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「……これが、わたしたちが初めて、セレスティアの墓前でシエナさんと出会ったときの話よ」
モニカの話を静かに聞いていたイライアスは、いつの間にか自分が手のひらをきつく握り締めていることに気づいた。
言葉が上手く出てこない。ただ分かるのは、イライアスが苦しみ続けた五年間、シエナも苦しんでいたということだ。
(どうして、自分のことばかりで、そんな当然のことに気づけなかったのだろう……)
シエナにとってセレスティアが大親友だということなど、イライアスが一番知っていることだった。だからこそ自分が最初に気づくべきだったのに。
思考が泥沼に再度落ちそうになったのを引き上げてくれたのは、他ならぬモニカだった。
「誰のせいでもないわ。強いて言うなら、犯人のせいよ。だからあなたが気に病む必要はないのよ」
「……ですが……」
「それに、わたしが今、シエナさんについてのことを話したのは、あなたに反省してもらうためじゃない。彼女と向き合って、これから先幸せになってもらうために話したの。シエナさんはきっとわたしたちが話さなければ、一生隠してしまえるでしょう? あの子はとても良い子だもの。わたしは、セレスティアと同じくらい、彼女にも幸せになって欲しいのよ」
それを聞いて、イライアスはハッとした。
(そうだ、反省なんて後からいくらでもできる。今大事なのは、シエナのことを理解して、彼女の心をこじ開けることだ)
だって、予感がする。何も知らないまま彼女と離婚することになれば、絶対に後悔することになる、と。
気持ちを切り替える意味も込めて、冷めた紅茶を喉に流し込んでいると、誰かが来る気配がする。振り返れば、何かを手に持ったそこにいたのはトレイシーだった。
「あ……こ、こんにちは」
「ああ。こんにちは、トレイシー」
イライアスは笑みを浮かべて挨拶をした。
シエナにひどいことを言ったと聞いたばかりだが、彼を恨む気にはなれない。だって彼も被害者だし、何も知らないなら責めてしまう気持ちは分かるから。
同時に、彼が怒りを向けるべき相手はイライアスだったのだから、自分が彼に頭を下げなければならないと思う。
そう思ったイライアスは、トレイシーに頭を下げた。
「今更だが……君のお姉さんを守れなくて、本当に申し訳なかった」
「え……そ、そんなこと、言わないでください! そ、そりゃ僕だって恨むことはありましたけど……あれからいろんな話を聞いて、あなたたちが悪いわけじゃないって本当の芋で理解したんです」
「……それでも、不義理を働いたことは事実だから」
そう言うと、トレイシーは呆気に取られた顔をした後、ため息をこぼす。
「……そういう頑固なところ、シエナさんと姉上にそっくりですね」
「……え?」
「大親友って話は聞いてましたけど、ほんと似た者同士ですよ」
虚をつかれたが、ずっと昔から一緒に過ごしてきた二人と似た者同士だと言われると、胸が温かくなる。
すると、トレイシーが思い出したように声を上げた。
「あ、そうです。シエナさん、大丈夫ですか? 噂だと、姉上を馬鹿にされてかなり怒っていたみたいなのですが……」
「……すまない。それはなんの話だろうか?」
思ってもみないことを言われてしまい、イライアスは困惑する。
するとトレイシーは意外そうな顔をした。
「あれ? 聞いてないんですか?」
「……! トレイシー!」
何かを悟ったモニカが咎めるようにトレイシーの名前を呼ぶが、彼は気にすることなく言葉を続ける。
「先日開かれたガーデンパーティーで、キャンベル公爵令嬢が姉上を侮辱する発言をしたらしいんです。そのせいで、シエナさんがすごく怒ってお酒をかけたとか」
「………………は?」
「僕、それを聞いたとき、すごくスカッとしました! けど、シエナさんはかなりお怒りだったみたいなので、大丈夫かなって」
「トレイシー、その辺りにしておきなさい」
「え?」
モニカが頭を押さえ、ため息をつきながらトレイシーを制止したが、今のイライアスには聞こえてなかった。
(ガーデンパーティーでキャンベル公爵令嬢が被害を訴えた件の真相は、それだったのか)
そしてイライアスは、シエナがなぜ自分のその話をしなかったのかを、もう理解している。
話を聞いたイライアスが、また調子を崩すかもしれないと危惧したからだ。
(事実、俺は一時期、セレスティアの名前を聞くだけで苦しんでいたから……)
色々な感情が一気に押し寄せてきて、視界が明滅して頭が痛くなってくる。
それは、自分がいまだにシエナに守られていたこと、そして自分のために口をつぐんだシエナをあんなふうに責めてしまったこともそうだが、ヴィヴィアンヌへの怒りが大半を占めていた。
(彼女は五年前も、セレスティアを侮辱していた……だというのに今回も同じ過ちを繰り返したのか? 何様のつもりだ……!)
過去は自分を責める理由になっていた一件が、今はヴィヴィアンヌへの怒りや憎しみとなって膨れ上がる。
それをなんとか治めることができたのは、シエナのことが思い浮かんだからだった。
(……今は、一時の怒りに任せてキャンベル公爵令嬢を責めている場合じゃない。シエナに謝罪しなければ……)
同時に、シエナが今までしてくれたことを把握していない状態で謝罪しても、きっとそこまでだ。それをきっかけに彼女ときちんと話し合うには、下準備が必要になる。
そのために向かうべき場所を、イライアスはもう知っていた。
覚悟を決めたイライアスは、怒りを胸の奥深くに沈ませてから笑みを浮かべる。
「レニエ侯爵夫人、トレイシー。俺はこの辺りで失礼します。キャンベル公爵令嬢からも被害を訴えられていますが……罪を犯した彼女にはきちんと、責任を取ってもらいますので」
「え、ええ……」
「ほんとですか!? 僕、楽しみにしてますね!」
困り顔のモニカと、キラキラとした眼差しを向けてくるトレイシーに見送られながら。
イライアスはシエナのために、自身の両親のもとへ足を向けたのだった。




