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かりそめの妻でよかったはず、なのに  作者: しきみ彰


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(……言った。言ってしまった)


 口にしてから、さぁっと、全身から血の気が引くのが分かった。

 しかし一度こぼれ落ちた言葉は、決して元には戻らないことを知っている。


(……そうよ。事実を知ればきっと、イライアスも考え直すはずだわ)


 唇を噛み締めたシエナは、自嘲を浮かべた。


「……最近なんかじゃないわ。私があなたへの想いを自覚したのは、十三歳の頃よ。だからセレスティアが亡くなった後、あなたと結婚すると決めた想いの中に、私的な感情がなかったなんて言えない」

「シエナ、」

「私も、キャンベル公爵令嬢とあの殺人鬼と、根幹は何も変わらないのよ」


 イライアスの呼び声を遮ったのは、嫌われたかったのもあるが、彼の言葉を聞きたくなかったから。それでも彼の顔を見れなかったのは、他でもない彼から向けられる軽蔑の視線を、直視できないと思ったからだ。

 同時に、そんなことを言いながら一番傷ついていたのは、シエナ自身だった。


(……そうよ。綺麗事を言ったって、私も大嫌いな人たちと何も変わらない)


 そのことが、何より苦しくて、死にたい気持ちが込み上げてくる。


(でも、もういいの)


 この世で一番知られたくないことを、一番知られたくない人に知られた。

 そして大事な親友は、この世にもういないのだ。


 そう、すべてを捨てて、何もかも諦めようとしたとき――


「――同じじゃないッッ!!!!」


 イライアスの叫び声が、シエナの心をすくい上げたのは。


 イライアスはそっと、シエナの肩に手を添えた。


「……絶対に同じじゃない、俺が断言する。だってシエナはいつだって俺のことを考えてくれていたし、セレスティアのことも大切にしてた。俺たちが婚約した後も、そんなそぶりひとつ見せなかった。俺と結婚した後も。なのに一緒? ふざけるな。君が認めようが、俺が認めない」

「いらい、あ、す、」

「それに、恋心が罪だというなら、俺が今君に対して抱いている感情だって同じになる」

「!!! それは、ち、がっ!」


 思わず顔を上げれば、イライアスの青い瞳と目が合った。

 青空の色。シエナの好きな色だ。

 その瞳が優しさだけでなく、確かな熱情を帯びていることに気づいたシエナは、頭が真っ白になって固まった。


(わ、私、ど、どうし、たら……っ)


 そんなシエナの様子に気づいたイライアスは、苦笑する。そして優しく抱き寄せ、ぽんぽんと頭を撫でてきた。


「シエナ、ゆっくり呼吸をするんだ」


 促されるままに、深く息を吸い込んで、吐き出す。

 ぽんぽん。背中を撫でられながら深呼吸をしているうちに、パニックになっていた頭がだいぶ落ち着いてくるのが分かった。


 代わりに、恥ずかしさが込み上げてくる。


「……イライアス、もう大丈夫だから、離して……」

「……離さないとダメか? 俺はずっと、シエナとこういう関係になりたかったんだが……」

「……っ! じょ、冗談を言ってる場合じゃ……!」

「冗談じゃないよ。……だけど、シエナの気持ちの整理がつくまではしないさ。それが君に対しての、最低限の礼儀というものだからな」


 そう言ってから、イライアスは名残惜しそうにシエナから離れていく。

 シエナ自身も、離れていく温度に後ろ髪を引かれる思いを感じてしまい、罪悪感が胸に広がる。

 それを悟ったのか、イライアスはこほんと咳払いをした。


「シエナ。君が俺のことを好きでいてくれるならなおのこと、離婚する気はない。だからその選択だけは諦めてくれ」

「……イライアス」

「もしセレスティアに対しての罪悪感を感じているのなら、そもそも感じる必要はないはずだ。……彼女が、シエナの不幸を望むわけがないだろう?」

「…………」


 シエナは何も言えなくなってしまった。その通りだと思ったからだ。

 イライアスは続ける。


「それに、シエナが恋心を抱くこと自体を醜いものだと思っているのであれば、尚更、俺が一生かけて君に証明するのが筋というものだろう?」

「……何を?」

「恋心にも、醜いだけじゃない一面があるってことをさ」


 イライアスは微笑みながら、自身の胸に手を当てた。


「俺はシエナのことが好きだ。今すぐにでもキスしたいと思ってる」

「キ、ッ?」

「当たり前だろう? それでも我慢してるのは、シエナの気持ちを大切にしたいからだ。君が、俺たちのことを想って決して、自分の本心を打ち明けなかったのと同じようにな。……だから」


 告げてから、イライアスはシエナの目を真っ直ぐと見てきた。


「キャンベル公爵令嬢への報復の件、俺にも協力させてくれ」

「……それは……」

「どうせ君のことだ、俺と離婚の手続きを終えて、クルーニー家との関係が切れてから、彼女に報復するつもりだったんだろう?」

「…………」

「沈黙は肯定と同じだぞ、シエナ」

「……うるさい」


 腹が立って思わず毒づくと、イライアスはふと笑った。


「やっと、俺の知るシエナの顔が見れたな」

「……え?」

「可愛くて愛おしい、俺の大親友であり妻の顔だ」


「少し前から、まるで知らない他人みたいに見えてたからな」なんて笑う彼を見て、申し訳なさと同時に愛おしさが込み上げてくる。


(……私も、久しぶりに彼の軽口が聞けて、ホッとしてる)


 昔の、一番幸せだった頃の記憶に近いイライアスの笑顔に、嬉しさと懐かしさが入り混じって泣きたい気持ちになる。


(もう二度と、聞けないと思ってたから……本当に本当に、よかった……っ)


 同時に、ヴィヴィアンヌに報復する件からイライアスを排除することは、道理に反するとも思った。


(彼の言う通り、一番彼女を恨んでいるのはイライアスだし……)


 それもあり、シエナは躊躇いながらも頷いた。


「分かったわ。一緒に作戦を立てましょう」

「よしきた」


 すると、イライアスがそっと耳打ちしてくる。


「じゃあ、すべてが終わったら……君の気持ちを聞かせてほしい」

「っ!」

「それまで、大人しく待っているから」


 シエナは咄嗟に一歩後ろに下がると、耳打ちされた方の耳を押さえた。


(お、おとなしく……っ⁉︎ これで大人しくしているつもりなの⁉︎)


 明らかに分かった顔をしているイライアスを見て、文句の一つでも言いたくなったが、彼の態度のおかげで、今まで胸を塗りつぶしていた黒い感情が嘘のように溶けて消えていったのも事実。

 それもあり、シエナはただ彼の顔を睨むだけ睨んでから告げた。


「……そうね。全ては、キャンベル公爵令嬢の件を片付けないと」


 そう。あの、全て自分の思い通りになると思い込んでいる鼻持ちならない女に、目にものを見せてやるのだ。


 それが、シエナたちが最後にできる、セレスティアへの最大の餞だろうから。

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