけは間違えることなく気づくことができるのだろう。


(……恋なんて、するべきではなかった)


 自己嫌悪しつつ気づかないふりをしていると、アトリエの扉が叩かれる。

 そうして入ってきたのは予想通り、イライアスだった。


「セレスティア、シエナ」

「あ、イライアス! 訓練はもういいの?」

「ああ、ザッカリーさんにみっちりしごいてもらったからな」


 ザッカリーというのが、シエナの一番上の兄だ。次期当主としての教育を受けながら騎士団で働いていて、将来を有望視されている。

 またイライアスも今年入団したばかりの騎士団員の一人であり、ザッカリーは先輩という立場に当たる。また幼い頃から頻繁に会っていた二人は剣術という共通の趣味もあり、ガルシア家にやってくる際は必ず手合わせをしていた。


(イライアス、満足そう)


 そのことに嬉しく思うのと同時に、彼の笑顔の眩しさに目がくらんでしまう。

 幼い頃から端正な顔立ちをしていたが、成人してからはその美しさにますます磨きがかかった。その上、騎士団の訓練で鍛え上げられた体はすらりとしており、身長もすっかり伸びてシエナとセレスティアの身長を抜いている。


(昔は、背が低いことをセレスティアに指摘されて拗ねていたのに……)


 その上、以前は失言をすることが多かったイライアスだったが、当主教育を経て分別がつくようになり、女性に対しての紳士的な配慮もできるようになっていた。イライアスはクルーニー伯爵家の嫡男であり、クルーニー伯爵の唯一の息子だからだ。

 今でもシエナとセレスティアには子どもらしい一面を見せることもあるが、もうすっかり大人の紳士になっている。

 そしてそれが、シエナの恋心が未だに冷めない理由にもなっていた。


(こんなもの、いらないのに)


 内心ため息をこぼすと、セレスティアが首を傾げる。


「シエナ、大丈夫? 疲れた?」

「え?」

「なんだ、シエナ。風邪でも引いたのか?」

「そ、そんなことないわ! 気にしないで」


 そう否定しつつも、シエナはひやりとした。


(セレスティア、勘がいいから……)


 特にシエナのこととなるとよく見ているのか、小さな変化にも気づく。

 今のところこの恋心には気づかれていないようだったが、それでも。いつかばれてしまうのではないかと考えると、そのときのことが恐ろしくなる。


(しっかりしなさい、シエナ。二人とはずっと、親友でいるって決めたじゃない)


 そう自分に言い聞かせていると、セレスティアが「それならいいけど……」と言いながらシエナの両手を掴む。


「何か悩みがあるなら、いつでも言って。わたしはいつだって、シエナの味方だから」

「セレスティア……」

「……おい、俺を仲間外れにするなよ」


 イライアスはそう言いながら、セレスティアの頭部に腕と頭を乗せる。すると、セレスティアはしかめっ面をして上を見上げた。


「ちょっとイライアス? 重いのだけど」

「仲間外れにするからだろ」

「だって大きくなってから、すっかり可愛げがなくなってしまったんだもの!」

「この年齢になってもまだ可愛げがあったら、それはそれで問題だろ」

「ほんっと、可愛くない! うちの弟を見習って!」

「……セレスティアは本当に、トレイシーのことが好きよね」

「もっちろん! 大切な弟だもの!」


 トレイシーというのは、五年前に生まれたセレスティアの弟だ。


(生まれる前はあんなにも煙たがっていたのにね)


 それが、今となっては家族の中でも一番と言っていいくらいトレイシーのことを可愛がっている。時間が解決してくれるのでは? と思っていたがまさかここまでとは思っていなかったシエナは、思わずくすりと笑ってしまった。


「ちょっと、シエナ、どうして笑うの!?」

「ご、ごめんなさい。トレイシーのことが好きなセレスティアが可愛くって……」

「何言ってるの! シエナだって可愛いよ!」

「……可愛い? 私が? そんなまさか」


 シエナは可愛いというよりは、綺麗と言われるタイプの令嬢だ。そして人によってはそれがかっこよく映るが、別の人にとっては可愛げがないとも言われるものだった。なので『可愛い』はシエナには最も遠い形容だ。

 しかしセレスティアは首を勢いよく横に振る。


「シエナは可愛いわ! 誰よりも可愛い!」

「セレスティア、そこまで言わなくても……セレスティアのほうがずっと可愛いわ」

「そうじゃないの、こう……イライアス!」

「え、俺!?」


唐突に話を振られたイライアスは、慌てながらも真剣に答えようとしてくれた。


「……シエナは、美しくて優しい、じゃないか?」


滅多に聞かないイライアスからの賛美に、シエナの心臓が大きく跳ねる。

すると、セレスティアは「それは当たり前でしょ」と白んだ目を彼に向けた。


「うーん! 皆、シエナの可愛さにどうして気付かないの……!」

「おい」

「ほーんと! 男って見る目ない!」

「婚約者に対してひどい言い方だな!?」

「ま、まあ二人共、落ち着いて……」


 間に入り二人を宥めながら。シエナは言い知れぬ雲行きの怪しさを感じ取っていた。

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