9話 ピエロは舞台(処刑台)に登る
「ロランド殿下はどこかしら?見当たらないわ、第一グループにお名前があったはずですのに!」
「まだ控え室にいらっしゃるのではなくて?試合開始までもう少し時間がありますもの」
「さすが殿下、余裕でいらっしゃるのね!」
取っておいた席へと向かう途中。あちこちで女子生徒達とすれ違う度に聞こえてきたのは、ほぼ全てロランドに関する話題であった。
「ちょっと前まで、レオナルド殿下一色だったのにね……」
シャリーナの斜め後ろを歩くアンジェリカがポツリと呟く。その顔色は自身の黒歴史も思い出したように優れなかった。
女子生徒達の黄色い声はまだ続く。
「近々ロランド殿下の婚約者候補が選定されるんですものね!最終日に王妃様が来られるのも、選定の一環かもしれませんわ!」
「あらあら、そんなこともう誰でも知ってましてよ?きっと試合だけじゃなく観客席の女子生徒のことも見るおつもりですわ」
「より真剣に、かつ淑女らしさを失わず、ロランド殿下を応援する姿をお見せしなくては……!」
彼女達の話を総合すると。
この度第一王子の不祥事により王位継承権第一位に繰り上がったロランド王子には、まだ婚約者候補がいない。婚約者候補の選定には王妃が深く関わる。そしてその王妃が、最終日だけではあるが、ロランドが出場する学園の魔術大会を観戦しに来ることが決まった。
多忙な王妃が急遽組み込んだらしいこのスケジュール。観戦以外にも目的があるに違いない。きっと婚約者候補の候補達を見定めに来るのだと。
「なんていうか……女子ってほんと……王子様って響きに弱いよねぇ……ひとのこと言えないけどさぁ」
「そういえばアンジェ、ロランド殿下が帰国される前は絵姿を見て『涼しげな見た目で素敵!』って言ってたわね」
「言わないで!」
ようやく席に辿り着き、三人並んで座ったところでアンジェリカが頭を抱えて叫んだ。思い出したくないことを思い出させてしまったらしい。
「だってそんなまさか二人続いてアレとか思わないじゃん……今度こそ本当に王子様だと思うじゃん……」
「ん?勿論ロランド殿下は正真正銘王子だぞ?」
「そういう意味じゃなくて」
今まで留学していたこと、第一王子のレオナルドの影に霞んでいたことで、あまり注目されることのなかった第二王子のロランド。しかしそのレオナルド亡き―いや死んではいないが―今、最もスペックの高い結婚相手として貴族令嬢の中で人気急上昇中なのである。
「あ!リオル!リオルー!」
しかしそんなダンゴムシとワラジムシの違いくらいどうでもいいことはさておき。視界の下に見慣れた黒髪を見つけたシャリーナが席から立ち上がって叫んだ。
「きゃああああ!素敵です!リオル!」
「まだ何も始まってないしリオルくん何もしてないよシャリー」
「リオルはどんな時でも素敵だしただ立っているだけでも格好良いわ!」
「初っ端から飛ばすなぁシャリーナちゃん」
一番前の席で全力で叫んだからだろう。声が届いたらしく、くるりとリオルが振り返った。そしてその口が一言分だけパクパクと動く。
「はい!」
「え?今リオルは何て言ったんだ?」
「あの口の動きは“黙ってて”です」
「そ、そうか……」
もうすぐ午前の部一試合目が始まる。観客席は勿論だが、観客席下のステージにも選手達がどんどん集まってきていた。
「あれ、ロランド殿下の姿が見えねぇな」
「リオルの姿はよく見えます!」
「遅れて登場するつもりなんじゃない?いかにも余裕ですって感じで」
一定の間隔を空けて並んだいくつものステージの上に、審判役である教師が一人と、選手である生徒が二人ずつ登り始めている。一組ずつ闘っていたら日が暮れてしまうので、一回戦で十組以上の試合を一度にやるのだ。
ちなみに闘技場の床全体には土の魔法陣が張り巡らされており、目的に応じてあらゆる形・大きさのステージを作り出すことが出来る。
「殿下まだ来ないね。さすがにそろそろ来ないと不戦敗になるんじゃ……」
既に殆どのステージでは、二人の選手が入って向かい合っていた。しかしリオルの前だけいまだ誰もいない。
「まさか殿下、あの魔道具を……」
「え?何?」
トビアスが顎に手を当て何やら呟き、隣に座るアンジェリカが首を傾げたその時。
「うぉっ!」
「あ!出た!」
数あるステージの内の一つ、リオルの正面。それまで誰もいなかったところに、突然人が現れた。
「えっ今いきなり現れなかった!?何か魔法か魔道具でも使ったってこと?」
「魔法陣は出てねぇから魔道具だ。殿下が愛用してる光の魔道具だな……発動してる間使用者の姿を完全に消せる。いつもつけてるけど大会始まる前から使うとは思わなかった」
「あの王家の紋章のブローチですか?裏庭にいらした時にも使っていましたよね」
試合直前の緊張した雰囲気の中いきなり現れたロランドに、周囲の選手達もざわめいている。
ただ一人、対面するリオルだけが全く動じずにいた。まるでこの登場を予想していたかのように。
「ちょっと待ってよ。自作以外の魔道具の使用は禁止じゃなかった?アレ、この前の話だと殿下が一から作ったものじゃあないんでしょ?」
「うーん、元の魔道具を改造しているから……元の魔道具が材料の一つなら自作ってことになるのか……?わかんねぇや」
「改造……程度によりますが、改造部分が大きく占めてるなら自作と言って問題ない……ですかね?」
しかしシャリーナ達の疑問の声は、周辺の女子生徒達の「さすがですわ殿下!」「登場の仕方も素敵!」とロランドを褒め称える声にかき消された。
シャリーナからすれば魔道具で隠れていただけの透明男より、まるで全て見透してたかのように全く動じないリオルの方が百万倍も格好良いのだが、どうやら見える世界が違うらしい。
「お相手の方、驚きのあまり固まってますわね!殿下と比べてなんて情け無いこと!」
「やっぱりあの方がレオナルド殿下を倒したのはマグレですわよ。私は最初からわかってましたわ!」
生きる世界も違うかもしれない。この世の者でないならこちらの常識が通用しないのも致し方なし。斜め後ろから聞こえた嘲笑の言葉に、シャリーナは振り上げそうになった右拳を何とかおさめた。
「シャリー、シャリー、待って落ち着いて暴力じゃ何も解決しないって!」
左拳はおさまってなかった。
「――では、全員揃ったのでこれより魔術大会を――まずは学園長の挨拶から――」
アンジェリカの懸命な説得により左拳の暴走がおさまったところで、大会開催を知らせる教師の声が拡声器を通して響いた。もう少しで選手より前に観客席で乱闘騒ぎになるところだった。危機一髪である。
「気にしちゃ駄目だよシャリー。あんなこと言ってるの、前にレオナルド殿下に夢中になってリオルくんを馬鹿にし過ぎて、引っ込みがつかなくなった一部の子だけだよ」
「ええ、わかってるわ。たとえ殴ったところで手がすり抜けるだけ……殴るだけ無駄……生きる世界が違う……」
「すり抜けないよ!?何勝手に亡き者にして納得してるのシャリー!」
リオルの勇姿を見る前に幽霊に惑わされて強制退場になっては目も当てられない。死んでも死にきれなくて己も幽霊になるところである。
「それはそうと雑音が増えてきたからリオルの声だけに全神経を集中させて聴き取るわ」
「待ってそんなことできるの?」
シャリーナがようやく己を取り戻すも。
笑顔で手を振る第二王子の動きに合わせ、観客席に黄色い歓声の津波が起こった。折角最前列、リオルの試合スペースの一番近くの席を取ったのにこれではリオルの声が聞こえない。
「こんなこともあろうかと夏休み中にガブリエラから伝授してもらったの。身体能力の向上に割かれる魔力を聴力に集中させて更に対象を一人に絞ることで……あ、ガブリエラは魔力じゃなくて気の力を使ってるみたいだけど、同じようなものだって」
「へえ~よくわかんないけど凄いじゃん」
「え、おいシャリーナちゃんそれ騎士科で半年くらいかけて習得するやつ」
そもそも一度に複数の試合を行うので、普通に集中するだけでは選手一人の声を拾うのは中々厳しい。この技を伝授してくれたガブリエラには感謝してもしきれない。
「あ、でも殿下の声も拾わないと会話の流れがわからないわ……どうしましょう」
「じゃあ俺がロランド殿下の言葉を聞いて復唱するか?」
「すみません、私はまだこの技に関しては初心者でして……遠くの一人の声に集中すると近くの人の声は全然拾えないんです」
ロランドの声など聞きたいとは思わないが、リオルが何を受けて何と返したのか把握するためには必要である。しかしいかんせん修行期間が短かったため今のレベルではそれは困難だ。
「そうだわアンジェ、トビアスが復唱する殿下の台詞を書き留めて後で私に教えてくれない?」
「そんな苦行ってある?」
ならば今はリオルに集中し、後からでも答え合わせが出来ればとアンジェリカに頼んでみたのだが。
「とんだ黒歴史ノートになるじゃん……無理だよ耐えきれないよ絶対無理無理無理『フフッ、踊る準備はできたかい?哀れな子羊さん』とか言うんでしょそんなんノートに書くとか無理無理無理無理」
ざーっと鳥肌を立てたアンジェリカに全力で断られてしまった。断る理由がやけに具体的である。参照文献でもあるのだろうか。
「ん?踊る?アンジェリカちゃんよくわかったな。ちょうど同じようなこと言ってるぞ。正確には『フフッ、驚いて手も足も出ない……ってとこかな?安心しなよ、これから存分に踊らせてあげるから』だけど」
「いやああああ!やっぱりぃいいい!」
見ればステージ上でロランドが両手を広げ、さも相手を馬鹿にしたような仕草をしていた。トビアスが聞き取った通りのことを言っていたのだろう。疑う余地もなかった。
「まだなんか言ってんな……えーと『策士策に溺れるって言葉を知ってるかい?君は随分自分の策に自信があるようだけど……その策で自らの首に縄をかけてることには気づかないようだね』だってよ」
「うぐぅううやめて痛い痛い痛い痛い!」
「えっアンジェどうしたの!?どこかぶつけでもした?大丈夫?」
突然胸をかきむしって苦しみだしたアンジェリカをシャリーナが支える。
「……『さあ、楽しい楽しいダンスパーティの始ま……』ってアンジェリカちゃん!?どうした!?」
ロランドの台詞の復唱を続けていたトビアスも驚いて振り返る。
「昨日何か変なものでも食べたとか?熱は無さそうね……ま、まさか心臓の病気」
急に何があったのか。そういえば観客席に入る前、リオルと共にロランドと対面した時も同じく苦しんでいた。もしかして今日は体調が悪かったのかもしれない。お腹ではなく胸を押さえているので、食あたりとかではなく何か深刻な病気の予兆。
「ち、違う……大丈夫……何も変なものは食べてないしどこも悪くないからシャリーは気にしないでリオルくんに集中して……」
「で、でもこんなに苦しそうなアンジェを放ってなんて」
「いいから!そうだシャリーはリオルくんの台詞復唱して!それでちょっとはマシになるかもしれないから!」
「え、わ、わかったわ」
息も絶え絶えに、絞り出すように言うアンジェリカ。苦しいにも関わらず、シャリーナが気にせずリオルの試合を見れるように気を遣って……というには言い方が妙に必死である。まるで何かを振り切るように。
「本当に大丈夫かよアンジェリカちゃん。辛かったら医務室連れてくぜ?無理はすんなよ」
「大丈夫だからトビアスもロランド殿下の台詞の復唱続けて!こうなったら全部聞いてやるんだから!」
「お、おお、わかった」
息を整え、真正面を見据えたアンジェリカがきっぱりと言った。無事苦しみを乗り越えたようだ。
「――えー、これにて学園長の挨拶を終わります――皆さん拍手を――」
そうこうしているうちに学園長の挨拶も終わっていた。ステージからも観客席からもパチパチと拍手の波が広がり収束していく。
その波が完全に引いたところで、あたりが静寂と緊張に包まれた。
いよいよ今大会最初の試合が始まる。
「あ、殿下がまた何か……『さて、君はどれだけそうして立ったままでいられるかな?』だと」
「うんまあその台詞だけならそこまで痛くはないかな……大丈夫大丈夫……」
だんだんと遠ざかっていく周囲の音。
リオルただ一人の声を聴き取るため、シャリーナは心を切り替え集中態勢に入ったのだった。
次回、決着!




