19話 布石
「王族の威信が何!?何国のため非情で冷静な判断ができる有能な女ぶってんの!?己の子育て失敗を他人に押し付けるんじゃなぁーい!!」
真っ赤な髪を怒髪天に燃え上がらせ、屋敷中に響き渡るような大声でアンジェリカが叫ぶ。
「貴女ならそう言ってくれると思ってたわアンジェ!」
「カークライトさん……俺が思っても口に出さなかったことを……」
王都に構えたカークライト家別邸、その応接室にて。シャリーナ達から事の次第を聞いたアンジェリカは、憤懣やるかたない様子でどかりとソファに座り直した。
「アンジェリカちゃんの言う通りだ……嘘で回復させた信頼に何の価値があるってんだよ……!」
怒りが抑えきれないのはその隣に座る騎士も同じなようで、ワナワナと右拳を震わせている。
「……思ったより早かったですね」
「まあ、向こうは最初から筋書きを用意してたんだ。このくらい早くても不思議じゃあない」
ロランドの婚約者候補の会、ダリア・ガーデンの一員として、クレイディア伯爵家の長女が迎え入れられた。そんな重大発表があったのはつい昨日のこと。王妃が魔術大会観戦のため学園を訪れたその次の日のことである。
曰く、観戦終了後に王妃がシャリーナとの対談の場を設け、改めて第一王子の件について謝罪をしたこと。
そして、せめてもの詫びに出来る限り望みを叶えると言ったこと。
それを受けてシャリーナがかねてより秘めていた第二王子ロランドへの恋心を打ち明け、婚約者候補に加えてほしいと願ったこと。
その願いを叶えるため、今後は王妃がシャリーナの後ろ盾となり、妃教育をしていくと宣言。
これらが美談のように纏め上げられ、貴族達へ御触書が回りに回った。ちなみにその妃教育は明日から始まる予定である。
「こんなのをこっちがまるっと信じると思ってるとしたら王妃様も私達を馬鹿にし過ぎじゃないの?だって、うちの生徒ならシャリーとリオルくんの事情は知ってるでしょ」
「その親は伝聞でしか知らないからな。子供の言うことと王家からのお達し、どっちを信じるかって話だ」
知らせを聞いた生徒達の反応は様々であった。
戸惑う者、半信半疑の者、全く信じない者。あっさり信じてシャリーナに嫉妬する女子生徒もいるにはいたが、レオナルドの時と比べればそこまで多くない。全体的にはシャリーナ達寄りの者の方が多いだろう。
しかし、その親ともなれば難しい。
「それに、学園の外にいるのは王妃も同じだ。俺だってここまで噂に流されない生徒が多くなってるとは思わなかった。案外、子供のことなんて大人よりもっと簡単に騙せると甘く見ていたのかもな……」
カークライト家のメイドが淹れてくれた紅茶を一口含んでから、リオルがポツリと呟く。
思ったより騙される生徒が少なかったのはシャリーナにとっても意外であった。
ほんの数ヶ月前は『王子様に見染められて嬉しくない女が居るはずがない』と、誰も彼もが当たり前のように王族の方を信じていたのに。
「てか明日から妃教育まで始まるとかあり得なくない?シャリーの家にも伝えてないのに!」
「もう文書は発送されてるさ。多分今頃届いてるんじゃないか?王都の最速便なら」
おそらく今頃大騒ぎになっているであろう実家に思いを馳せ、シャリーナがそっと窓の外の空を見つめる。王都からクレイディア領まで繋がる空を。実家のギガントイーグル便(ゴンドラ無しバージョン)なら二日三日と言わず一、二時間でひとっ飛びである——とちょっとだけ優越感を抱きながら。
「冷静に日数計算してる場合じゃないでしょリオルくん!このままじゃシャリーがあんな人達に取られちゃうんだよ!?ねえ、今からでも『ロランド殿下と結婚なんて絶対に嫌!』って大騒ぎするのはダメなの?私だって協力するから!」
王妃が何がなんでもシャリーナを手に入れたいのは、一途にロランドを恋い慕う伯爵令嬢とロランドの仲を取り持ったという美談が欲しいからだ。シャリーナがロランドを慕っているという前提を取り繕いようが無いくらい壊してしまえば、結婚を強要することはむしろ悪評になる。
「それをしたら、『シャリーナが王妃様におべっかを使おうとしてロランド殿下をベタ褒めしたものだから、誤解をさせてしまった』ということにされるだろうな。そしてシャリーナは自ら望んだことであるのにせっかくの王妃の厚意を無碍にして、王太子をおおっぴらに馬鹿にしたってことで不敬罪だ」
今にも部屋を飛び出しそうなアンジェリカを、リオルは宥めるように手で制した。最初から向こうはローリスクハイリターン、シャリーナ達だけがハイリスクノーリターンだったのだ。王妃の筋書きでは。
「そうか……王妃様があの場でシャリーナちゃんを拉致しなかったのは、それでリオル達が逆らえないだろうことをわかってて……」
震わせていた拳に込めていた力を抜いたトビアスが、自らが仕える主君達への絶望が入り混じった声で呟いた。嫌がるシャリーナを一切人目に触れさせない為王宮の奥に監禁しては、流石に胡散臭く思う者も出て来る。王妃の目的を叶える為には、シャリーナには学園で、夜会で、人前で存分にロランドを一途に慕う令嬢を演じさせる必要があるのだ。
しかしそんなことをすれば、シャリーナが本気で命令に逆らい大勢の人達の前で真実をぶち撒ける危険も生じることくらいはわかってたはずだ。
「いや、それも少し違うな」
項垂れるトビアスの言葉にリオルがまたも首を振る。
「王妃様は確かに権力を盾にシャリーナを従わせようとしてるし、シャリーナが今俺を好いていることは流石に理解してるけど、自分がどれほどの無茶を強いてるかはおそらく自覚してない。『今は恋人に情が残っていても、妃の座に全く魅力を感じてないことなどあり得ないのだから、いずれ誘惑に負けて受け入れるはずだ』くらいに思ってるんだろうな」
いくら失敗したときの逃げ道も用意しているとは言え、あまりにもこちらが向こうの都合の良いように動くと思い過ぎである。
身分と血筋と財力と魔力と容姿全てが揃った王太子と、富も権力も思いのままの妃の座。身分の高い者ほど、それらに全く価値を見出せない者がいることを信じられないし、自分の価値観を否定される経験も少ない。
王妃にとっては、子供が何故か気に入っているボロボロの古い人形を取り上げて、それよりもずっと高価で見栄えの良い新しい人形を与えてやったような感覚なのだろう。根本的に見えている世界が、認識が違うのだ。
「ねぇシャリー……この国、いっぺん滅んだ方が良いと思わない……?」
先程まで燃え盛っていた怒りの炎さえ掻き消えて、虚無の瞳でアンジェリカが呟いた。貴族にあるまじき発言である。
「そうね、もし本当にリオルと引き離されてあの男に永遠の愛を誓わされることになったら、私は式の前日に海に身を投げて、真実を赤裸々にしたためた数千枚の遺書をアポロンに託してギガントイーグルで王都中にばら撒いて貰うわ」
冗談、というにはかなり具体的な計画をシャリーナが答え、
「そして来世のリオルと一緒になるわ……」
「今世の俺も諦めないでくれ」
「はい!勿論ですリオル!永遠に添い遂げましょう!」
至極冷静にリオルが引き戻した。
「シャリーナちゃんにそんなことさせるくらいなら俺はたとえ反逆罪になってでも、式の護衛も王妃様も殿下も全部蹴散らして二人を国外まで逃す!」
「落ち着いてくれトビアス、そんなことより、もっと他にして欲しいことがあるから」
式の前日と言わず今すぐにでも王宮に斬り込みに行きそうなトビアスをリオルが慌てて立ち上がって止める。
「……して欲しいこと?もしかしてリオルくん、何か策があるの!?」
リオルの言葉を聞き、アンジェリカの瞳に生気が戻った。
「いやでも、シャリーナちゃんを取り返したら王族の目の敵にされるんだろ?やっぱりその役は俺が……」
「そんなことさせない。これはシャリーナをただ取り返す為だけの作戦じゃない。シャリーナを『安全に』取り戻す為の作戦だ」
ソファーに腰を落とし、そう力強く宣言したリオルがアンジェリカとトビアスに順番に視線を移す。
「それを成功させる為に、二人に頼みたいことがある。協力してもらえるだろうか?」
「私にも出来る事があるの?何でも言って!何だってやるよ!」
「勿論だぜ!俺にできることなら、いやできないことでも何だって」
身を乗り出して答える二人に、リオルが嬉しそうに微笑んで言った。
「研磨されていない魔石が欲しい。属性は何でもいい、二人の得意属性で作れるだけ作ってくれ」
自分ではクズ石も作れないからと、ちょっとだけ眉を下げながら。
「魔法陣を作成する際、術の使用者と陣の間には魔力が通る回路が出来る。そこから魔力を流しこんで魔法を発動させるわけだけど……通常、陣と回路が繋がるのはその魔法の使用者のみ。そういう契約なんだ」
とにかく早急に魔石が必要であったので、アンジェリカもトビアスもすぐにその精製に入ってくれた。
「その契約を少しだけ書き換えて、陣が魔力を吸い取る対象を『陣の使用者のみ』から『陣の近くにいる魔力を持つ者』に変えたのが数ヶ月前にレオナルド元殿下との決闘に使った護符。それを改良して『陣の近くにある魔力を持つ物』に切り替えるのが今回俺が新しく作った護符」
ちなみにシャリーナは一昨日の夜リオルから作戦内容を聞いて以来魔力の続く限り水魔石を作り続けており、もう五十は超えている。
「トビアスを助けて、ロランド殿下を倒したこの護符を改良して……」
シャリーナは二度目になるが、アンジェリカもトビアスも黙々と魔石を作りながらリオルの説明に耳を傾けていた。
「国王陛下の魔物病を治す」
「なっ!?」
「ふぇっ?」
最後に短く締められたその言葉に、二人が驚いて声を上げる。丁度出来上がっていた火魔石と土魔石がそれぞれの手から転がり落ちて小さな音を立てた。
「な、治せるのか!?陛下の病気が!?」
「ちょ、ちょっと待って、魔物病って護符で治せるようなものなの?」
転がった火魔石をシャリーナが、土魔石をリオルが拾う。大事な実験材料である。一つとして無駄にはできない。
「王妃様がこんなに焦って事を進めようとしてるのは、陛下の容態が相当悪いからだ。陛下が亡くなられる前に、少しでも両陛下、王太子の名誉を回復したくて」
魔物病と言えば魔力を持つ者だけがかかる不治の病。貴族とは切っても切り離せない恐ろしい病気。罹れば最後、進行が遅いことを願うしかない。
「だから、陛下のご病気が治らないことにはどうにもできない」
「そうは言っても、そんな、医者でもあるまいし……」
「魔物病は聖魔法の治癒も効かねぇぞ。いくらリオルの護符で魔法を強化したところで効かねぇもんは効かねぇ」
まるで信じられないという表情で、アンジェリカとトビアスがリオルを見る。
シャリーナとてどうしたら魔物病を治せるのかなんて見当もつかない。だけど。
「聖魔法でも医者でもないんだ。魔物病を治せるのは」
今までだって、どんなに不利な状況でもひっくり返し、どんな不可能だって可能にしてきたリオルである。何の考えもなくこんなことを言うわけがないのだ。
「そもそも魔力が原因の病気なら、医者の方が専門外だろ?」
魔力が水だとしたら、魔石は氷。滅多なことでは溶けない氷。流れる水を求める魔法陣に氷を投げ込んでもどうにもならない。
そんな万年氷の欠片を窓から射し込む夕陽に透かし、まるでその中に一筋の道があるかのように見据えながらリオルが言った。
翌日。
「フフッ、とうとう本性を現したね。醜い醜い魔女さん?」
放課後、王宮へと向かう馬車の中。
貴方はやつれましたね、という言葉は飲み込んで、シャリーナは目の前に座る男に視線を合わせた。
「あのまま兄上の正式な婚約者になったところで、兄上には解散させられたとはいえ十数年も婚約者であり妃教育を受けてきたローズ・ガーデンの女達がいる……正妃の座を脅かす強力なライバルが多い」
ロランド・ルイス・ユリシア・エルガシア。
今までエルガシア国の若獅子と称えられ、(表向き)優秀だった兄の陰に隠れていた弟。しかしその実は敢えて爪を隠していた能ある鷹。
「末端の側室に格下げされる恐れがある兄上の正妻より、いまだ婚約者候補がいなくライバルが少ない僕に狙いを定めていた……実に、欲深な魔女らしい」
物事を一段高いところから見下ろし、その裏を見抜き、愚か者共を無邪気に手のひらの上で転がす腹黒い天才……に、なりたいのだろうというのがリオルのロランドに対する率直な評価である。アンジェリカも悲痛な顔で頷いていた。
「フフッ、でも、このまま君の筋書き通りになると思ったら大間違いだよ?」
ようやく己の思い描いた筋書き通りになってきて嬉しくて堪らないのだろう。この腹黒天才を気取る王子は。
「あの粋がった使い魔も、結局はシンデレラの皮を被った魔女に本命の王子を射止めるため利用されただけ……所詮鼠は鼠、姫とは結ばれない……哀れなものだね。まあ、灰かぶりの醜い女狐とはお似合いだったけど」
多分上手いこと言ったつもりなのだろう。だが詰め込み過ぎである。魔女なのか灰かぶりなのか狐なのかわけがわからない。まとめると醜い灰かぶりの皮を被った魔女の狐である。どんな生き物だ。
「ただ、金と権力に目が眩んだ、賢いつもりなだけの……安物の光り物を集めるカラスに、人間の妃としての教育が耐えられるかな?」
狐に翼まで加わってしまった。最早一周回って神々しい生き物になりそうである。
「……精一杯努力致します」
王族用の最高級の馬車らしく、最小限の揺れで流れるように馬車が進む。
図星を突かれて何も言い訳ができないかのように、無表情に、シャリーナが答える。
妃教育のため、これから毎日この男と学園から王宮へ馬車で帰らなければならない。ロランドの方も次期国王としての本格的な教育が始まるのだとか。
「フフッ、まさかここまで見抜かれてるとは思わなかったようだね」
「私に至らないところがあるということは、重々承知しておりますので……」
「ああ、健気に装って男を落とそうとする君の常套手段、僕に通用するとは思わないことだね」
「そんな、私はただ……」
今はまだ、ロランドには己の筋書き通りに進んでいると思わせていた方が都合が良い。シャリーナがあまりに反抗すれば、王妃も更なる強硬手段に出るだろう。
「私はただ……」
小さく息を吸い込んだシャリーナが、しかしそれ以上声を発することなく口を閉じる。
ただ、貴方をお慕いしているだけですと。
演技とはいえ、その言葉はどうしても言えなかった。




