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かりそめの妻でよかったはず、なのに  作者: しきみ彰


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10/20

 そしてイライアスの事情を説明して帰宅したシエナは、父の執務室に赴いた。


「お父様、シエナです。少しお時間よろしいですか?」


 そう声をかければ、ガルシア伯爵であるファーガスは快くシエナを受け入れてくれる。


「シエナ、どうした? クルーニー家に行っていたようだが」

「はい、お父様。……どうか私を、イライアスと結婚させていただけませんか?」


 ばきん、と。父が持っていたペンの先が割れる。

 しかしそれを気にする余裕すらなく、ファーガスはシエナを見た。


「……何があったんだ。それに、結婚など。レニエ侯爵令嬢の喪が明けていない状態でそんなことをすれば、自分がどれだけ非難されるのか、分かっているのか?」

「もちろん、重々理解しております。お父様。それでも……一年も待っていられないのです。その前に、彼が……死んでしまいます」


 そう言い、シエナは自身が遭遇した状況を父につぶさに伝えた。

 それを聞いたファーガスは、唸り声を上げる。


「確かにそれは……しかし他家に口を挟むのは……」

「お父様。セレスティアだけでなくイライアスまで死んでしまったら……私も死にます」


 敢えて、強い言葉を使った。我ながらずるいと思った。


(でもこうでもしないと説得ができない)


 それに、嘘ではなかった。イライアスが死んだらそのときはきっと、どのようにして生きていけばいいのか分からなくなってしまう。


(私は別に、地獄に落ちたっていい)


 セレスティアにもイライアスにも嫌われて構わない。幸せになりたいなどと思わない。周りの目もどうでもいい。唯一、家族が好奇の目にさらされるのだけは苦しいが、でも。


「……ただ、彼に生きていて欲しいのです」


 つうっと。目尻から一筋の涙がこぼれ落ちた。


「わがままだと分かっています。合理的でないことくらい。でも、それでも……私は、イライアスのそばで彼が立ち直る手伝いをしたいのです」


 夫婦、なんて名ばかりだ。要は、彼が療養する際にそばにいても問題ないかりそめの関係が欲しいだけ。

 でも成人した年頃の男女が、婚約者でもないのに同棲するなど、もっての外だ。


(だったら、同棲しても問題ない関係になればいい)


 そしてそれが夫婦だった、という、本当にただ、それだけ。それだけのことだった。


「お願いいたします、お父様……」


 深々と頭を下げ、シエナはぎゅっと手を握り締めた。

 それから、どれくらい経っただろうか。深い深いため息が聞こえてくる。


「……分かった。一度、クルーニー伯爵とレニエ侯爵と話し合ってみよう」

「! ありがとうございます、ありがとうございます、お父様……!」



 *



 シエナとイライアスの結婚話は意外にも、とんとん拍子で進んだ。

 というのも、クルーニー伯爵側がむしろ頼むと、そう言ってきたからである。

 一人息子ということもあり、彼を喪いたくない一心だったのだろう。


イライアスがシエナ以外には拒絶反応を示したことのも、同意を示してきた理由の一つである。

どうやら今、彼の精神状態はとても不安定らしい。すぐにでも療養のために自領の保養地に向かわせたいと考えているようだった。


そしてレニエ侯爵側も、イライアスの状況を聞き同情を示した。

もちろん、思うところがなかったわけではないだろう。しかしセレスティアの親友の命を救うという、ただそれだけの理由で、今回の件に頷いてくれた。


――そこからは早かった。

シエナとイライアスは書面のみで夫婦となり、シエナは彼を連れてクルーニー伯爵家の領地の一角にある別荘に向かった。

人員は最小限だ。普段からイライアスのそばにいた従者と、メイド一人、そして専属医の三人。人が多いのはイライアスの精神によくないと、医者が言ったからである。


夫人としての仕事もあるため頻繁ではなかったが、月に一度は必ずクルーニー伯爵夫人であるエヴァンナがやってきて、イライアスの面倒を見ていた。

別荘はあまり使われていないところで庭が荒れ果て、管理も最低限といった具合だったが、ひと気がほとんどないのがよかった。

そこで、シエナはできる限りのことを全員と協力して行なった。


(料理ができて良かった)


 それ以外の家事は、メイドに教えてもらいながら身につける。

 庭も、せっかくなので整えようと全員で協力して土を作り、種や苗、球根を取り寄せ、植えた。

 ラベンダーを植えてしまったときは、イライアスがセレスティアを思い出してしまいひと騒動起きてしまったが、それでも。五年の間で、庭は見違えるように美しくなった。

 そして問題のイライアスは。


 ――一年目。

一日中ぼうっとしていることもあれば、前触れもなく叫び出しては首元を掻きむしり、泣き出すことが多かった。

 特にひどいのは、セレスティアの命日。初秋頃だ。その日は一日中震えてただ謝罪し、死にたい殺してくれと泣きながら懇願して、部屋の隅で縮こまっていた。そのたびに、シエナは彼を抱き締めてその背中を撫でさすり、「大丈夫よ」と声をかけ続けた。


 ――二年目。

 回復の兆しは、まだない。

 それでも自傷する機会は減り、少しであれば外を散歩できるようになった。


 ――三年目。

 大分落ち着いてきたこともあり、クルーニー伯爵夫人が一度イライアスに、現状の説明をする。シエナが自分のために結婚をしたことを知ると、彼は申し訳なさそうな顔をした。

 そのせいか、よくなっていた状態が少し悪化する。それでも、シエナは「問題ないわ、貴女を喪うほうが苦しいから」と説得し、ただ「ごめんなさい」とシエナに謝罪し続けるイライアスを抱き締めた。


 ――四年目。

 状況はだいぶ好転した。というのも、発作が起こらなくなったからだ。

 体力を取り戻すために散歩をする機会も増え、彼は従者と稽古をするようになった。細く血の気がなかった肌が、だいぶ回復した。それと並行して、彼は再び当主としての必要な勉強を少しずつ行なうようになっていった。


 ――五年目。

 専属医の了承もあり、二人は療養を終え、春に王都に戻ることになったのだ。

 そして。


「私たち、離婚するべきだと思うの」


 シエナは、ずっと考えてきた提案をイライアスにしたのだった。

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