証言者ケイト・フェアフィールド
前話『目撃者ケイト・フェアフィールド』の続きです。
「馬鹿が!戯れ言を!!」
苛だたしげに吐き捨てられた声に呼応するかのように、轟々と吹きすさぶ風が練りあがり一定の場所へ集束していく。
ケイトを含めた全校生徒が見守る観客席の下、大理石で出来たステージの上。
彫刻のように整った顔を憎しみで歪ませたこの国の第一王子——レオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシアが手をかざす先には、非力な黒髪の少年が微動だにせず立ち尽くしている。
黒髪の少年——リオル・グレンを中心とした床の上に描きだされたのは、強大な上級風魔法の陣。発動すれば、同年代の少女とほぼ変わらないような華奢な身体などひとたまりもなく舞いあげられ、叩きつけられてしまうだろうということが容易に想像出来る。
魔法陣は急速に肥大化し、あっという間にステージの大半を覆ってしまった。今からでもステージから飛び降りれば逃れられるかもしれないが、それはこの戦いに敗北することを意味し、その先に待っているのは身一つで国外追放という緩やかな死刑。
「リオルさん……!」
膝の上に置いた両手を強く握りしめながら、ケイトは震える声で少年の名を呟く。
あの暴君による宣言からちょうど一週間。「生徒全員を証人とする」という命令が出た以上欠席は許されず、友達の想い人が散々に叩きのめされる未来に絶望しながら席に着いたのが数十分前。
しかし全校生徒の当初の予想とは裏腹に、リオルは強力な護符の力を使い、レオナルドの魔法を無効化し続けた。
それは彼自身の力で作ったものではなく、王都の魔道具店から購入したものだとレオナルドは言い張っていたが、相当高額であるはずのその護符はいつまでも尽きることなく、ついにレオナルドが魔力不足により膝を突き掛けたのが数分前。
もしかして、もしかしたら。彼はこのまま逃げ切れるのではないかと。
レオナルドに打ち勝つことは無理だとしても、どうにか引き分けにでも持ち込めればとケイトが希望を見出したのが数秒前。
「フハハハハハ!やはりな!これで終わりだ!」
現実はそう甘くなかった。
リオルの足下で舞う何十枚もの護符は、もはや一つとして魔法陣の発動を阻害出来ていない。
奇跡はもう起こらない。哀れな少年の命運は、もはや完全に尽きてしまったのだと、誰もがそう思った。
「なんで……!なんで二人がこんな目に遭わなきゃいけないの……!」
あの日からずっと、何度も繰り返していた言葉がケイトの胸の中で荒れ狂う。
王族だったら何をしてもいいのか。愛し合う恋人達の仲を引き裂き、その命すら奪ってもいいのか。
そんなはずはない。こんなの絶対許されていいわけがない。そう確かに思っているのに。
何の罪も無い少年を踏みにじろうとする暴君よりも、そんな暴君を盲目的に信じる全校生徒達よりも、真実を知った上で何も出来なかった自分が一番情けなく、腹立たしい。
それでも自分にはこんな絶望的な状況を覆せるような力などない。
こうしている間にも陣の中心に集束していく風は威力を増していく。間もなく訪れるであろう残酷な光景を直視したくなくて、ケイトがきつく両目を閉じようとしたそのとき。
「リオル―――――――――!!」
一人の少女の叫び声があたりに響き渡った。
ファラ・ルビア学園闘技場の、ステージ全体を見渡せるような高所にある特等席。
普段は王族や他国の要人などの特別な者のみ案内されるその席には、次期国王陛下の妃となることが本日中に確定される少女が当然のように座らされており、会場中の女生徒達の嫉妬と怨嗟の視線を浴びていた。
つい先程まで、城の護衛に両脇を固められたその豪華な席で、祈るように両手を胸の前で組み眼下の二人の決闘を静かに見守っていた少女——シャリーナ・クレイディア。
そんな彼女が今弾かれるように席を立ち、必死な声で叫んでいる。控えていた護衛達が慌てた様子で取り押さえているが、それがなければ今にも遥か下のステージへ飛び降りてしまいそうだった。
「え、な、今の声って、え?え?なんで?」
「な、何故あの娘があの魔術研究科の男の名を……」
ケイトの周りに座っていた生徒達が明らかに動揺している。
当然だろう。愛しの王子様が自身に付き纏う鼠を成敗してくれる姿を眺めているはずの女が、王子ではなくその少年の名を必死に呼んでいるのだから。
「今更あの劣等生に同情したということ?なんて身勝手な!殿下のお心をなんだと思って……」
「で、でも、それにしては必死すぎないか?あれじゃまるで……まるで……」
「ちょっと貴方、何を言う気!?」
ヒソヒソと囁かれる声は、おそらく会場のありとあらゆる場所で起こっているのだろう。
残念ながらシャリーナの奇行にただ困惑したり非難するものが多く、「まるであの二人の方が引き裂かれた恋人のようじゃないか」などという核心をつく言葉は飲み込まれてしまったが。
「シャリーナちゃん……」
周りの喧騒も耳に入らず、ケイトは閉じかけていた目を見開いて、シャリーナの姿を見つめた。
彼女がここまでしてもおそらくもう流れは止められない。一瞬皆の心に芽生えかけた不信感も、覆しようのない決着の前にはすぐに鎮静化し、またシャリーナ達を悪者にして納得されてしまうのだろう。
どんなに暴れようと、一人の令嬢に護衛を振り払う力などあるわけがなく、振り払えたとしてもこの高さでステージまで飛び降りればまず無事では済まない。
それでも彼女は止まらないのだ。どんな理不尽を突きつけられても、どんな絶望の淵にいても。何も考えていないのではない。愛しい人のことだけを考えて。
なんて強い人なのだろう。単純な腕力や権力や魔力の問題じゃない。真っすぐで曲がらない想いが、折れない意志が、あの王子なんかよりずっとずっと強い。
それはきっと彼女の親友であるアンジェリカ・カークライトも、真の想い人であるリオル・グレンも同じなのだろう。
それに比べて、自分は。
「ど、どうしましたのケイトさん……きゃあっ!」
特等席から視線を外し、勢いよく立ち上がったケイトは、そのまま観客席の出入り口へ向けて走りだした。
目指すは闘技場の中心、今まさにリオルがレオナルドと戦っているステージ。
(私も、私にだって、できることはある……!)
魔法陣は大きければ大きいほど発動するまでに時間がかかる。リオルの足元で肥大化を続けていた魔法陣は、すでに今まで見たこともないような大きさになっていた。あれなら、陣に集まる風が完全な凶器へと変貌するまでに、まだ少しは余裕があるだろう。
ケイトの得意魔法の属性は土だ。戦いの場においては風や火と違って攻撃には不向きだが、防御や後方支援には欠かせない。何より天高く舞い上げられたリオル・グレンを受け止める硬い床を、瞬時に柔らかく変質させることだってできる。
部外者が決闘に手を出せばただでは済まない。しかもこれは国宝まで使用された、王族による決闘。きっと罰は相当なものだろう。
それでも、このまま何もせずにいたら自分は一生顔を上げて歩けない。
「お願い、間に合って……!」
ゴールは近い。あの扉を抜ければステージは目の前だ。
息を切らしながら、祈るような気持ちで、ケイトが身体ごとぶつかるように扉を開け放ったとき。
目の前には、とても信じられないような光景が広がっていた。
「しょ、勝者!リオル・グレン!これで決闘は終了とする!だ、誰か、早く殿下に魔力回復薬を!」
慌てふためく教師の声が闘技場に響き渡る。巨大な魔法陣など跡形もなく消え失せたステージの上には、先ほどまで邪悪な笑い声を上げていたはずのレオナルドがバッタリと倒れ伏していた。
ピクリとも動かない王子の向こう側には、涼しい顔をしたリオル・グレンが傷一つない様子で堂々と立っていて、その傍らには、花が咲いたように笑う彼の恋人——シャリーナ・クレイディアが幸せそうに寄り添っている。
「あ、あれ……?」
ほんのついさっき見ていた絶望的な光景とはあまりにも違いすぎて、ケイトは思わず呆然と立ち尽くした。
視線を外してからここに来るまで数十秒も経ってないはずなのに、一体何が起こったのか。
というか、何故特別席に居たシャリーナが自分より先にステージに駆けつけているのだろう。まさか飛び降りたとでもいうのか。いやいやそんなまさか。
「え、ええー……なんで……ええー……」
ハッピーエンドだ。紛うことなきハッピーエンディングだ。勇者は魔王を倒して救い出したお姫様と幸せに暮らしますって感じだ。めでたしめでたし。さっきまでの己の悲壮な(自分で言うのもなんだが)覚悟の行き場がない。
「殿下!レオナルド殿下!」
「な、なんてことをしたんだ!リオル・グレン!」
「馬鹿な……こんなことがあり得るのか!?」
怒涛の展開についていけずに思考が少々明後日の方向に飛んでいたケイトだったが、後方から駆けてきた他の生徒達の波に押しのけられ、ハッと我に返った。
ケイトには目もくれずに突き進んだ彼らは、かつて王子の取り巻きであった者や、王子に強く憧れていた令嬢達が中心だった。この決闘の結果を見て驚いて観客席から降りてきたのだろう。
「お前!自分が何をやったのかわかってるのか!?次期国王となるお方に!」
続いて一際大きく、叩きつけるように響いた怒声。
魔王軍の下っ端……じゃない、レオナルドの従者エドワード・アーリアローゼが肩を怒らせながらステージへと近づいていく。
「覚えておけ!殿下が王となった暁には、貴様の首が飛ぶぞ!」
己の正しさを、これから権力に楯突いた不届き者を断罪するのだと信じて疑わないような言い分。
そうだ、これで終わりではなかった。諸悪の権化である王子だけじゃない。二人を陥れようとする敵や悪意はまだなくなってはいない。
このままじゃダメだ。ここまで来て結局は権力に敵わずバッドエンドなんて、そんなことあっていいはずがない。
ケイトは慌てて走り出し、ステージの周りで膨れ上がる人の波の中に飛び込んだ。
ちっとも道をあけてくれない野次馬達に押され流されながらケイトがなんとかステージ前にたどり着くまでに、リオルは淡々と冷静に己の正当性を主張していた。
そして場の雰囲気がリオル達を責めるものからレオナルドへの疑惑に傾きかけたとき、一人の男子生徒が先に声を上げる。
「俺……ずっと、言えなかったけど……あのシャリーナって子が、その特待生のために弁当持って行ってたとこ、見たことある……裏庭で二人が一緒に弁当食べてて、仲良さそうだなって、邪魔しちゃ悪いと思って退散したんだ。だから横恋慕しているのなら、殿下の方……かと……」
口ぶりからして彼はリオルやシャリーナと交流があったというわけではないが、ただ二人の無実を知ってずっと心を痛めていたらしい。
(ああ、こんな人も、ちゃんといたんだ……)
ほんの数日前、学園中の誰もが王子の嘘を鵜呑みにするなか何もできずに歯噛みしてた自分と、同じ気持ちを抱えていた人が居た。その事実が無性に嬉しく、ケイトはじんわりと胸が温かくなるのを感じた。
「わ、私も!う、噂が広がって、怖くて言えなかったけど……!シャリーナちゃんが、あの男の子とカフェでデートしてたの見たことあります……!」
勇気ある男子生徒に続き、ケイトも意を決して声を上げる。
「ずっと、怖くて言えませんでした、ごめん、今までごめんなさい、シャリーナちゃん……!」
声が震えてしまったのは、王子への恐怖からではない。今までの自分への情けなさとやっと言えたことへの安堵、二人への懺悔と祝福、様々な感情が混ざり合って視界に涙が滲む。
「では、もう一度聞く。この天秤を用いて暴虐の限りを尽くし、この天秤によって王位を奪われた、十九代目国王と同じ道を辿るであろう人物を……王にしたいと思う者は、今この場で挙手しろ!」
いつのまにか、空気は完全に変わっていた。再び声を張り上げたリオル・グレンの言葉を、覆せる者はもう居ないだろう。これで本当に、本当に、誰も文句無しのハッピーエンドで……
「アンコール!」
終わらなかった。
「リオル!リオル!凄く格好良かったです!アンコール!アンコールお願いします!どうか『負けたら死ぬ、勝ったら殺されるのでは一体どうしろと?』からもう一度!」
「無茶を言うな無茶を」
まさかのやり直しを求めるブレないお姫様を、彼女の勇者が少々呆れ気味に窘めた。
9/17から第二部開始します!よろしくお願いします!
リオルとシャリーナ、二人の前に現れる新たな王子……!




