7話 最高のエスコート
「きゃああああ!リオル!リオル!素敵です!!」
ダンスパーティ当日。女子寮の門の前にリオルを見つけ、シャリーナは大喜びで駆け寄った。
今日のリオルはいつもの制服ではなく夜会用の礼装姿だ。黒地に銀糸で縁に蔦の刺繍が施された前開きのジュストコール。濃いグレーに淡いグレーの薄いボタンが並んだベストと白のシャツ。上着と同じ色のシンプルな七分丈のキュロット、さりげなく飾りベルトが付けられたブーツ。
「男は黒づくめがお決まりだったのは二十年以上前の話だし、今こんなの着てたら辛気臭いだけだけど」
「いいえ!むしろギラギラした下手に派手な色よりもずっと上品で神秘的なイメージがありますしそれにリオルのその綺麗な漆黒の髪にはやっぱり同じ黒が似合います知的でクールで落ち着きがあってそれでいて全てを覆い尽くす力を持った夜の闇のような黒そしてその中から見え隠れする深緑の両の瞳がまるで夜空に静かに瞬く星」
「息継ぎをしろ」
どんどん湧き出てくる賞賛の台詞を勢いのままにぶつけていたら、呼吸を忘れていた。
「色はいいにしても兄貴達は俺よりずっと背が高かったからサイズも合わない。太ももあたりまでのはずの上着が膝下まで届くし、膝丈のキュロットが七分丈だ。……まあ、これは今時半ズボンになるよりはマシか」
「七分丈は足のラインが一番綺麗に見えますよね敢えて飾り気のないシンプルなキュロットとベルトだけのブーツで足元をすっきりとまとめているのも素敵ですさりげないベルトが本当にいいアクセントになってます普通より上着の丈が長いのもシルエットがより流麗になって前からは勿論後ろ姿も更にスマートで美しく」
「だから息継ぎをしろって」
呼吸をおざなりにし過ぎてうっかり酸欠になるところであった。リオルとダンスパーティに行く前に息絶えてしまっては死んでも死にきれないので、大人しく深呼吸をする。
「要約すると、凄く凄く格好いいです、リオル」
「……どうも」
こんなに格好いい人の隣を歩けるなんて夢みたいだ。
シャリーナはうっとりと感嘆の息をつき、胸元のコサージュに手を添えた。勿論リオルが贈ってくれた黒と深緑の花のコサージュを。ドレスもそれに合うように、今までパーティの時によく着ていたピンクや水色ではなく緑色のものを選んだ。
「君も……その色のコサージュに合わせるのは大変だっただろ、ドレスは」
「はい!この日の為に染め直しました!」
「はい?」
訂正。ドレスもそれに合うように、緑色のものを作った。
「染め直……え?何だって?」
「まず30リットルの熱湯を用意します」
「やり方を聞いたんじゃなくて」
生憎手持ちのドレスが黄色や水色やピンクなどパステルカラーのものばかりだったのだ。これでは折角のコサージュが浮いてしまう。
「新しくドレスをオーダーする時間もないですし、これは染め直すしかないと……」
「どこで習ったんだそんなこと!?」
水彩絵の具と水魔法で小さなコサージュを染めるのとではわけが違う。一着のドレスを均一に染め直すとなればかなりの労力が必要であるが。
「うちのメイドのガブリエラが、『伯爵令嬢たるもの夜会に何度も同じドレスで出るわけにはいかない』と言ってこの裏技を教えてくれまして」
「伯爵令嬢たるものが自室で30リットルの湯を沸かすのは疑問に思わなかったのかクレイディア家のメイド……というかメイドも大層な名前だな料理人に続いて」
全てはリオルから貰ったコサージュを活かすため。しかし。
「……似合ってなかったですか?」
そもそも何故手持ちのドレスがピンクや水色や黄色の淡い色のものばかりだったかと言ったら、それが一番似合うと両親が用意してくれていたからだ。緑色のドレスは実は着たことがない。
コサージュがドレスに似合っていても、それが自分に似合わなかったらどうしようもない。
「いつもはピンクとか、水色なんです。このドレスも元は黄色でしたし……家族は私は春の花のような淡い色が似合うって言ってくれてたのですが……それ以外は似合わないみたいですね」
しょんぼりと俯いたシャリーナが、鮮やかな緑の生地に指を這わすと。
「……いや」
少し考え込んだ様子のリオルがぎこちなく口を開いて。
「緑なら、まるで君自身が花みたいに見えて、いいんじゃない……か……」
シャリーナがガバッと顔を上げた時には、「待ってくれ今の無しだ」と片手で目を覆ってそっぽを向いてしまっていた。
「リ……っリオル……!」
「いや、待て、無しだ、口が滑った、無しだって言ってるだろ!」
「手持ちのドレス全部緑に染め直します!」
「やめろ!いや本当にやめろよ!?」
いくつもの馬車が隣を通っていく中、いつものように徒歩で学校へと向かう。
ダンスパーティだからと言って、学園外のどこかのダンスホールを借りるわけではない。ファラ・ルビア学園は国内最大級の学び舎であり、普通の学校とはわけが違う。その広い校舎の最上階がダンスホールとその他休憩室や厨房など丸々パーティ用の階となっているのだ。
「いいか。アレがどこに居るか常に視界の端に入れて確認しつつ距離を取って万が一にも目が合わないようにしろよ」
そうこうしてるうちに会場に辿り着き、一呼吸置いたリオルが顔を前方に向けたまま真剣な声で言う。
「了解です。今日はアレをメデューサだと思って臨みます」
同じくシャリーナも真剣に答えた。大勢の前で一国の王子にダンスに誘われてしまっては断れない。かといってあからさまに避けてはそれも不敬。あくまで自然に距離を取らねばならず、一瞬でも目が合ってしまえば動けない。まさにメデューサ。
「いい心がけだ」
褒め言葉と共に差し出された手を取って、夢のような気持ちで会場に足を踏み入れる。
世界で一番好きな人に手を取られて歩いている。まるで雲の上を歩いているかのようにふわふわと心地よい。煌びやかなダンスホールの中、周囲の喧騒も遠ざかっていき——
「殿下っ!どちらへ……っ」
「レオナルド殿下!」
「きゃあああ!殿下がこっちに来るわ!」
遠ざかって——
「殿下!お待ちください!」
「今日はローズ・ガーデンの皆様の誰もエスコートされていないみたいですわね!」
「もうすぐダンスが始まるのにまだお相手がいないということは……っ」
遠ざ……かって——
「おーっほっほっほ!やはり殿下と踊るのはこのわたくし」
「ああっ殿下が行ってしまわれたわ!」
「えっちょっお待ちになって!殿下ー!」
——遠ざかっていかない。めっちゃ近づいてくる。
「……こっちだ!」
途端、リオルに強く腕を引かれた。向かった先は軽食と飲み物のグラスが並んだテーブル。端に置かれたその一つを素早く手渡され、受け取ると同時に意味を理解する。
「レーダーでも付いてるのか、アレは……」
続いてグラスを手に取ったリオルが肩で息を吐いた。
「危うく開始早々石になるところでした」
「まだ油断するなよ、諦めてないぞあのメデューサ」
もうすぐパーティの開始時刻。あと十分もすれば学園長から開会の挨拶があり、音楽が流れて最初のダンスタイムになる。パートナーが決まってる男女は勿論お互いと踊るが、決まっていない男女は今のうちにペアを作る。その際にあぶれた者がファーストダンス以降のダンスの予約を取ろうとするのは、まあ、余裕の無さを笑われることはあるがギリギリマナー違反ではない。
つまり、今現在パートナーを連れていないあの王子が、パートナーを連れてるシャリーナにダンスを申し込むことは一応可能なのである。
だからこそシャリーナ達もそれを避けるために王子には近づかず一定の距離を保とうとしていたのだが、まさか初っ端に向こうから脇目も振らず突き進んでくるとは予想外だった。
というわけで二人は今、ホール両端にある飲食・歓談スペースに逃げてきている。
「いくら何でもこれでダンスに誘えるわけはないだろ」
「そうですよね、最低限の常識さえあれば」
パーティの途中に、休憩としてこのスペースに一人で居る者をダンスに誘うのは特に問題ない。流石に休憩しようとした途端に誘えば「空気読めや」となるがそれだけである。
ただし、パーティの最初からパートナーと共にこのスペースに居る者は別だ。疲れたからでも相手がいないからでもなく二人で話していたいからここに居るのだ。少なくとも今は他の者と踊る気がないのがわかる。これで王子はもう近づけないだろう。
「それにしても、青や金のドレスの方が多いですね。ホールがまるで夜明けの空みたいです」
安全圏に入り余裕が出てきたシャリーナが、グラスに一口口をつけて周囲を見渡す。昨今は男性の衣装も華やかになってきているものの、ダンスホールで一番目立つのはやはり女性のドレスである。
はためく青の布に、きらめく金のレースや刺繍。各々リボンに風魔法を付与していたり、光魔法付きの輝石を縫い付けていたりと工夫はあれど、何故か配色だけは示し合わせたように皆同じだった。
「……王子は王子なんだよな、今更だけど」
「え?」
「どのドレスも王子の目と髪の色と全く同じだ……こんなに沢山の女子生徒がこぞってドレスの色を合わせるくらい、王子ってのは憧れの存在なんだよなって思っただけだ」
「私はリオルが憧れの存在ですけど……」
「君は君だよなあ。今更だけど」
しかしこうも同じ色のドレスが多いと、誰が誰だか見分けがつかない。親友であるアンジェリカもこの場にいるはずなのに中々見当たらないということは、いつもの赤いドレスではなく皆と同じ青のドレスを着てるのかと、シャリーナが視線を彷徨わせていると。
「見て、ロザリンヌ様よ……!」
「お一人だわ!」
「ロザリンヌ様が参加されるのに、殿下のエスコートがないなんて……やっぱり噂は本当でしたのね」
丁度扉から姿を現した一人の女性に、自然と目が引き寄せられた。
「綺麗……」
思わずそう呟いてしまう程、その女性は凛として美しかった。一つのほつれもなく編み込まれた銀に近いプラチナブランドに、海の底のように深い青色の瞳。
ドレスは青地に金の糸でつる草模様が刺繍され、しかし他の飾りはシンプルな銀のネックレスと髪に散りばめられた真珠のみ。パートナーがいる女子生徒がつける花のコサージュもつけていない。ただ、その飾り気の無さがかえってその者の美しさを引き立てていた。
「ロザリンヌ・アーリアローゼ。あの王子の婚約者候補の一人だ」
「そんな!お気の毒に……」
「いや本当なら皆から羨ましがられる立場だからな?実際皆羨ましがってるからな?まあ気持ちはわかるけど」
しげしげと眺めるシャリーナにリオルが小声で説明する。シャリーナも、あの王子に婚約者はいないがその候補はいることは知っていた。顔は知らないが、名前くらいは聞いたことがある。いくら興味がなくとも、それくらいは貴族ならば誰でも知っていることである。
「あんなに綺麗な婚約者候補がいるのに、私にちょっかいをかける意味がわからないわ」
そしてその婚約者候補達と王子があまり上手くいっていないのも、誰でも知っていることである。
「君にも普通の美的感覚があるんだな……」
「はい?」
ただの独り言を聞かれたらしく、リオルが珍しく驚いた顔をしていた。中々見られない表情である。とても格好良い。
「まあいい、彼女が王子を引き付けてくれたらこっちも助かる」
ロザリンヌが進むと自然と皆が道を開け、レオナルド王子の目の前まで来た。そして完璧な淑女の礼を取る彼女を、シャリーナ達も遠目から見守る。
王子、ロザリンヌ共にパートナーはいない。更にロザリンヌは王子の婚約者最有力候補。この状況で王子がファーストダンスに誘わなければ、ロザリンヌはとんだ赤っ恥である。いくらあの馬鹿王子でも、それくらいの分別は。
「……そう上手くいくわけないか」
つくわけがなかった。
「アレに期待するだけ無駄でしたね」
ロザリンヌを置き去りにし、その場を離れる馬鹿王子。従者が慌てて何やら言っているようだが、当の本人は鬱陶しげに首を振るのみ。そして不意に振り返って……。
「っ!?」
「うわっ」
あ、と、で、な。
片や中央、片や端の端。かなりの距離があるにも関わらず、バチリと目が合った。その瞬間不敵に口角を上げ、口の動きだけでそう言ったレオナルドを視界に捉えてしまい。
「うっ……うえっ」
「だ、大丈夫か!?しっかりしろ!」
あまりの気持ち悪さに口を押さえ、シャリーナはその場に崩れ落ちそうになった。すんでのところでリオルに支えられ、何とか持ち直す。
「ごめんなさいリオル……目を合わせないようにって言われてたのに……」
「気にするな、流れ弾の俺でも吐きそうだったんだ。直撃した君のダメージはどれ程か……」
え?何あれ?何だあれ??正確に読唇できてしまった自分が憎い。シャリーナはリオルに縋り付きつつ(実は一人で立てる程度には回復したが折角なので)姿勢を整えた。
「立つのが辛かったら、椅子があるところに行くか?」
ちょっと強く縋り付き過ぎたらしい。調子に乗り過ぎた。リオルの声に本気の心配が滲む。
「あ、えっと」
縋り付いていた手を離し、もう大丈夫です、と慌てて口にしようとしたその時。
「ならば俺が連れていこう」
すぐ近くから聞こえた声に、身体が固まった。次の瞬間ふわりと足が宙に浮く。
何ということだ。少しの間目を離していた隙に、吐き気の元凶がこちらに一直線に向かって来ていたらしい。
「なっ……」
しかし後悔してももう遅い。気がついた時には、その声の主に横抱きにされ、あれよあれよという間に会場の扉の前まで運ばれてしまっていた。
「お待ちください殿下!彼女は私のパートナーです、私が連れて行きま」
「……三度目はないと言ったはずだ。黒鼠」
途端、目の前に突風が巻き上がった。それによって扉が乱暴に開け放たれ、壁にぶつかり逸れた風が周囲に吹きつけられる。
「リオル!」
誰かが床に倒れた音がした。
その瞬間不敬になることも忘れ、シャリーナが身を捩って叫ぶ。しかし足を振り上げようにもきつく膝を抱えられ、パンチを繰り出そうにも肩をがっちりと押さえられてはそれも叶わない。
「はは。こら、暴れるな。猫よ」
それでも何とか抜け出そうともがいても、じゃれてると思われる程度の軽いダメージしか与えられないことを悟る。絶望で力が抜ければ、誘拐犯は満足げに頷いた。
「う、うそ、誰よあの子!」
「まさか噂の殿下のお目当てって……!」
「なわけないでしょ、体調が悪かったみたいだから殿下が気を遣われただけよ!パーティの空気を壊さないように……っ」
まるで悲鳴のような声があちこちで上がり、会場中が一気に騒がしくなる。そろそろ学園長によるパーティ開始の挨拶があるはずだが、全く聞こえない。
「……自分で、歩けます。どうぞパーティにお戻りください。殿下の手を煩わせるわけにはいきません」
「気にするな。レディを助けるのは紳士の務めだ」
何とか冷静になったシャリーナが無理矢理抜け出すことを諦め、断腸の思いで下手に出ても、案の定解放は叶わなかった。
「ロザリンヌ様っ」
「お気を確かに!」
開け放たれた扉をくぐる直前。不意に氷の矢で打ち抜かれたような感覚がして、抱き上げられたまま思わず後ろを振り返る。
「え……」
誘拐犯の肩越しに。パーティ会場の中央で、冷たい空気を纏ったロザリンヌが、静かに怒りを湛えた目でシャリーナをきつく睨みつけていた。




