ある男子生徒の初恋
ガリ勉地味萌え令嬢、コミックス最終4巻2022/1/12(水)発売です!
書き下ろしSSとして決闘から数週間が経ったシャリーナとリオルの日常、リオルの二つ名に関する話が収録されてます。
↓以下、時は遡りまして、第一部本編開始前から決闘終了後まで、とある男子生徒から見たシャリーナの話です。
__リーン……ゴーン……リーン……ゴーン……。
入学式が終わり半月ほどたったファラ・ルビア学園。その日の午前の授業が終了し、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた一年生の校舎。
「あの、すみません、ペンを落としましたよ?」
「え?」
生徒達が各々昼食を取りに教室を出て行く中。他の生徒達と同じく廊下に出たオリヴァー・ハミルトンは、不意に耳に飛び込んできた可愛らしい声に、驚いて振り向いた。
「このペン、貴方のものですよね?」
声がした方向、オリヴァーの真後ろを見るもそこに人影は無く。あれと首を傾げた次の瞬間視界の少し下から再び同じ人の声が聞こえた。
廊下にしゃがみ込み、たった今床から拾ったのであろうペンを片手に持った少女。
眼下に広がる柔らかそうな髪は艶やかな薄桃色で、必然的に上目遣いになっている目は春の空のような淡い水色。先ほど聞こえた鈴を転がすような声がよく似あう、とても可愛らしい女の子。
「あ、あ、あ、えっと、はい、どうも……」
「よかったです。はい、どうぞ」
一瞬呆けたように見惚れてしまいお礼すら満足に言えなかったオリヴァーに、立ち上がった少女は気にすることなく微笑みながらペンを差し出してくれた。その笑顔にまたもや見惚れてしまい、ペンを受け取ろうとする手が震える。
「シャリー、何してるの?はやくお昼ご飯食べに行こうよー!」
「待ってアンジェ、今行くわ!」
オリヴァーが言葉に詰まっている間に、シャリーと呼ばれたその少女は、隣の教室のドア付近に立つ赤毛の少女のもとへあっさり駆けて行ってしまった。
「ううー、今日の午前授業ずっと座学ばっかりだったからかな?ちょっと腰が痛いかも」
「あら大変、じゃあ今日のメニューは関節痛に良く効くっていうダイオウコラーケンのぷるぷる鍋にする?」
友人達と楽し気にお喋りをしながら、可愛らしい声が少しずつ遠ざかっていく。
それが完全に聞こえなくなるまで、オリヴァーは掲げた右手を空しく宙に彷徨わせたまま、微動だに出来なかった。
◆◆◆
シャリーナ・クレイディア。
クレイディア伯爵家の長女。実家のクレイディア領は伯爵領ではあるが田舎よりで、鉱山や名産品などの特筆すべき点は無い。
強いて言うなら当主の抱える平民の使用人の中に魔力を使わず魔物を従える者がいて、他家より数倍速い郵便方法を有しているところだろうか。
かといって財政難に陥っているとか治安が悪いなどの問題があるわけでもなく、安定した領地経営を代々続ける由緒正しき家系。
シャリーナ本人に関しては、貴族女性として希少属性魔法の次に重宝される水魔法に長けたなかなかの優等生。性格は温厚で、どこか大人びた雰囲気を持つ。
クラスは違うがたまにすれ違う廊下で、校庭で行う合同演習で、彼女の珍しいストロベリーブロンドが遠目にも目立っていたことは覚えている。絶世の美女というわけではないが、無邪気な笑顔がとても愛らしく、守ってあげたくなるような女の子。
……というのがオリヴァーの持つそこまで多くはないコネや友人関係を総動員して調べて得られた情報半分、オリヴァー個人の感想半分である。
「まあ、俺みたいなのからしたら、高嶺の花ってやつだよなあ……」
対して、オリヴァー・ハミルトン。
ハミルトン子爵家の次男。ハミルトン領は港町を中心としてそこそこ栄えてはいるが、大国との海路からは外れているため、高位貴族達に並び立つ財力があるというほどではない。
オリヴァー本人に関しても、優秀な兄がいるため実家の爵位を継ぐことはなく、成績も容姿も魔力の量も中の中といったところ。
伯爵家の美少女を嫁に貰うにも婿入りするにも、なんとも物足りないスペックである。
「って、何を考えてんだ俺は!」
男子学生寮の自室のベッドの上で、オリヴァーは羽毛入りの枕を抱えゴロゴロと転がり周りながら叫んでいた。
己を認識してくれてるかどうかすら定かではない女の子に対して嫁に貰うだの婿に入るだの、取らぬポンポコボルトの皮算用にも程がある。せめて会話をするシミュレーションからだろう。
『おはようクレイディア嬢、先週は僕が落としたペンをわざわざ拾ってくれてどうもありがとう。そのついでと言ってはなんだけど、実はあの日僕はペンよりもずっと大事なものを落としてしまったみたいなんだ。どうかその手でもう一度救い上げてはくれないだろうか?え?その大事なものは何かって?……それはね、君の笑顔に撃ち落とされた、僕の心です』
「いや本当に何考えてんだ俺は!」
ベッドから上半身を起こし、抱えていた枕にバンバンと拳を打ち付けた。傍から見たら完全にちょっと危ない人である。違う、別に頭の病気とかじゃない。ちょっと恋の病に罹患しているだけで。
そう、彼は、シャリーナ・クレイディアに恋をしていた。
オリヴァー・ハミルトン、十五の春にして初恋であった。
「はあ……」
散々振り回した枕を定位置に戻し、ボフッと寝転がりながら、深い深いため息を吐く。
どれだけ必死になってシャリーナ・クレイディアに関する情報を調べまわっても、ペンを拾って貰ったお礼一つ満足に言えていない時点で進展など望めるわけがない。かといって、シャリーナ本人に対して何か具体的な行動を起こす勇気はどうしても沸いて出てこなかった。
「せめて俺が、伯爵家の長男とかだったらなあ……」
エルガシア国中の貴族子女が集まるファラ・ルビア学園は、婚約者が居ない者たちにとって大変都合の良い出会いの場となっている側面もある。浮気や二股などの問題さえ起こさなければ、男女交際はむしろ推奨されているといってもいい。
しかし、貴族同士の恋愛は大変シビアだ。在学中に婚約成立するのは大抵は貴族としての総合的なスペックが釣り合う者同士の場合が殆ど。
突出した利点を何も差し出せないオリヴァーが伯爵家の長女に見初めて貰えるような、シンデレラストーリーの男版みたいな話、そうそうあるわけがない。
「いや……どうせ夢見るなら公爵とか……それよりもっと上の……」
哀しい現実から目を反らし、オリヴァーは目を閉じて理想の世界を想像した。
貴族子女達が求め憧れる全てを兼ね備えた完璧な男となった自分が、シャリーナ・クレイディアただ一人を前に片膝をついて手を差し出す。彼女は皆の羨望の視線を浴びながら、頬を上気させウットリとした顔でその手を取ってくれて……。
「ぐう……むにゃむにゃ……」
そんな夢みたいな夢を思い描いているうちに、オリヴァーの意識は少しずつ遠くなり、いつのまにか本当の夢の中へと落ちていったのだった。
◆◆◆
「田舎の伯爵令嬢がこの国の王妃様になるなんてなあ。まさに玉の輿ってやつ?」
「側室すら持つ気はないだなんて……。よほどあの御令嬢にご執心なんでしょうね」
「ローズ・ガーデンのお姉さま方と、その御実家を敵に回して無事で済むと思っているのかしら?同情はしませんけど」
「そこはまあ承知の上だろ。むしろ勝ち誇ってるんじゃあないか?今頃」
エルガシア国王太子による衝撃の宣言から数日たったファラ・ルビア学園。その日の午前の授業が全て終了し、昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた一年生の校舎。
普段であればすぐにカフェテリア等に向かう生徒達も、ここ数日はとある一つの話題に関するお喋りに夢中になるため、教室を出て行くものはいなかった。
「あ、おいオリヴァー!どこ行くんだよ?」
「どこって、静かに飯が食える場所以外にあるわけないだろ。こんな騒がしいところで食えるかよ」
そんな中、オリヴァーは一人乱暴に席を立ちドアへと向かった。クラスメイトに声を掛けられるも、おざなりな返事はするが立ち止まりはしない。
「ここを出てったって、今は学園中のどこ行ったってこの話題で持ち切りだろうけどな」
「うるさいな、じゃあひとっこひとりいないような裏庭にでも行くよ」
「そんなとこ行って何食うんだよ?弁当でも持っていくのか?何?失恋したのがそんなにツライわけ?」
苛立ちを紛らわすかのようにどしどしと荒い足取りで歩くオリヴァーの隣に、先程声を掛けてきた友人が並ぶ。そして心配半分揶揄い半分といった様子で、今一番触れてほしくない話題を掘り起こしてきた。
「そんなんじゃねーよ!だいたい、あの子のことは、最初っから諦めてたし……」
シャリーナ・クレイディア。ここ数日のファラ・ルビア学園で一番沸騰している話題の中心人物。
エルガシア国中の貴族子女達が憧れる王子様に見染められた幸運な彼女が、一時期オリヴァーが熱に浮かされたように夢中になっていた女の子であるということは、かつて情報収集に協力してくれたオリヴァーの友人達には隠しようがない事実。
「じゃあなに?『僕のものにはならなくていいから他の誰のものにもならないでくれ……』ってやつ?お前それは貴族の娘さんに対して無茶ぶりが過ぎるだろ……どこぞの踊り子や劇団女優に入れ込むファンかよ」
「だから違うって!」
そのせいで数日前の昼休み以降、オリヴァーは『王子様とラブロマンス中のシンデレラガールに知らずに懸想して告白する前に玉砕した男』としてなんとも可哀想なものを見るような目で見守られてしまっていた。
「本当に違うから!……もう、ほっといてくれよっ!」
「あ、おい、待てって!悪かったってば!おーい!」
しかしオリヴァーを不機嫌にさせる本当の原因はそれではない。
焦った声で謝る友人の声を振り切り、オリヴァーは行くあてもなく走り出した。
◆◆◆
「はあ……」
友人を振り切ったはいいものの、そのまま無断早退する度胸はなく。
結局昼休み終了ギリギリになって教室に戻ったオリヴァーは、午後の授業もキッチリと受け放課後になってようやく寮の自室に帰ると、着替えすらせずベッドの上に飛び込んだ。
「敵うわけないよな……こんなの……」
枕を抱えて横たわりながら、誰ともなしに呟く。
胸に渦巻く苛立ちは、自分が夢想していたものを生まれながらにして勝ち得ていた男への嫉妬か。皆が憧れる『王子様』に見染められ舞い上がっているであろう、あのストロベリーブロンドの少女への失望か。
どちらにせよ身勝手な感情だとわかってはいる。わかってはいるけれど。
理屈ではどうしようもない胸の痛みに苛まれながら、オリヴァーはキツく目を瞑り、夢さえ見ることのない深い眠りに自ら落ちていった。
そう、思って、いたのに。
「嘘だろ……」
抜けるような青空の下。
地に伏した王子と、凛と背筋を伸ばし片腕に一人の少女をしっかりと抱きとめている少年。そして花が咲いたような笑顔をその少年に向けている少女を目の前にして、オリヴァーは呆然と立ち尽くしていた。
「おーい、お前も降りてきてたのか!いやあ、まさかこんなことになるなんてなあ」
「ああ……」
いつの間にか己の近くに居て話しかけてきた友人に、返事とも呻き声ともつかない声で応える。
今日は、かの王子が宣言した決闘の日。王子は愛しの姫に勝利を捧げ、初恋のあの子が王妃の椅子に座ることが確定する日。
そんな過程も結末もわかりきったストーリーだろうと、観客の一人として見届けることを王子に命じられたら逆らうわけにはいかない。
そんな風に考えながら、無気力に無数の観客席の中の一つに腰を下ろしたのは小一時間ほど前のこと。
「それにしても本当に格好良かったです、リオル!怪我の心配をしていたせいでリオルの勇姿だけに集中出来なかったことだけが残念で……。何故今日という日は二度と繰り返せないのでしょう?そうだ今からでも天秤に追加注文してステージに登ったリオルがアレと対峙するところから完璧な再現を」
「流石に勘弁してやれ」
しかしほんの一時間かそこらの間に、オリヴァー達の目の前で繰り広げられたどんでん返しはまさに事実は小説よりも奇なりといったようなもので。
誰もが主役と信じて疑わなかった王子は悪役で、悪役の当て馬と思われていた少年は悪を打ち倒し、囚われた恋人を取り戻すヒーローそのもの。
そして王子様のお城に導かれ、幸せなお姫様になるのだと思い込んでいた女の子は。
『リオルーーーーーー!』
オリヴァーの脳裏に、ほんの数分前に聞こえた彼女の声が蘇る。
シャリーナ・クレイディアは、ただただ目の前に用意されたシンデレラストーリーの流れに身を任せ、王妃の椅子が綺麗に整えられるのを待っているだけの女の子ではなかった。
「それにしても君が特等席から飛び降りるのを見たときは肝が冷えた……もうあんな危ないことはしないでくれ」
「すみません、一刻も早く誰より先にリオルのもとへ駆けつけたくて……」
彼女はそんなただの夢見がちな女の子ではなかった。それどころか差し出された手を、さあこの手を取れと強要していた周りの圧力を押し除け、自らが選んだただ一人の最愛の人の胸に迷わず飛び込んで行ける人だった。
それに比べて、自分は。
「そりゃ、敵うわけないよなあ……」
かつて一人ベットの中で、何度も頭の中をグルグル巡っていた言葉。しかし今思わず零れ落ちた自分の声はどこか清々しい響きさえあった。
「……俺、もう帰るよ」
「あ、うん。あー、まあ、元気出せよ!」
「はは、ありがとうな」
なんだかんだでいつも心配してくれる友人に軽く手を振って答えながら、ステージにくるりと背を向ける。
オリヴァーが何の努力もせずいじけている間、初恋の少女とその手を取る少年はずっと人知れず戦っていたのだ。
その想いの強さに、戦う前から諦めていた自分が敵うはずがない。そう思っても、今は不思議とドロドロとした感情は湧いてこなかった。代わりに、サラリとした感触が頬を伝って……。
「……あれ?」
ほんの一筋零れ落ちた雫を手に受け、オリヴァーは呆然と呟く。こんなもの、かつてベッドで不貞腐れてるときは少しも出てこなかったのに。
「お幸せに、クレイディア嬢……」
初恋だった。自らの手でクレイディア嬢を取り戻した彼には到底敵わないけれど、それでも確かに好きだったのだ。
ようやく認められた自分の想いと失恋にほんのり胸を痛めながらも、後ろでまだ手を取り合っているであろう恋人達にそっと祝福を送る。
オリヴァー・ハミルトン、15歳。少しだけ大人になった初夏の出来事であった。
亀の歩みではありますが
第三王子の戦いの続きも書いていきたいと思ってますのでよろしくお願いします_φ( ̄ー ̄ )




