最終話 大団円
「護符に術式を刻む時の真剣な瞳は古の賢者の聡明さと伝説の勇者の力強さを兼ね備え、自由自在に操るペンはまるで雄大な音楽をその一振りで制する指揮者のタクトのごとく、深い知識に裏付けられた理論を語る声は淀みなく滑らかに、どんな吟遊詩人だって自らリュートを置いて聴衆の輪に加わらざるを得ない――」
授与式から二週間が経ち、通常の生活へと戻ったシャリーナとリオル。
「水を得た魚って今のシャリーのためにある言葉だね」
「滝壺に鯉を投げ込んでしまった気分だ」
「成る程……ものすげぇ勢いで登って留まるところを知らねぇ……」
現在、ひと月前に定めた作戦の最終仕上げを行っているところである。
「全てを覆い尽くす漆黒の闇月の光も届かぬ程の深淵しかし恐れることはないそれは眩しさに疲れた子羊達を優しく包み込むゆりかごでもあり――」
リオル・グレンという人がどんなに格好良いか、どんなに素敵かを沢山の人に広めるという作戦を。
「吟遊詩人みたいなこと言い出したね」
「どんな詠い手でもリュート置いて逃げるぞ」
「せめて聴衆に加わってやろうぜ」
ファラ・ルビア学園年間行事の一つ、全学年交流ダンスパーティ。その歓談スペースで、色取り取りのドレスを纏う少女達の中心にいるシャリーナは、まさに今をときめく吟遊詩人であった。
「確かにGOサインを出したのは俺だけど……さっきからチラチラ突き刺さる『え、アレが……?』の視線が痛い」
「き、気にすることないって!みんなちゃんとリオル君のこと凄いと思ってるよ!」
「そうだぜリオル。男は顔じゃねぇ、中身だ!」
その様子を少し離れた場所から眺めているリオル達。
パーティが始まるや否や、学園長の挨拶など軽く無視し、学年の違う女子生徒達がシャリーナに向かって雪崩れのようにやって来た。全学年交流パーティという名目上他学年と交流を深めようとするのは何も間違っていないが、彼女達の目的は少し違う。
一度ならず二度までも王太子を袖にしたシャリーナに、最早嫉妬を通り越してその面白そうな事の詳細を聞き出したかったのだ。
「そ、そうですのね、シャリーナ様は余程あの方の研究に……研究に?」
「あのぅ……もう髪色の話はその辺で……」
「く、黒髪って珍しいですものね!華やかかどうかは別として」
建前上、シャリーナはリオルの研究に感銘を受けそれが国の利益に繋がると信じ、その助手に専念するため妃の座を辞退した……ということになっている。そうでもしないと王妃あたりは死に物狂いでシャリーナをダリア・ガーデンに縛りつけるだろうからだ。
前王太子の醜聞を少しでも軽く、そして現王太子の評価を上げる為に前回の被害者である恋人達をまたもや引き裂いたと明らかになれば、せっかく回復してきていた王族の威信がまた地に堕ちる。
「夜空の星が美しいのはその輝きを受け止める一面の黒があってこそ、色鮮やかに輝く星の光の全てを受け止めている偉大な色」
しかし幸か不幸かシャリーナ達を実際に目にしてない親達にとっては『一介の伯爵令嬢が前王太子を袖にしたのは第二王子の方に惹かれていたからである』の方がずっと信憑性があった。決闘後数ヶ月たってもリオルとシャリーナが婚約を結んでいなかった事実もそれに拍車をかけていたという理由もある。
「……何だか私黒髪って素敵かもと思ってきましたわ」
「ええっ!?しっかりしてくださいまし!」
「目を覚ましてレイチェルさん!」
一旦最初のお触れを信じた貴族たちにとって、今回の『愛国心故に妃の座から身を引いた』という貴族の鏡のような建前も一応は納得出来るものであり、シャリーナの無欲さを訝しみはしてもまさか最初から妃になどなりたくなかったとまでは思わないだろう。
「堕天した天使は何故黒く染まるのだろうかそれは何にも染まらないその色に揺るぎない強さを見出し純粋な憧れを抱いたから――」
よって、今のところはもうシャリーナが王族に目をつけられる心配はない。今度は第三王子の婚約者にとか今のところはない。ないったらない。ないったら。
「将来白髪になったらどうすれば」
「大丈夫その時はその時で『その清らかな美しさに天使は翼を折って称え悪魔さえ憧れて自身の翼を白く染め上げようとする』とか言い出すよ」
「シャリーナちゃんならマジで言いそうだなぁ」
ところで終わらない髪色の称賛にリオルが自身の前髪を一房指に絡めて独りごちた。家系的にハゲる心配は無いが最期まで色も保っていられるかはちょっと自信がなかったのだ。
「知性の蒼き炎と雲に隠れた月のように穏やかで優しい光を宿した深緑の瞳は時に鋭くこの世の真理を解き明かし」
「あっ、青と黄色を混ぜると緑になりますものね」
「なるほどだから青い炎と月光ね……」
称賛が髪から瞳パートに移った。根気強く聞いている令嬢達の理解力も上がってきたようで、さりげない暗喩も難なく拾われていく。
「ちょっとリオルくん顔隠しちゃ駄目でしょ堂々としてなよ!」
「いや、つい……咄嗟に……」
「辛かったら俺の後ろに隠れとくかリオル?」
しかし何故シャリーナがこんなにも大袈裟に、いや本人にとっては紛れもない事実なのだが、このように多勢の生徒に囲まれながら嬉々としてリオル称賛の言葉を延々と紡いでるのかと言うと。
「まあ……良かったですわね、シャリーナさん……ロランド殿下の婚約者でいる時よりずっと幸せそうで」
「だってシャリーナちゃんは最初からリオルさんが好きだったんだから当たり前です!向こうがまた勝手に仕組んできたんですよ、ねっ、シャリーナちゃん!」
「ちょっ、ケイトさん!それはあまり大声で言っちゃ駄目っ」
シャリーナが妃の座を辞退したのは正解だったと納得していく噂好きの令嬢達。
そう、これが狙いである。
「漆黒の闇と闇の間から覗く全てを見透かすその深緑は魔法と魔力と魔法陣の固く複雑に絡み合った糸と糸を容易に解きほぐしていき」
ロランドを虚仮にしたシャリーナ達を王妃がどれだけ逆恨みしようと、今や国中の貴族達を魔物病の脅威から救った研究者とその助手という立場を手に入れた二人に危害を加えるようなマネは流石に出来ないだろう。
しかし、王家にとって取り込む価値を更に上げてしまったシャリーナを再び息子の婚約者にと、将来王妃がまた諦め悪く騒ぎ出すことはあるかもしれない。
王族の面子を保つ為に用意してやった建前を逆に利用して、『そんなにも強くロランドと国のことを愛する少女の想いに免じ、妃教育の一部を免除して、研究の補助に割く時間を保ちつつ側室になれるよう取りなしてやろう』などと言い出すとか。
「漆黒の闇と闇の間……?ああ、あの方の黒い前髪が目にかかってることを表してるのね!」
「闇と闇、糸と糸でリズムになってますわね」
「糸は基本白いものですから闇の黒と対比して色彩のコントラストを表現しているのかも」
せっかく回復した(と思い込んでいた)ロランドの評判が誤魔化しようも無いほどに墜落してしまったことを王妃が知れば、もはや形振り構わずに暴走する可能性もある。
そんなことになっては今までの苦労が水の泡。
「国語の授業みたいになってきたね」
「詩の読解問題か」
「最後の子の着眼点いいな……」
それを避けるためにも。
愛する国の為というその一心で身を引いたシャリーナだけども、リオルの研究に携わるうちにその聡明さに惹かれ新しい恋に落ち幸せになったよ!という、王妃が付け入る隙のない噂を広めてるのである。ちょっとやり過ぎて吟遊詩人になってしまってるが。
「あの、貴女がリオル・グレンを好きなことは充分わかったから、そろそろ事の詳細をお聞かせ願えないかしら……?」
「いいえ私がいかにリオルを愛しているかをわかってもらうためには一晩や二晩では足りません!まだ第一幕も終わってないというのに」
「誰か三幕目に入ったら呼びに来てくれない?ねぇ誰か」
「三幕で終わる保証も無いですわよ……」
ちらほら忍耐の限界にきた者も出始めたが、しかしこれで令嬢達は理解した。シャリーナが本気でリオルを愛してるということを。一応“ロランドの婚約者を辞退してからリオルに惹かれ始めた”というていを取っているが、まあそれは王族の面子を傷つけないための方便であることを。
「……今日聞いたこと、お父様にも報告しておきますわ」
「ええ、そうね。勿論私も」
「だからシャリーナさん?もう少し詳しい事情をお話ししてくれてもよろしいのよ?」
この夜会に参加した生徒達が、この延々とリオルへの愛を語り続けるシャリーナの様子を、話の一部始終を、親や親戚にも広めてくれれば。
シャリーナが王太子に惹かれていたという話からして嘘っぱちであったとまではわからなくとも、シャリーナの価値観や気持ちを心から理解することは出来なくとも、『今シャリーナは誰よりもリオルを愛している』という事実自体は知って貰えるだろう。
シャリーナを側室にしてやると言ったとしても、王家を見直すより、不審に思う者の方が多くなるだろうと王妃が思うくらい、二人が相思相愛であることを公然の事実にする。
それが作戦の仕上げだった。
「皆さん……」
苦笑する上級生達の意図を察し、シャリーナは感動で目を潤ませた。皆わかってくれたのだ。シャリーナなら王太子よりリオルを選んでもおかしくないと。この愛こそが真実であると。
「では遡って事の始まりから……あれは入学してから一月が経った学園の裏庭で珍しい花を見つけた私に」
「遡り過ぎだ!」
しかし張り切って要望に応えようとしたところで、いつの間にか聴衆の輪をかき分けて来ていたリオルに止められてしまった。
「もう充分だ、行くぞ」
「え?どちらへ?」
ポカンとしているシャリーナに、リオルが左手を差し出す。
「ホールの真ん中に」
「リオル、リオル!私、リオルと踊るのが夢だったんです。今日叶いました!」
「そりゃあダンスパーティなら踊るだろ、踊る気なかったのか?」
「いえリオルがいかに格好良いか、いかに私がリオルを愛してるか広めるためにはパーティ時間内では足りず踊る暇も無いと思いまして」
「だからもう充分だって」
優雅な音楽が流れ、宙に浮く光の魔道具に照らされたダンスホール。その真ん中で、一組の男女が踊っていた。
「相思相愛のカップルが、ダンスパーティで踊らないのも変な話だ」
「……はいっ」
流行遅れの黒づくめの礼装に、同年代の女子と変わらない男にしては低い身長。身に纏う布と同じ色の髪が顔に影を落とし、生気の無さがどんよりと漂う。陰鬱そうなクマに縁取られ、長い前髪の間から見え隠れする両の目も暗い緑色。どこを取っても華やかな要素が無い、地味という印象が拭えない少年。
「私、今日、人生で一番幸せな日になりました……っ」
しかしその少年の手を取る少女が、とてもとても幸せそうな顔をしているから。
「前にも同じ台詞聞いたな」
「何度だって更新してるんです、リオルと一緒なら!」
少女の珍しいストロベリーブロンドがターンを踏むごとにふわりと揺れ、照明に照らされ一房一房がキラキラと輝く。色白な肌に上気した頬は生き生きと生命力に溢れ、一つの陰りも無く。髪色と同じく珍しい水色の両の目は、まるで春の太陽を映した湖のように煌めいて、見る者を飽きさせない。
「……やっぱりお似合いだねぇ、シャリーとリオルくん」
「ああ、本当に」
陰と陽、地味な少年と可憐な少女、対照的で不釣り合いな二人。
しかし今この瞬間は、会場中の誰もがその二人をお似合いだと思った。たとえ地位も身分も何もかも揃った王子が現れたところで、少女が見向きもしなくても不思議に思わないくらいに。
「あの二人を引き離して威信を取り戻そうとするなんて、王妃様もなんて馬鹿なことを……」
「おいおい駄目だろそういうこと言うのは……この学園内だけにしておかないと」
「兄上と姉上には真相を話してもいいかな。たった一年二年卒業が早かっただけだし、家族で僕だけ知ってるのも落ち着かないよ」
そこかしこで囁かれる声に、二人の未来を疑うものは一つも無い。
そもそもこの学園内に限れば、あの少女が第二王子を慕っていたとして婚約が発表された時も疑問に思う者は多勢いたのだ。成る程そういうことだったのかと納得する親には言い返せなかっただけで。
「私は、お父様達にもこのことを話してみようかな。大っぴらには出来ないことだけど、せめて知っていて欲しいもの」
「そうだな。今日のことを話せば、俺の親も案外信じてくれるかもしれないし。……俺の爺ちゃんの魔物病もアイツのおかげで治ったんだ。今まで馬鹿にしていた罪滅ぼしだ」
そしてダンスホールを中心に学園中に広がった真実を、胸の中だけにしまっておけるほど、生徒達は大人ではなかった。
リオル達の想定を超え、建前とセットにした真相も、少しずつ生徒達の兄姉、親、親戚、友人、その周りまで際限無く広がっていくことになる。
いずれ察知した王妃が怒り狂うことになるかもしれないが、あくまで公式な場では皆が建前を信じるフリをしている限り、何も出来やしないだろう。
そもそもこのエルガシア国中の貴族子女が通う学園の『同じ学び舎にいる者同士身分に上下は無い』という理念からして建前なのだ。それが建前であると誰もが知っていることを皆で信じているていを装うのも貴族の嗜みの一つ。
「私、自分が恥ずかしいわ……王子様に見初められて嬉しくないわけないって、ずっと嫉妬してたなんて」
「そうね……レオナルド殿下の時に目が覚めたはずですのに」
「そりゃあお金も身分も関係ないなんて、貴族としてあるまじき考えよ。ただの綺麗事、絵空事じゃない。でも……」
まるで世界にお互いしかいないかのように、幸せそうに踊る少年と少女。その目は互いを映すためだけに。その手は互いの手を取るためだけに。
「たまにはそんな絵空事が現実になるのも、いいわね……」
側で踊りながら、飲み物を片手にテーブルから、壁にもたれながら、生徒達は今日の主役を見守ったのだった。
ガリ勉地味萌え令嬢は、腹黒王子などお呼びでない
これにて完結です(*´∀`*)応援ありがとうございました!
書籍二巻も来年発売予定です!
書き下ろしや特典等の詳細はまた後日Twitterや活動報告でお知らせします〜。今のところ書き下ろしとして二人の婚前デート話や特典としてシャリーナの実家に結婚の挨拶に行く話などを考えてますので乞うご期待…!_φ( ̄ー ̄ )




