目撃者ケイト・フェアフィールド
決闘の数日前、シャリーナを案ずるとある少女から見た学園の様子です。続きます。
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「可愛い顔してすげえ度胸してるよなぁ。あのローズ・ガーデンを全員蹴落とすなんて」
「身の程知らずだとは思いませんこと?田舎の伯爵令嬢が、王家に釣り合うはずがありませんのに」
「しかもあの日からずっと王宮にいるだなんて……まったく、いい御身分ね。学生の本分すら忘れた女に王妃が務まるのかしら」
ファラ・ルビア学園第一学年魔導師科の教室。
焦げ茶色の髪と瞳を持つ一人の少女が、きつく握りしめた両手を膝の上で震わせ、あちらこちらで囁かれる陰口に心を痛めていた。
「シャリーナちゃん……」
今や学園中の生徒たちの噂と嫉妬の的となった女の子の名前をポツリと呟く。
彼女の名前はケイト・フェアフィールド。フェアフィールド男爵家の三女であり、シャリーナ・クレイディアの、学園で最初にできた友人である……はずだった。
「ねえ、ケイトさん。貴女もそう思わない?」
突然身に降りかかってきた言葉に、ケイトはビクリと身体を震わせる。慌てて顔を上げれば、前の席で談笑という名の悪口大会に興じていた二人の女子生徒が、こちらを振り返って意地悪い笑みを浮かべていた。
「ご、ごめんなさい、私、未だに何がどうなっているのかわからなくて……本当に信じられなくて……」
シャリーナを直接貶めるような言葉を口にしたくはない。かといって彼女達を無視する度胸も否定する勇気もない。ケイトはただ俯きながら、どちらにもとれないような曖昧な言葉を絞り出した。
「そうよねぇ。あれだけ否定しておいて、内心では私達を嘲笑っていたなんて。私も最初は信じられなかったもの」
「レオナルド殿下もどうしてあんな子に騙されて……一体どんな卑怯な手を使ったのやら、気になるわよねぇ?」
「そ、そんな、私は……」
しかしその精一杯の抵抗も、いともたやすく都合のいい悪意へと変換される。再び同意を求められ、追い詰められたケイトが震える唇を開きかけた瞬間。
「ずいぶん楽しそうな話してるわね」
一人の凛とした声が背後から響いた。
「カークライトさん……何かお気にさわるような」
「ねえ、ちょっとどいてくれない?そこに固まられると私が席座れなくて困るんだけど。貴女達もくだらない話してないでそろそろ自分の席に戻ったら?授業始まっちゃうよ」
ケイトを囲む女生徒達の前に、背筋をピンと伸ばして立つ赤毛の少女。髪と同じく燃えるような赤い瞳に怒りを秘めた彼女は、ケイトと同じ魔導師科の一年生であり、あのシャリーナ・クレイディアの幼馴染、アンジェリカ・カークライトである。
「あら私ったら、ついお喋りに夢中になってしまって……」
「すっかり時間を忘れていましたわ、ケイトさんもそう思うでしょ?」
気まずげに目を伏せながら、女子生徒二人が慌てて取り繕う。彼女達は確か子爵か男爵の家の出であり、伯爵令嬢であるアンジェリカに真正面から歯向かって悪口を続ける度胸はないのだろう。
身分差を抜きにしても、普段は気さくで快活なアンジェリカの、嫌悪を隠そうとしない冷たい視線は、えも言われぬ迫力があった。
「聞こえなかった?私は、お喋りをやめて、そこをどいてって言ったんだけど」
「ま、まあ、失礼しました」
「で、では私はこれで……それではケイトさん、また」
容赦なく畳みかけるアンジェリカに、クラスメイト達は顔を引き攣らせながら退散していく。
去り際にそのうちの一人に声をかけられた気がしたが、ケイトは平然と髪を靡かせ歩くアンジェリカの後ろ姿に目を奪われ、返事をすることも忘れていた。
「はあ……」
その日の昼休み。学園中に充満する淀んだ空気に耐えられなくなったケイトは、校舎を出て人気のない裏庭へと足を運んでいた。
「シャリーナちゃん、今頃どうしてるのかなあ。お城の人達に意地悪されてないかな……」
大きな木の根の上に座り込みながら、数日前に王宮へと連れ去られた女の子の現状へ思いをはせる。
だが他の女子生徒達のように、シャリーナへの嫉妬や軽蔑の気持ちが湧き上がってくることはない。溢れ出すのはただ純粋な心配と、何も出来なかったことへの申し訳なさ、不甲斐ない自分への嫌悪。
『はじめまして。私はシャリーナ。クレイディア伯爵家の長女です。貴方の名前を聞いてもいいですか?』
風にそよぐ薄桃色の花を眺めながら、シャリーナと初めて会った日のことを思い出す。
男爵家であり、引っ込み思案なケイトが伯爵家のシャリーナと仲良くなったきっかけは、ただ席が近かったからだ。本当にそれだけの理由で、あの日シャリーナはケイトに話しかけてくれた。
『え?敬語は要らない?ありがとう、なら貴女も気軽に話してくれると嬉しいわ』
初めて出会ったときから、どこか変わっている女の子だと思っていた。
貴族なのに、身分が下の者に偉ぶることも上の者に媚び諂うこともない。かといって我の強い常識知らずということもない。ふわふわした雰囲気の中に時折揺るがない芯の強さを感じさせるような女の子。
『高貴な方々の絵姿集って、皆似たり寄ったりじゃない?大抵貴族なら掃いて捨てるほどいる金髪碧眼の方が退屈なポーズをしてるだけだし……』
本当に変わった子だった。クラス中、いや学園中の女の子達の憧れの的であるこの国の王子様にもまったく興味を示さないどころか、掃き掃除まで始めようとする始末。いくら興味なくても高貴な方々を掃いて捨てちゃダメだと思う。
本当に、どこにでもいるようでどこにもいない、不思議な子。でもケイトはそんな彼女をずっと好ましいと思っていて、憧れていて、大事なお友達だと……そうなれると思っていたのだ。
「カークライトさん……貴方はまだそんなことを言ってらっしゃるの?」
「何度だって言うよ。シャリーはそんな子じゃない」
裏庭でぼんやりと時間を潰しているうちに、昼休みの終了時刻が迫ってくる。
重たい足を引きずりながら教室へ戻ろうとしていたケイトはその途中、アンジェリカ・カークライトが、今朝と同じように厳しい顔をして一人の令嬢と対峙している場面に出くわした。
「私はただ、シャリーナ・クレイディアと一番親しかったという貴女が今、どれだけ心を痛めているかと心配して……」
「よく言うよ。新しい陰口のネタを探したかっただけでしょ?」
今朝と一つだけ違うのは、アンジェリカの前に立ち塞がるその令嬢が少なくとも伯爵家以上の出であるということ。しかし身分差というアドバンテージがなくとも、親友の名誉を守らんとする赤毛の少女は眩しいほどに変わらない。
ケイトはその場を通り過ぎることも話しかけることも出来ず、アンジェリカの背中を見つめた。
「可哀想に。お友達にまんまと騙されていたことを認めたくないのね?でも、受け入れがたい現実からいつまでも目をそらし続けていては……」
「騙されてるのは貴女達でしょ?あの世界は自分を中心に回ってると思い込んでる暴君にね。私から見れば、理想の王子様の悲しい現実が見えてない皆の方がずっと可哀想だよ」
瞬間、周辺の空気が凍る。名前こそ出してはいないが、アンジェリカが吐き捨てた言葉は、明らかにレオナルド王子へ向けたものであるとわかるものだ。
「あ、貴女正気!?今なんて、どういうつもりで……」
涼しい顔のアンジェリカに、対峙する女子の方が慌て始める。当たり前だ。まだ正式に妃と認められたわけではない、身の程知らずの一女子生徒の陰口を叩くのとはわけが違う。
王族を、それも次期国王となる人を侮辱したのだ。それがどれだけ危険な行為であるか、貴族子女がわからないはずがない。
「誤魔化せるとでも思っていらっしゃるの!?貴女……」
「誤魔化す気なんてないよ。なんなら直接名前言ってやったって、あの暴君レオナ……」
「あ、アンジェリカさん!さっき、古典の先生がアンジェリカさんを探してましたよ!」
考えるより先に、ケイトは咄嗟に叫んでいた。そして目の前の二人が突然の乱入者に驚き固まっている隙に、アンジェリカの腕をとり、教室の反対方向へと走り出した。
「えーと、ケイトさん、心配してくれるのはありがたいけど、もう手遅れだから大丈夫だよ?」
「もう手遅れだから大丈夫だよ!?」
咄嗟にアンジェリカを連れ出したはいいものの行くあてもなく中庭を彷徨っていたケイトだったが、大人しくケイトに手を引かれて歩くアンジェリカの発した不可解な公用語に、つい敬語も忘れてオウム返ししてしまった。
「もうね、あれだけ言っちゃえばもう後戻り出来ないだろうし。最初から承知の上だから」
ケイトとは対照的な軽い足取りでサクサク芝生を踏みしめながら、アンジェリカがあっけらかんと言ってのける。焦りも恐怖も感じさせないそのスッキリした顔は、嘘をついているとはとても思えない。
確かに先ほどのアンジェリカの行動は、今考えてみれば、親友を貶された怒りで衝動的にとってしまったものと考えるには少々不自然だった。シャリーナを庇いたかったにしても、わざわざこの国の次期最高権力者を貶す必要まではなかったはず。
あれはまるで最初から、言いたい言葉を言う機会を狙っていたかのような。
ただ漠然と親友を信じているだけではなく、もっと深くその真相を知る立場から、確信を持って発せられたような言葉であるかのような。
「何も出来なくても、何にもならなくても、何もしないのは嫌なの。……ただの自己満足だって、笑ってくれていいよ」
自棄になっているのとは違う、静かな覚悟が宿る瞳に、ケイトは理解した。アンジェリカも『知っている』ことを。今起きている騒動の裏側を、おそらくケイトよりももっと深く、正確に。
本当の意味でシャリーナの味方に回ることが、何を敵に回すことになるかをわかった上で、その立ち位置を表明することを選んだのだ。彼女を一人にしないために。
「笑ったりなんか、しません……ですがそんな、そんな危険なこと……」
「いいよ敬語使わなくて。そういえば言うタイミング逃しちゃってたね」
「えっ……あ、その……」
シャリーナと仲良くなって少し経った頃、ケイトはシャリーナを通じてアンジェリカとも親交を結ぶようになっていた。
しかし例の噂が流れ始めてからケイトはシャリーナに話しかけられなくなり、アンジェリカのことも避けてしまっていたのだ。
そういえばも何も、会話すること自体久しぶりであることも、その理由がケイトの臆病さにあることも彼女はわかっているはずなのに。
アンジェリカは一言もケイトを責めることなく、ただ穏やかに笑いかけてくれている。
「今朝はありがとう、シャリーを庇おうとしてくれて。……ずっとお礼言いたかったんだ」
その優しい言葉が、朝の教室でケイトを取り囲んだクラスメイト達の言葉よりもずっとケイトの心に重く突き刺さり、返事をすることもできなかった。
——ガタン、ゴトン、ガタン、ゴトン。
石畳が綺麗に敷き詰められた幅広い王都の道を、フェアフィールド家の馬車が通り抜けていく。
窓に映る景色をぼんやりと眺めていたケイトの視界に、王都に新しく出来た小洒落たカフェの看板が流れていった。
『え?デート?もちろん!もちろんそうよ!誰がなんと言おうとあれはデートよ他の人から見てもそう見えたのね嬉しいわ!あのね彼はリオルっていって魔術研究科で特待生でとっても頭がよくて世界一カッコよくて頼りになって優しくてこんなに素敵な人がこの学園にいるのに一カ月も気づかなかったなんて私はなんて惜しいことをしたのかしら本当にもったいないことだわもっと早く出会っていれば一緒に過ごせる時間がその分増えたしこのハンバーグサンドだってもっと改良の余地が』
学園に入学して一カ月が過ぎた頃の帰り道。このカフェの窓際の席で、リオル・グレンとデートしているシャリーナを馬車から見かけたときのことを思い出す。
一目で恋をしていることがわかる花咲くような笑顔で、その少年に話しかけていた彼女。
好奇心から次の日生まれて初めて恋バナというものをしかけてみたら、予想の100倍くらいの熱量が返ってきてちょっとだけ引いた。恋バナとはこんなに激しいものだったのかと慄いた。
それでも、それだけ真摯に誰かを想えることは素直に凄いと思ったし、この猪突猛進な少女の恋の行方を、友人として見守れることを嬉しく思っていたのに。
『第一学年魔術研究科のリオル・グレン!俺の未来の妃、シャリーナ・クレイディアにまとわりつく鼠め!俺は今ここに、お前に決闘を申し込むっ!!』
数日前の昼休み、大ホールのステージでレオナルドが叫んだ言葉を聞いたとき、ケイトは何が起きているのかわからなかった。
……いや、正確には、予兆はあった。
新入生歓迎パーティの次の日から広がっていた『シャリーナ・クレイディアという生徒がローズ・ガーデンを差し置いて王子と良い仲になっている』という不可解な噂。
勿論シャリーナはハッキリと否定していたが、その後すぐに彼女は学園から姿を消してしまい、当事者がいないまま水面下で燻り続けていた。
そしてついに王子はローズ・ガーデン全員との婚約を破棄し、その翌日にシャリーナ・クレイディアを新たな婚約者に据えると高らかに宣言。
つまり噂は真実であり、シャリーナのこれまでの噂を否定するような態度はギリギリまで周りを欺くためのものだったのだと多くの生徒達が信じ、新たな婚約者の座を狙っていた他の女子達は皆悔しがっていた。
「違う……シャリーナちゃんが好きなのは……リオルさんだけだよ……」
あのとき大ホールで言えなかった言葉を、馬車の中で小さく呟く。
一国の王子が、一人の少女を恋人と引き離し、少年に決闘という名の私刑を行おうとしている。
リオル・グレンは、たとえその場で直接殺されることはないにしても、その後に待っているのは身一つで国外追放というあまりにも酷な罰。
シャリーナは、恋人への死刑同然の判決が下されるのと同時に、暴君の妻となることが確定する。
こんなまるで物語の悲劇のように現実味のない話を、誰が信じてくれるだろう。
一体どうしてこんなことになってしまったのか。
そもそもレオナルドがシャリーナを愛しているということ自体本当に事実なのだろうか?想い人がいる女子への横恋慕を叶えるために、ここまで残酷な仕打ちができるなんて。
あの金髪碧眼の王子様は、誰もが見惚れる美しい容姿の裏に、身の毛もよだつような悍ましい本性を今までずっと隠し通していたのだ。何故そんな恐ろしい人にシャリーナが目を付けられることになってしまったのか。
あの日からずっと、いくつもの疑問が何度もケイトの頭の中を巡り続けているが、答えなどわかるはずがない。おそらくケイトよりもずっとシャリーナ達に近しく、より深く真相を知っているであろうアンジェリカに聞けば何かがわかるかもしれないが、それを確かめる勇気も資格も自分にはない。
「ごめんなさい……ごめんね……」
ただシャリーナが、ケイトの大切な友達が、想像もつかないような恐ろしいことに巻き込まれていることだけは確かで。
ケイトは一人馬車の中、誰にも届かない懺悔を繰り返すことしかできなかった。




