9話 氷の令嬢からの忠告
「突然の申し出にも関わらず、ご快諾いただいたこと感謝致しますわ。シャリーナ・クレイディア様。リオル・グレン様」
再び窓を閉めたテラスの中央で、ロザリンヌ・アーリアローゼが優雅に礼をした。頭の天辺から指の先まで計算され尽くしたかのような、一ミリの無駄も無い完璧な礼。
「あ、いえ、私の方こそ、ドレスも乾かしてもらいましたし」
「こちらこそ同席を許可して頂きありがとうございます」
続いてシャリーナとリオルも頭を下げる。ロザリンヌから話があると告げられた際に、「そのままではお寒いでしょうから」と温風の魔法でドレスを乾かしてもらったのだ。火と風の複合という高度な魔法だが、ロザリンヌはいとも簡単にやってのけた。
「それで、お話とは……」
テーブルに着いたロザリンヌに合わせて二人も着席し、シャリーナが恐る恐る尋ねた。ドレスは乾いたものの背筋は相変わらず冷たい。真向かいから突き刺さる氷の如き視線に、身体の芯から凍えてしまいそうな気さえした。
「単刀直入に聞きますわ。貴女は、妃となる覚悟があるのですか」
「はい?」
身体の凍えがどっか行った。告げられた台詞の衝撃でスコーンと飛んで行ってしまった。
「キサキトナルカクゴ……?」
いや、待て。まだ判断するには早い。なんか他の意味の……最近開発された新しい呪文的な何かかもしれない。キサキトナ・ルカクゴ。光魔法とかでありそうだ。なんかこう、七色の光を出して虹を作ったりする魔法的な。
「一国の王子と恋仲になることが、どういうことか想像つかないわけはないでしょう」
それとも新種の魔物の名前かなと現実逃避していたシャリーナだったが、ここまで言われてはそれも叶わず引き戻された。
「貴女のことは調べさせて頂きました。随分と殿下と親しくしているご様子。まだ確定していないとはいえ……婚約者のいる男性と必要以上に親しくする意味を、わかってないとは言わせませんわ」
いや言わせてほしい。親しくしたつもりなどないと。しかし流れる水のように淡々と話し続ける相手に、口を挟む隙は全くなかった。
「納得いかない、とでも言いたそうですわね。貴女の言いたいことはわかります。私と、私達ローズ・ガーデンは婚約者ではなくただの候補。貴女がいくら殿下と親しくしようと、私達が止める資格は無いと……そう仰りたいのでしょう。毎年、そのように夢を見る新入生が後を絶ちませんもの」
固く眉を顰めた、王子の婚約者最有力候補ロザリンヌ・アーリアローゼ。椅子に座るその姿さえ、ピンと糸が通ってるかのように美しく完璧。指の一本一本、足元に至るまで気を抜いていないことがわかる。
「確かに候補は候補。ですが。貴女方が思っているものとは違います。何故なら」
ところで途中からシャリーナは相槌一つ打てていない。ずっとロザリンヌのターンである。
さっきから何度も否定の言葉を繰り出そうとしているのだが、いかんせん話が途切れなくて挟み込めないのだ。
「候補である私達全員が、妃となる資格を持っているのです」
ヒュウ、と絶好のタイミングで風が吹き抜け、ロザリンヌの限りなく銀に近いプラチナブロンドを靡かせた。
「全員が妃となる資格が足りないから候補にとどまっているのではなく、全員が妃となる資格があるからこそ慎重に選ばなければいけない、そういう意味で『候補』なのです」
本当に話が途切れない。息継ぎは大丈夫なのだろうかと心配になるくらい途切れない。
「よって、婚約者候補とはいえ婚約者とほぼ同義。貴女がしていることは、ローズ・ガーデンの全員に楯突く行為。それをお分かりでして?殿下にとっては複数ですが、私達にとっては婚約者は殿下ただ一人なのです。たとえ正妃に選ばれなくとも、誰かが選ばれるその瞬間まで」
お分かりでして?と聞くくらいなら返答する間を設けて欲しい。秒である。クエッションマークから次の文節に入るまで秒である。お分かりいただけただろうか。
「私達は幼少の頃より、厳しい妃教育を受けてきましたわ。通常の貴族の令嬢が学ぶマナーやダンス、魔術に加え、妃としてのマナー、将来の王を支えるための政務に関すること、我が国の歴史、交流のある諸外国の文化や言語に至るまで……来たる日の、レオナルド殿下の戴冠に備えて」
もう隙をつくことを諦め、「いや」「あの」と何とかして無理矢理口を挟もうと試みるも、この流れる滝には敵わず押し流される。
月が綺麗だなあ、と最早シャリーナはロザリンヌの背後に広がる夜空を眺めていた。
「貴女に、同じ知識と教養がありますか?今からでもこの妃教育に身を投じる覚悟がお有りですの?そのどちらも無く、何の根拠も無くただ愛があれば大丈夫などと甘い考えでいらっしゃるなら!」
星も綺麗だなあ、と星座を探して目を泳がす。
「金輪際、殿下には近づかないでくださいませ」
これは貴女のための忠告でもあるのです、とロザリンヌがきっぱりと言い切り立ち上がった。
「話は以上です。それでは」
少し前までこの美しい人が、あの王子の婚約者であることに同情したものだったが。今や人の話を聞かないレベルで割とお似合いなのではと思わなくもない。
「もし……貴女が、真に殿下を愛してると仰るなら……妃になる覚悟があると、迷わず言えるのなら、一考の余地はあったのですが」
以上ですと言った矢先に足を止め、背を向けたまま零すロザリンヌ。前言撤回が早過ぎる。妃教育に「一度言ったことには責任を持つべし」とかいう教えは含まれてなかったのだろうか?
「殿下以外の殿方とも平気で親しくされているようでは、考える余地もないでしょう」
テラスの窓を開けながら、スッと振り返ったロザリンヌの視線がリオルを射抜く。
「私は……初めて王城で殿下にお会いした時から。殿下お一人をお慕いしておりますわ」
捨て台詞が長過ぎである。長過ぎて捨て切れてない。もっと取捨選択しろよと。案の定もうテラスから殆ど身体が出て苦しい体勢になってるのにまだ言い終わらないようだ。そんな体勢でもピンと張った背筋を崩さないのは流石だが、ちょっと一旦戻ってきてやり直した方がいいのではないか。誰も責めないから。
「辛く厳しい妃教育だって、殿下のために、殿下に相応しくあるために、そしてこの国のために」
完全にペース配分間違えたやつである。何故せめてさっきの一言で終わりにしなかったのか。
「貴女の天真爛漫な、身分を気にしない貴族らしからぬ振る舞いに、殿下は惹かれたのでしょう。しかしそれは無知や無礼と紙一重。貴族であることの意味を今一度お考えくださいませ」
結局「話は以上です」と言ってから五言くらい残していった。言うだけ言ってこちらの返事は一言も聞かず、足早に去って行くロザリンヌ。最後まで否定の言葉を繰り出す隙も与えてくれなかった。
開けられかけたまま暫くそのままでいた窓がようやく閉められ、テラスに静寂が降りる。
「……一体私へのどんな調査があれば、そんな結果になるんですかね……」
窓越しにロザリンヌの姿が完全に見えなくなってから、シャリーナがポツリと呟いた。
「君の天真爛漫で身分を気にしない振る舞いに殿下が惹かれ、婚約者達を差し置いて恋仲になってる……か。どこの劇作家の作品だろうな?」
そりゃあロザリンヌの視点からすれば、幼少の頃から婚約者候補と定められ、厳しい妃教育にも耐え、一途に恋い慕い、学園を卒業すれば結婚するはずだった愛しい人が、ポッと出の頭の軽そうな女に奪われたのである。良い印象など持てるはずがないが。
「調べさせたとか言ったって、どうせアーリアローゼ家の者にだろう。調査する奴も受け取る奴も最初から君に悪印象しかないんだから、まともな結果になるわけない」
一難去ってまた一難。ついさっきナルシスト王子を撃退できたというのに、今度は悲劇のヒロインが敵として現れるとは。厄介なことこの上ない。勝手にあんな男と恋仲なことにされ、鳥肌が立ちそうであった。
「でも、これで大義名分ができたな」
「え?」
疲れた雰囲気から一転、リオルの表情に少しだけ明るさが滲み、シャリーナが首を傾げる。
「金輪際殿下に近づくなって、アーリアローゼ公爵令嬢に言われてしまったんだ。身分を考えたら、従わないわけにはいかないだろ?」
「ああ!」
ただの公爵令嬢ではない、王子の婚約者最有力候補である公爵令嬢からの命令だ。それはもう従わないわけにはいかない。
今後あのナルシストが近づいてきたとして、「申し訳ありません殿下、ロザリンヌ様からの言いつけで……」と何の問題なく逃げることができる。最強の切り札を手に入れた。
「いくらあの馬鹿王子でもそれでロザリンヌ様を排除しようとかいう方向に行くわけないですもんね!自分が婚約者候補を蔑ろにしてることも棚に上げて」
「ああ、いくらあの馬鹿王子でも……いや……うん……?」
「リオル?」
「……たとえそうしようとしても、国王やアーリアローゼ家が黙ってないだろう。ああ、大丈夫だ」
どうやらリオルの中でその馬鹿な行動を取るレオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシア第一王子が容易に想像できてしまったらしい。今冷静に国王の良識とアーリアローゼ家の権力について分析してるようだ。
「いやでも……あの馬鹿の親だからな……」
ついに国王への信頼も揺らいできたらしい。不敬罪まっしぐらである。
「トンビが鷹を産むことがあるなら、その逆もあります。いくら子がアレでも親までアレだと疑うのは可哀想です」
シャリーナもシャリーナでナチュラルに不敬罪まっしぐらである。
「まあ、そうだな。疑い出したらキリがないか」
頭を抱えて考え込んでいたリオルが、その手を降ろして何かを振り切るように首を振った。
「帰ろう。ここで悩んでも仕方ない」
「はい!」
そして当たり前のように片手を差し出してくれ、シャリーナも何の迷いもなくその手を取ろうとし。
「あ、その前にあの野郎に投げられたリオルのコサージュを探しに」
「あれ諦めてなかったのか!?こんな暗闇の中じゃ無理だろ、帰るぞ」
「そんなわけにはいきません!あれは私の家宝です!」
伸ばしかけた手を直前で止め、柵の向こうに消えた家宝の行方を探ろうとして。
「ああもう!家宝と俺どっちが大事だ!?」
「リオルです!」
「よし、帰るぞ」
今度こそ迷いなくその手を取った。
「見てくださいリオル、月が綺麗ですよ。ロザリンヌ様が話されていた時もずっと思ってたんですけど」
「だから君あの時あらぬ方向を見てたのか!結構ヒヤヒヤしたんだからな!?」
「夏の星座も探してました。あれがアヒル座ギガントイーグル座ハープ座」
「もう何も突っ込まないぞ……」
しっかりと手を繋いで、寮までの道を歩きながら。
シャリーナは空を見上げ、星座をよく見るためにと時には立ち止まり、さりげなく遠回りをしてゆっくりゆっくりと進んだ。
リオルはその度に呆れたように頰を掻きながら、しかし一度も帰りを急かすようなことは言わなかった。
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一方、王都にあるアーリアローゼ公爵家では。
「何故なのですか、レオナルド殿下……」
飾り気の少ない、しかし見る人が見れば一目で上質なものだとわかる家具で揃えられた部屋で。静かに一人鏡台の前に佇む美しい令嬢が居た。
しかしその顔は怒りと悲しみで歪められ、氷の精霊の如きと讃えられる美貌に影を差している。
「……ご報告致します。ロザリンヌお嬢様」
「イレーヌ。今日もご苦労様」
その隣に、何処からともなく黒づくめの金髪ツインテールのメイドが現れる。
「目撃者を探し出し、聴き取りしました結果……本日のパーティで体調を崩されたシャリーナ嬢は、殿下に運ばれながら身体をくねらせ擦り付き、殿下も笑いながらそれに応え、二人じゃれ合って何とも仲睦まじい様子であったと……」
「そう」
予想通りの調査結果に、令嬢——ロザリンヌ・アーリアローゼは、もう何度希望を絶たれたか分からず拳を固く握り締めた。
もしかしたら、もしかしたら、己の愛しの婚約者は、体調不良に陥った女子生徒を放っておけなかっただけかと、純粋な親切心であると。そんな一縷の望みにかけていたのだ。
それが、たった今崩れた。
「それと……言いにくいのですが、シャリーナ嬢はパーティ前は全く具合の悪そうな気配はなく……なのにお嬢様がレオナルド殿下に挨拶をされてすぐに、いきなり崩れ落ちるように倒れたようです」
ロザリンヌの脳裏に、テラスでレオナルド以外の男の手を取り無邪気に笑っていた、ストロベリーブロンドの令嬢の姿が浮かぶ。その少し前までレオナルドとじゃれ合っていたというのに、レオナルドの退場後間髪入れず他の男と手を取り合い楽しそうにしていた少女。勿論、体調が悪そうな気配の欠片もなかった。
そんな少女が、パーティで、ロザリンヌがレオナルドに挨拶をした途端に大袈裟に倒れた。
そこから導き出される結論は一つ。
つまり、わざと。
レオナルドの注意を引きつけ、ロザリンヌがレオナルドと踊ることを阻止するために。
「あの子は……ったった一ヶ月かそこらで、あんなにも殿下から特別扱いを受けているのに……っ婚約者候補の私が、ただ殿下と踊ることも許せないと言うの……っ」
「お嬢様っ!」
耐えきれず声を荒げるロザリンヌに、金髪ツインテールのメイドが駆け寄る。
『私、今日、人生で一番幸せな日になりました!』
思い出すだけで腹立たしい。あの時聞こえた少女の声が何度も胸に木霊する。
会場を出て行ってから中々戻って来ない王子を探そうと、ロザリンヌが廊下を彷徨っていた時に聞こえてきた声。体調不良の為に王子と共に会場を出たはずのストロベリーブロンドの少女の声。
何故レオナルドが中々戻って来なかったと言ったら、そういうことかと。会場を抜け出して愛しの猫と甘いひとときを過ごしていたのだろうと。
すとんと、腑に落ちた。
「ごめんなさい……今は一人にして、イレーヌ」
「……はい」
痛わしげに表情を曇らせたメイドが部屋を去り、ロザリンヌ一人となる。
「なんで、あんな子が……っ!」
無邪気なだけで、愛されてるだけで務まる程、妃の座は甘くない。なのに何故こんなにも努力してきた自分ではなく、努力する気もないあの子なのだと。
怒りに震えるロザリンヌは気づかない。
シャリーナが、妃の座など望んでいないことを。
一介の伯爵令嬢が一国の王子の求愛を断るのはとても大変であり、王子から近づかれてはそう簡単に逃げられないことを。
自身が恋い慕い、欲し、数多のライバルと争い、なまじ厳しい妃教育に耐えてきたばかりに。
その価値あるものを、いやそんなんいらんわと足蹴にするような女がいるなど。全くもって、一ミリも、全っ然想像がつかなかったのだった。
いつも感想本当にありがとうございます!最高の燃料です!めっちゃ燃えてます!




