14話 台本通りじゃなくても
「リオル!」
きっとここにいるだろうと確信し、シャリーナは息を切らせてその名を呼んだ。
「ここに居ると思いました、リオル」
学園の裏庭。昼休みのいつもの場所である。その大きな木の下で、見慣れた黒髪が風に揺れていた。
「……ここに居れば君が来ると思った」
「いえ、私はリオルがどこに居ようと空の果てまで追いかけます!」
「頼もしいな」
両腕で本を抱えて座り込むリオルのすぐ隣に座り、シャリーナが力強く言う。
一瞬目をまたたかせたリオルが、苦笑するように眉を下げた。
「ごめん。格好いいところ見せられなくて」
力無く呟いて、リオルがこてんとシャリーナの肩に頭を乗せる。こんな風に弱っているリオルは珍しい。
いや、弱っている時に、こんな風に気負いなく甘えてくれるリオルが。
「リオルはいつだって格好いいです」
「……逃げただけでもか」
「どんな状況だってリオルは出会った時から一分一秒絶え間なく今この瞬間もこれから先の未来もずっとずっと格好良いです」
「これを本気で言ってるから凄い」
観客席に居た時は、悔しくて悔しくて堪らなかった。リオルの勝利が否定されたことも、あろうことが不正の濡れ衣を着せられそうになったことも。リオルを助けられなかった自分自身の無力も。トビアスが続いてくれなければ、シャリーナの証言はあのまま切り捨てられていた。
「……約束を守ってくれてありがとうございます」
けれどシャリーナがいくら悔しがったところで、結果が変わることはない。ならば今できることは一つだけ。
「試合が始まる前に、無茶はしないと約束しました。自分の身を守ることを一番に考えると」
格好いいところを見せられなかったと、謝ったリオル。
そんなわけない。リオルが格好よくなかったことなんてない。
「あの場で試合を続行することを望めば、無事では済まなかった。だから辞退を選んでくれたんですよね」
リオルが自己評価を下げてしまうなら、全力で引き上げる。これだけしかできないけれど、これだけは誰にも負けない自信がある。
「あの『はい』としか答えようのない状況で、先生の狙いも、罠も、全て見抜いたリオルは凄いです。先程リオルは逃げたと言いましたが、逃げなんかじゃありません。華麗なる回避です」
「ものは言いよう」
「純然たる事実と言います」
シャリーナの肩に頭を乗せたまま、リオルがくつくつと笑った。言葉は素っ気ないが態度でわかる。今のリオルは機嫌が良い。下がってしまったその自己評価も、なんとか上方修正されたことだろう。
「貴方が好きです」
一呼吸置いて、シャリーナが言う。触れた肩から、腕から、彼の身体がぴたりと硬直したのがわかった。
「貴方が好きです。誰がなんと言おうと、たとえ貴方が否定したって、私にとってリオルが世界で一番格好いいひとです」
リオルが顔を上げる。その黒髪の奥に透ける深緑をしっかりと見つめて、シャリーナはその手を取った。
「……俺は……」
深緑が揺らぐ。僅かに伏せられる。しかし数瞬の後、再び開いた二つのそれは、先程まであった迷いを切り捨てたかのように強い意志を秘めていた。
「……大会で優勝したら、言おうと思ってたんだ。いっときでもこの学園の一番になれば、君に釣り合ってると自信が持てるんじゃないかって」
握った手を握り返され、真っ直ぐ見つめ返される。その真剣な目に、シャリーナは息を呑んだ。
「もっと格好いいと思ってもらえたらって……けど、そう言い訳して先延ばしにしてばかりじゃあ一番格好悪い」
いいえリオルはどんな時だって、と反射的に口を挟もうとして止める。違う、これは、いつもの自嘲や謙遜の言葉ではない。もっと大事な言葉の、前置きだ。
「俺も……君が、シャリーナが、ずっと、いや、きっと出会った時から」
繋いだ手を一際強く握られた、その時。
「リオル!シャリーナちゃん!やっぱりここに……あっ」
「シャリー!リオルくん!大丈夫……あっ」
ドタバタと駆け込んできた二人分の足音。一人は最近新しくできた頼もしい友人、一人は昔からの一番仲の良い幼馴染。
「あ、いや、悪い、邪魔するつもりは……」
「ご、ごめん……二人が落ち込んでると思って……探しに行こうと……」
駆け寄ってきたトビアスとアンジェリカの二人が、繋がれたシャリーナとリオルの手を見て同時に足を止めた。
「じゃ、じゃあ俺会場に戻るわ次の試合も始まってるだろうし」
「私も帰るね!ごめんね!どうぞ続けて!」
ぎこちなく目を逸らし、大袈裟に両手を振って回れ右をするトビアスとアンジェリカ。その乱れて跳ねた髪から、二人が戻らない自分達を心配して走って探し回ってくれたことが伺える。
「待ってアンジェ、トビアス!」
すぐさま立ち去ろうとする二人を呼び止め、シャリーナが立ち上がった。手を握っていたリオルも必然的に一緒に。
「心配してくれてありがとう。私もリオルも大丈夫。一緒に会場に戻りましょう」
せっかくリオルを心配して来てくれた二人を追い返すのは気が引ける。リオルだって、この空気の中仕切り直してもう一度と言うのは酷だろう。
「リオルもそれでいいですか?」
「……ああ」
今、言おうとしてくれたことが嬉しい。焦らなくてもいつか言ってくれたらそれでいい。
「えっと……いいの?シャリー、リオルくん」
「ええ、二人共来てくれてありがとう」
「いやぁ俺空気読めねぇってよく言われるとこあるし迷惑だったら全然正直に言ってくれて構わねぇから」
「いや、ずっと戻らなかったら疾しいことでもあるのかって邪推されるだろうし。そろそろ戻らないとなとは思ってたよ」
トビアスとアンジェリカは少々決まり悪げにしていたものの、気を取り直して四人並んで歩き出した。今頃次の試合が執り行われているだろう魔術大会会場へと向かう。
「シャリーナ」
「はい!何ですか?」
本当に大丈夫か、大丈夫だから、と何度も繰り返し、校舎の角を曲がったところで。
リオルから不意に名前を呼ばれ、シャリーナが振り返った。
「君が好きだ」
「はい!……はい!?」
全員の足が止まった。
勿論シャリーナは足どころか一瞬思考も停止した。
今、今なんと。
「あのままうやむやにして先延ばしは男らしくないと思って」
しばらく呆然として、ようやく聞き間違いでないことを悟る。いつか言ってくれたらいいと思っていた。焦らなくてもいいと思っていた。
「俺が意気地なしなせいで、あんなふうに気を遣わせたのだって情け無い。でももう誤魔化したりしない」
「リ、リオル……」
「好きだよ。シャリーナ、君が好きだ。遅くなってすまない、もっと早く言えたらよかった」
「リオル!」
それ以上は居てもたってもいられず、シャリーナはリオルに抱きついた。
嬉しい。嬉しい。死ぬ程嬉しい。
頭の中で何度も何度もその言葉を繰り返し、喜びが全身に広がる。夢みたいなのに夢ではない。
「おおお、やるじゃねぇかリオル!よく言った!」
「おめでとうシャリー、良かったね……!」
パチパチパチと両側から拍手が聞こえてきた。見ればトビアスは興奮気味に、アンジェリカは涙ぐみながら手を叩いている。
「よし、今夜はパーティだ!俺の奢りだ!」
「馬鹿、こういうときはさりげなく二人きりにしてあげるんでしょ!空気読めないってそういうとこだよ!」
拳を突き上げたトビアスの背中をアンジェリカがバシンと叩く。そしてそのまま服を引っ張って連れて行こうとし、トビアスが「成る程そりゃすまねぇ」と素直について行こうとしたところを。
「待って待って、一緒に行きましょうアンジェ!」
「ああ今回は本当に待ってくれいま度胸を使い切ったところなんだ置いてってくれるな」
シャリーナがアンジェリカの右手を、リオルがトビアスの左腕を掴んで止めた。
大会会場を飛び出す前の暗い空気は、すっかり消えて無くなっていた。
「クレイディア嬢!」
「シャリーナちゃんっ」
シャリーナ達が会場観客席へと戻ると、それを目にした生徒達の間でどよめきが走った。
そんな中、人混みを掻き分けて二人の男女が現れる。
「ああ、皆居たのか。丁度良かった」
「シャリーナちゃん、あ、あの、私」
ウルフカットの銀髪にブルーグレーの目の青年、パトリック・ウォーディントン辺境伯子息。
ボブカットの茶髪に同じく茶色の目の少女、ケイト・フェアフィールド男爵息女。
二人共シャリーナ達とは顔見知りである。かつて王太子レオナルドを廃した時に、シャリーナとリオルに味方する証言をしてくれた二人。特にケイト・フェアフィールドはシャリーナとアンジェリカのクラスメイトだ。
「リオル・グレン、お前は不正なんかしてない。そうだろ?証言が必要だったらいつでも言ってくれ」
「わ、私も!パトリック様とリオルさんの二回戦と三回戦の試合を見てました。どちらの相手も魔道具は使っていなかったこと、リオルさんの使う護符に合わせて倒れたところを見てます!」
ちなみにその証言がきっかけで二人は仲良くなり現在友達以上恋人未満の関係を築いているらしい。と、当時ゴタゴタが収まった後礼を言いに行った時に明かされた。次の長期休みにお互いの家に挨拶に行くとか行かないとか。そろそろ正式に婚約を結ぶとか何とか。
「……ありがとうございます、お二人とも。ただ、今回ばかりはそうするわけにはいかないので……」
「何故だ!?」
「ど、どうしてですか?」
丁度一列に並んで席と席の間を歩いていたところだったので、シャリーナの背後に居たリオルが前に進み出る。
「完全に濡れ衣を晴らしてしまうと、今度は“学園側が杜撰な調査で王太子を害そうとした犯人を決めつけた”ということになってしまいます。ロランド殿下がそれを止めなかったことも疑問に思う者も出るでしょう。ようやくレオナルド殿下の件が風化してきたところなのに、新しい火種を撒いてしまう」
「そ、そうか……でも、それじゃお前が泥を被ったまま……」
「そんな……疑われたままでいいって言うんですか、リオルさん!」
歯痒そうに顔を顰め、パトリックとケイトが言い募る。リオルの言い分を理解しながらも、どうにも納得し難いと顔に書いてある。
「いつだって信じてくれる人がいるので、充分です」
斜め後ろのシャリーナを振り返り、リオルが言う。そして「勿論あなた方も」と付け加え、前に向き直って穏やかに笑った。
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「……どういうことだ!」
学園内の広く薄暗い一室。二つある扉は施錠され、中央に長テーブルが設置されただけの部屋。
その長テーブルの端を、でっぷりと太った白髪の男が勢いよく叩きつけた。
「どういうことだ!これ程の証拠を用意して何故言い逃れなんぞされる!」
男の前に置かれたブローチ型の魔道具。第二王子ロランドから提供のあった、まさに本物の証拠。石に刻まれた魔法陣がいじられ、至近距離で魔法を使えば暴走するように細工が施されている。
「そ、それが……どうにも、アレはこちらの狙いを察したようで……」
その斜め前の席に座った“執行役”の男がびくりと肩を震わせる。この男は今日、一人の生徒の罪を白日の下に晒し、謹慎を言い渡す役目を担っていた。
「だ、台本通りに、進まなかったのです……」
「それならそうといくらでも言いようがあっただろうが!あんな若造に簡単に言いくるめられおって!」
「そ、それにですね、証言役が出遅れたせいで、先に他の生徒が向こうに有利な証言をしてしまい……おい、お前!何故あの時黙っていたんだ!」
自らの失敗を擦りつけるかのように、執行役が証言役を睨みつける。この中で一番若く、一番重要な役目を果たすはずだった教師を。
「それは……」
台本通りならば、件の生徒が早朝に三学年の教室から慌てた様子で出て行くところを見たと証言し、トドメを刺すはずだった若い教師。
「その、予想外な方向に話が進んだので、タ、タイミングが分からず……」
「……まさか」
白髪の男——学園長が憎々しげにギリ、と上下の歯を噛みしめる。
「まだ同情しているのではなかろうな。一国と一人、天秤にかけるまでもないとまだわからんか!」
学園の最高権力者に怒鳴りつけられ、若い教師が肩を震わせて俯く。
「それともただの保身か?万が一計画が暴かれた場合を恐れたか?名誉ある役目を全うせずに!」
提出された証拠に基づき刑を課す執行役と違い、この度の証言役はその役自身が用意した架空の証言をする。
よって、万が一件の少年の濡れ衣が晴らされた場合、嘘の証言をしたとして槍玉に上げられる……まあ、一番逃げ道のない役である。だから一番立場の弱いこの若い教師に押し付けられたわけだが。
「それは違います!私が守ろうとしたのは、自分ではなく……っやはり罪の無い生徒を罠に嵌めようなど……!」
「……ふむ。やはり、わかっていないようだな」
まるで幼稚な子供でも見るように、やれやれと肩を竦める学園長。ゆっくりと大袈裟に溜息をつき、未だに納得のいかない顔をしている証言役を見据えた。
「……いいか。これから言うことは決して他言するな」
そして一段と声を潜め、言う。
「陛下は今……魔物病を患っておられる」
「へ?」
「それも、かなり進行が早い。このままではもって1年、早ければ……半年だ」
「なっ!?」
突然告げられた衝撃的な事実に、若い教師が言葉を失くした。
帰国してからというもの、ずっと第一王子レオナルドがしでかした不祥事の後始末に追われていた国王が、ある日突然政務の途中に体調を崩され倒れられたのが一ヶ月ほど前。
幸いにも当時の医者の診断では過労と心労による一時的なもので、休養を取りつつ政務にも近々復帰されると公表されていたはずだが。
「魔物病……まさかそんな、陛下が……」
「病名を公表するわけにはいかなかったのだ。今の情勢を考えればな……」
魔物病。体内の高濃度の魔力が結晶化し、魔石となって身体に巣食い蝕む恐ろしい病い。魔物が体表や体内に魔石を形成していることに因みその名がつけられたが、一定以上の魔力を持つ者しか罹らないその性質故に貴族病とも呼ばれる。
進行速度にはかなりの個人差があり、少量の魔石を体内に抱えたまま天寿を全うする者もいれば、発症して数年で命を落とす者もいる。
いまだ治療法は発見されておらず、どんなに大金を積んだ治癒魔法も効かない。この国の、いやこの大陸中の貴族達が最も恐れる病の一つだ。
「しばらくは、対症療法で誤魔化しながら政務を続けられる予定だったのだ。しかしあまりの進行の速さに、もはや復帰どころではなくなってしまった……」
「そ、そんな……」
それは本当なのかと問おうとして、若き教師は思い出した。この学園長の実家が代々医師の家系として、宮廷医師を何人も輩出していることを。
「レオナルド殿下が成人早々に廃嫡され、続いて王太子となられたロランド殿下がこのまま表に姿を現さなくなり、陛下がお亡くなりになられたら……国はどうなる」
「そ、それは……っ」
「綺麗事だけで国は治められんのだ。……この国のことを真に思うのならば……時には汚れを厭わぬ覚悟も必要と言うもの」
窓も扉も締め切られた薄暗い部屋の中、重い沈黙が降りた。




