16話 茶番
「屋台のグランドメニューでも考えるか」
「任せてください!抹茶は確定としてオーソドックスにストロベリーや変わり種としてコーヒー味なども考えてまして」
「何の話?」
なんとか間に合った魔術大会準々決勝。待ちぼうけをくらって拗ねるアンジェリカに謝り、取ってくれていた席に座ったシャリーナ達。
「もし国外追放になった時の備えだ」
「何の話!?」
「アンジェは何味が好き?ピーチ?メロン?良かったら遊びに来てね。ちょっと遠いかもしれないけど」
「だから何の話!?」
席についたことでようやく落ち着き、リオルも冗談を言えるくらいには回復したようである。いやそれともこんな冗談を言うくらい疲れてるのか。汗をかいたからか上着も脱いで脇に置き、両腕で本を抱いてるあたり後者かもしれない。
「まあそんなことは置いといて今はトビアスの次の次の対戦相手になる奴の戦い方でも見ておこう」
「待って国外追放ってそんなちょっと置いとけるような話なの??」
だいぶ納得のいかない顔のアンジェリカを置いて、ステージから準々決勝戦開始の合図が鳴り響いた。ちなみにトビアスの試合は午前中の最後の予定である。リオルと反対のブロックにいたトビアスは、今日まで順調に勝ち進んでいた。
「本当は、リオルと決勝で戦えると思ってたんだけどなぁ」
アンジェリカの隣に腰掛けたトビアスが心底残念そうに言う。
「棄権も考えろって言ってたのは誰だったっけ?」
「あっ、いやあの時はまだリオルの実力をちゃんとわかってなかったから!今はしっかりわかってっから!」
リオル、シャリーナ、アンジェリカ、トビアスの順で座っているので、リオルの独り言に近い呟きを聴き取るには少々遠いはずだが、トビアスは難なく拾ってみせた。
……多少の距離であれば、声に出しさえすればどんなに小さくても拾えるのである。この言外の言葉や言葉の裏や行間は壊滅的に拾えない騎士様は。
「ふふ、トビアスはリオルを心配してくれてたんですよね。あの時はリオルも……ひゃっ!?」
しかしシャリーナが大会前のやりとりのことを思い出していたのも束の間、不意にバサリとその視界を黒い布が覆った。
「うわっ、なに、いたたたたたた染みるっ」
「うっぐ、いってぇ……っ油断した……」
その次の瞬間布の外の世界が一層明るくなった感覚があり、アンジェリカ達の呻き声が聞こえた。
「悪い、シャリーナしか間に合わなかった」
「うう、別にいいけどさぁ~」
「ど、どうしたのアンジェ?何があったの?」
黒い布が頭から膝に落ち、それがリオルの制服の上着だったことを知る。周りを見渡せば観客席の前方は皆一様に両手で目を覆っていた。
「あの人が使った光魔法の余波がこっちにも来たんだよ。いきなり目の前がすごく明るくなって……」
涙目になりながらアンジェリカがステージで向かい合う二人のうち一人を指差す。その対戦相手の方は、観客と同じように両手で目を押さえてうずくまっていた。
「光の粉の魔法陣が見えたからな。アレを試合中に使うとしたら、目眩しに以外にないと思って」
「確かになんで今初級光魔法なんて使うのかなとは思ったけど!」
視界が黒に覆われる直前。ステージ上に初級光魔法、光鱗粉の陣が広がったのはシャリーナにも見えていた。
扱いの難しい光属性の魔法の中で比較的簡単な、小さな光を散らせるだけの子供騙しのような魔法。別名痛いの痛いの飛んでいけ魔法、妖精達のおまじない。何でも願いが叶う妖精の粉になぞらえて、貴族の親が子をあやす時によく使われる。
特にこれといって威力や効力があるわけではなく、きらきらと降る粉が綺麗なだけ。それを何故この試合中にとシャリーナも一瞬不思議に思ったわけだが。
「……ああ!」
リオルの説明にシャリーナがポンと手を叩く。
成る程あの選手はその初級魔法の威力を最大限に上げて、相手の視界を数十秒程度奪おうとしたのである。その策は見事に上手くいき、丁度今試合の決着がついた。光魔法を使った選手が自身も腕で目を覆いながらも、何が起きたかわからずうずくまっている対戦相手を中級風魔法でステージ外へ吹き飛ばしたのだ。
「え、好き……」
「この流れだとあの選手に対して言ったとも取れるからもうちょっと詳しく言ってくれ」
「あの方が展開した魔法陣からいち早くその目的を読んで観客席まで被害が来ることを瞬時に察知し流れるような動作で私を守ってくれたリオルがとてもとても格好良くて好きですありがとうございます」
「どうも」
上着を手渡しながら礼を言えば、目を逸らしつつも少し照れた顔で礼を返してくれる。
「……俺も好きだよ」
「きゃあああ!リオルー!」
「えっ何リオルくんいつの間に路線変更したのそんなサラッと言えるタイプだったっけ」
嬉しさのあまり抱きつけば、すかさず背中に腕を回してくれた。格好良いにも程がある。
「リオルくんの上着落ちたけどシャリー」
視界の隅でアンジェリカが屈んで何か黒いものを拾っていたが、この時ばかりはリオル以外の言葉は耳に入らなかった。
「リオルくん上着上着」
「シャリーナばかりに言わせるのも悪いと思って」
「嘘でしょリオルくんも聞いてない」
「いいえ私が好きで言ってるんですリオルが気に病むことはありませんただリオルに愛の言葉を言ってもらえるならこれ以上嬉しいことはなく」
「おーい二人共そろそろ次の試合始まっけど見なくていいのか?」
閉じられた二人の世界。シャリーナがハイテンションで感動を語る中、トビアスが空気を読まずに言った。
「ちっくしょう、あそこで足が滑らなかったら……!」
「制服洗ってきた方がいいんじゃないか?泥だらけだ」
「せめて手だけは綺麗にしてよね、お腹壊すよ」
「上着だけでもよければ今洗いますか?乾かすのは上手くできるか自信がないですけど……」
午前の部が終わり、昼休み。人がまばらになった観客席で、シャリーナ達は各々の弁当を食べていた。
「いや、上着はもう今日は着ねーや。帰ってスラックスと一緒に洗う」
午前の部最後の試合だが、残念ながらトビアスは負けてしまった。相手は水魔法の使い手で、土魔法を得意とするトビアスと大技をぶつけ合い、ステージは濁流に飲まれた。そして何度目かのぶつかり合いののち相手の魔法を躱そうとしてトビアスが泥に足を取られ、ステージ下に転がり落ちてしまったのである。
「午前の部の最後でよかったな。この惨状じゃあ片付けにまだ時間かかるだろ」
現在観客席下では土と水の大戦争により泥だらけになったステージの大掃除が行われている。かつての輝きを取り戻すまであと三十分はかかりそうだ。
「そうだ、午後からは王妃様もいらっしゃるんだよね。どうしよ、緊張してきた」
「そうね。でも、ロランド殿下がいなかったら王妃様もあまり観戦の意味はないのかしら……」
「一応この国の未来を背負う生徒達の士気を高めるって意義はあるだろうけど」
「未来かぁ……はあ、殿下はいったいどういうつもりなんだ……王妃様に顔向けできねぇよ」
ちらりと反対側の観客席に目をやれば、教員達が他の席から隔別された特別席の最終確認を行なっていた。午後の部からここで王妃が観戦をする予定なのである。本来であれば、ロランドの準決勝戦、決勝戦を観戦するはずだった。前王太子レオナルド亡き——いや死んではいないが——今、この学園に魔力量や技術力で王族たるロランドに並ぶ者はいない。ロランドの決勝トーナメント進出は約束されたもののはずであった。
まあ、知力で圧倒的にリオルが勝った結果崩れてしまったわけだが。
「……ロランド殿下が出てこないとは限らないぞ」
「へ?」
お忙しい王妃様が無駄足を踏むことになるとは。口には出さずとも生徒達皆そう思っている空気があった。
しかしシャリーナ作サンドイッチを食べながら、リオルがそんなことを言う。
「会場前に貼ってあった予定表、三位決定戦がなかっただろ」
「え?ああ、そういえばそうでしたね……書き忘れたんでしょうか?なかなか忘れるものでもないと思いますけど」
「そうだっけ?予定表なんてよく見てなかったよ。でも、それの何が殿下と関係あるの?」
今日の予定は午前の部で準々決勝を4試合、午後の部で準決勝2試合と決勝である。昨年までなら決勝の前に三位決定戦があったはずだが、何故か今年の予定表には表示されていなかった。その分決勝が早まり、決勝後と閉会式の開始時刻との間にぽっかりと不自然な穴が空いている。
「ロランド殿下の名誉回復、一生引きこもりコース回避、王妃様への体面を考えたら、多分これしかない」
「これとは?」
「そんな一気に解決させる方法があったの?」
「リオルを陥れるってわけじゃあないよなぁ……?」
シャリーナとアンジェリカとトビアスが誰からともなく顔を見合わせ首を傾げる。
「……敗者復活戦だ」
サンドイッチの最後の一欠片を飲み込んで、リオルがどこか呆れたように言った。
午後の部での試合は、選手達だけでなく観客に至るまで一様に緊張している様子であった。理由は明白、同じ会場内にこの国の王妃がいるからだ。王族のため特別に用意されたその席は周囲の席より一段高い。王妃が少しでも周囲を見渡せば下手にいる自分達の姿も目に入ると、生徒達はいつにもまして背筋を伸ばし肩を張っていた。
「……リオルの言った通りだ……」
その午前とは打って変わって私語の少ない静かな観客席で、通常であれば誰にも拾われることもなかったであろう小さな呟き。しかし今回ばかりは幾人かに拾われてしまったようで、僅かに周囲がざわめく。
「あ、わりっ」
ちらりとトビアスの方を見たリオルが何も答えずにただ人差し指を唇に当てたところで、トビアスが慌てたように片手で口を覆った。
「えー、それでは本日の最後の試合を始める!」
眼下のステージでは拡声器を通して声を張り上げる教師がいる。
現在午後の部終盤。ついさっき、本日最後の試合が終わったはずのステージの上である。進行役の教師の隣にはもう一人、先程の決勝戦の勝者——今大会の優勝者であった選手が戸惑いの表情を浮かべて立っていた。
「今大会の初戦にて不正があった事実を重く受け止め、三位決定戦に替え、再度決勝戦を行うこととし——」
拡声器を通しているから声量は充分なはずなのに、教師の言葉が右から左へ流れていく。昼休みにリオルが言った通りのことを言っているのだろうと、シャリーナは冷めた目でステージを見下ろした。
『決勝戦が終わったら、ロランド殿下が出て来る。それでもう一回決勝戦だ。不正がなければ殿下が決勝戦に進んでいたはずだからってな』
今し方決勝戦だったものを終えた選手に、王子と戦う余力は残っているはずもない。結果はもう決まったようなものだ。
『だから三位決定戦が消されてたんだ。一回目の決勝戦で負けた方が三位だ、準決敗者が戦う必要がない』
この次の閉会式ではロランドが優勝者として、本来の優勝者が二位として表彰されるのだろう。予め決められた台本通りに。
「茶番ですね……」
「言ってやるな、その茶番で救われる未来があるんだろ」
ざわめきが強くなった観客席で、シャリーナとリオルの小さな呟きは今度は誰にも拾われることはなかった。
そして生徒達の殆どがいまだ戸惑っているうちに、二回目の決勝戦が始まった。
「あっ、で、殿下!頑張ってくださいませー!」
「さ、さすがですわー!ロランド殿下ー!」
途端思い出したように周囲の女子生徒達がロランドへ声援を送り始める。ただしその黄色い声も、初日と比べだいぶ色が剥がれていた。
「殿下!ロランド殿下ー!」
「素敵ですわー!」
それでも完全に剥がれ落ちはしないあたり、まだ王太子としての威厳や魅力は残っているのだろう。さすがは王族の肩書きである。しつこい油汚れ並みに中々落ちない。みかんの皮で擦れば消えないだろうか。
「……え?」
と、不敬罪まっしぐらなことを考えながらシャリーナが視線を感じて顔を上げると。
「シャリーナ?」
「え、あ、何でもないです……気のせいですよね……」
シャリーナが座る観客席の反対側、王族のため設置された特別席。そこに悠然と座る王妃と目が合った気がして、シャリーナの首筋に悪寒が走った。
いやまさか、あり得ない。王妃がわざわざシャリーナ個人を見る理由がないし、この距離で目が合うわけもない。大方ロランドへ声援を送る生徒達を見渡しただけだろう。
「ところでこれでロランド殿下の引きこもり問題は解決ですかね?一応これで名誉回復もできたはずですし」
気を取り直したシャリーナがこそりとリオルに問う。
「いや……どうだろうな。不正の犯人は確定しないままなんだ、殿下が望む程に回復したとは言えない」
しかし戸惑いを隠せない男子生徒達、色落ちした黄色い声援を送る女子生徒達を見渡して、リオルは静かに首を振ったのだった。




