5話 ダンスパーティの誘い 前編
「……これ」
「え?」
目の前に差し出された黒と緑の花のコサージュ。漆黒の花弁と深緑の葉でできた、ミステリアスな花。
「この色で薔薇やダリアじゃ不気味になるだけだから、こんなのしか出来なかったけど。魔除けだと思って我慢してくれ」
同じ色だ。目の前の大好きな人と、同じ色を持つ花飾りだ。つい昨日夢に見たそれが、現実に現れた。
「この程度でアレが引くとは思えないけどな。まあ、やらないよりはマシだ」
「……これは」
差し出されたそれを、訳も分からぬまま両の手で受け取って、シャリーナが呆然と呟く。
「これは、リオルが作ってくれたのですか?」
「オーダーメイドは高過ぎて無理だったんだよ。手製で悪かったな」
「リオルっ!!」
一拍遅れてようやく理解が追いつく。このコサージュの意味も、どうしてこれをリオルが用意してくれたのかも。
それに、この花は。
「血吸い花ですね……!リオルと初めて会った時に教えてくれた思い出の花です!覚えててくれたんですね」
「べ、別に色が合うのがそれくらいしかなかっただけだ」
小さな黒い鈴が連なったような不思議な形の花。
「こんなに、こんなに素敵なコサージュ、初めて貰いました。嬉しいです、一生の宝物にします!」
「お世辞も過ぎると嫌味だろ……全く君は」
片手で目頭を押さえたリオルが、呆れたように言いかけ。
「いや、本気で言ってるんだよなあ。君のことだから」
やっぱり呆れて肩を落とし、そして。
「勿論です!」
その深緑の目が、ほんの少しだけ笑った、ような気がした。
「ところでコサージュなんてどうやって作ったんですか?材料だっているのに」
「花飾りの内職の余り布と留め具で……いや、どうでもいいだろそんなこと」
「花飾りの内職を?リオルは手先も器用なんですね、やっぱり凄いです!」
「……これも本気で言ってるんだよなあ」
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「えっ!?シャリー何そのコサージュ、まさか!」
「うふふ、そのまさかよ」
授業開始前の朝の教室にて。隣の席につくや否や目を丸くした友人に、シャリーナは自慢げに胸をそらした。
「真っ黒い花に暗い緑……ええと、一応確認するけど、昨日言ってたあのリオル・グレンからの花で間違いない?」
「間違いないわ!」
間違いない。夢じゃない。朝から何度も触って確認し、その度に間違いなく現実なのだと噛み締めている。
「うーん……シャリーがいいならいいけど」
浮かれるシャリーナとは反対に、アンジェリカはどうも微妙な反応である。先程から黒と緑のコサージュを見ながら眉を下げている。
「あっ、だ、駄目よいくらアンジェが大事な友達だからってリオルは譲れないからね!」
「何でそうなるの!あり得ないってもう!」
まさかアンジェが本当に恋のライバルになってしまったのか。二人に接点はなかったはずだが、彼女はリオルを知ってはいるようだった。ならば恋をしていてもおかしくない。
「いやおかしいでしょ!?」
そうぶつぶつと呟いていたシャリーナに、アンジェリカが全力で突っ込む。
「知ってるってだけで恋するって何、イコールが早過ぎない??」
「だって私はリオルを知った瞬間恋に落ちたわ!」
「そんな堂々と言われても」
肩にかかるか否かの重たい黒髪を風になびかせて、颯爽と現れピンチを救ってくれたリオル。あの理知的な目とその奥にある深い知識、どんなに優れていてもそれをひけらかさない、気取らない姿勢。
こんなにも素晴らしい人を知って、好きにならないでいられる女子がいるだろうか。いやいない。
「ごめんね、たった今から私達は敵同士よ。恋敵と言う名のね……」
「じゃあたった今降参するから和解しよ。これからも友達でいてよシャリー」
「アンジェ……!」
友情と恋。古代より多くの人間に課されてきた究極の選択。
「ごめんなさいアンジェ、私自分のことしか考えてなくて……っ」
「う、うん」
いくら大事な幼馴染でもこれだけは譲れない。決死の思いで恋を選んだシャリーナは、迷わず友情を選んだアンジェリカの潔さに感動で打ち震えた。
「いいよもう、シャリーがそれでいいなら。でもせっかくレオナルド殿下が参加するのに勿体ないなあ」
「勿体ない?どうして?」
「フリーの方が殿下と踊れるチャンスが増えるじゃない?だから今回はエスコート無しで参加する子が多いみたいだよ」
「そうなの」
今年の一年生達は皆趣味が悪いのだなとナチュラルに失礼なことを考えていると。
「一年生どころか、二年から四年の先輩方までこぞってエスコート無しで参加するって話だし?もう、誰も新入生歓迎する気とかないよね。清々しいくらい殿下目当てだよね」
全学年の女子生徒が趣味が悪いのだなと、あくまで自分は間違ってない前提で考えていると。
「でもシャリーは殿下よりリオル・グレンなんでしょ?趣味わ……あ、間違ったえっとその、か、変わってるよね。そういえば昔からルーミと違って、私の殿下の絵姿コレクションに全然興味持ってくれなかったし。本物となれば違うと思ったのになぁ」
一瞬趣味が悪いと聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。
「まあ、リオル・グレンなら他の子のとこに行かれる心配はないよね」
「リオルからは行かなくても他の子から寄ってくる可能性は充分にあるわ」
誰が来ようと負けるものかとシャリーナが気合いを入れて拳を握る。今回フリーで参加する女子生徒が多いということは、それだけリオルも狙われやすくなるということだ。いや、相手がいる女子すらリオルに乗り換えようとする可能性もある。
「どうしよう、リオルとダンスパーティに出たいけど、リオルをダンスパーティに出したくない……」
「む、難しい問題ねぇ」
真剣に悩み出したシャリーナに、アンジェリカがこれまた微妙な顔で相槌を打った。
「今日のサンドイッチは前回のものに加えて玉ねぎとピクルスも入れてみました」
「どんどんサンドイッチにあるまじきボリュームになっていく」
「ご一緒にポテトもどうぞ」
「このうえ更に追加するのか」
今のところリオルの好感度を稼ぐ唯一の手段と言っていい昼のお弁当。今日も今日とてシャリーナは存分に気合いを入れたサンドイッチをこしらえていた。
「我が家のシェフが『男の胃袋を掴むならまず肉だが、次点で芋』とアドバイスの手紙を送ってくれまして」
「前から薄々思ってたけど君のとこのシェフって変わってるよな……いや、君の家全体が特殊なのか?」
読みかけの本を膝に立てかけ、両手でサンドイッチを持つリオル。その横顔はいつも通り大部分が髪に隠れ、黒の奥に透ける深緑色が神秘的で格好良い。と、シャリーナは思っている。
「伯爵家の長女なのに寮暮らしで馬車もない、シェフも連れて来てない、侍女すらいないってよく考えたらおかしい。君のおかしさに霞んで今まで気づかなかったけど」
「歩いて二十分もかからない距離に馬車は要りませんし、食堂があるのにシェフを連れて来ても意味ないですし、寮に何もかも揃ってるのでわざわざ侍女にやってもらうこともないですが」
「貴族の常識の方がおかしいってのもあるか……」
中身が溢れないように慎重にサンドイッチを食べ進めながら、リオルが一人で納得したように言う。
「ところでリオル、話は変わりますがダンスパーティの件で」
「何だ?」
少しずつ欠けて小さくなっていくサンドイッチ。その最後の一切れが口の中に消えたのを見届けて、シャリーナが切り出した。
「その、ダンスパーティでは着飾った魅力的な沢山の女の子達から迫られると思いますが、どうか私のことを忘れないでもらえたらと」
「君の目から見た俺って本当にどう映ってるんだ?偶に君だけ違う世界が見えてるんじゃないかと思うよ」
「そんな!逆です、リオルの自己評価が低過ぎるのです!」
そんなことはあり得ない、と心底呆れたような表情でリオルが肩を竦める。
「というかそれを言うなら君の方だ。他の奴らからもダンスに誘われるだろうけどなるべく断れよ。アレが仕掛けて来ても俺がフォローできる位置にいろ」
「言われなくても私はリオルの側を離れません」
「……ああ、そう」
せっかく髪と髪の間から透ける横顔を眺めていたのに、ふいと逸らされてしまった。これでは表情も読めない。
「まあ、そもそもパーティに参加しないのが一番簡単だけど」
「え?」
「どうにか来月までアレからパーティに誘われることを回避できたら、後は当日体調を崩したことにでもして参加しなければ一番危険が少ない」
「あっ」
そこまで言われて、ようやくシャリーナは思い出した。このコサージュの一番の目的を。
「そ、そうでしたね……これはただダンスパーティまでに、レオナルド殿下からエスコートを申し込まれないようにするためのもので……」
既にエスコート役が決まっている女性に、それを知っていて横から申し込むのは当然マナー違反になる。
だからこのコサージュをしていれば、いくら王子とはいえ簡単に手出しはできないだろうと。
「本当にダンスパーティに出る必要はありませんでしたね……ただのカモフラージュですし……」
リオルの言うことは尤もである。というか思い至らなかったのが恥ずかしいレベルだ。
わざわざレオナルドが出張ってくるとわかってるパーティに出ようなど、飛んで火に入る夏の虫もいいとこである。
「……だから、俺がフォローできる位置にいろって言ってるだろ」
「え?」
すっかりリオルと出る気になっていたシャリーナが、しょんぼりと俯いていると。
「アレのせいで君がパーティに出られなくなるのもおかしな話だ。まあ、それに……コサージュ贈っておいてただのカモフラージュでしたなんて、格好悪いことできるかよ」
大きな本を持ち上げて壁のようにして顔を隠しながら、リオルが言いづらそうに言った。
「リオルっ!」
数秒前までの落ち込み具合は何処へやら。リオルの言葉にパアァと顔を輝かせるシャリーナ。
「た、ただし期待するなよ、俺が持ってるダンスパーティ用の服なんて兄達のお下がりのお下がりで、更に兄が買った当初ですら十年は流行遅れの中古だったんだからな?ダサ過ぎて隣歩きたくないとか言われてもどうしようもないぞ!」
「古き良きレトロファッションってことですね!楽しみです!」
「盲目にも程がある……」
いつもだったらこのあたりであの空気の読めない王子が現れてもおかしくなかったが。
幸い、この日は午後の授業の予鈴が鳴ろうともそれが裏庭に来ることはなかった。
十数日後。
「何事もないですねぇ」
「不気味なくらいだ」
裏庭の木の下で、シャリーナがのんびりと呟く。
ダンスパーティ開催まで残り三日。その間毎日登下校も昼休みもリオルと共にしていたが、ついにレオナルドが割って入ってくることはなかった。とても平和である。
「アレがこの程度で引くとは思えないんだけどな」
「さすがに王子とはいえ、もう相手が決まってると知ってて誘う程のマナー違反はしてこなかったってことですね。よかったです」
「……そうだといいけど。あんな常識が通じない奴中々いないだろ」
平和だった。怖いくらいに平和だった。なんせこの十数日、レオナルドの姿すら見なかったのである。
「もしかしてもう飽きてくれたのかもしれません。万々歳です」
「一国の王子から求愛されてここまで迷惑がれる奴も中々いないな」
誰にも邪魔されず、リオルと二人きり。天国のような毎日であった。
「ところで今日の昼食はサンドイッチとポテトに加えてリオルの故郷の茶葉で氷のジュースを作ってみました」
「氷の?溶けるんじゃないか?」
「冷水の魔法陣を付与した水筒なので大丈夫です」
「ああ、そういえば君の得意属性は水だったな」
昼食にも日々更に手を加えている。家のシェフからまたアドバイスで『肉と芋の次は甘味で勝負』と氷ジュースのレシピが送られてきたので、抹茶風味にアレンジして作った。
「というか氷ジュースって何だ?」
「アイスクリームを飲み物にしたようなものです。我が家のシェフの発案で、毎年暑くなってくるといつも作ってくれるんですよ」
「へぇ」
少々行儀は悪いが、水筒の蓋を開けて直接ストローを突き刺して飲む。戸惑ったように受け取ったリオルだが、コクンと一口飲んだ瞬間目を見開いた。
「お口に合いましたか?」
「……ん」
そのままコクコクと飲み出したリオルを眺め、シャリーナが目を細める。後で家にお礼の手紙を出そうと決めた。
「美味い」
「良かったです。私をお嫁さんにすればいつでも飲めるようになりますよ?」
「君の家のシェフを引き抜くという手もあるけど」
「そ、そんな、まさかアストライアーが恋敵になるなんてっ!」
「随分大層な名前だったんだなクレイディア家のシェフ」
お礼の手紙はやめとこうかと悩み出すシャリーナに、リオルが「冗談だ」とほんの少しだけ口角を上げた。
「びっくりしました……冗談で良かったです。あやうく学園を退学して料理人を目指すところでした」
「やめろ軽い気持ちで言った一言に重過ぎる責任を乗せるな」
「冗談です」
「君の冗談は冗談に聞こえない……」
そよそよと風が流れ、小鳥のさえずりが響く。ぶち壊しにくる人物はいない。とても平和な昼下がり。
ただしこの平和が、次の日の朝あっさりと崩されるということを、この時シャリーナは露ほどにも思っていなかった。




