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かりそめの妻でよかったはず、なのに  作者: しきみ彰


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 *



「……はぁ。今日もイライアスのことを避けてしまった……」


 イライアスと仲違いをしてから、早数日。

 いまいち集中できないシエナは、ペンを持つ手を止めてため息をこぼした。


 シエナの集中力が落ちているのは、一通りやるべきことを終わらせてしまったからというのもある。


(離婚のための書類はまとめたし、イライアスのご両親にも私のほうでキャンベル公爵令嬢とのいざこざを片付ける話は通したわ。だからできれば、彼女との問題を片付ける前に、イライアスと話そうと思っていたのだけれど……)


 どうしても決心がつかないのは、彼に嫌われてしまったという事実を受け入れたくないからなのだろう。

 シエナは、再びため息をこぼした。


「けれど、キャンベル公爵令嬢の一件を片付けるためにも、早く離婚しなければ……」


 思わず口に出してぼやいたときだった。


「……そんなにも離婚したいのか?」

「……!?!!?」


 思ってもみなかった声を聞いて、シエナは飛び上がった。

 顔を上げれば、そこにはイライアスがいた。


「え、い、いつ入って……⁉︎」

「声をかけても返事がなかったから、断りを入れて入ったんだ」

「そ、れは……ごめんなさい、聞こえてなくて……」


 どうやら、そこまで深く考え込んでしまっていたらしい。挙句、ふとこぼした言葉を聞かれていたと知り、バツが悪くなる。


(……いえ、これは、いいきっかけになるのでは?)


 今までは勇気が持てずに躊躇っていただけで、元から離婚する気だったのだ。なら、これ以上いい機会はないであろう。

 そう思ったシエナが口を開いたときだ。


「シエナ。君の真意を聞かせてほしい」

「……え?」

「キャンベル公爵令嬢と何があったのか、聞いた。彼女がセレスティアを侮辱したんだってな」

「……!」


 シエナは言葉を失った。同時に、イライアスがはっきりとセレスティアの名前を口にしたのを聞いて、安堵する。


(心配していたけれど……イライアスはもう本当に、セレスティアの死から立ち直れたのね)


 ならなおのこと、シエナがそばにい続ける必要はないだろう。

 そう思ったシエナは、口を開く。


「その通りよ。だからこそ、キャンベル公爵令嬢の件は、私がきっちりと決着をつけるわ。だって私たちの親友を侮辱したんですもの」

「なら、俺にそれを伝えなかったのはどうしてだ?」

「それは……当主教育で忙しいあなたに、無駄な心配をかけたくなかったからよ」

「無駄なものか。セレスティアは俺の親友で、元婚約者なんだからな。だから、隠すんじゃなく言って欲しかった」


 それを聞いて、シエナの胸がつきりと痛む。イライアスの言う通りではあるがそれでも、彼の口から『元婚約者』という単語を聞くと、まだ彼が彼女を愛していることが分かり、虚無感に苛まれる。

 それを胸の奥底に沈めてから、シエナは素直に謝る選択を選んだ。


「ごめんなさい、イライアス」

「いや……すまない。俺が言いたいのは、そういうことじゃなく」

「……?」


 イライアスが、言葉がまとまらないかのように口を何回も開閉させては、言葉を詰まらせている。それもあり、シエナが黙って彼からの言葉を待っていると、彼は意を決したようにして言葉を紡いだ。


「……俺はあまり気の利いたことを言えない。だけど勘違いされたくないから、はっきり言おう。――シエナ。俺は、君が今までどれだけ俺のために尽くしてくれたのかを、つい最近知った」

「…………」


 シエナは瞠目する。しかし下手なことを言ってしまうと墓穴を掘ってしまいそうだと思い、ただ黙ってイライアスの言葉を聞いていることしかできない。


「五年前から、君は俺のために行動してくれていた。だからこそ、離婚したいという話をし始めたのも、それ相応の理由があるんだと思う」

「…………」

「だから、親友のままでいたいからとか、建前じゃなく、本当の理由があるなら言って欲しい」

「……っ!」


 そこまで察せられているなんて思わず、シエナは息を呑んだ。

 しかし彼女の心を大きく揺さぶったのは、そこではない。


「――だって俺は一人の女性として、シエナが好きなんだ。だから、離婚なんてしたくない」


 恋心。

 それはシエナにとって、長年の間心を蝕んできた毒であり、呪いだ。

 同時に、シエナの本心であり、彼女が何より欲しかったモノ。


 しかし喜びより先に彼女の記憶から呼び覚まされたのは、セレスティアの棺を見たときの光景だった。


(こわい)


 大切なものをいつも奪ってきたその感情が、ひたすらに恐ろしい。


 心臓を掴まれる、というのは、こういうときを表す表現なのだろう。

 動揺のあまり立ち上がるのと同時に、椅子が後ろに倒れる。

 そんなシエナを逃さないとでも言うように、イライアスが距離を縮めてきた。


「シエナ」

「ッ! はな、して……っ!」

「いやだ。君が本当のことを言ってくれるまで、絶対に離さない!」


 シエナはパニックになった。

 だから、イライアスの腕の中でもがきながら、今までずっと隠してきた本音をぶちまけてしまった。


「恋心なんて大っ嫌いよ! いつも私から大切なものを奪ってくッ!」

「ッ、シエナ……」

「キャンベル公爵令嬢も、セレスティアを殺したあの男も! 恋したからって人の人生を簡単にめちゃくちゃにする! 恋心の何が美しいの? ふざけないで‼︎」

「……君は今まで、そんなことを……」


 イライアスが鎮痛な眼差しをシエナに向ける。

 その視線すら今は恐ろしくて、シエナはイライアスの手を勢い良く振り払った。


「だから自分のことが一番大嫌い!」

「シエナ?」

「……ずっと昔から、あなたに恋してる私が、一番醜くおぞましいもの」

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