13話 予想外のアドリブ
それは突然だった。
どうしてかはわからない。何故だか急に胸騒ぎがした。
「……シャリーナ?」
「え、あっ」
不思議そうに名前を呼ばれ、シャリーナは自分がリオルの制服の裾を掴んでいたことに気づいた。
「ごめんなさい、無意識で……」
昼休みが過ぎ、午後の第一試合も半ばに差し掛かった頃。次の試合のため待機場所へ移動しようとしたリオルの制服の裾を掴んだまま、シャリーナが戸惑いがちに顔を上げた。
「リオル……無茶はしないでください。どうか、無事で」
収まらない胸騒ぎのままに告げた言葉。上手く説明できないが、とても嫌な予感がする。思わず裾を掴む手に力が入った。
「……わかった」
言葉で言い表せない不安を汲み取ってくれたのだろう。何事かと聞き返すことはせず、座っているシャリーナの目線に合わせるようにしてリオルが屈む。
「無茶はしない。自分の身を守ることを最優先にする。これでいいか?」
「……はい。気をつけて」
シャリーナが裾を掴んでいた手をそっと外すと、最後に「行ってくる」と一言残し、リオルはステージへと降りて行った。
「どうしたの?シャリー、急に。決闘じゃあないんだから、そんな大怪我なんてしないって」
「え、ええ、わかってるわ」
もうすぐ試合が終わる。リオルの出番はその後すぐ。これまでは心配はあれど、リオルの活躍を見れる楽しみの方が勝っていた。大会前から洒落にならない攻撃を仕掛けてきたロランドはまだしも、他の生徒でそんな常識外れはいないだろうから。
「わかってるけれど……」
ただ、一つだけ。
審判である教師達が、皆昨日よりも妙に厳しい表情をしているのが、少し気になった。
「――魔導師科二年パトリック・ウォーディントン、魔術研究科一年リオル・グレン、前へ!」
午後の第一試合が終わってからしばらく経ち、ようやく拡声器の調整を終えたらしい教師が声を張り上げた。そのためだけに妙に時間がかかっており、観客席から不満の声が出始めた直後であった。
「もー、遅いって!たかが拡声器のために何分かかってんの」
「ええ、そうね……」
ステージを見つめ、シャリーナは膝の上で拳を強く握り締めた。嫌な予感が消えない。拡声器の準備で数分試合開始が遅れた、たったそれだけのことが何故か不安を掻き立てる。
「拡声器くらいいくらでも代わりがあるのにな」
対戦相手のパトリック・ウォーディントンのことは知っている。以前元王太子のレオナルドとのいざこざがあった時に、リオルとシャリーナの無実を証言してくれた生徒の一人だ。
「あれ?なんでまだ始まらないの?」
選手二人がステージに上がったのに、今度は試合開始の合図が中々出ない。アンジェリカが不思議そうに首を傾げ、トビアスがまた拡声器の不調かと怪訝そうに零した。
「――――待て」
またもや観客席が不満の声で溢れそうになったその時。先程までの若い教師に代わり、年配の教師の声が響いた。
「この試合、パトリック・ウォーディントンの勝利とする!」
一瞬の静寂の後。
「は?」
「えっ?ちょっと、何それ!?」
トビアスとアンジェリカが声を上げ、同時に観客席全体が騒然となった。
リオルとパトリック、両者共何もしていないどころか、試合開始の合図すらなかったのにどういうことか。
「リオル……っ!」
シャリーナが堪らず立ち上がる。一体何が起こっているのか。
「リオル・グレン。貴殿にこれ以上試合を続ける資格は無い!今大会一回戦を通過した時のことを正直に話してみよ」
「……」
柵を掴んで身を乗り出せば、ステージの上で教師と対峙するリオルの顔がよりはっきりと見える。その顔は、いつもより強張っているように見えた。
「一回戦の勝利は、間違いなく自身の力であると言えるか?答えなさい、リオル・グレン」
拡声器を通しているので教師の声は難なく拾える。そのただならぬ空気に観客席もいつのまにか静まり返り、皆がリオルの返答に注目しているようだった。
「……いいえ」
「はっ?」
しんと静まった会場内なら、普通に集中するだけでその声は聞こえた。予想外のリオルの返答に、シャリーナがヒュッと息を呑む。
しかし予想外だったのは教師も同じだったのだろう。拡声器を通し、教師の間抜けな声も響いた。
「一回戦では、突然殿下の水魔法が暴走してあの結果となりました。おそらく殿下がつけていらっしゃった魔道具の誤作動かと……なので、俺自身の実力で勝利したとはとても言えません」
「は?な、そ、そうか、い、いや、それならば……ええと……」
わからない。リオルが何を言っているのかわからない。いや、『何を』はわかる。『何故か』がわからない。リオルがリオル自身の力でロランドに勝利したことは明らかである。なのにどうしてそんな嘘を言うのか。
「ち、違うでしょリオルくん、あれはリオルくんのっ」
「待ってアンジェ!」
わからない、わからないが、リオルが考え無しにそんなことを言うわけがない。きっと何か事情があるのだ。一回戦での勝利を偶然ということにしないといけない何かが。
「むぐっ……なんでよシャリー、リオルくんを信じてないの!?」
「信じてるわ!だからこそよ!」
同じく席から柵の前まで飛び出してきた親友の口を咄嗟に塞ぎ、シャリーナは声を抑え必死で宥めた。本当は自分も叫びたい。偶然なわけない、全部ちゃんとリオルの力なのだと声を大にして言いたい。しかし、リオルが今それを望んでいないことはわかる。
ステージへと目を向ければ、リオルはその中央から端へと移動し、教師の前に佇んでいた。
「……先生の仰る通り、今大会の趣旨を考えれば、一回戦で棒立ちのまま何もせずにいた自分にこれ以上試合を続ける資格はありません」
「なっ、何を言ってるのだ?本当に自分の力じゃないと言うのか!」
「はい。ですので四回戦は辞退します。本当なら最初に辞退しておくべきでした」
まるで全ての感情が抜け落ちたかのような表情で、リオルが上半身を倒した。そして何事も無かったように顔を上げ、一歩一歩ステージを降りていく。
「ま、待ってください先生!たとえ一回戦の勝利は偶然だったとしても、それから先の試合での勝利はリオル・グレン自身の力です!俺は見ました!彼の使う護符で対戦相手が倒れていくのを!」
それまで呆然としていた対戦相手のパトリック・ウォーディントンが、弾かれたように動いた。
「リオル!お前が辞退する必要なんてないだろう!俺はお前と戦うのを楽しみにして……っ」
走り寄ったパトリックがリオルの肩を掴むも、リオルは静かに首を振っただけだった。分厚い本を抱え直し、ステージから遠ざかっていく。
「え、ちょっと、どういうことですの?」
「一回戦の勝利が偶然だったからって……偶然の場合は勝利とみなさない、なんて規定ありましたっけ?」
「それは……その、今まで学んだことを活かして切磋琢磨し合うっていう大会の趣旨に合わない……ってことでは……でも、何故今になって急に?」
にわかに観客席もざわざわと騒ぎ出した。皆わけがわからなかったようで、ああだこうだと言い合っている。
「……もしかして、ロランド殿下が未だに姿見せないのが原因なんじゃね?アイツがこれ以上勝ち進むのが気に食わなかった殿下の差し金……」
「おまっ、ストップストップ!誰かに聞かれたらどうすんだ!」
どんどん大きくなるざわめき。しかしリオルを非難するような声は今のところは殆ど聞こえなかった。勝てたのはまぐれだから勝ち星取り消し、はさすがに皆納得し難かったようだ。そもそもその勝利がまぐれではないことを知っているシャリーナにとってはもっと納得できなかったが。
「ま、待て!話は終わっていないぞ!リオル・グレン!」
そんな騒がしい空気の中。キィインと耳が痛くなるような大声で、教師が焦ったように叫んだ。
「一回戦の時に!ロランド殿下がつけていらした魔道具に細工がされてあったのだ!殿下が魔法を使えばそれが暴走するように!」
会場の出口に近づいていたリオルが、パッと振り返る。
「そんな……!それは本当ですか先生!」
「そ、その通りだ!」
「まさか……殿下が今大会の最有力優勝候補であったから、自分に当たる前に敗退させてしまおうと考えた者がいるということですか!?」
「そ、その通……ん?」
珍しくリオルが声を荒げ、会場中に響き渡るように喋っている。
いつのまにか再び観客達は皆口を閉じ、下で繰り広げられる二人の会話に聞き入っていた。
「それとも!殿下に敵意を持った何者かが!?」
「い、いや、しらばっくれるな!殿下の魔道具に細工をして得をするのは、一回戦の相手であった貴殿も——」
「待ってください先生!リオルはたった今試合を辞退したのに、得も何もないじゃないですか!」
教師がリオルに怒鳴りかけるも、パトリックが口を挟む。
「そっ、それは、不正の証拠を掴まれたことを察し、疑われないために敢えて……」
「証拠は!?彼がやったという証拠はあるんですか!」
「だから……こ、この細工をされた魔道具と、これによって一回戦を勝ち上がったという状況こそが、証拠で……殿下は何度かこれを教室にお忘れになったことがあるようで……」
教師が胸元のポケットからブローチのような何かを取り出すのを見て、ようやくシャリーナは全てを理解した。
教師達はリオルに濡れ衣を着せる気だったのだ。リオルが一回戦の勝利を自分の力だと言ったが最後、「ではこれは何だ」と細工の施されたロランドの魔道具を突きつけることによって。
「更に、リオル・グレンは毎朝誰もいない時間帯に登園していると他の者からの証言があった。三学年の教室に忍び込む機会はいくらでもあるだろう!」
おそらく狙いはロランドの名誉回復。一学年の魔術研究科に無様に負けたと思われたままでは、ロランドがずっと登園して来ない可能性があるから。
「リオルは!課業時間前と昼休みと放課後はいつも私と一緒にいました!殿下の魔道具に細工して戻す暇なんてありません!」
ならばシャリーナがやることは一つ。魔道具に細工がされたという、捏造の証拠は今は崩すのは難しい。
せめてリオルがやったという濡れ衣だけは晴らす。
「……シャリーナ・クレイディア。勝手な発言は慎みなさい。それに彼に肩入れしている者の証言では信憑性も……」
大声を張り上げたシャリーナに、拡声器のおかげで何とか聞き取れるくらいの声量で、モゴモゴと苦言を呈す教師。思い通りに事が進まずだいぶ戸惑っているようだ。
「俺も証言します!先月から魔術大会の初日まで、俺は毎朝リオルを魔術研究科の教室まで送り届けておりました。早朝誰もいない時間帯に彼が一人になったことはありません!」
「トビアスっ!」
目を輝かせたシャリーナがぱっと振り返る。そこには拳を胸に当て、真剣な顔をしたトビアスが立っていた。
「なっ……」
ロランドの従者という、表面的には完全にロランド側の人物からの追撃。これには教師もだいぶ怯んだらしい。
しかし。
「……この件に関しては、後日詳しく聴取する。しかし、命に関わる不正の疑いがあるまま試合の続行を許可することはできない。改めて宣言する、この試合、パトリック・ウォーディントンの勝利である!以上!」
濡れ衣を着せられたまま終わる最悪の事態だけは避けられたものの、完全には取り払えなかった。
「待ってください!俺は彼が不正をしたとは一ミリも思ってません、試合に何の問題は……っ」
「決定事項だ。これ以上の反論は禁止とする!」
パトリックがなおも教師に詰め寄る声が聞こえる。しかし最早教師は「決定事項だ」と繰り返すだけ。
そうだ、決定事項だったのだ。この場でリオルが濡れ衣を着せられ退場することが。ロランドの名誉を回復するストーリーのため、リオルを犠牲にすることが。
決定事項を繰り返すばかりの教師を背に、リオルが闘技場を去っていく。
「何だよそれ……どういうことだよ!」
「何それ!何それ!おかしいでしょ!」
トビアスが今にも柵を乗り越えそうな程身を乗り出す。
叫ぶアンジェリカを今度は止められず、シャリーナは両の手を握り締めた。悔しさで視界が歪む。怒りで上手く呼吸ができない。
けれど今この瞬間、一番悔しい思いをしているのはリオルだ。
「シャリーナちゃん!?」
「え、待って、どこ行くのシャリー!」
居てもたってもいられず、シャリーナは観客席を駆け抜け闘技場を飛び出した。




