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その一方でシエナはエヴァンナの人脈を借りて、一通のガーデンパーティーの招待状をもらった。開催するのは王都に帰還してから二週間後の昼間。
その間にドレスもきちんと新調し、久方ぶりの社交場に足を踏み入れたのだが、早々に後悔する。
――というのも、ヴィヴィアンヌ・キャンベル公爵令嬢が参加していたからだ。
(戻って来て早々、あの女の顔を見ることになるなんて……最悪だわ)
本当ならば八つ裂きにしてやりたいというのに、それもできない。それなのに、当のヴィヴィアンヌは、取り巻きらしき年下の令嬢たちを連れて談笑をしているというのだから、腹立たしい。
(せめて、参加者くらいは確認してから来るべきだったわ)
そう思いながらも、シエナが同世代の夫人たちとシャンパンを片手に談笑をしつつ、社交界の情報を収集していると。
「あら? シエナさんではありませんの!」
ヴィヴィアンヌが、取り巻きを連れてやってきた。シエナはそれを見て内心舌打ちをする。
(なぜお前に名前で呼ばれなければならないの? そんな関係でもないでしょうに。それに、周りの夫人たちが見えていないのかしら。本当に、世界の中心にいるのは自分だとでも言いたげな態度……気に食わないわ)
そして見たところ、ヴィヴィアンヌの傲慢で高飛車な態度は五年前と変わりないようだった。そのことに呆れながらも、シエナは余所行きの笑みを浮かべる。
「ごきげんよう、キャンベル公爵令嬢。私に何かご用でしょうか?」
「ええ。親友の婚約者を奪った女の顔を見ておこうと思いまして」
瞬間、周囲が一斉に静かになった。直接的すぎるヴィヴィアンヌの言葉に、周囲が凍り付いたのだ。
すると、そばにいた夫人の一人が口を開こうとする。シエナはそれを片手で制した。
(こんな安っぽい喧嘩に乗るほど、私も暇じゃない)
何より、ヴィヴィアンヌのやり方は昔から何も変わっていなかった。それもあり、シエナは冷静に対処する。
「結婚というものは親の了承があって決まるものです。そして私は、ガルシア伯爵、クルーニー伯爵だけでなく、レニエ侯爵の了承も得て結婚いたしました。何一つ恥ずかしいことはございません」
「結婚式も開いていないのに、恥ずかしくないなんて! 素晴らしい精神をお持ちなのね!」
「あら、もしかして私のことを心配なさってくださったのですか? キャンベル公爵令嬢はとてもお優しいのですね」
のらりくらり。やり過ごす。
少なくとも、ここで騒ぎを起こしてもいいことは何もないのだ。そのため、何度あからさまな喧嘩を売られ、周囲の顔色がみるみる青くなったとしてもやり過ごしていたのだが。
それに苛ついたのか、ヴィヴィアンヌがとんでもないことを言い出す。
「……ああ、そう。五年も王都を離れていたというのに子どもの一人で来ていないなんて、親友の代わりにすらなれなかったのね。お可哀想だわ」
シエナは、すっと目を細めた。
(彼が怪我と心労で療養をしていたことは、周りも殊更言及しないけれど知っている暗黙の了解でしょうに)
しかもこの件にとどめを刺したのが目の前のヴィヴィアンヌだということは、誰もが知っていた。だからイライアスとシエナの結婚にも、彼の療養にも、誰も口出ししなかったのだ。
というより、触れれば発言権のある三家系を敵に回すだけでなく、故人を貶める恥ずべき人間として社交界で白い目で見られるからだ。それをヴィヴィアンヌが免除されているように見えるのは、キャンベル公爵家の爵位が高いことと、貴族内での存在感が大きいからに過ぎない。
それなのに、当の本人が禁忌に触れた。そのことに、いらりとする。
そしてこともあろうことに、ヴィヴィアンヌはシエナの地雷をいともたやすく踏みつけてきた。
「ああ、でもセレスティアさんも貴女と同じで、性格がねじ曲がっていた方でしたものね。そんな方とばかりご縁があるイライアス様は、とてもお可哀想だわ」
(……は?――今、お前は、セレスティアを侮辱したのか?)
それも、シエナの前で。
ぷつりと、彼女の堪忍袋の緒が切れる。
それに気づくことなく、ヴィヴィアンヌは得意げに告げた。
「ねえ、早く離婚をして、彼のことを解放してあげなさいよ。あの方にはもっと素敵な令嬢がお似合いだわ」
「そう」
その言葉と同時に、シエナは持っていたシャンパンのグラスを勢いよく、ヴィヴィアンヌの頭に傾けた。
ぼたぼたと、入っていた液体が頭からぶちまけられる。
ぽかんとするヴィヴィアンヌ。シエナを見て、ぶるぶると震えるその他の貴族たち。
その一方でシエナは、終始笑顔だ。
「あら、ごめんなさい。手が滑ったわ」
「あ、貴女……なんて、なんてことを……!」
ヴィヴィアンヌが怒り出し、叫ぼうとする前に、シエナは口を挟む。
「あら、人の家のことに口出しをしている余裕がある年齢なの? キャンベル公爵令嬢」
「な」
「だって貴女、夫と同じ年齢でしょう? つまり……今年で二十三歳よね? つまり、結婚適齢期最後の年だわ。それなのに結婚の話一つないなんて……私のことを指摘している場合ではないのでは?」
ぶるぶると、ヴィヴィアンヌが震えて顔を真っ赤にする。どうやら、図星らしい。
すると、それをフォローするためにか、後ろにいた取り巻きの一人が勇敢にも口を出してきた。
「そ、そんな言い方……!」
「あら、だって事実でしょう? そしてどうせ、同世代の方は皆結婚してしまって一緒にいるのは肩身が狭いから、成人したての貴女たちをそばにおいて、劣等感から逃れようとしていらっしゃるのでしょう。利用されてお可哀想に」
「そ、それ、は……」
状況を見て推測しただけだったのだが、ヴィヴィアンヌの反応を見るに図星のようだ。首だけでなく耳まで赤くなっているのが見て取れた。
(本当に愚かだわ)
セレスティアは無視をするか言い返していたが、ヴィヴィアンヌに対してここまではっきりと口答えをする人間は、ほとんどいなかった。その上、父親は彼女を溺愛しているから、きっと今までなんでも丸く収めてもらってきたのだろう。当の本人はそれに気づいていないかもしれないが。
(けれど、貴女はもう二回もクルーニー伯爵家とレニエ侯爵家を侮辱した)
そして三度目。社交界で故人を、シエナの大親友を侮辱したのだ。もう黙ってなどいるつもりはない。
何よりヴィヴィアンヌの口ぶりから推測するに、彼女は未だにイライアスに対して想いを寄せているようだった。そうなればきっと、いや確実に、シエナが離婚した後、この女はイライアスに釣書を送ることだろう。恥知らずにもほどがある、それだけは許せない。
(決めたわ。離婚する前に、ヴィヴィアンヌの社交界における地位を下げて、表になど出てこられなくしてやる)
シエナはそう決意をしたのだった。
*
その翌日。シエナはイライアスから呼び出された。
「シエナ……昨日のガーデンパーティーでキャンベル公爵令嬢とひと悶着起こしたと聞いたのだが、本当か?」
それを聞き、シエナは内心舌打ちをする。
(どこから漏れたのかしら)
というのも、昨日のうちに、シエナは主催者を通じてガーデンパーティーで起きた問題を黙っていてくれ、と根回しをしておいたのだ。
もちろん、イライアスの耳に昨日のことが入らないようにするための措置である。
(今は落ち着いたとはいえ、この五年間、セレスティアに関係するものすべてに反応していたわ。当主教育でいっぱいいっぱいな中それを耳にすれば、また体調を崩すかもしれない……)
そう思ってのことだったのだが、既にイライアスの耳に入ってしまったらしい。
(まあ、きっとキャンベル公爵令嬢が吹聴したのでしょうけれど)
あんな話を口外する世間知らずは、ヴィヴィアンヌ以外にあり得ない。
「……どなたがそのようなことを」
「キャンベル公爵令嬢が被害を訴えている」
試しに聞いてみたが、シエナの予想はぴったりと当たった。
本当に恥知らずでイライラする。
弁明をしようとして、シエナは気づいた。
(……ここで突き放した言い方をすれば、彼も離婚を考えてくれるのではないかしら?)
そう思い、シエナは言葉を選ぶ。
「……女同士の小さないざこざよ、気にしないで」
「いや……!」
「少なくとも、貴女の妻でいる間はきちんとするつもりだから」
「……シエナ、その件だが、やはり考え直してくれないか?」
「……どうして? こんなふうに問題を起こす妻が、貴方の妻に相応しいと、そう思うの? もっといい人がいるわ、私じゃなくてもね」
「っ、シエナ……!」
「キャンベル公爵令嬢の件も任せて。貴方は口出ししないで」
「……分かった、もう勝手にしろ!」
すると、イライアスは怒って出て行ってしまう。
それを見たシエナは、ため息をこぼした。
「……これじゃあ、親友にも戻れないわね」
それに、突き放した言い方はとても難しいし、精神が削られる。この言い方で正しいのかも分からないが、イライアスを怒らせたことから、きっと正しかったのだろうと判断した。そのことに、胸がじりじりと焼け付くように痛む。
(気をしっかり持ちなさい、シエナ。……離婚することが一番だってことくらい、私が一番よく知っているじゃない)
自分に言い聞かせ、シエナは問題を片付けるべく、私室に戻ってペンをとることにしたのだった。




