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早朝。
ヴィヴィアンヌ・キャンベルは、パジャマ姿のままエントランスホールの階段を駆け下りた。
そして、ちょうど外出しようとしていた父親に向かって叫ぶ。
「お父様!」
「……ヴィヴィアンヌか。そのような姿でここまできてはいけないだろう?」
父に、貴族令嬢あるまじき服装で屋敷を歩いていることを嗜められたが、ヴィヴィアンヌはそれどころではない。
「お父様! クルーニー家に向けた抗議を取り下げられたと聞きました! なぜです⁉︎」
父、キャンベル公爵は困ったように眉をハの字にした。
「ヴィヴィアンヌ、あれはお前にも非があっただろう? 聞いたぞ、ガーデンパーティーで、今は亡きレニエ侯爵令嬢を誹謗中傷したと」
「そ、それは……!」
「故人を侮辱することが、如何に愚かなことなのかくらいは分かるだろう? ならば取り下げるほうが良い」
「で、ですが、あの女……シエナはこともあろうに、このわたくしにシャンパンをかぶせたんですよ⁉︎ 絶対に許せませんわッッッ!」
怒りで我を忘れている娘を嗜めながら、キャンベル公爵は侍女を目配せで呼ぶ。
「ヴィヴィアンヌ、もしクルーニー伯爵夫人のことを罰したいなら、王太子妃になってからにしなさい。それからでも十分だろう?」
「王太子妃? いったい何を仰ってるの、お父様っ?」
「前から話はしていただろう? お前の嫁ぎ先は、とっておきの相手選んでやると」
「いやです! わたくしは、イライアス様がッ!」
キャンベル公爵は、大きくため息をこぼした。ずっと悩んでいた娘の恋の病が、再発してしまったからだ。
(これも、クルーニー家の小僧が王都に戻ってきたせいだ……)
キャンベル公爵は、内心舌打ちをした。今までの悩みの種が再発したからだ。
そしてその原因は、地方へ療養していたイライアス・クルーニーが戻ってきたためである。
ヴィヴィアンヌのことを刺激したのはシエナだったが、それがなかったとしてもイライアスの件で、ヴィヴィアンヌは再び暴れ出していただろう。それくらい、昔からイライアスに執着していたからだ。
(せっかく、ヴィヴィアンヌを説得して王太子妃になることを納得させ、王家に圧力をかけて押し切ろうとしていた矢先に……!)
キャンベル公爵はそもそも、イライアスなど眼中に入っていなかった。裕福さは他の貴族たちの中でも特出していたが、所詮伯爵家だからだ。公爵家のヴィヴィアンヌには相応しくない。
それに、いつだって上を目指しているキャンベル公爵にとって、イライアスという存在は自身の野望を邪魔する存在に他ならなかった。
(だからこそ、ヴィヴィアンヌにクルーニー家の小僧とレニエ家の小娘の婚約が進んでいる話をして、二人の婚約が進むように画策したというのに……)
その後に、セレスティアを狙った殺人事件が起きたときは、イライアスとともに死ぬことを願ったくらいだ。
が、肝心のイライアスは生き残ってしまった。思わず落胆して、殺し損ねた犯人を盛大に罵倒したくらいだ。
それでも、イライアスが療養と称して王都から離れたのを見て、満足していたのに。
頭が痛くなってくるのを感じながらも、キャンベル公爵はやってきた侍女の姿を認め、指示を出した。
「お前、ヴィヴィアンヌを屋敷から出すな」
「承りました」
父親からの言葉に、ヴィヴィアンヌは信じられないものを見るような目で見てくる。
「お父様⁉︎」
「ヴィヴィアンヌ、しばらくの間、外出は禁止だ。欲しいものがあれば、商人を呼んで持って来させるように」
「そんな! わたくしを閉じ込めるなんてひどいですわ!」
「……いいか? 王太子妃になるのがお前のためだ」
「好きでもない殿方と結婚することがわたくしのためになると⁉︎」
これ以上、娘の言うことを聞く時間はない。そう思ったキャンベル公爵は、片手をあげて指示を出す。すると、執事と侍女がヴィヴィアンヌの両脇を押さえた。
「お嬢様、こちらへ……」
「この無礼者! 離しなさいッ! お父様、お父様!」
泣き叫びながらもがき、必死になって手を伸ばしてくる娘が部屋へと連れて行かれるのを見届けてから、キャンベル公爵は襟を正してため息をついた。
「まったく……あんな小僧の何がいいのか」
結局のところ、愛など意味がない。いつだって力になるのは、金と権力のみだ。成長すればヴィヴィアンヌにもそれが分かると思っていたというのに、ここまで聞き分けがないとは。
(こうなれば王太子との結婚を進めて、外堀を一刻も早く埋めねば)
そうなれば、ヴィヴィアンヌの意見など大したものではない。
そしてヴィヴィアンヌは突飛な行動は起こすが、考えが足りない子どもだ。そのため、悪知恵などを働かせるだけの知能はない。必要なときにのみ外出させ、それ以外では閉じ込めておきさえすれば、なんとでもなるはず。
そのせいで使用人たちが怪我しようが、最悪の場合命を落とすようなことがあろうが、キャンベル公爵にとっては些事だった。
むしろ、その程度の犠牲で娘を閉じ込めておけるならば、安いものだろう。
そう思いながら。
キャンベル公爵は娘のため……そして自身の野望を叶えるべく、今日も国王に謁見しに向かったのだった。




