7話 ピエロは踊る
「というわけで魔術大会に出ることになったから、カークライトさんはシャリーナが観戦中何かしでかさないように見張っててくれ」
「いや私もリオルくんの試合見たいよ!普通に応援させて!」
ロランド襲撃事件から数日後。借りていた本『本当の王子様〜伯爵令嬢リシャーナと貧乏男爵家ルリオの真実の愛〜』を返すという名目で、シャリーナはリオルと共に再びカークライト家別邸に訪れていた。
そして返した本は当初の宣言通りアンジェリカの魔法により燃やされ灰と化した。彼女の得意属性はその燃えるような髪と目と同じく火なのである。
「見張る?何でだ?シャリーナちゃんに何があるってんだ」
「前彼女観客席から飛び降りたんで……またやったら危ないと思いまして」
ちなみにいつもであれば三人で囲んでいたテーブルだが、今日はトビアスも一緒に居る。
「えっそれ脚色じゃなくてマジで飛び降りてたのかよ!てっきりただの劇の演出かと」
「本当に飛び降りちゃってたよ。シャリーってば無駄に思いきりいいんだからもう」
数日前にこれまでの経緯を話したところ味方なら自分も会いたいとアンジェリカが言い、それを伝えたところトビアスも快く了承し、本日一緒に訪ねることになった次第である。先程自己紹介を終えたところだ。
呼び捨てでいい、敬語でなくて構わないと言うトビアスに、「あ、そう?じゃあそうするね」とアンジェリカがあっさり答えて今に至る。
「だからまたやらかさないように誰か見張りを」
「大丈夫ですリオル。観客席のすぐ下は石ではなく草地ですし、あのくらいの高さなら一旦縁を掴んでぶら下がり壁を蹴って五点接地回転法で着地すれば何の問題もありません」
「おかしいな問題点しか聞き取れなかったぞ今」
三ヶ月前の決闘で観客席から飛び降りた時のことを散々に言われる中、シャリーナが胸を張って答えた。
「ガブリエラから教わったこの技術がこんなに早く役に立つ日が来るとは思いもよりませんでしたが」
「まさか犯人がまたそのメイドだったとは俺も思いもよらない」
「伯爵令嬢たるもの、もし誘拐されて何らかの塔など高い所に閉じ込められても逃げられるようにと」
シャリーナが幼い頃からクレイディア家に仕えているメイドのガブリエラ。この天使の名を持つ彼女からは、虫の生態や一人でできるドレスの染色方法、食べられる野草や野鳥の捌き方など実に様々なことを教わった。
「そういえば前にも言ってたけど野鳥の捌き方はどういう理由で教わったんだ?」
「ガブリエラが言うには『もし馬車で森を越えようとした時に魔物に襲われ、自分の力が及ばず最悪相討ちになり、お嬢様一人が大自然の中取り残されることになっても生き延びられるように』ということらしいです」
「最悪でも相討つ自信はあるのかクレイディア家の大層な名前のメイド……」
「そんなにすげぇメイドがいるのか。メイドというより特殊部隊みてーだな」
ガブリエラ曰く、女の子にはピンチがつきものとのこと。『いつでも王子様が来てくれるとは限らないんですよ』と言って武具の手入れをするその姿は、幼心にとても格好良かったのを覚えている。
手入れする武具がバトルアックスだった時は王子様ごと殺ってしまいそうな迫力すら備えていた。
「たださすがに中型三匹以上は相手取ったことはないから群れで来られたらきついとは言ってました」
「二匹以下はあるのか?二匹以下はあるのか??」
「マジですげぇな。バラバラに動く二体の敵を一人で相手取るって、一体ずつ個別に戦うのとは段違いで難しいのに。一度会ってみてえなあそのメイドさん」
少々ドラマティック思考なメイドの想定した状況に陥ったことは一度もないが、なんやかんやでどの教えも思わぬところで役に立っている。
「待ってどんどん本題から逸れてるんだけど私はリオルくんの試合を見れるの見れないのどっち」
「シャリーナが飛び降りないって約束するなら」
役に立っている、が。
「わかりました……アンジェやリオルに迷惑かけてまで飛び降りません……」
その教えも、今回ばかりは使うわけにはいかないようだ。
もしかして前回飛び降りた時もリオルは良く思ってなかったのかもしれないと、シャリーナがしゅんと俯くと。
「……君が怪我をしないか心配なだけだ。勝利の抱擁なら後でいくらでも受けるから、客席では大人しくしてくれ」
「リオル……っ!」
ぼそりと呟かれたリオルの言葉にあっさり持ち直した。
「え?この二人まだ付き合ってなかったのか?」
「信じられないでしょ……夏休み前からずっとこの調子だよ……」
ふと見れば隣と斜め向かいに座るアンジェリカとトビアスが何かコソコソと言い合っていた。出会って一時間も経ってないのに随分仲良くなったようである。
「それにしてもリオルくん、凄い自信じゃん?まあリオルくんの護符があれば王族だって敵じゃないもんね!レオナルド殿下だって倒しちゃったくらいだし」
「いや、向こうだってあの決闘の詳細は知ってるだろうから同じ戦法は取れないけど」
「駄目じゃん!?」
得意げに胸をそらして大皿のクッキーをつまみ上げたアンジェリカが、次の瞬間それを握り潰した。
「待ってよじゃあどうやって勝つの!?大丈夫!?こっちは向こうの手はわからないのに!」
「わかるぞ」
「確かにこのままじゃあリオルが不利……えっ?わかんのか?」
腕を組んで考え込みかけていたトビアスがポカンと顔を上げる。
「つい先日向こうから教えてくれたばかりでしょう」
「ああ、あの水の槍か!そうだった、アレはロランド殿下の得意魔法……そんな魔法を……あの時は本当にすまねぇ二人共……」
「トビアスさんのせいじゃないんですから、もう気にしないでください」
「でもしかも魔道具で姿を消してから……卑怯にも程がある……」
合点がいった顔をしたかと思えば一転、どんよりうなだれるトビアス。表情筋のアップダウンが激しい。
「あの王家の紋章が入ったブローチって、市場では出回ってない手製の魔道具ですよね?……殿下がご自分で作ったか、手を加えられてるはず」
「あ、ああ、よくわかったな。どっかの商人から買ったものを殿下が改造したらしい。詳しくは知らねぇけど。え、何でわかったんだ?」
「いえ、単純に王家の紋章を陣に組み込むような魔道具職人はいないでしょうからそれで」
「ああそうか、成る程。……はあ、こんなことに使うのに王家の紋章を入れるなんてなあ」
あの襲撃事件から数日が経つが、事あるごとに思い出してはこの調子なので、やはり相当気にしているようである。
「落ち込まないでくださいトビアスさん。むしろトビアスさんはリオルを助けてくれたのですから感謝してるくらいです。あの時ありがとうございました」
「シャリーナちゃん……!」
「そういえばあの白い猫ちゃんはどうしてますか?」
「ああ、もううちのアイドルになってるぜ。名前はシロになった」
シャリーナがさりげなくロランド襲撃から話を逸らす。あの時いた白猫だが、その後ガーディナー家で飼うと言ってトビアスが連れ帰って行ったのだ。
「私の家でも猫じゃないですがペットを飼ってるんです。シラタマという名前の可愛い子で」
「おお、その名前で猫じゃねぇってことは、白くて丸っこい犬か?可愛いだろーな」
「いいえスノウアザラシです」
「アザラシ!?しかもスノウってこたぁ魔物の方か!?」
「五年前の大嵐でうちの庭の池に迷い込んできまして」
無事話は逸らせたようだ。もうトビアスに落ち込んだ様子は無い。
「リオルの家でも猫を飼ってますよね、黒猫のルシェちゃん。どんな出会いだったんですか?」
「偶然だけど君のアザラシと同じだ。五年前の大嵐の夜にうちの庭に迷い込んで来て、俺が拾った」
「いいなぁ、私もペット飼いたい」
一人ペットがいないアンジェリカが羨ましそうに口を尖らせる。
「黒猫も可愛いだろーな。まあうちのシロが一番だろーけど!」
「猫じゃないですが可愛さならシラタマだって負けません」
「うちのルシェも負ける気はないぞ」
「私は大きい犬飼いたいなあ、カッコよくて強そうな」
その後は各々のペット談義に花が咲き、楽しく時間が過ぎていったのだった。
「それじゃあね、シャリー、リオルくん、トビアス、また学校で」
「ああ、また学校で。カークライトさん」
「また明日ねアンジェ」
「アンジェリカちゃん、今日はありがとな」
帰り際。別れの挨拶をするアンジェリカにそれぞれの呼び方で応え、シャリーナ達はカークライト家別邸を後にした。
「そうだ、リオル、シャリーナちゃん」
三人共寮暮らしなので、帰る先は同じである。カークライト邸の庭を連れ立って歩く途中、トビアスが立ち止まって二人に話しかけた。
「アンジェリカちゃんと同じように、二人共もっと楽に話してくれねーか?名前も呼び捨てで構わねぇから」
今までにも何度かされた要望。そうは言っても学年の差も身分の差もあるので、ある程度遠慮するリオルにシャリーナも倣っていたけれど。
「……わかりました。それではこれからはそう呼びますね、トビアス」
「わかったよ、トビアス。これでいいか?」
この一週間でトビアスの人柄はよくわかった。もう遠慮することもないだろう。アンジェリカに至っては初対面の今日から砕けていたわけであるし。
「おう!これからもよろしくな!リオル、シャリーナちゃん!」
迷うことなく頷いた二人に、パッと顔を輝かせたトビアスが嬉しそうに声を上げる。そして三人は和やかな雰囲気の中、アンジェリカが用意してくれた学生寮行きの馬車に乗り込んだ。
「何でロランド殿下は、二人がこんなにいい奴だってわかってくれねぇんだろうなぁ……今日も一応説得してみるけど……」
ガタゴトと揺れる馬車の中、先程まで楽しげだったトビアスがふと顔を曇らせため息をついた。リオルやシャリーナへの信頼や友情が高まるほど、主君への尊敬の念はどんどん下降しているらしい。
「やっぱ、両陛下にだけ全部正直に話すのはダメか……?他の誰にも知らせずに、コッソリガツンと叱って頂ければ……」
「それで解決するなら万々歳だけど、もし俺達を全ての元凶として排除する方向に舵を切られたらと思うと」
「う、うう、絶対無いと言い切れねえ自分が情けねえ!」
ついに王家への信頼まで揺らぎかけ、悲しげに頭を抱えるトビアス。
リオルとシャリーナとて、いくら数ヶ月前の騒動の際は全面的にレオナルドの非を認めてくれたとはいえ、そもそもあんなことになるまで第一王子を放っておいた人達を信じられるかと言ったら答えはNOだ。
優秀だと信じていた息子の訃報(死んではいないが)に帰国を余儀なくされ、その後始末や尻拭いに奔走させられた国王夫妻。過労と心労のあまり国王は何度か執務中に倒れたこともあったらしい。
国の最高権力者にすら覆せない証拠と証人さえ無ければこんなことには、などと彼等が内心思っていた可能性を完全には否定出来ない。
「気を落とさないでください。世の中には人の力ではどうにもできないことも沢山あります。それより今はもっと楽しい話をしましょう」
「フォローになってないぞシャリーナ。後半には賛成だけど」
「うう、ありがとうなシャリーナちゃん……」
涙が浮かびかけた目元をグシグシと擦るトビアスに、向かい側に並んで座るリオルとシャリーナが穏やかに笑いかける。
「じゃあさっそく話変わっけどリオルとシャリーナちゃんは両想いなんだよな?まだ婚約はしねぇのか?」
「は!?あっ、いや、それは、えっと」
「そんな両想いだなんて……そう見えますか?どのあたりがですか?何かサインとかありました?詳しくお願いしますトビアス」
「そりゃあ今日だけでも例えばリオルが……」
「え、ま、やめろ待ってくれ!」
本当に180度転換した話題をトビアスが提供し、シャリーナが食いつき、リオルが狼狽し、途端に盛り上がる馬車内。
学園へと続くその坂道を、三人を乗せた馬車はゆっくりと上っていった。
◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆◇◆◆◆
一方その頃。
「……フフッ」
ファラ・ルビア学園第三男子寮最上階。同じ学び舎で学ぶ者同士身分は関係無いと掲げる学園が、王族のために特別に用意した部屋。
「帰ってきたみたいだね」
沈む直前の夕陽が射し込み、淡く赤く染まったその部屋にて。
「従者の顔した裏切り者が」
まるで喜劇でも見ているようにおかしそうに笑みを浮かべ、窓辺に佇む一人の男がいた。ただし、その目は少しも笑っていない。
「まっ……裏切り者程扱いやすいものはないけどね。無能な味方より、ずぅっと有用だ」
男が見下ろした先には、何やら楽しげに談笑し、連れ立って歩く二人の生徒がいた。二人のうち一人は男の従者かつ裏切り者で、もう一人は男が敵対する魔女の手先。
今日、従者が魔女と魔女の手先と共にその仲間のもとへ訪ねることは、男は当然知っていた。
「……自分を賢いと思っている者ほど、自分が騙されていることに気づけない」
男の視線が、従者の隣に立つ黒髪の少年へと移る。大きな本をその手に抱え、いかにも賢そうに振る舞う魔女の手先。小賢しい使い魔。
「そして愚か者は、自分が愚かだと気づけない……」
馬鹿正直な裏切り者は、己の得意魔法があの水の槍だと使い魔に証言したことだろう。そして愚かな使い魔は、まんまとそれを信じたことだろう。
それこそが己の作戦であることを知らずに。裏庭で宣戦布告をしたあの時から、既にこちらの術中に嵌っていることも知らずに。
何もかも己の操る糸の通り動いていることを、哀れな操り人形達は少しも気づいていないのだ。
「はてさて……無能な味方と、賢者の皮を被った愚者。二人を抱え込んだ魔女は、どんなに面白おかしく踊ってくれるかな?」
夕陽が落ち、光を失った部屋で。男——ロランド・ルイス・ユリシア・エルガシアは、胸の高さまで上げた片手を開いて楽しげに微笑んだ。
まるでその手のひらの上に、見えない愉快な人形達が踊っているのを眺めるかのように。
「フフッ、フフフフフ……」
壁にかかる時計が刻一刻と針を進める。
愚か者の処刑日が、近づいた。




