23話 望むものは
リオルが王宮に召喚されたのは、それから三日後のことであった。
「陛下におかれましては、ご機嫌麗しく」
王宮の謁見の間。
王座に座るのはこの三日で自力で起き上がれるくらいには回復した王。王座の遥か下、赤い絨毯の上で跪くのは黒髪の華奢な少年。その両側には騎士と重鎮達がずらりと並んでいる。
「……顔を上げよ」
「はい」
赤絨毯の両側、一番王座に近い位置では王太子のロランドが苦虫を噛み潰したような顔で立ち、そしてその婚約者として、シャリーナも参列を許されている。
厳密には婚約者候補であるが、伝統によりエルガシア国王太子の婚約者は最後まで一人に定まらない。よって候補とはいえ婚約者と同等の扱いを受けるのだ。
……シャリーナがロランドの婚約者、ダリア・ガーデンの一員であることを印象づけたい王妃が強引にねじ込んだという事情もあるが。
「此度の発明、誠に見事である」
「お褒めにあずかり光栄にございます」
魔物病治療の護符は製造法ごと国に召し上げられ、今後は国中の貴族に無償で提供されることが決まった。
何せ人命が、しかも主に高位の貴族の命がかかっているのだ。誰かが独占しようものなら血みどろの争いになりかねない。
命を救うための発明で国家転覆さえ起こりうるような悲劇を産む危険性を考えれば、当然の判断と言えるだろう。
「して、褒美を取らせる」
護符の利権や利益の代わりに、リオル・グレンに与えられる莫大な褒美の目録を側近が高らかに読み上げていく。
金貨、軍馬、勲章、そして爵位。騎士爵という一代限りのものであるが、戦乱の世でもなく、成人もしていない身で爵位を賜わることは近年に類を見ないことであった。
「……他に、望むものはあるか?」
そうして急遽決まった褒賞授与式。いくつもの形骸化した手続きが略され、簡素にスピーディに進んだそれは、王が最後の問いを投げかけたところでもう終わるはずであった。
王による「他に望むものはあるか」という問いに、拝受者が「この国の益々の発展を」と答える。それで終わりだ。
「はい。この国の益々の発展……」
用意された、決まりきった台詞をリオルが。
「……のために、一つだけ陛下に許可を頂きたく存じます」
答えなかった。参列した貴族達の間に失笑が漏れる。これだから田舎者は、これだから子供は。式典の慣例も知らなかったのかと、ヒソヒソと嘲笑する者も居た。
「……申してみよ」
形ばかりのつもりだったとはいえ、他に欲しいものはあるかと聞いて「ある」と答えられては王とて聞かないわけにもいかず。
「此度の護符の開発は、私一人の力ではございません。とある方の協力があってこそ成し得たものです」
せっかく最上の名誉を賜ったというのに、最後の最後で無知を晒した馬鹿な子供。はてさて常識を知らぬ田舎者は何を望むのかと貴族達が眺める中、リオルが淀みなく答えていく。
「今後も更に研究に励み、我が国の利益となるものを作り出していきたく——そのために」
そこで一旦息を吸い、真っ直ぐに王を見据えて言った。
「ロランド殿下の婚約者候補であられるシャリーナ・クレイディア様に、私の助手となっていただくための、許可を」
「……っ」
王妃が息を呑む。リオルの狙いがわかったようだ。
「……へ、陛下。クレイディア伯爵令嬢は遅れに遅れた王妃教育のため、学園にいる時間以外は全てこちらに充てなくてはならず……」
「王妃様の仰る通りです。だからこそ、陛下の許可を頂きたいのです。御子息の婚約者候補であられる彼女の、王妃教育に充てるべき時間を私の……この国の発展に寄与するための研究に、割く許可を」
「ふむ……」
嘲笑していた貴族達が黙った。追加の金貨でももっと上の爵位でもなく、望んだのは研究のための助手。しかもこの国のためと枕詞をつけられては、笑うわけにはいかない。
「しかし、余が許可を与えたとして……本人に強要することはできぬ。シャリーナ・クレイディア。貴殿の意思を確認したい」
シャリーナが顔を上げる。この言葉を、待っていた。
「魔物病は不治の病。それを副作用もなくいとも簡単に治せる方法があるとは思いもよりませんでした。これからこの護符は、どんなに多くの人々の命を救っていくことでしょう。私はこの方の研究に深く感銘を受けました」
用意していた言葉を紡ぐ。いい調子だ、とリオルが優しく微笑んでくれるのが見える。それだけで百人力であった。
「国民の未来は、国の未来。人の命を救うことは、国を救うこと。私はこの国の未来のため尽くしたく思います」
「待ちなさい。未来と言うなれば、王妃教育を疎かにしては、いずれこの国を背負うロランドを支える役目も疎かに……」
先程に続いて王妃がすかさず待ったをかける。
「はい、研究に時間を割けば、その分王妃教育が疎かになることでしょう。ですので」
わかっていた。台本通りである、そう反対されるのは。
「ダリア・ガーデンを、脱退させていただきたく」
「……ほう」
「私の不徳の致すところですが、王妃教育と研究の助手、どちらも不足なくこなせるとは思えません。このような状態で、殿下の妃となる資格は無いと」
王が、唸る。なおも反論しようとする王妃を手で制し、静かに目を閉じた。
「王妃に相応しい方は、私以外にも、いえ、私以上に相応しい方が大勢いらっしゃいます。ですがリオル・グレン様の研究の助手は、私以外にいなく……私は私にしか為せないことで、この国に貢献したいと願います」
あくまで研究のため、国のため。
研究を優先させれば王妃教育に割く時間がなくなり、王妃となる資格もない、だから辞退する。
この国に尽くしたくて。この国の未来を思って。
……決して王太子のことなど好きでも何でもなく、王妃の座など毛程にも興味がなく、引き裂かれた恋人の元へと帰りたいからとかいう王族の面子丸潰れな理由ではない。
真に国を想う若者達。そういう台本を、用意してやった。
「……それ程までに国を思う貴殿の覚悟、感服した。ならば……」
「陛下!」
シャリーナとリオルを順番に見据えた国王が重々しく口を開く。続く言葉を察した王妃が悲鳴じみた声を上げ、シャリーナは顔を輝かせた。
「……フ、フン!目先の金に目が眩んだみたいだね。将来使える王妃予算ではなく、今浪費できる褒賞金……ってわけ?」
しかしそんな中、思い切り国王の言葉を遮り、式典に水を刺す男が一人。馬鹿にしたように片頬を上げ、腕を組み、まるで自分だけは何でもお見通しであるとアピールするかのように。
「ロランド。下がれ」
「えっ!?父上!?」
えっ?はこっちである。逆に何故許されると思ったのか。先程リオルの発言を馬鹿にした貴族達とて、あくまでヒソヒソと、ただちょっと呆れてるだけというていを保っていたのに。こんなあからさまに言う馬鹿がいるか。
「誰が発言を許可した。国の功労者に対して何たる言い草。即刻取り消せ、そして下がれ」
「そ、そんな!僕は!僕は間違ってない!騙されないでください父上!」
リオルの殊勝な願いに改めて姿勢を正し、動向を見守っていた貴族達の視線が今度は一斉にロランドへと向かう。相手が王太子なので声や態度には出ていないが、その温度は先程リオルが浴びせられていたものよりずっと冷たい。
「この女も!こいつも!こんな不相応な褒美を受け取る資格などないのです!」
「まだ言うか、お前は……!」
だが今更この王子が何を言ったところでリオルの功績は本物。王がその言い分を信じて褒美を取り消すことなど。
「陛下、お待ち下さい。確かにロランドは口が過ぎました。しかしロランドは、『己を一途に慕い妃教育に励むクレイディア嬢』の想いに応えるため、忙しい日々の中彼女と交流を重ね絆を深めてきたのです。そんなロランドの意思を無視して婚約解消の許可を与えるなど酷なこと……!彼が取り乱し心にもないことを口にしてしまうのもいた仕方ありません。どうか今一度お考え直しを」
しかし王が再びロランドを諫めようとする前に、王妃が身を乗り出し反論を掲げた。
「それにこの者への褒美は既に功績に対し十分に釣り合うものを審議し決めております。それをたった一言で容易に増大させるなど今までにも例が無いこと。シャリーナ・クレイディア、彼女にかけた王妃教育の予算のことも考えれば、いくら画期的な発明とはいえ褒美が過大だと他から不満が出る可能性も」
ロランドの滅茶苦茶な言い分と違い、王妃の言うことは一応筋は通っている。たしかにそれも間違ってはいない。
ほぼ確信したはずの勝利が揺らぎ始める気配を感じ、シャリーナは思わず肩を震わせた。
「陛下。発言してもよろしいでしょうか」
「……良い。許可する」
しかしそんな不安を振り払うかのように、リオルの凛とした声が響く。
「申し訳ございません。王妃様、ロランド殿下の仰る通りです。私は望み過ぎました。先程の目録通りの褒美に加え、本来殿下の伴侶に、国母になられるはずだった方の時間を頂くなど、過大と言われて当然でしょう」
胸に手を当て、王妃の言葉を全面的に受け入れるリオル。しかし言葉だけはしおらしくとも、真っ直ぐ前を見据える瞳には何かを諦めた様子など微塵もない。
「ハハッ!目論見が外れたようだね!将来の利益より目先の金を選んだはずが、肝心の使い魔は魔女より自分の金を選ぶときた!策士策に溺れるとはこのことだ!最後の最後で使い魔に裏切られた気分はどうだい!?」
「ロ、ロランド!」
主張を全肯定されたものの、流石に不審に思ったのか様子を伺おうとした王妃とは裏腹に、ロランドは我が意を得たりとばかりに口角を吊り上げ嘲笑う。
ロランドの名誉を回復するために作り上げた美談を壊さないため、先程の暴言を必死でフォローし軌道修正した王妃の努力が水の泡になっていることにはまったく気付いていない。
「しかしこの研究のためには彼女の協力が不可欠なのです。私にとってはそれこそが至上の褒美。ですので、それだけを頂く代わりに、他の褒美である金貨、軍馬、勲章、騎士爵位、全て返上致します」
「へっ?!」
「…………!」
「どうか、許可を」
しかし次の瞬間発せられたリオルの言葉に、ロランドはポカンと間の抜けた奇声を発し、王妃は言葉を失った。
魔女を裏切り目先の利益を選んだかと見せかけ、リオルがあっさりと何の迷いもなく切り捨てたのは莫大な褒美の方だった。そして『それでも過大だ』と言い張るには、その研究によって命を救われた王を前にして分が悪すぎる。
「……よかろう。今ここに、シャリーナ・クレイディアの、ダリア・ガーデン脱退を認める」
「陛下!」
その一言で、シャリーナの足を繋いでいた黄金の鎖が断ち切られた。
「では、期待しておるぞ。リオル・グレン、シャリーナ・クレイディア、二人手を取り合い、協力し合うように」
「有難きお言葉、至極光栄に存じます」
「はい、誠心誠意努めて参ります……!」
これで晴れてシャリーナは自由の身だ。もう望まぬ相手の手を取ることも、王妃の椅子に縛られることもない。心から愛する人の手を取り、その隣に居られる。
今にも駆け出したい気持ちを抑え、シャリーナは両目を潤ませた。
「ハッ……ごね得を狙ったつもりか、魔女風情が!皆の者、騙されるな!この者達の正体は——!」
そんな感動的な空気に、またもや冷や水をぶっかける男が一人。
王妃の座も報奨金も手放し、ただお互いの手を取ることだけを選んだシャリーナとリオル。そんな二人を前にしても尚『ただ一人真実を見抜いている』と盲信し続けるロランドが、往生際悪く騒ぎ出したのだ。
「ロランド!!」
王の怒声が響く。今度は王妃が制止する暇はなかった。
「お前達、余が命ずる。ロランドを自室に連れていけ」
「ハッ!」
王の命令を受け、近衛騎士二人がロランドを押さえにかかる。そして引きずられるようにして謁見の間から追い出されていく第二王子を、皆半ば呆然と見送った。
リオルとシャリーナとて、王がここまで強引にロランドを退場させるとは思わなかった。あくまで自ら引き下がるように促すかと。
「我が愚息が失礼をした。すまなかった……」
ガクリと肩を下げ、悲しげな声で王が謝罪する。
シャリーナは恐る恐る王妃の様子を伺ったが、もはや彼女でもカバーしきれなかったようで。
引きずられていくロランドの姿が見えなくなっても、呆然としたまま一言も発することはなかった。




