4話 赤毛のアンジェリカ
「もう、シャリー!昨日はどこ行ってたの!?」
「おはようアンジェ。どうしたの?」
翌日。リオルと共に校舎が開く時間に合わせて登校し、空いた朝の時間を勉強に充てていたシャリーナは、飛び込むように教室に入ってきた友人に呼ばれて顔を上げた。
「知ってるでしょ、昨日レオナルド殿下の馬車が寮側の門の前に停まってたじゃん!私寮生じゃないから何度も寮に行くわけにもいかないし、一往復しかできなかったんだから」
シャリーが居れば一緒に何往復もできたのに、と頬を膨らませる赤毛の女の子。アンジェリカ・カークライト、カークライト伯爵家の一人娘である。
「あーあ、せっかくレオナルド殿下に見てもらえるチャンスだったのに。寮生はいいなあ、忘れ物したフリとかで一人でも何度も往復できて」
どうやら寮住まいの友人を訪ねるというていでアンジェリカも馬車の横を通ったらしい。そして忘れ物を一緒に取りに帰るというていで、寮生であるシャリーナと共に何往復もしたかったと。
「そういえばアンジェ、よく殿下の絵姿を見てルーミと盛り上がってたものね。そうだルーミも会いたがってるしまたうちに遊びに来」
「行くけど!行くけど今は殿下の話だよ、ああ、こんなことなら私も寮に入ればよかった!」
アンジェリカは同じ伯爵家で領地も近く同い年で、学園入学前からのシャリーナの友人である。シャリーナの二つ下の妹のルーミも入れて三人でよく遊んだ幼馴染で、お互いにアンジェ、シャリーと呼び合う仲だ。
「王都の別宅から通えるからって自宅通学にしたのはアンジェじゃない。私もアンジェと寮生活したかったわ」
「だって、王都暮らしもしたかったんだもん」
隣の席に腰掛けて、むくれるアンジェリカ。相当悔しかったらしい。
「ところで本当にどこに行ってたの?シャリーも一回くらいは殿下の馬車の前通ったでしょ?」
「ううん。私昨日は授業終わってすぐ街に出たから、殿下の馬車は見てないの」
「えー!うそ、勿体ない!惜しいことしたじゃんシャリー!」
「そんなことないわ。夢みたいな時間だったもの……あ、カフェのこと教えてくれてありがとうアンジェ。とてもいいところね」
昨日のカフェのことを教えてくれたのはアンジェリカである。王都では珍しい故郷のお茶がありリオルが目を輝かせていた。
「カフェに行ってたの?えっ、もしかしてデート!?誰と!?」
「ふふ、アンジェなら教えてもいいかなあ。同じ学年で、魔術研究科のリオル・グレン。知ってる?」
「へ?」
昨日のデートを思い出しながら、シャリーナが頬を染めて告げると、アンジェリカはポカンとして目を瞬かせた。
「知ってるも何も、落ちこぼれ特待生、劣特生のリオルでしょ……?筆記だけ過去最高点出して総合点底上げしたまさに『筆記の魔術研究科』の……入学式の時話題になってたあの暗い奴」
信じられないものを見るような目で、アンジェリカが続ける。
「そんな奴とデートしたの?何で?筆記トップのくせに実技は最下位の頭でっかち、ド田舎の貧乏男爵、見た目も辛気臭いしいいとこ無しじゃ」
パキン。
「ひゃっ!?」
シャリーナの持つガラス製のペンに、薄っすらとひびが入った。
「それ以上リオルの悪口を言うなら、いくら貴女でも許さないわ」
「えっ、あっ、ご、ごめん……あ、えと、そういう噂を聞いたから、その」
途端に勢いをなくし、しゅんと項垂れる幼馴染。深く考えずに言っただけで悪気はなかったのだろう。だからといって良しとするわけはないが。
「リオルは私の恩人で、とても素敵な人なの。ちゃんと知りもしないで悪く言わないで」
「あ……ごめんなさい……」
数分前までのハイテンションは何処へやら、すっかり落ち込んでいる。良くも悪くも思ったことをすぐに言う、裏表のない子なのである。
「そ、そうだよね、筆記だけでもトップなんて凄いよね!ド田舎だって自然が綺麗で空気が美味しいだろうし、貧乏でもお金で買えない幸せだってあるし、髪で隠れてるせいでよく見えないだけで実は顔は悪くないかもしれな」
バキン。
「えぇっ!?」
シャリーナの持つガラス製のペンが、真っ二つに折れた。
「アンジェ……もし貴女が恋敵になるなら、私は全力で闘うからね。容赦はしないわ!」
「ならないよ!?なるわけないから!落ち着いてシャリー!」
悪く言われたら許せないが、あまり褒められたらそれはそれで不安という、複雑な乙女心なのであった。
「リオル。もし他の女性に言い寄られることがあったら、出来れば私に相談してください」
「そんなこと有り得ないけど」
「そ、相談が駄目なら知らせてくれるだけでも!」
「違うから。相談以前に俺が女の子に言い寄られる状況が有り得ないって意味だから」
その日の昼休み。せっかくのリオルとの昼食だというのに、シャリーナは恋敵出現の恐れが抜けずいつものように楽しめないでいた。
「そんな有り得ない状況を心配するより、今現在君がアレに言い寄られてる状況をどうにかしないとだろ」
「言い寄られてるという程ではないですが。そういえば今日はまだアレは見ませんね」
一国の王子をアレ呼ばわり。しかし二人の中ではアレを敬う気持ちが既に一ミリもなかった。
「あ、では私はこれで」
話してるうちにリオルがサンドイッチを食べ終わり本を広げたので、名残惜しいと思いつつシャリーナが腰を上げようとして。
「どこに行くんだ?」
本に視線を落としたままのリオルに、パッと腕を掴まれた。
「え?いえ、校舎に戻ろうと……リオルの読書の邪魔をしては悪いですし」
たとえ昼休みでもリオルにとっては勉強の時間である。邪魔をしてはいけないと、今までシャリーナはリオルが昼食を食べ終わると同時に退散していたのだが。
「……邪魔じゃない」
「え?」
「別に邪魔じゃない。それに昨日も言っただろ。なるべく俺の側にいろって」
「リ……っリオル……!」
視線は本に向けられたままだが、掴まれた腕からリオルの意思が伝わってくる。
「はい、側にいます、一生側にいます!」
「あ、アレの問題が解決するまでだ!一生じゃない!」
「では一生解決しなければ一生お側に」
「縁起でもないことを言うなよ!?」
嬉しい、死ぬ程嬉しい。ずっとこの人の隣にいたい。この幸せな時間が永遠に続けばいい。いっそ時が止まればいいのにと、ベタな恋愛小説のようなことを考えて。
「フッ……やはりここにいたか。毛色の違う猫よ」
土足で踏み入ってきたその声の主に、割とガチな殺意が沸いた。噂をすれば何とやら。本当にアレが現れたのだ。
「サンドイッチの礼をしに来たんだ。昨日の帰りは残念ながら捕まえられなかったからな」
すかさず立ち上がろうとしたリオルを、アレもといレオナルドが手で制して止める。
「そう警戒するな、黒鼠。今日はあの小賢しい札の出番はないさ」
片手をひらひらと振り、不敵な笑みを浮かべるレオナルド王子。
今のところリオルには負け越しなのにどこからその自信が来るのか?毛の生えた心臓からか?とシャリーナが真剣に疑問に思っていると。
「本当は昨日店に連れて行く予定だったんだが。急遽取り寄せにしたよ、肝心の猫が捕まらんかったのでな」
懐に手を入れたレオナルドが、銀色の装飾が施された白い小箱を取り出した。王都で有名な宝飾店の刻印が押された小箱を。
「ほら、受け取」
「受け取れません」
シャリーナは食い気味で断った。即座に立ち上がり、真剣な目で王子を見据える。
「宝飾品と同等のサンドイッチを作った覚えはありません。そんなことができたら私は今頃億万長者です」
「……ほう」
最早馬鹿にしてるのかと思う程の価格差。たかがサンドイッチの礼でこんなもの、財力を見せびらかしてるかのようにしか見えない。
しかも宝飾品と言うことはどこか身につけるもの。贈り主が王子となればつけないわけにもいかなくなる。見る度に思い出して嫌な気持ちになるだろうものを、常に身体のどこかにつけろと。要らない、本気で要らない。まだ遠慮なく叩き潰せる分ゴキブリの方がマシである。
「そうか、残念だ。ではこれは他の者にやるとしよう。せっかく美味いサンドイッチだったから、何か礼がしたかったのだがな」
「お礼ならばそのお言葉だけで充分です」
言葉なら後に残らない。何とか我慢できる。
「くっ……はは、ははははは!毛色が違うと思ってたがここまでか。面白い、面白いぞ!気に入った!」
「はい?」
思ったよりあっさり引き下がってくれそうで安心したのも束の間。レオナルドがいきなり高笑いを始めた。
「この俺を真正面から見て、王家御用達の宝飾店の刻印がある箱を見て、それでも一ミリの迷いもないとは!すぐに引き下がって見せたら少しは慌てるかと思ったがそれもない。お前のような女は初めてだ」
要らないものを要らないと言っただけである。
「これで何も考えずに受け取るようならそれまでだったが……」
だから要らないものを要らないと言っただけである。
「決めたぞ、毛色の違う猫。お前を俺のものにする」
衝撃で固まったシャリーナが、やっとのことで口を開く。
「……お戯れを」
頭アッパラパーかよお前、を最大限にオブラートに包んだ。
「覚悟しておけ。俺の辞書には諦めるなんて単語は無いからな」
言うだけ言って満足したのか、くるりと背を向けたレオナルドが悠々と去っていく。呆然とする二人を残して。
「……リオル」
「ああ」
王子の背中がすっかり見えなくなった後、シャリーナがゆっくりと振り返る。
「アレが一生諦めてくれなかったら、一生リオルの側にいていいんですよね?」
「だから縁起でもないことを言うな!」
「シャリー!シャリー!大ニュースだよ!」
昼休みが終わり、シャリーナが教室に戻ると。頰を上気させたアンジェリカが一目散に駆け寄って来た。教師もいないので、どうやら午後一の授業は自習になったらしい。
「どうしたのアンジェ?あ、これを言うの今日二回目ね」
「殿下が!レオナルド殿下が、来月のダンスパーティに出るんだって!」
「……え?」
今からでも何とかドレスを新調できないか、王子の好みに合わせないととアンジェリカが興奮気味にまくし立てる。
「ええと、ダンスパーティって学園主催の?新入生歓迎のあれ?」
「他に何があるの!」
アンジェリカだけではない。他の令嬢達もそわそわと落ち着かず、レオナルドの話題でもちきりであった。
「へ、へぇ……殿下が新入生歓迎のパーティに……でもどうしてアンジェがそれを知ってるの?」
「昼休みの終わり頃かな、殿下が他の四学年の先輩に誕生日パーティに誘われて、その日は学園の方のパーティに出るからって断ったのを聞いた子がいるの!そこから一気に広まってもう皆知ってるよ」
学園主催のダンスパーティ。入学時のオリエンテーションでその説明もあったので、シャリーナも一応覚えてはいた。
入学から二カ月後にある新入生歓迎パーティ、年の真ん中にある全学年交流パーティ、そして最後に卒業記念パーティ。
どれも自由参加で、自学年が主役でなければ参加しない生徒も多い。
「シャリーは?シャリーはどんなドレスにする?」
なので一学年が主役の新入生歓迎パーティに最終学年である四学年のレオナルドが参加するということは、一年生達にとって充分に大ニュースなのだ。
「うーん……私は参加しないかなあ」
しかしシャリーナにとっては、大ニュースは大ニュースでも悲報の方だった。ついさっきその話題の人物からあんな宣言をされたばかりだ。自惚れでも何でもなく、参加しようものなら間違いなくダンスに誘われるであろうことが想像できる。
「ええー!?どうして!?殿下の目に留まるチャンスだよ!」
「別に留まらなくていいもの」
「もー!夢がないんだから!」
むしろ夢なら覚めてほしい。
「でも、新入生の中にお目当ての子がいるって噂もあるんだよね。もし殿下がその子のエスコート役として参加するなら、目に留まるチャンスも何もないけど……」
「え」
アンジェリカの言葉に、シャリーナがピシリと固まる。
盲点だった。パーティに参加さえしなければダンスに誘われることはないと思ったが、パーティ自体に誘われる可能性を考えていなかった。
万が一王子であるレオナルドからパーティに誘われた場合、一介の伯爵令嬢であるシャリーナに断る術は無い。分不相応の贈り物を断るのとはわけが違う。エスコートの申し出を断るのは、相手に不満があるという以外の理由がないからだ。誤魔化しがきかない。
つまり、誘われた時点で詰む。
「だからって最初から諦めることはないよね!本当に殿下に決まった相手がいるとは限らないんだし!」
「え、あ、そ、そうね、諦めちゃ駄目よね」
どうやって、どうやって回避すれば。ダンスパーティは来月の始め。残り二十日、女子寮に引きこもって一歩も出ないか。
「そうそう、諦めるには早いもんね。一年の中で青と金の薔薇の飾りをつけてる子はまだいないし、私達にもまだ望みはあるよ」
「ええ、青の薔薇はまだ……え?薔薇?急に何の話?殿下の話じゃなかったの?」
「え、シャリー知らないの?うちの学園のダンスパーティの慣習」
今日から絶食でもして何らかの病を装うかと算段してたシャリーナは、聞き覚えのない学園の慣習とやらに首を傾げた。
「エスコートしたい女子に男子が花飾りを贈って申し込むの。そしてそれを受けた女子はパーティの日までその花飾りをつけて過ごすんだって。“私はもう予約済みです”ってアピールして、他の人から誘われないようにね」
初耳である。
「それで、誰が贈ったかもわかるように、男子は自分の目と髪の色の花飾りを贈るの。殿下は素敵な金髪と青い目で、このエルガシアの国花は薔薇だから、殿下が贈るならきっと金の葉と青の薔薇の飾りだろうって専らの噂だよ」
「へぇ……」
贈り主の髪と目と同じ色の花飾りを、予約済みであることの目印に。
「真っ黒と……深緑……」
「え?」
リオルだったら。リオルから貰えたら。そもそもパーティに興味も無さそうな彼から貰えるあてなどあるわけないが、それでも。
夜の闇の如き黒と、どこまでも沈んでいきそうな深い緑。それはそれは素敵な花飾りになるだろうと想像し、シャリーナは息を吐いた。




