17話 望まぬ配役
「シャリーナ・クレイディア。この後すぐ貴賓室へ来るように」
「はい?」
それは突然の指示だった。
無事台本通り勝利したロランドに優勝者のメダルが授与され、皆が拍手する茶番じみた閉会式が終わってすぐのこと。会場出入り口付近でパトリックに声をかけられ、談笑するリオルをシャリーナが少し離れた場所で待っていた時だった。
すれ違いざまにボソリと告げられ、振り返ったときにはもう教師の姿はなく。同時に押しつけられた解錠コードのメモがなければあやうく聞き間違いかと思うところであった。
「貴賓室って……」
一般生徒ではまず入ることのない場所。学園へ多額の寄付をしている家の当主、他国から視察に来た王族、その他余程重要な人物を通す部屋である。万が一のことがないように、来客中もそうでない時も普通の鍵とは違う特殊な方法で施錠されている。
「シャリーナ、どうかしたのか?」
話を終えて戻ってきたリオルが小さな紙を握り締めて俯くシャリーナを見て眉を顰める。
「その紙は?」
「ええと……」
わざわざリオルが離れた瞬間に、そして誰にも聞こえないように早口で、ろくに説明もなくメモだけ押し付けて来たのだ。誰にも言わずに来いという意図であるのは明白であった。
「先程教師の方に『この後すぐ貴賓室に来るように』と言われてこのメモを押しつけられたんです」
ただまあその意図を尊重するか否かはシャリーナの裁量に任されているのであっさり打ち明ける。恨むなら自分の日頃の行いを恨んでほしい。尊敬できない人の意図を誰が尊重しようか。
「……わざわざ俺が離れた隙にか」
リオルがますます眉を顰める。訝しむ顔がとても格好良い。
「もしかしなくても待ってるのは王妃様だろう。シャリーナに何の用だ?まさかロランド殿下のことで難癖つけたいだけなわけあるまいし」
「やっぱりそうですよね……」
シャリーナに貴賓室に招かれる理由がないのだから、シャリーナを待つ相手が貴賓室に通されるべき位の人物なのであろう。となれば今日観戦に来ていた王妃以外にいない。
「ロランド殿下の名誉回復のために協力しろって話か?殿下の現状について王妃様がどこまで知ってるかはわからないけど」
「あの茶番決勝戦でもまだ足りないんですかね?そこまで回復できる程の名誉が最初からあったかどうかも怪しいのに……」
「そこは怪しんでやるなよ王太子だぞ」
「いえ、やっぱりありませんでした最初から」
「せめて怪しんでやれよ」
ロランドの名誉を捏造するとして(もう回復とは言わない)、一介の生徒でしかないシャリーナにできることなどたかが知れている。せいぜいロランドを持ち上げる噂話を流したり、今回のような大会で黄色い声援を送るくらいだ。死んでもやりたくはないが。
「以前レオナルド殿下と一悶着あった俺達に、ロランド殿下も突っかかってると知った王妃様が、アレの二の舞にならないようにこれ以上ロランド殿下と接点を持たないよう言ってくるか……それとも逆に『もう何のわだかまりはない』とアピールするために殿下と仲良くするよう言ってくるかだな」
「前者だったら喜んで了承しますけども」
「いや、前者だったら多分君は他国に留学を勧められる。勧めるという名の命令だ」
「えっ!リオルと離れなきゃならないってことですか!?絶対嫌です!」
すかさず「俺も嫌だ」と呟いたリオルにシャリーナがパッと目を輝かせる。その瞬間照れたように目を逸らされてしまったが、むしろその反応も嬉しかった。
「ただ……後者となるとそれはそれで、君が王宮での夜会に参加したり、ことあるごとにロランド殿下を持ち上げたり、場合によってはダンスも踊らないといけなくなるけど……」
「それも絶対に嫌です」
「俺も嫌だ」
今度は目を逸らさずに、はっきりと答えてくれた。
「そなたがシャリーナか」
「はい。クレイディア伯オーウェンが娘、シャリーナと申します。御目通り叶いましたこと、至極光栄に存じます」
「よい、よい。そう固くなるでない。顔を上げよ」
伸縮性のあるファラ・ルビア学園制服のスカートを持ち上げて、深く頭を下げたシャリーナがゆっくりと姿勢を正す。
目の前にはこの国の王妃、ユリシア・スカーレット・ウェインアース・エルガシアが傍に護衛を従わせ、豪奢なソファに悠然と座っていた。
「思えばそなたには、我が愚息のことで迷惑をかけたな。一度、直接話をしたいと思うておったのだ。何か詫びをせねばならんな」
「とんでもないことでございます。お気にかけてくださったこと、そのお言葉だけで身に余る光栄。どうしてこれ以上のものを望めましょうか」
盤に嵌め込まれた魔石を動かして解錠する方式の扉を開け、足を踏み入れた貴賓室。シャリーナを待ち受けていたのは予想通りの高貴なる人物であった。この国で二番目の権力を持ち、全ての女性の頂点である存在。
王妃が待っているであろうこと、また、最初にかけられるであろう言葉。ある程度の予想はついた。しかしここからが読めない。
一国の王妃たるものが、いくら息子がしでかしたこととはいえ、過ぎたことを詫びるために一生徒を呼び出すわけがない。
「して、シャリーナよ。そなた、我が二番目の息子……ロランドのことをどう評価している?」
「!」
予想がつかない、ここからが勝負所。シャリーナの首筋にひやりと冷たい汗が走った。
「私などが王太子殿下を評価するなど、烏滸がましいことできるはずもございません。どうかお許しください」
ロランドと接点を持たないよう仄めかされるか、又は逆に仲良くするよう言われるか。王妃が息子の惨状をどれだけ知っているかわからない今、何が目的かも断定できない。
リオルとの短い作戦会議では、とにかくどちらにも転ばないよう、曖昧な言葉で濁すとしか決められなかった。
「良い、気にするな。正直に申せ」
「私ごときに、許されることでは……」
今、隣にリオルは居ない。シャリーナ一人で乗り切るしかない。
「良いと言っている。我が許すのだ。他に誰の許可が要る」
「それは……」
王妃の狙いが読めない。王族の面前で王太子を貶めるなどあり得ないことである。よってこの場合、シャリーナにはロランドを持ち上げる答えしか許されていない。しかしそんなわかりきった答えを欲するということは、シャリーナの口からそれを言わせることに意義があるのだろう。
シャリーナがロランドを褒め称えることによって、王妃は何を得ようとしているのか。
「たとえ陛下にお許しいただけたとしても、私自身が私を許せません」
「許可では足りぬか。では言い換えよう、これは命令だ」
トビアス達の話が本当なら、国王が倒れ回復の見込みが無い今、最も多忙を極める状況にいるのは王妃である。大会観戦は勿論、一生徒と談笑している暇だって本来は無いはずだ。王妃の目的が何であれ、シャリーナが曖昧に躱し続ければ、王妃もそう長い時間をかけられないだろう。
「まさか命令に背く気ではあるまい?」
「……自信に溢れ、他者とは違う視点を持ち、常識では考えられないことを成し遂げられるお方です」
しかしそう思って躱していられたのも、ほんの数回のことであった。
「ふむ。やはりそなたは我が息子を高く評価しているのだな。成る程ロランドは大層慕われているようだ、安心したぞ」
「殿下を慕わない者などこの学園におりません」
まずい。なんとか最低限失礼にならないように、しかし決して誉めないようにと選んだ言葉も、あっさりと極上の褒め言葉として変換されてしまった。しかも『シャリーナがロランドを慕っている』とまで結びつけた様子。せめてその『ロランドを慕う者』をシャリーナ個人ではなく学園全体に広げ、特別感は薄めようと試みたが、果たして効果はあっただろうか。
「うむ。勿論王太子たるもの、人望がなくては話にならん。しかし、我はそなたがロランドを好いていることを何より嬉しく思うぞ」
「……っい、いえ、私など、殿下にとっては取るに足らぬ者、そのようなお言葉、受け取る資格はございません」
台本が、崩せない。
シャリーナとて、王妃が本気でそう言ってるとは最早思っていなかった。予め決めた台本があり、着地点があり、シャリーナが何と答えようとその通りにしようとしているだけだ。そして今のところ、まんまと王妃の思い通りになっている。いまだ着地点はわからないが、そこに着地してはいけない、それだけはわかる。
「では……シャリーナよ、最後に一つ確認しよう。我が息子、ロランドのことを、いつから知っておったか?」
台本から抜け出すにはこれが最後のチャンスである。しかし問いの意味がわからなかった。留学から帰ってくるまで知らなかったなどと言えば勿論不敬だが、幼少期の年齢を挙げたとしてそれがどう転ぶのか。
「何を仰います王妃陛下。この国に生まれて殿下を知らない者など、存在致しません」
「左様か。よくわかった」
結果、一般論に落とし込むという、ありきたりな答えしか紡げなかった。
「そなたが幼少の頃よりロランドを慕っていたことはよくわかった。それならばレオナルドの求婚を拒否したのも致し方なきこと。せめてもの詫びに、我はそなたを応援しようぞ」
「なっ……」
あまりのことに呼吸が止まる。着地点がわかった。わかってしまった。しかしもう逃れる術がない。
「シャリーナ・クレイディア。そなたをロランドの婚約者候補の会、ダリア・ガーデンに迎え入れよう。未来の妃たる自覚を持ち、しっかりと励むように」
狙い通りに着地した王妃が満足げに腰を上げる。もうこの話は終わりだとばかりに。
「お、お待ち下さい、わ、私ごときが、そんな、恐れ多い、どうかお考え直しを、陛下!」
「口を慎め!陛下の御退場であるぞ!」
シャリーナが必死で縋るも、側で控えていた学園長と教師にあっさりと阻まれた。もう王妃は部屋を出て行く寸前である。
「将来を!将来を誓い合った方がいます!私が慕うのはその方だけです、他の誰でもない!」
「婚約はしておらぬのだろう。此度の無礼は我が息子との婚約に免じて許そう。だが……二度はない、心しておけ」
真っ青になったシャリーナが半ば悲鳴のように叫ぶも、返ってきたのは人形のように冷たい視線だけであった。そこには一欠片の慈悲も無い。現王が病に伏せった今、国の安定は何よりの優先事項。一人の少女の恋情など考慮されるはずもなかったのだ。
「あ……」
ガクリと膝をついたシャリーナを冷たく一瞥し、王妃が部屋を出て行く。
王妃の足音が聞こえなくなってからしばらくして、学園長達もシャリーナに一言も声をかけることなく出て行った。
「どうして……」
がらんとした空虚な部屋には、シャリーナ一人と、お飾りの妃の座という望まぬ椅子だけが残された。




