5話 第二の敵
「結論から言う。駄目だった」
次の日。
シャリーナ達が昼休みに裏庭へ行くと、先に来ていたらしいトビアスが直立不動で待っていた。
「すまねぇ、二人の誤解を解いてくるって約束したのに……むしろ誤解を深めちまったっていうか……」
目が合うや否や、ガバリと頭を下げるトビアス。
「そんな、トビアスさんは何も悪くありません!」
「顔を上げてください。貴方が謝る必要は無いです」
シャリーナとリオルが駆け寄るも、トビアスは悲痛そうに顔を歪めさせただけだった。
「いいや。こんなに簡単なことすら信じてもらえなかったんだ。全部説明したのに、ロランド殿下には『それで、君はまんまと騙されたわけだね?』なんて言われちまった……俺が殿下から信用されてねぇってことだろ。俺が悪い」
「いいえ!話を全部聞いてもらえただけでも凄いです!」
「一度も遮られなかったんですか!?凄いじゃないですか!」
しかしシャリーナもリオルも王子というものへのハードルがだだ下がりであったため、一から十まで話を聞いてもらえたというだけで快挙であった。
「いや、そんな無理に慰めようとしてくれなくても」
しかしトビアスはシャリーナ達が気を遣ってると思ったようで、ますます眉を下げてしまった。昨日は水に濡れてもピンと逆立っていた髪が心なしかしんなりしている。
「ふにゃあああ、みゃあああ」
「お前も慰めてくれるのか……」
ふと響いた鳴き声にシャリーナが目線を下に向ければ、一匹の白い子猫がトビアスの足に頭を擦り付けているのが見えた。見覚えのあるその子は、昨日木の上で降りられなくなっていたというあの猫だろう。すっかりトビアスに懐いたらしい。
「ふみゃあああ」
「良ければ、どんなやり取りがあったか教えてくれませんか?ロランド殿下の考えを少しでも知りたいので」
足首に擦り付いていた猫が今度はふくらはぎに張り付き、爪を立ててよじよじと登っていく。
「ああ、わかった。全然説得できなくて情けねぇけど、せめてほんの少しでも役に立てれば……」
猫に登られるがままになっていたトビアスがリオルに応え、重々しく口を開いた。
「うみっ」
トビアスの頭の上に辿り着き満足そうに落ち着いた白猫も、少しだけ口を開いて短く鳴いた。
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「シャリーナ・クレイディアとリオル・グレンの件について報告に参りました。ロランド殿下」
「よし、入れ」
ファラ・ルビア学園第三男子寮の最上階。王族のため用意された、広さにして優に他の三倍はある特別な部屋。
「失礼します」
「それで?何か有用な情報は手に入れられたのかい?」
トビアスがその部屋のドアを開けると、部屋の主のロランドは優雅にリクライニングチェアに座り紅茶を飲んでいるところだった。
「はい。まず最初に言いますが、あの二人が魔女だとか使い魔だとか、レオナルド殿下を罠に嵌めたとかいうのは完全に誤解です」
ロランドは窓の外の景色を眺め、振り向きもしない。ただ聞いてはいるのだろう、片耳だけはこちらに向いていた。
「厚化粧がどうのという話もですが、シャリーナ・クレイディアに裏の顔などあるようには思えません。殿下が仰るような狡猾な女だという評価は間違いとしか言いようが」
リオルの通訳が無ければここでシャリーナから聞いた化粧のコツを伝えてるところだったなあと考えながら、表情だけは真剣そうに取り繕うトビアス。
「なので、殿下が気にされる必要はないでしょう」
そういえばリオルから報告の際には『頭から否定するのではなく、“殿下が心配されるようなことは無いはず”など、言い方を柔らかく』とアドバイスを受けていたことを思い出し、今更ながらオブラートに包んでみる。
曰く、相当プライドが高く自身の考えに絶大な自信を持っているだろうから、あまり強く否定をしては意地になってしまうだろうと。
「二人はとても仲睦まじい様子で、シャリーナ・クレイディアは心からリオル・グレンを好いているように見えました。なのでレオナルド殿下の横恋慕であったというのは本当のことかと」
今のところロランドに気分を害した様子はない。それどころかその横顔には薄っすらと笑みが浮かんでいる。
「また、二人から聞いた話によると……」
しかし怒り出すならまだしも笑うとはどういうことかと疑問に思いながら、トビアスは話を続けた。
「……話はそれだけかい?」
「はい」
そして語ること十数分。件の劇と実際の二人の相違点、一致点、何故この詳細が旅の劇団に漏れたかまでは知らないこと、やはりシャリーナ・クレイディアとリオル・グレンには何の罪も無いという再結論、全てを話し終えると。
「うん。よく分かったよ」
カップとソーサーを机に置き、やれやれとでも言うようにロランドが大袈裟に肩を竦めた。
「それで、君はまんまと騙されたわけだね?」
「はい?」
「初日に偵察がバレただけでなく、あっさりこちらの情報を漏らし、敵の話を鵜呑みにして持ち帰る……やれやれ、出来の悪い従者を持つと主は苦労するよ」
本当にやれやれと言った。
一瞬呆気にとられたトビアスがハッと我にかえる。
「し、しかし、鵜呑みも何も陛下からの知らせでもあの二人は被害者であるのに、何の証拠も無くそのような悪人扱いをするのは」
「フー……だからこそ、君に証拠の収集を命じたんだけど?」
いやそれはつまり、やっぱり何の証拠も無いということでは。納得がいかなかったトビアスがそう言い返そうとするも。
「まあ、いいさ。証拠の収集という本来の目的だけは果たしてくれたからね」
「え?」
ロランドの答えはトビアスの予想の斜め上を行っていた。
「今日初めて会い、たった数十分話しただけの君を籠絡しまんまと味方に引き入れた。これこそ、シャリーナ・クレイディアが魔性の女である証拠以外の何だ?」
「なっ……!?」
信じられないことに。今までトビアスがシャリーナとリオルの無実を証明するために語ったこと全て、シャリーナが悪女である証拠にされてしまったのだ。
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「成る程ロランド殿下は、証拠は集めるのではなく作るタイプだったみたいですね」
トビアスの話を聞き終わり、リオルが顎に手を当てて言う。
「すまねぇ、俺が迂闊だった……もっと日数をかけて無実だとわかったていにしておけば」
「いいえ。偵察の命令を出した時点で、トビアスさんが持ち帰るどんな話も“シャリーナが悪女である証拠”にするつもりだったと思いますよ。何日もかけていたらかけていたで、今度は『そこまで隠し通せるとは狡猾な』とか『無実の証拠が出ないことこそ証拠だ』とか言っていただけかと」
「リオルの言う通りです。ロランド殿下の中で、もう答えは決まっていたのでしょう。トビアスさんが悪いわけではありません」
シャリーナも勿論トビアスを責める気など一ミリもなかった。自分が絶対に正しいと思い込んだ、いや、そもそも自分が間違うということを全く想定していない権力者の、その厄介さはもう身を持って知っている。
「ふみゃぁああ」
トビアスの毛糸帽子と化した白猫も、シャリーナの言葉に同意するようにトビアスの頭に小さな白い額を擦り付けている。とても温かそうだ。
「それにロランド殿下がこのシャリーナ悪女説を広めようとしたとして、今回はそう簡単に皆が追随することはないかと……レオナルド殿下のことがあったので、上層部の方も慎重になっているでしょうし」
「せっかく持ち上げても、アレの二の舞になってしまったら殿下と共に地に堕ちるだけですしね」
「お、おお、シャリーナちゃんでもそういうふうに言うことあるんだな」
「ええ。彼女は結構遠慮なく言いますよ。見た目に似合わず」
王太子に盲目に追従した結果どうなったかは、元王太子レオナルドの婚約者ロザリンヌ、従者エドワードが居たアーリアローゼ家が既に証明していた。王族に次ぐ権力を持っていたあの公爵家は、今やすっかり求心力を失い、娘の婿探しに苦労してるようである。
「けど、やっぱり王太子は王太子だ。このままずっと次期国王に目の敵にされ続けて良いことなんてない。なんとかゆっくりでもいいから誤解を解ければいいけど」
「そうですね。今のところ実害は無いですが、長期に及べばロランド殿下に味方する家も出てきて面倒なことになるかもしれません」
あまり悲観的になることもないが、楽観もできない。今の状況を端的に言うとそんな感じだろう。
「俺の主がとんだ迷惑を……」
「いえ、まだロランド殿下から直接何かされたわけではありませんし。俺達も疑われるくらいは覚悟していました」
「レオナルド殿下の時と比べたら、全然どうってことないです。下手に気に入られるよりずっとマシですから」
「ふみゃー」
再び頭を下げるトビアスと、一緒に傾く白猫。
「うみゃっ!」
「あ、猫ちゃん!」
しかし猫が落ちないようにと伸ばしたシャリーナの手が、うっかりその目の端に当たってしまった。
驚いた白猫がトビアスの頭から飛び降り、そのまま駆け出そうとする。
「ごめんなさい、傷つけるつもりはなく、て、あっ!」
万が一目に傷をつけてしまっていたら大変である。慌てて追いかけたシャリーナが草の根に足を取られて転んだ、次の瞬間。
「危ない!シャリーナ!」
「え?」
地面がぼうっと青く光った。それが水の魔法陣だと認識できた時には、もう陣の円周から湧き上がった水が幾数の槍を形作っていたところで。
突然のこと過ぎて、逃げようにも腰が抜けてしまった。
「――!土よ、天と対をなすものよ、大いなる支配者よ、盾にっ……!」
トビアスの焦った声が呪文を紡ぐのが聞こえるが、きっと間に合わない。
「え、あ」
シャリーナが思わず目を瞑ったその時。
ばさりと何かの布が身体にかかった感触がした。
「え……」
来ると思っていた槍の衝撃は来ない。恐る恐る目を開けると、もう水の槍も魔法陣も消えていた。
代わりに肩から滑り落ちた、ファラ・ルビア学園指定の制服の上着。
「っ!リオル!」
その上着の内ポケットから覗く、見覚えのある護符。陣をひっくり返して魔力を逃し、魔法の発動を止めるリオルの護符だ。
あの瞬間咄嗟にこの護符を入れていた上着を投げつけて、リオルが助けてくれたのだ。
「リオル、ありがとうございます!」
上着を抱き締め、シャリーナが立ち上がる。危うく大怪我をするところであった。どこの誰の仕業かわからないが、悪戯にしても洒落にならな過ぎる。
「ふみゃ?」
「猫ちゃん!あなたも無事だったのね」
いつの間にか逃げた猫もそろそろと戻って来ていた。不思議そうな顔でこてんと首を傾げ、こちらを見上げている。
シャリーナが歩き出せば、足と足の間を縫うようにしてついて来た。
「今戻ります、リオ……ル!?危ない!上に!」
油断していた。まだ犯人も判明してないというのに。
猫から目を離し顔を上げたその先にシャリーナが見たものは、リオルの斜め上、空中に浮かぶ先程と同じ水の魔法陣だった。
「魔法陣が!」
慌てたシャリーナが護符の入った上着を投げ返そうとするも、焦りのせいであらぬ方向へ飛んで行き。
「うわっ!?」
リオルの驚いた声が響く。
今度は、トビアスの方が早かった。
「トビアスさん!」
さっきまでリオルが居た場所に、次々と水の槍が突き刺さる。シャリーナは息を切らしてトビアスのもとに駆け寄った。
「ありがとうございます、トビアスさんっ」
「シャリーナちゃんが気づいてくれたおかげだ。二人共怪我はねぇよな?」
間一髪であった。
シャリーナの言葉で魔法陣に気づいたトビアスが、リオルを抱き上げ陣の射程外に飛び退いたのだ。
「あ、ありがとうございます。助かりました……」
地面に降ろされたリオルが少し戸惑いながらも礼を言う。
「無事で良かったです、リオル」
「君の方こそ」
リオルに上着を手渡し、シャリーナがホッと息を吐いた。
しかしまだ安心はできない。二連続で狙われた以上、悪戯という線は消えた。犯人には明確な攻撃の意思がある。
「犯人は近くにいるはずだ。二人共、猫ちゃん、俺から離れねぇように……」
リオルを降ろしたトビアスが、腰に下げた剣を抜き、険しい目で周囲を見渡した。
恐らく犯人はどこからかこちらの様子を伺っているはず。一体全体、誰がこんなことを。
「ふぅん?まっ、少しはやるみたいだね。でも、トビアスに頼った点は減点かな」
「――え?」
張り詰めた空気の中。
誰もいなかったはずのその場所に、突然人が現れた。まるで最初からその場所に立っていたかのように。
「だ……」
「殿下!?どういうことです!」
誰、と言いかけたシャリーナの声は、トビアスの大声に掻き消された。殿下、殿下と言ったのか、今。
「王族一の魔力を持ち、エルガシアの若き獅子と呼ばれた兄上を倒した実力を確かめてみたくてね。何、ちょっとしたテストだよ」
トビアスに殿下と呼ばれ、自身はレオナルドを兄と呼ぶ。ということはこの男が。
「聞いていた通り、護符の力は確かみたいだね。すぐさま彼女を助けられる程度には判断力もある」
ロランド・ルイス・ユリシア・エルガシア。エルガシア国の第二王子にして、この度王太子となった人物。
見るからに高級そうな装飾品をいくつも身に付け、胸元には王家の紋章をかたどったブローチ。成る程確かに王子である。
改めて見れば外見もレオナルドに少し似ている。レオナルドより薄い金髪、薄い青の目、薄い肌の色。アレを水で薄めて冷やして固めて二割程削ったらこんな感じだろう。
「まあ、悪くはないけど……合格点には少し足りないかな?」
シャリーナがぐっと歯を噛み締める。
足りないのはこいつの頭では、という率直過ぎる感想は胸にしまった。




