アンジェリカの相談教室
本編終了後、アンジェリカに相談するシャリーナの話です。
「百人はいると思うの」
「何が?」
その日は朝から親友の様子が優れなかった。
アンジェリカが教室に入ってきたことにも気付かず、シャリーナはずっと自席で両手を組んで額を乗せ、何かを思い悩むように唸ったり、授業が始まっても時折上の空でため息をついたりしていたのだ。
「あの決闘で新しくリオルを好きになった女の子の人数」
「うーん熱は無いみたいだね」
その真剣な顔に右手を当て、左手を自身の額に当ててアンジェリカが診断する。
心配して損した。よっぽど思い詰めているようだから、まさかかの人と何かあったのかと思って内心とても焦ったのに。
ちょうど午前中の最後の授業が自習になり、課題のプリントを終えたあと恐る恐る何があったか聞いたらこれである。
「だって!あんなに格好いいリオルを見て誰も好きにならないことなんてあるわけないわ!」
「だからって百人はないでしょ百人は」
「じゃあ二百に」
「増やせって意味じゃなくて」
もう散々思い知ったことだが、相変わらずこの恋する親友の目には、あのガリ勉少年が世界一の美少年にでも映っているらしい。
「リオルはあんなにも格好良いにも関わらず入学当初から心無い噂のせいで不当な評価を受けていて、それにあの長い前髪でいえそれもリオルのミステリアスさを醸し出す魅力的な点でもあるのだけどそれに隠れて遠目からではその麗しさがわかりにくく」
「え、何?説明始まってる?」
組んだ手を口元に当て、シャリーナが真剣な目で語り出す。もしかしなくてもこれは『リオルがいかにモテるであろうか』の分析が始まってしまったのか。
「そして魔術研究科のクラスは一クラスしかなく他クラスとの合同授業もほぼ無いこと、リオルが食堂やカフェテリアを利用してなかったことから他の女子生徒がリオルを知る機会が殆どなくて」
「う、うん」
仕方ない。どうせ昼休みが始まればシャリーナはすぐ彼との待ち合わせ場所へ飛んでいくのだ。
それまでの短い間、アンジェリカは一応聞くだけ聞いてやる態勢に入った。
「つまり殆どの女子生徒は、リオルの悪い噂だけは知っていても、その姿をきちんと見たことも、話をすることも無かった。いくらリオルが魅力的でもそれを知らなかったら好きになりようがないわ」
「まあ、そうだね。私も最初は誤解してたし」
しかしさてどんなとんでも理論が飛び出るかと覚悟するも、案外シャリーナの言うことは正しかった。
入学式で特待生の席に座っていたのに、おおよそ特待生としての威厳の欠片もなかった暗い少年。クラスはあの“筆記の魔術研究科”。筆記だけで裏技のように特待生になった、頭でっかちの落ちこぼれ特待生だという噂をアンジェリカも最初は信じていたのだ。
リオルという少年の本当の実力を、本当の姿を全く知ろうとしていなかった。
「そう、もしあんな噂がなければ。そしてリオルが皆と同じように食堂やカフェテリアに行ったりして人目に触れたり、誰かと会話する機会が多ければ……」
ゴクリと唾を呑み、シャリーナが真剣に続ける。
「私のようにリオルを好きになる子がもっとたくさん」
「いやそれはないけど」
「そんな!ならまさか私以上にリオルを好きになる子が!?」
「それこそ絶対にないけど」
完全に杞憂である。アンジェリカの目の前に座るこの親友以上に愛が重い女などそういるわけがない。たくさんいたら普通に怖い。軽く地獄絵図だ。
「想いだけなら誰にも負けない自信があるわ!」
「うん私もそう思うよ」
「けど、さすがにあんまり多くなると……」
拳を握り締めて力強く言ったシャリーナが、しかし次の瞬間しょんぼりとうな垂れた。
「今までは私しかリオルに近づこうとしていなかったけれど、これからは……」
その様子を見てアンジェリカは少し驚いた。恋をしてから休む間も無く猪突猛進、斜め上方向に突っ走ることはあれど立ち止まることなどなかった幼馴染。それがこんなふうに弱気になるのは珍しいことである。
「これからは……次々と襲いくる恋敵達をちぎっては投げちぎっては投げ」
「投げないで!?」
訂正。やっぱり斜め上方向に突っ走っていた。
「一対一なら何とかなると思うの。でも数の力で押し切られたら」
「どんな戦いを想定してるの!?もうちょっと女の子らしく戦おうよ!」
「女の子らしく?身体の柔軟性を活かせばいいかしら?」
「物理から離れて」
歩みを止めない姿勢は素晴らしいものではあるが、一旦立ち止まって冷静に考えてみることも時には必要であろう。
こんなふうにあらぬ方向へ迷走しないように。
「どんなに綺麗で可愛い恋敵だったとしてもリオルの視界に入ることが出来なければどうしようもないと思って」
「力技過ぎない?悩むにしてももうちょっと現実的な策を練ろうよ」
いやそもそも本来なら悩む必要自体無いはずなのだが、そこらへんの説得はもうとっくに諦めている。恋する乙女は見えている世界が違うのだ。
そろそろ昼休みを告げるチャイムが鳴ってくれないかなと、アンジェリカが教室の時計に何気なく顔をむけた次の瞬間。
「そうよね。人の視界はあまりにも広すぎるし、誰もはいらせないことなんてさすがに出来ないわ……だから私発想を転換しようと思って。恋敵達じゃなくてリオルの」
いきなり不穏な方向に舵を切ったシャリーナの言葉に、はじかれるように向き直った。
「えぇっ!?え、嘘、ちょ、嘘でしょ、あんた何言って、シャリー!」
まさかリオルの視界の方を塞ぐとでも言うのか。ドロドロ恋愛小説に出てくる病んでる系悪役のようなセリフに、アンジェリカの体感気温がザっと下がる。
いやまさかそんな馬鹿な。確かにこの愛の重い親友はしょっちゅう愛ゆえに迷走し暴走することはあるけども、人を傷つけるようなことは決してしないはず。
いやついさっき架空の恋敵はちぎって投げようとしてたけども。
「胃袋を独占しようと思って!」
しかし青褪めた顔で立ち上がりかけたアンジェリカにも全く動じることなく、シャリーナはどん!と水玉模様の布がかけられたバスケットを目の前の机に置いた。
「ほら、人が一度に食べられるご飯やおやつの量には限りがあるじゃない?リオルの視界にはいれる女の子は私だけじゃないけど、リオルに手料理を食べてもらえるのは今のところ私だけだから。もし私が居ない隙に誰かが差し入れ作戦を企んだとしてもお腹一杯なら断ってくれると思うの」
バスケットの蓋を開け、大きなハンバーグサンドイッチを誇らしげに見せるシャリーナ。
その無邪気な笑顔には、想い人を巻き込んで破滅するような危うげな気配は微塵もない。
「よ、よかった……そう、そうだね。それでいいんじゃないかな」
比較的まともで現実的な作戦に、アンジェリカは安心のあまりへなへなとその場に崩れ落ちた。
「そう思ったんだけど、でも」
「でも?でも何?」
「最近、リオルの食欲がどんどん増してきているみたいで」
しかしシャリーナは薄紙に包まれた縦にも横にも大きなサンドイッチを取り出しながら、再び顔を曇らせて言った。
「少しずつ増やしてるのに毎日全部食べてくれるの。もちろん今までリオルは食が細すぎたからどんどん食べて欲しいのだけどお腹一杯になってくれてるかどうかはわからなくて……」
「あー、うん、そこは心配しなくていいと思うよ」
まだ何かあるのかと身構えたアンジェリカだったが、あまりにも容易く想像出来る状況に再び脱力して座り込む。
おそらくリオル・グレンは、単にせっかくの手料理を残したりしてシャリーナを傷つけてしまわないように頑張って食べてるだけだろう。多分ちょっと無理しているに違いない。
きっと他の女子から差し入れなどされようものなら見るだけで吐き気を催すのではないだろうか。作戦大成功である。
——リーン……ゴーン……
そうこうしてるうちに、ようやく待ちわびた昼休みをつげるチャイムが鳴り響いた。
「ほら、いつまでもうじうじ悩んでないで!今日も待ち合わせしてるんでしょ?」
「そうね、悩んでても仕方ないわよね。今日のサンドイッチは思い切って目玉焼き二枚に厚切りベーコンをハンバーグに乗せてみたし、今度こそお腹一杯にさせてみせるわ!」
すっかり元気を取り戻し、聞いてるだけでお腹いっぱいになりそうなメニューを抱え意気揚々と教室を飛び出していく親友に、アンジェリカは苦笑いしながら手を振った。
「助け舟なんか、だしてあげないんだからね」
そして彼女の後ろ姿が見えなくなった途端、掲げていた手を下ろし、いつもより少しだけ低い声で小さく呟いた。
「私の親友を不安にさせたのが悪いんだから」
ほんのちょっと意地悪な感情が向かう先は、己の親友シャリーナではなく、その想い人リオル・グレンだ。
すぐ立ち直ったとはいえ、あのポジティブの塊であるシャリーナを悩ませ落ち込ませた理由は、喧嘩や何らかのトラブルではなかった。
かといって、シャリーナの完全なる被害妄想だけのせいというわけでもない。
いや妄想であることは事実だが、彼女がそんな考えに陥ってしまう責任の一端はそもそもあのリオル・グレンにある。
「まったく、あの決闘の日からどれだけ経ったと思ってるの!」
誰を敵に回そうと、どんな危機に陥ろうと、絶対にその手を離さないくらい、あの少年もシャリーナのことを想っていることはアンジェリカだってわかっている。たとえ言葉にしなくても。
そう、言葉にしていないのだ。彼は未だに、あんなにも全力で毎日のように愛を告げるシャリーナに、『好き』の二文字さえ言えていない。
もし言えていたとしたらあの親友が歌い踊りながらアンジェリカに報告してくるに決まってるのだから、それが未だにないということはそういうことだ。
恋愛小説では心と心が通じ合ってさえいれば言葉はいらないとかなんとか書かれてはいるが、やっぱりはっきり形にしてもらわなくてはふとした瞬間に不安になることもあるのだろう。
「アンジェリカちゃん、どうしたのボーっとして。一緒にカフェテリア行かない?」
「あっうん、今行くよ!」
しばし物思いに耽っていたアンジェリカだったが、己を呼ぶ声にハッと顔をあげた。その途端キュウ、と小さくお腹が鳴り、慌てて立ち上がる。
「アンジェリカちゃんは今日は何食べたい?」
「なんだかサンドイッチが食べたい気分だなぁ。トマト入ってるやつ」
他愛ない会話を楽しみながら、アンジェリカは今頃、あの裏庭の木の下で待ち合わせているだろう二人にまた思いを馳せた。
あの豪華過ぎるサンドイッチを前にして、かの人はどんな顔をしているのだろうか。何事にも動じない冷静でクールな表情を多少引き攣らせてたりするのだろうか。
それでも、どうにかして全部食べ切るのだろう。シャリーナのためならなんだってやる、どんな困難も超えてみせる男なのだから。
「その行動力をどうして告白に回せないんだか……」
「え?なんの話?」
「ううん、なんでもない!」
まぁよく効く胃薬くらいは差し入れてやるかなと考えながら、アンジェリカは友人と共に昼食を食べに向かったのだった。
明日の9/17から第二部開始です!
二部タイトルは『ガリ勉地味萌え令嬢は、腹黒王子などお呼びでない』です。
よろしくお願いします!




