20話 王妃の内心
「はあ……」
学園からの帰り道を辿る、王族専用の豪奢な馬車の中。柔らかなソファーに沈み込みながら。
この国の王妃――ユリシア・スカーレット・ウェインアース・エルガシアは、まるでこの世の苦労を全て背負わされているかのように疲れた顔で、深々と溜息を吐いた。
「これで一件落着……なんて簡単なことではない……むしろここから、と言ったところ……」
多忙を極めていた日々の中出席を決めた魔術大会。勿論ただ単に息子の勇姿を見学する為に赴いたのではない。
この国の元王太子レオナルドが、現役の王太子だった頃に多大なる迷惑を掛けてしまったと言われている少女、シャリーナ・クレイディアへの謝罪の為。
……という名目で彼女をロランドの婚約者候補に仕立て上げる為である。
ロランドの婚約者候補——ダリア・ガーデンの設立と人選には、いくつもの障害があった。
まさかローズ・ガーデンの元メンバーに打診するわけにもいかず、かといって彼女達を抜きにして他家の令嬢達を集めてしまえば、それはそれであの四家に完全に喧嘩を売るようなもの。
結果、各家への刺激を最小限に抑えつつ速やかにダリア・ガーデンを成立させる為、婚約者候補達の選定は大々的には行わず、裏で取り決めた令嬢を一人ずつ推薦や立候補という形で迎え入れるという方式となったのだが。
「それにしても、あの娘は本当に癪に障る……私の息子の嫁という最上の名誉を与えてやるというのにあのような態度……あんな娘、本当ならこちらから願い下げだというのに」
その栄えある一人目として、よりによってあの女を迎えるはめになるなど、ユリシアとて憤懣やるかたない思いである。
しかし、今はそうは言ってられない退っ引きならない事情があった。
国王の魔物病が深刻化するにつれ強まっていく王弟派、側室の子である第三王子派からの圧力。
それらを跳ね除け、ロランドの次期国王としての立場を固めるためには、薄れてしまった貴族達からの信頼、関心を早急に取り戻す必要がある。
ある意味有名人となったシャリーナ・クレイディアを、『新王太子の婚約者候補』として大々的に持ち上げ、王妃との美談をアピールするのは、そのための苦肉の策だった。
「嘆いている場合ではあるまい。この苦労もこの国を思えばこそ……これからは、王妃たる私が導いていかなくては……」
国のため、国の利益のため、この国の未来のため。時には個人の私情を押し殺してでも、冷静に合理的な判断を下さなくてはいけないのが王族というもの。
そう己に言い聞かせ、ユリシアは馬車の中でキリッと顔を引き締めた。
◇◇◇
「色が悪い。入れ直しなさい」
広く豪奢な王宮の一室、マホガニー製の椅子に座るユリシアの目の前。純白のテーブルの上に湯気の立つ紅茶のティーカップが置かれた瞬間、ユリシアは冷たく吐き捨てた。
「はい。申し訳ございません」
傍で給仕していた中年の侍女が、すぐさま淹れたばかりの紅茶を片付け始める。
口を付けることなく捨てられるそれは鮮やかな真紅であり、文句をつけられる点など何一つ無かったが、そんなことを正直に言うほどそのベテラン侍女は愚かではない。
大人しくティーカートを引いて部屋を出ていく侍女を一瞥もせず、ユリシアは腹立だしげに肘置きの上で小さく拳をを握りしめた。
「遅い……!一体何をしてるというの」
流石に、今扉を閉めるか閉めないかというところの侍女に向かって、紅茶の催促をしているわけではない。
ユリシアの恨み言の向かう先は侍女でも紅茶でもなく、王都から遠く離れたクレイディア領の当主である。
数日前帰城してすぐクレイディア伯爵家に送らせた、シャリーナ・クレイディアをダリア・ガーデンの一員として迎え入れてやるという旨をしたためた書簡の返事を、ユリシアは今か今かと待ち続けていた。
「此方からの書簡はもう、とっくに届いているはず……」
窓の外に広がる大空を睨みつけながら、ユリシアは恨めしげに呟く。
シャリーナが大人しくレオナルドの愛妾にでも収まっていれば、今頃クレイディア家は決して細くない王家とのパイプを手に入れられるはずだったのだ。
田舎の伯爵家に突如降って湧いた僥倖を、上手く立ち回れずに丸ごとふいにした娘に対し、領主夫妻が相当歯がゆい思いをしたであろうことは想像に難くない。
一度逃したチャンスを此方からもう一度与えてやると言えば、彼等はさぞ王妃のお慈悲に感謝し、今度こそそれを逃してはならぬと、不甲斐ない娘を叱咤激励するはず。
……という完璧な筋書きを用意していたのに、肝心のクレイディア家からの返事が何日経っても来ないのだ。
あの家は数時間で王都と領を往復出来る、特殊な郵便方法を有しているのだ。本来ならとっくに届いていてもおかしくないのに。
いくら速いとはいえ、時には害魔認定をされることもあるギガントイーグルを王宮に寄越すことを躊躇ったのだろうか、それとも。
「裏があるかもしれない、などと思われている……か」
僅かに眉根を寄せながら、ポツリと呟く。
もしクレイディア家当主オーウェンとその妻が、娘であるシャリーナと第一王子とのゴタゴタで王家の恨みを買っているに違いないと未だ怯えているとしたら。
この旨すぎる話が、罠の餌にしか見えなくなっている可能性もなくはない。
「馬鹿馬鹿しい。そんなこと、杞憂でしかなかろうに」
アレは今や、大事なお飾り。壊してしまえば王家にとっても損失にこそなれ何の得も益も生まない。
ユリシアは己のことを『国のために常に冷静に物事を考え合理的な判断を下せる有能な女』だと自負しているのだ。私情に流され復讐に走る馬鹿親などと見くびられては困る。
「権威にたてつく愚か者は論外とはいえ……中途半端に賢いつもりの臆病者だとしてもそれはそれで厄介なものよ……」
こめかみを抑えつつ溜息を吐きながら。ユリシアは徐ろに席を立ち、ベルベットのカーテンに囲われた窓に近づいた。
空をいくら眺めようとかの家の魔鳥が望みのものを運んでくるわけではないが、何もないテーブルの前でただ待ち惚けているのも間抜けに思えて、なんとなしに外の景色に視線を彷徨わせ……
「あら?あれは……」
眼下に広がる庭園を抜けた王城の入り口に、一つの馬車が止まるのを見つけた。
漆黒の本体に、真紅で描いた王家の紋章。黒馬に引かれたその馬車は間違いなくこの国の現王太子であるロランドのもの。
ロランドが、従者により開けられたドアから降り立ち、王城に向かって歩いている。
「ああ、ロランド。良かった。あんなに元気になって……」
しっかり自信を取り戻した息子の堂々たる姿に、ユリシアはホッと胸を撫で下ろした。
しかしそんなロランドの後ろを、少し離れて俯きながら歩くストロベリーブロンドの少女が目に入った途端、綻ばせていた顔を顰める。
「まったく、素直に媚び諂ってくるならまだ可愛気もあるというのに」
シャリーナ・クレイディア。ユリシアを悩ませる様々な問題、騒動のそもそもの原因である憎たらしい少女。
今は表立って反抗こそしてこないが、まるで人形のように従順に命令に沿うその姿は、いっそ当て付けのようで腹立だしい。
まぁ、あからさまに媚びを売られ撓垂れ掛かられては、シャリーナを稀代の悪女と信じ厭うロランドが耐え切れず拒絶してしまう可能性もある為、今のところは咎めないでやっているが。
『将来を!将来を誓い合った方がいます!私が慕うのはその方だけです、他の誰でもない!』
不意に、ユリシアの脳裏に、シャリーナと貴賓室で交わした最後の会話が蘇った。
髪を振り乱し、唇を戦慄かせ、あの丸く大きな水色の瞳を見開いて。まさになり振り構わないといった様子で、この国の王妃たるユリシアに真っ向から反抗し、必死に叫んでいた言葉。
ピシャリと跳ね除け聞かなかったことにしてやれば、全てに絶望したような感情の抜け落ちた顔で崩れ落ちた。
まるで、愛し合う恋人と無理やり引き離された悲劇のヒロインであるかのように。
「ああ、嫌なものを思い出してしまったわ。本当になんて白々しいこと」
何が将来を誓い合った方だ、どの口が他の誰でもないなどと言うのだ。そんな大したものでは決してない癖に。
ダリア・ガーデンにシャリーナを迎え入れるという苦渋の決断をした当初から、ユリシアはもし両家からあの二人の婚約が申請されても認可を遅らせるようにと、教会に根回ししていた。
しかし結局、ロランドと婚約させる前日まで、その知らせが来ることは無かったのだ。来ても握り潰すつもりではあったが、握り潰すまでもない、その程度のお付き合いでしかなかったということ。
そんな軽い気持ちで、かつて王太子であったもう一人の息子は弄ばれ、袖にされ、破滅へと追い込まれたというのか。
押さえ込んでいた静かなる怒りがユリシアの胸の内に蘇り、ギリ、と唇を噛み締めたところで。
「失礼致します」
控えめなノックと共に、先程突き返した紅茶を淹れ直した侍女の声が聞こえた。
「ふぅ……やはり紅茶は、ゾフィーネル産のものに限る」
一口含んだ紅茶をゆっくりと舌で転がし、コクリと飲み込む。
侍女を下がらせ、ようやく一人きりの穏やかなティータイムにありついたユリシアは、ほぅと息をついて満足げに微笑み……しかしすぐに、悲しげに眉を顰めた。
「レオナルド……」
呟くのは、現在離宮に幽閉されているこの国の元第一王子、ユリシアの一番目の息子の名前。
今やかつての自信溢れる性格は見る影もなく、魂が抜けたように沙汰を受け入れ、離宮に訪れる者全てを拒絶している。そのため実の母であるユリシアすら、外遊から帰国して以来、彼と殆どまともに話せてもいなかった。
無理もない。初恋の女性が、あっさりと自分を裏切り捨て去るところをまざまざと見せつけられたのだ。心に負わされた傷の大きさはどれほどのものだっただろう。
正義感が強く、高潔で、案外ロマンチストな一面もあったレオナルド。彼が他に好いた人のいる女性を無理矢理手に入れる為、恋敵を悪漢に仕立て上げ処刑しようとしたなど、到底信じられるものではない。
数ヶ月前の外遊中に届けられた報告書や、帰国後早々に貴族達によって告げられた事のあらましを、ユリシアは決して鵜呑みにしてはいなかった。
「あの、半端に欲深く小賢しい小娘のせいで……っ!」
ユリシアが考える真実のストーリーはこうだ。
レオナルドがシャリーナに求愛したとき、おそらく彼はあの女に既に恋人がいることを知らなかったのだろう。
そしてシャリーナも、最初は田舎の貧乏男爵といううだつの上がらない恋人から、一国の王子様へあっさりと乗り換えようとしたに違いない。
しかしリオル・グレンと後腐れなく別れることに失敗したシャリーナは、レオナルドに幻滅されることを恐れ、あの男に一方的に付き纏われているとその場しのぎの嘘をついたのだ。
初恋の相手の言うことを鵜呑みにしてしまったレオナルドは、正義の怒りに燃え愛しい彼女に害をなす悪漢を成敗するために立ち上がってしまう。
だがシャリーナは焦る。元恋人の手札を知っていた彼女には、このままではレオナルドがリオル・グレンに負けてしまうことがわかっていたから。
保身のためにいち早く冷静になったあの女は、レオナルドからまた元恋人へと乗り換えるための算段を立てる。
負けるとわかっている決闘に敢えて何も言わずレオナルドを送り出し、その後は悪の王子に囚われていただけの哀れな被害者を装い、勝者となった男の元へ駆け寄った。
学園内で流布されていたらしい陳腐なラブストーリーよりも、よっぽど現実的で説得力がある。未熟で夢見がちな学園の少年少女達には見抜けぬ真実を、ユリシアはとっくに見抜いていた。
「わかっているのに、この私でもどうすることもできないなんて……」
まだほのかに湯気を立てる紅茶のカップを持つユリシアの手に、力が籠る。
心優しく純粋なロランドは、いつかあの女の本性を白日の下に晒すことで、兄の名誉を回復しようと考えてくれているのだろうが、現実はそう単純ではない。
たとえ騙されていたのだとしても、レオナルドが独断でローズ・ガーデンを解散させ、国宝を持ち出したことは事実。そしてその国宝によって彼が身に受けた呪いは、現代魔法の水準では解くことは叶わない。
二度と中枢に返り咲くことは叶わない元王太子の、焼け石に水のような多少の名誉回復のために真実を詳らかにするよりも、あの女の美談に敢えて乗っかり、作り直し、現王太子ロランドの踏み台にする方がずっとメリットは大きいのだ。
「許して、レオナルド……」
国のためなら、時には我が子への情さえも切り捨て、冷静に合理的な判断を下さなくてはならない。
王妃たる己が背負いし宿命に、その残酷さに、思わず手を震わせながら、ユリシアは空になったカップをカチャリと皿の上に置いた。
ストレス回が続いてすみません…( ̄▽ ̄;)
よければ箸休めにでも別作の陰キャヒーローが活躍する話も読んでもらえたら嬉しいです。
『総愛されヒロインは呪術士の手を取る』
https://book1.adouzi.eu.org/n9254gn/
『夜明けの貴公子は行き遅れの太陽に恋焦がれる』
https://book1.adouzi.eu.org/n0320ge/




