8話 最悪のエスコート
「ここならいいだろう。風が気持ちいいぞ」
「……」
「フッ、緊張しているのか?」
シャリーナが連れていかれた先は、パーティホールの反対側にあるテラスであった。先程までの喧騒がはるか遠くのように聞こえる。
「殿下のお手を煩わせてしまい、大変申し訳ありませんでした。私はこの通りもう大丈夫です。どうかパーティ会場にお戻りください、皆殿下をお待ちです」
「フン。勝手に待たせておけばいいさ」
はよ帰れやボケと喉まで出かかった言葉を何とか飲み込む。吐き気が増してしまった。
「それに、今日は新入生歓迎パーティ。主役は新入生達だ。主役のお前をもてなして何が悪い?」
「ならば会場にはもっと多くの主役達がいます。私は充分歓迎していただきました。他の主役の方々の為どうかお戻りください」
「ほう……相変わらずよく回る口だ」
夜のテラスでレオナルシスト王子と二人きり。さっきまで正装したリオルの手を取ってパーティ会場にいたのに、とんだ天国から地獄である。せめて従者だけでもいてくれればまだマシだったが、あの従者は肝心な時にいつもいない。撒かれたのか知らないが、もっときちんと主を引き止めておいてほしい。
「お前は本当に毛色が違うな、猫よ。王子の俺がこう言って、喜ばないのはお前くらいだ」
喜ばないどころではない。吐き気を催すレベルだ。過大評価もいいところである。
「王子である俺からの特別扱いも、王家御用達の宝飾品も喜ばない……サンドイッチもだが、未だにクッキーの礼もできてなかったな」
フッと苦笑したレオナルドが、やれやれ苦労するなと言わんばかりに肩を竦めた。いや苦労してるのはこちらである。まさに現在進行形で多大な心労を負わされている。
「どうすれば、何を贈ればお前が喜ぶのか。地位にも、金にも目が眩まないお前が」
突然だがプレゼントにおいて一番大切なのは何を贈るかではない。誰が贈るかである。好きな人から贈られれば一輪の野花でも大輪の薔薇の如く。嫌いな人から贈られれば大輪の薔薇でもトゲのついたゴミである。野花ですらない、ゴミだ。花に罪は無いがゴミ箱一直線なのでマジでゴミだ。
「どんな高価な物も要りません。所詮素人が作ったクッキーとサンドイッチです。お礼をされる程の価値もありません」
ゴミを贈られる謂れもない。
「ふふ、そうだな。どんな“物”でも、お前は喜ばないと思ったよ。だから」
パチン、とレオナルドが指を鳴らした。その瞬間、テラスの外に魔法陣が現れる。
「……“物”ではないもので、礼をしよう」
「え?」
続いてレオナルドが席を立ち、テーブルを回って目の前に来ると。呆然とするシャリーナの手を取った。
「星空にご招待だ。エスコートしてやる」
そのまま強く手を引かれ、椅子が倒れる。シャリーナ自身も倒れかけたところを受け止められ、まるで今からダンスをするかのような体勢に。
「さあ、飛び降りるぞ」
あまりのことに息が止まったシャリーナを持ち上げて、テラスの柵にレオナルドが足をかける。普段殆ど使われることがなく、景観を優先して作られたこのテラスは、柵が子供でも越えられる程度に低かった。
「——待て!!」
誰か、とシャリーナが叫びそうになるのと、テラスの窓が開け放たれたのは、ほぼ同時であった。
「リオル!!」
泣きそうになりながらシャリーナが振り返って叫ぶ。
「待っ……てください、殿下、危険です、それは!」
「フン。予想通りだな。そろそろ来る頃だと思ったぞ」
シャリーナの腰に腕を回したまま、レオナルドが不敵に笑った。
「危険だと?この俺が魔法に失敗するとでも思うのか?」
「そうは言ってません、ただ……っ」
「正直に言え。あの護符をどこに仕込んだ?」
「!」
息を切らしていたリオルの顔が、サッと青く染まった。
「仕込んでいないと言うなら、俺はこのまま彼女を連れて飛び降りよう。何、この俺が魔法を失敗するわけないからな」
ミシリと柵が嫌な音を立てる。あと一足で空中に飛び出せる体勢だ。万が一魔法が発動せず地面に落ちることがあれば、まず無事では済まない。
「……コサージュの、葉の根元に」
悔しげに拳を握り締めたリオルが、目を伏せて言った。
「フン。そんなとこだろうと思ったがな」
そう馬鹿にしたように言うや否や、レオナルドの手がシャリーナのドレスに伸びる。
「待って!」
「さ、これでもう大丈夫だぞ。猫よ」
一瞬のことだった。血吸い花のコサージュが引きちぎられ、はるか遠くに放り投げられた。驚いたシャリーナが手を伸ばすも遅く、コサージュは闇の中へ消えていった。
「俺が戻るまでその黒鼠を押さえていろ、エドワード」
「はっ」
ショックが大き過ぎてもう言葉が出ない。いつの間にやらあの従者もここまで来たらしく、リオルの肩を掴んでるのが見えた。
「お戯れもこれっきりにしてくださいよ、殿下」
「戯れじゃないさ……本気だ」
「なっ!殿下!」
リオル、と震える喉を振り絞って出した声は、風の轟音にかき消された。
「鼠には地面がお似合いだ。さあ、行くぞ」
ぐらりと身体が傾き、重力に引っ張られる。それに逆らうように強い風が吹きつけてきて、無理矢理宙に縫い付けられた。
「……どうだ、猫。綺麗だろう。目を開けてみろ」
地面がはるか下に見え、気を失いそうになる。逃げ出したい。気持ち悪い。なのにたった今愛しい人を傷つけた、この男に縋らなければ地に落ちてしまう。
「どんな宝石でも、この星の輝きには敵わないだろう。誰にでも平等に降り注ぎ、金では買えない輝きを持つ星……これこそお前に相応しいと思ったんだ」
「……っ」
冗談じゃない、吐きそうだ。
「……シャリーナ!」
「リオ、ル……っ」
ビュウビュウと荒れ狂う風の中、己の名を呼ぶ声が届いた。
「中級水魔法!水柱だ!俺の声がする方に立てろ!」
「えっ……!?」
一瞬何を言われたのかわからなかった。この状況で、水の中級魔法?
確かにシャリーナの得意属性は水だ。しかし王子の魔法を打ち破る程の威力はない。水柱だってせいぜい両腕で抱え込める程度の太さのものしか。
「……水よ、万物の源よ、形無き流れよ、柱となり天を貫け!アクア・コルムナ——!」
「な、何をするっ!」
しかし疑う必要はない。リオルの言うことだ。きっと何か考えがある。恐怖で目をつむりながらも、シャリーナは声を振り絞って呪文を叫んだ。
「なっ……何だこれは!?」
「えっ?」
ピシャリと鼻先に冷たいものがかかり、シャリーナが目を開ける。そこにあったのは、人間の一人や二人余裕で包み込めるくらいの、巨大な水の柱だった。テラスに生えた巨木のような水の柱。
「お、おい、待て!」
これ程の水を操る力はシャリーナには無いはずだった。しかし理屈はどうあれ、リオルの狙いはわかった。
「飛び込め!」
言われる前に身体が動いた。レオナルドに腰を抱かれてたとはいえ、先程の横抱きとは違い片腕だけであり、支える程度の強さだ。それくらいなら振り解けるし、水柱は既に身体の一部が濡れてるくらいに近くにある。
「このっ……小賢しい鼠が!」
吐き捨てられたレオナルドの台詞は、水中では殆どぼやけて聞こえなかった。上空に向かう水の流れの中、ゆっくりと下降していく。
「大丈夫か、怪我は!?」
「けほっ、ごほっ」
突然腕を引かれ、水の中から抜け出す。どうやらテラスに着いたらしい。
「大、丈夫です、リオル。でも、どうやって」
足が床につく。目の前にリオルがいる。こんなに安心できることはない。
「……魔法陣巨大化の護符だ。本当は少ない魔力でも大きな魔法が使えるようになるものを作りたかったんだけど。魔法発動後に陣を無理矢理大きくして、近くに居る者の魔力を強制的に吸い取って再発動する代物ができてしまって」
「あっじゃあそこに従者の方が倒れてるのは」
「魔力不足で力が入らないみたいだ。結構持ってかれたんだな。魔力が高い奴程、体内の魔力が少なくなる感覚に慣れないって言うし」
失敗作だけど、一応持ってたんだと力無く笑うリオル。
「失敗作だなんて!凄いです、とっても凄いですリオル!」
目を輝かせたシャリーナがリオルの手を取る。しかし。
「……やってくれたな。黒鼠」
その平穏な空気は、一瞬で霧散した。
「殿、下……」
ヒュ、とシャリーナが息を呑んだ。今までとは段違いの怒気に、今更ながらこの男が王族であることを思い出す。
「で、殿下、リオルは」
己が不敬に問われるならいい。だが自分を助けるためにリオルが罰を受けることになってしまったら。
「申し訳ありません殿下。しかし彼女の安全のため一刻を争い、手段を選んでいられませんでした」
しかしシャリーナがリオルを庇おうとするより先に、リオルが前に進み出た。
「ほう?安全のためか。俺が魔法を失敗すると思ったと?」
「いいえ。思っておりません。私が守ろうとしたのは彼女の身の安全ではなく、心の安全です」
「……何だと」
空気が凍る。その言い訳では下手をすれば魔法の失敗を疑うより不敬だ。
「彼女は高所恐怖症なのです」
「何?」
「え?」
きっぱりと言い切ったリオルに、シャリーナはリオルを止めようと伸ばしかけていた手を止めた。
「このテラスに来た時、彼女は緊張した様子ではありませんでしたか?空を飛んでいる時、身を固くしてきつく目をつむっていませんでしたか?……青い顔で震えていませんでしたか?」
「そ、それは……」
途端にレオナルドが言い淀む。思い当たる節があるのだろう。勿論シャリーナが恐怖していたのは高所というよりこの男そのもののせいだが。
「高所恐怖症は理屈じゃありません。絶対に落ちないとわかっていても怖いのです。そうでない者が想像するより、ずっと」
リオルがあまりにきっぱりと言い切るものだから、シャリーナすら段々己が本当に高所恐怖症だったのではないかと思ってきた。
「だ、だが!ならば言えばよかっただろう!わざわざ魔法など使わせなくとも!」
「万が一信じて頂けず、更に高所に飛ばれた場合彼女の心が完全に壊れてしまうと思ったのです。しかし彼女が私の言う通り魔法を使ってしまったのは、恐怖のあまり錯乱してしまってた所為です。どうか彼女だけはお許しください、罰なら浅慮であったこの私だけに」
「そんな、リオル!」
服が汚れることも厭わず、膝をついて頭を下げるリオル。
「むっ、ぐぅっ……」
これにはレオナルドも大ダメージであった。高所恐怖症の少女をそうと知らず空に攫い、礼をするどころか恐怖のどん底に突き落としたのだ。どう足掻いても格好悪く、分が悪い。
更に本来であれば大事になる前に止めてくれたリオルに感謝するべきなのに、あろうことが八つ当たりをしてしまった。勿論たとえリオルが正しくとも所詮田舎の男爵家三男。いくらでも難癖をつけて、身分を盾に不敬に問うことはできるが、それではただの暴君。
地位や身分に囚われない、愛する少女の前で、そんな正反対のことをできるわけがなかった。
「……面を上げろ。今回のことは不問にする。行くぞ、エドワード!」
苦虫を噛み潰したような顔で何とかそれだけを言い、レオナルドは足早にテラスを出て行った。
「お、お待ちください、殿下……っ」
魔力不足でフラフラになっていた従者ことエドワードもそれに続く。
ドタバタと騒がしい足音が段々と小さくなっていき。
テラスには、シャリーナとリオルが二人残された。
「リオル……本当にありがとうございます、私……」
また助けてくれた。不敬罪も回避できた。何度惚れ直せばいいのだろうと、シャリーナが目を潤ませてリオルを見つめた。膝をついたままのリオルに合わせ、その目の前に座り込む。
「……ごめん」
「え?」
しかし。リオルの口から零れたのは、思ってもみない謝罪の言葉だった。
「こんなやり方でしか、君を守れない」
「リオル……?」
効力の切れた護符を握り締めて、リオルが悔しげに言う。
「俺に風魔法が使えたら、君が連れ去られる前に、怖い思いをする前にアイツを止めることができた。水魔法が使えたら、君に無理に魔法を使わせなくても助けられた。土魔法なら、もっと安全に。今だって……火魔法で、濡れた君を温めることすらできない」
炎よ、と小さく呟いたリオルの手のひらに、小さな魔法陣が浮かび上がりすぐに霧散する。貴族なら誰でも使えるはずの初級魔法。それすらも魔力が足りず魔法の発動には至らない。
「あるのは小賢しい護符と、多少回る口だけだ。こんなもので、魔法に敵うわけが……!」
「敵うに決まってます!」
それ以上は聞いていられず、シャリーナは声を張り上げた。
「あの王子の強大な魔法が、一度として私を助けてくれましたか。一度でも私を守ってくれましたか」
「え?い、いや、それは」
「いつだって助けてくれたのは、いつだって守ってくれたのはリオルです。貴方の知識に、機転に、何度も助けられました。初めて会ったあの時から、何度も……!」
『……血吸い花だ。それに触ったら、爛れるぞ』
初めて会った時のことは今でも鮮明に覚えている。その花に毒があるなどシャリーナはまるで知らなかった。魔法が使えたって、何の意味もない。
「貴方の持っている武器は、盾は、魔法よりずっと強いのです。何度も守られている私が保証します!」
長い漆黒の髪に覆われた、深緑の目が見開かれる。まるで夜空に優しく輝く星のような。
「それに!火魔法じゃなくたって、リオルだけが使える身体を温める方法があります!」
「え?」
握り締めた拳を開き、シャリーナがパッと手を差し出す。
「……リオルが手を繋いでくれたら、私は身も心もぽっかぽかです」
数秒後。ポカンと口を開けたリオルが、次の瞬間吹き出した。
「ほ、本当です!嘘じゃありません!」
「はいはい、わかってるよ」
冗談だと思われたかと思いシャリーナは慌てて弁明したが、どうやらその必要はなかったようだ。それから数秒もせずに差し出した手にそっと愛しい人の手が重ねられた。それだけで天にも昇るような心地になる。
「……救われてるのは、俺の方だ」
呟かれた言葉は小さ過ぎて聞き取れなかったが、嫌がられてないことはわかる。繋いだ手から伝わる体温が心地良い。
「帰ろう。送っていく」
「はい!」
立ち上がったリオルが手を引いてくれ、シャリーナもゆっくり立ち上がった。
その手を繋いだまま穏やかに言うリオルに、シャリーナも満面の笑顔で答える。
このまま寮まで、ずっと。
「私、今日、人生で一番幸せな日になりました!」
「大袈裟だなぁ……ん?」
「え?わっ!?」
しかし、テラスから出ようと二人同時に足を進めたその時、二人同時に足を止める羽目になった。進行方向に予想外の人物が立ちはだかっていたせいで。
「シャリーナ・クレイディア様」
どこか冷たささえ滲む、凛とした美しい声。
「お話があります。お時間よろしいかしら?」
一体いつから居たのだろうか。テラスの出入り口、そこに。
ローズ・ガーデン筆頭、レオナルド王子の婚約者最有力候補。第四学年のロザリンヌ・アーリアローゼが、怒りを湛えた冷たい視線でシャリーナを射抜いていた。




