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それから月日は経ち、レニエ侯爵家の別荘に向かう日になった。
別荘地についたシエナは、黄色いリボンのついたカンカン帽を押さえながらほう、と息をつく。
「きれい……」
そこは、ラベンダーに囲まれた別荘だった。
見渡す限りのラベンダー、そして白い壁に紫色の屋根の建物。
それは、セレスティアのためにあつらえられたような別荘だった。
木登りのできそうな背の高い木や、そこから垂れ下がるブランコ。どちらもセレスティアの好きなことができるものだ。
(新しい別荘だと言っていたけれどこれは、セレスティアのために造られた場所ね)
肝心のセレスティアはそのことを知らなかったらしい。別荘を見て、今にも零れ落ちそうなほど瞳を丸くしていた。その瞳から涙が一筋伝う。
珍しく涙を見せたセレスティアに、イライアスが動揺しているのが見えた。しかし何かしたそうにしている。
(ここは、前回の汚名返上も含めて、背中を押してあげないとね!)
そう思ったシエナはイライアスの背中を押しつつ、ハンカチを差し出して「セレスティアに渡しなさい」とジェスチャーする。
ぎこちないままハンカチを受け取ったイライアスは、ぎこちないままそれをセレスティアに渡した。
「……よかったな」
「……うん」
言葉少ないが、それで分かる内容だった。
しかしセレスティアはハンカチで涙を拭うと、ぴっとイライアスに向かって指を指す。
「け、ど! 自分でハンカチを持っていないところは減点だからね!」
「うっ。つ、次からは気をつけます……」
「よろしい! シエナ、ハンカチありがとね!」
「いいのよ。さ、荷物を置いて遊びましょ!」
「うん!」
元気よく頷き満面の笑みを浮かべたセレスティアの顔には、もう憂いなど微塵も残っていなかった。
それから三人は、先に到着していたセレスティアの伯父に挨拶をしてから荷物を置き、予定通り乗馬に向かったのだが。
(お、大きい……)
想像よりもずっと立派な馬を前に、シエナはたじろいだ。
少なくとも、シエナが練習に使っていた馬より一回りも二回りも大きい。これに乗れるのかという不安がこみ上げてきた。
すると、既に馬に乗っていたセレスティアが上からシエナを見下ろし手首を傾げる。
「シエナ、どうしたの?」
「え、あ……」
怖くて乗れない、なんて恥ずかしくて言えない。
そのため俯いたまま口をつぐんでいると、馬をセレスティアの横に歩かせていたイライアスが言う。
「分かった、怖いんだろ。シエナはあんまり運動神経良くないもんな」
「……こら、イライアス。あんた、学習って言葉知ってる?」
図星を突かれ、頬が熱くなるのが分かった。今のシエナはきっと、さぞかし赤い顔をしていることだろう。
(けど……ここで変に意地を張って乗っても、二人に迷惑をかけるだけだわ)
何より、乗馬は危険ととなり合わせだ。そして馬は乗り手の感情を感じ取れる賢い生き物である。きっとシエナの恐怖心を感じ取ってしまうだろう。それで暴れてしまったとき、彼女にはどうすることもできない。
そう思ったシエナは、笑みを浮かべながら口を開く。
「……ごめんなさい、イライアスの言う通り、乗馬は苦手で。それに、こんなに大きな馬に乗るのは初めてなの。だから乗馬は二人で行ってきて」
「シエナ、でも……」
「セレスティア、大丈夫だから。私はここで本でも読みながら、二人の帰りを待ってるわ」
できる限りセレスティアが気にしないように、声の調子を整えてシエナは言う。
取り繕うことには慣れていた。
だから置いて行かれてしまうことがいくら悲しくても、虚しくても。二人に迷惑をかけるより、よっぽどいい。
そう思っていたのに。
「……別に、シエナが一人で乗れないなら、こうすればいいだろ」
「え、!?」
するとぐいっと、腕を引かれた。視界が一気に高くなる。
気づいたとき、シエナはイライアスが乗る馬の上にいた。
あまりのことに呆気に取られてしまい、シエナは呆然とする。
しかし一方のイライアスは、背中のほうに乗せたシエナに「危ないから、きちんと俺の腰に腕を回して」と言う。シエナは慌てて従った。
それに満足したイライアスは、セレスティアを見る。
「ほら、セレスティア。これならいいだろ?」
「うーん……まあそれで失言がなくなるわけじゃないけど、イライアスにしてはいいアイディアだと思うわ」
「……一言余計なのはセレスティアもじゃん」
そうぶつくさ言いながらも、イライアスは手綱を引いて足で馬の体を軽く蹴り、歩かせ始める。それは乗馬が苦手なシエナにも安心できるくらいの、ゆっくりした速度だった。
「あのさ、シエナ」
「な、なに、イライアス?」
「俺たちは、シエナと一緒だからいいんだよ」
何を言われたのか分からず、シエナは目を瞬かせる。すると横に並んだセレスティアが言葉を繋げた。
「つーまーり! わたしたちはただ乗馬がしたいんじゃなくって、三人で一緒がいいって話よ! シエナ」
「そうそう。だから迷惑なんてかかってない。むしろシエナがいないと、セレスティアを止められないからな」
「……ちょっと、それどういう意味よ」
二人が馬の上で喧嘩をする中、シエナは一人言葉を噛み締める。
三人一緒。
そう聞き、シエナの心に温かいものが広がる。
(私も、三人一緒がよかった……)
そしてセレスティアもイライアスも、同じように思ってくれている。そのことが嬉しくて、シエナはぎゅっと唇を噛み締めた。
だってでないと、今にも泣いてしまいそうだったから。
だから代わりに、言葉を紡ぐ。
「……私も! 三人一緒がいいわ! 乗せてくれてありがとう、イライアス!」
そう言うと、イライアスはぐっと親指を立て、にっかりと歯を見せて笑った。
――そしてその顔があまりにも眩しくて。シエナは恋に落ちてしまったのだ。




