シンデレラストーリーが始まらない
本編第1話のレオナルド視点のお話です。
「次はクッキーも受け取ってもらえれば……!」
エルガシア国中の貴族子女が集う魔法学校、ファラ・ルビア学園。
授業が終わった途端、いつものように自身に群がって来た令嬢達を振り払い、中庭を当てもなく彷徨っていたこの国の第一王子——レオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシアは、ふいに耳に飛び込んで来た鈴を転がすようなはしゃいだ声と、微かに鼻をくすぐる甘く香ばしい匂いに、なんとなしに振り向いた。
「サンドイッチは全部食べて貰えたことだし……抹茶を練り込んだパンとクリームのデザートサンドイッチという手も……」
中庭に植えられた薬葉樹の白い幹の向こう。校舎の正面玄関へと続く小道を、一人の見慣れない少女がスキップせんばかりに上機嫌に歩いている。
柔らかな薄桃色に輝くストロベリーブロンドに、透き通る水色の瞳。広義の意味では金髪碧眼と言えるが、その暖かで淡い色彩は、貴族の中でありふれたそれとは明らかに違うもの。
「フン、どこからか甘ったるい匂いがすると思ったら、お前が原因か」
「はい?」
思わず目を引く美しい髪と瞳を持つ少女の手に乗せられた、可愛らしくラッピングされた小さな菓子袋。
それがついさっき風が運んで来た甘い匂いの正体と気付いたレオナルドは、木陰からおもむろに姿を現し、少女の正面に立ち塞がる。
「やれやれ、女共のきつい香水の匂いから逃げてここまで来たってのに、今度は菓子か。揃いも揃って甘ったるくて吐き気がする」
「はあ……」
そう当て擦りながらも、レオナルドの機嫌は言うほど悪いものではなかった。
王宮や学園のカフェテリアで出されるような、いかにも高級で甘ったるい菓子とは違う、どこか素朴なその菓子の匂いに少なからず興味が湧いていたのだ。
「だが、美味そうだな。一つもらおうか」
「はあ?」
しかし先程からポカンと立ち尽くしながら、返事とも独り言ともつかない声を漏らすばかりだったその少女は、レオナルドの要求に急に我に返ったように顔を顰めた。
「お断りします。名乗りもせず失礼なことを言う人に差し上げるクッキーはありません」
「……ほう?」
ほんの少し前の無邪気にはしゃぐ声とは打って変わった、不機嫌さを隠そうとしない拒絶の言葉に、一瞬耳を疑う。
国中の貴族令嬢の憧れの的である自分がわざわざ声をかけてやったというのに、そんな反抗的な態度を取られるなど考えもしていなかった。
しかも、その言い草は、まさか。
「お前、俺を知らないのか」
「残念ながら、出会い頭に人の菓子を強請るような知り合いはおりません」
菓子が入っているのであろう小さな袋を大事そうに胸に抱き、レオナルドを睨み付けながら、一歩ずつ後退るストロベリーブロンドの少女。
そのあまりにもあからさまに此方を警戒した様子が、たった今彼女が吐き捨てた言葉が嘘ではないことを証明している。
「フッ……お前、面白いな」
間違いない。この女は、レオナルドの顔を本気で知らないのだ。貴族令嬢でありながら、この国の第一王子であるレオナルド・ランドール・ユリシア・エルガシアの顔を。
思わず、目を見張った。
「俺の名はレオナルド。仮にも貴族令嬢を名乗るなら、俺の顔くらい覚えておけ、女」
「きゃっ!?」
王太子相手に散々反抗的な態度を取り、無礼な言葉を吐き、その顔を知らないとまで言ってのけた女。不敬であると咎めても良いくらいだが、レオナルドはその破天荒さを一周回って愉快とすら感じた。
一瞬でも自分を楽しませたことに免じ、今回は寛大な心で許してやることにする。
「本当なら不敬罪になるところだが。これで手打ちにしてやる」
「ちょ、ちょっと!」
レオナルドは無詠唱で風の魔法陣を生み出すと、少女が手に持っていた菓子袋を舞い上がらせ、自らの手の上に落とした。
「では、な」
菓子袋を持っていない方の手を軽く振ってやりながら、校舎に向かって踵を返す。少しだけ名残惜しいが、もうじき昼休みも終わる。
一時とはいえ、先程までの自分の退屈を見事晴らして見せた少女。気が向いたらまた構ってやってもいいかもしれない……そう考えつつ口の端を薄らと緩ませていたそのとき。
「何がではですか!返してください!」
なんと、少女はレオナルドを追いかけ、身長差も体格差もものともせずその手に持つ菓子袋に飛びつこうとしてきた。
怒りで上気した頬をストロベリーブロンドがふわりと包み、淡い桃色に染まる顔の中心で、水色の瞳が確かな意志の光を放つ。
剥き出しの感情を隠そうとしない少女の、その生き生きとした表情に、レオナルドは一瞬、見惚れた。
「フッ、キーキー煩い女だな。まるで躾のなってない野良猫だ。だが……媚びの滲んだ猫撫で声で擦り寄る女共よりは、よほどマシかもしれんな……」
本当に。今までレオナルドの周りに居た、つまらない貴族令嬢達とこの少女はまるで毛色が違う。しかしだからこそその全てが新鮮で、好ましいとすら思えた。
まだ出逢ってからいくらも経っていないというのに、レオナルドはこの名も知らぬ少女に単なる興味以上の感情を抱き始めていた。
「何を意味のわからないことを……きゃああっ!?」
軽くあしらわれながらも決して諦めず、果敢に菓子袋を取り返そうとしていた少女が顔を両腕で覆い後退する。レオナルドが無詠唱で生み出した、先程とは段違いに大きな竜巻の魔法陣によって、目を開けられない程の砂埃が辺りに舞い上がったのだ。
「あまり遊んでる時間はないのでな。それでは、今度こそさらばだ」
「な、何を……っ」
本当は授業を受けるよりもずっとこの少女を構い続けていたいという気持ちの方が強くなっていたのだが。
この運命的な出逢いを、己の印象を、こうして彼女の中に強く刻み付けておくのも悪くない。
強大な竜巻に身を委ね、天高く舞い上がるレオナルド。眼下に広がる景色の中、砂埃から抜け出した少女が、真っ直ぐに己を見上げ何やら叫んでいるのが見える。
その可愛らしい憎まれ口が聞こえないことを少しだけ残念に思いながら、レオナルドは菓子袋の中から取り出したクッキーをヒョイと口に放り込んだ。
学園のカフェテリアでも王都のパティスリーでも見たことがない、おそらくあの少女の手製であろうその緑色のクッキーはどこかホロ苦く……ほのかに甘い味がした。
放課後。
「……殿下。今日の昼休み、カフェテリアを抜け出してからどこへ行かれてたんですか?」
「フン、ただの散歩だ。どこでもいいだろう」
男子寮最上階にある、他の三倍は広い王族専用の部屋。椅子に腰掛けるレオナルドのとなりには王子の従者であるエドワード・アーリアローゼが佇んでいる。
「令嬢達のフォローをするこちらの身にもなってください。殿下が予鈴が鳴るまで戻らなくて大変だったんですよ?」
「そう言うな。俺もアレらにはうんざりしてるんだ」
マホガニー製の椅子の傍ら、疲れた顔をしたエドワードがレオナルドに苦言を呈して来た。しかしこちらが望んだわけでもないのに勝手に付き纏って来る女達の相手をするなど、レオナルドだって御免である。
主君の手を煩わせぬよう常に主君の手足となり、主君の望むことを言われぬ内に成し遂げておくのが従者の役目。この程度で音を上げてどうすると、レオナルドは呆れたように鼻を鳴らした。
「昼休みが終わるまで戻らなかったのは初めてでしょう。何をしてたんですか?」
ウザったらしい女達の姿が脳裏に蘇り下降気味だったレオナルドの機嫌が、その一言で少しだけ上昇する。
勿論、エドワードの言葉そのもののおかげではない。昼休みを潰す原因となったあの変わり者の少女のことを思い出した為だ。
「……フッ、珍しい毛色の猫に会ってな。つい構い過ぎてしまったんだ」
そう……例えるなら、彼女は猫。それも、人間に媚びを売り部屋の中でぬくぬくと過ごしているような、量産型金毛青目の血統書付き猫ではない。
野原を自由に駆け回り、誰にも媚びず思うままに生きる。世にも珍しい薄桃色の毛並みと、水色の瞳を持つ野良猫。
「猫?そんなもの……」
主君の言葉を文面通りに受け取ったのであろうエドワードが怪訝そうな顔をする。その様子を見て含み笑いをしながら、レオナルドは懐からあるものを取り出した。
「迷惑料だ。お前にもやろう」
疲れている従者を労ってやろうなどという優しい気持ちが湧いてきたわけではなかったが。あの毛色の違う猫との運命的な出逢いの証を誰かに自慢してやりたくて、まだ袋に半分程残っていたクッキーをエドワードに向かって放り投げる。
「はあ、クッキーですか。って緑色!?大丈夫なんですかこのクッキー!?」
「ああ、中々美味かったぞ。……流石毛色の違う猫だ、作るものもおかしな色だな」
「は?ちょ、ちょっと待ってください、こんな得体のしれないものを食べたんですか殿下!毒味もさせずに!?」
しかし、エドワードは袋の中を見た途端、怪訝そうだった顔を思い切り顰めた。まるで毒物を見るかのように緑色のクッキーに難色を示している。
「勿論、俺が最初に食ったが?何か問題でもあるのか?」
「問題大有りですよ!もし殿下のお身体に万が一のことがあったら……小腹が空いているのなら、今からでもシェフに何か作らせますから、これは私が処分して……」
「おい、勝手なことをするな。それは俺の菓子だぞ?要らないのなら返せ」
そんなエドワードの態度に流石にムッとして、レオナルドもつい声を荒げた。従者風情が主君たる己に指図するなど思い上がりも甚だしい。
しかも間接的にとはいえ、エドワードはあの少女のことをも王子に害をなす不審者であるかのように言い放ったのだ。
それがどれだけ彼女に対し無礼な言葉であるかもわからないのかと、レオナルドは自分の行動を客観視出来ないエドワードに呆れ返った。
「し、しかし……」
「命令だ。二度は言わん。返せ」
しばし逡巡していたエドワードだったが、主君の命令には逆らえなかったらしい。渋々とその小さな袋をレオナルドが伸ばした手の上に置く。
「まったく、慎重過ぎるのも考えものだな……おいエドワード、お前はもう下がれ。これ以上俺を苛立たせるな」
未だに恨めしげな視線を向けてくる頭の固い従者が隣に居ては、せっかくのクッキーも味が落ちてしまう。
レオナルドは取り返した菓子袋を大事そうに握りしめながら、もう片方の手でシッシッとエドワードを追い払う仕草をした。
「そんな……いえ、わかりました……御用の際はいつでもお呼びください」
一瞬逆らいかけ、しかしすぐに素直に頭を下げたエドワードが大人しく部屋を出て行った。一人残されたレオナルドは、気を取り直すように菓子袋からクッキーをいくつか取り出し、口の中に放り込む。
「まったく、こんなにも美味いクッキーを食べ損ねるとは、モノの価値のわからん奴め」
王都で店を構える一流シェフにも、王宮の専属シェフにも決して真似出来やしないであろう。素人ならではの素朴で温かみのあるそのクッキーの味を、ゆっくりと噛みしめた。
「まあいいさ。このクッキーの美味さも、あの毛色の違う猫の愛らしさも、俺だけがわかってやればいいんだ」
ふと窓の外を見上げれば、時刻は夕暮れの直前。白金色だった太陽の光に茜色が混ざり始めている。その幻想的な風景は、あの少女の淡く美しい髪の色を思い起こさせた。
明日から名も聞かなかったあの少女をどうやって探し出そうか。そして近い内に己の正体を知ることになるあの少女は、その時どんな反応を見せるのか。そんなことを考えながら、レオナルドは残りのクッキーを全て平らげ、ニヤリと笑ったのであった。
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「それにしてもこの学園に女子生徒のクッキーを横取りしようとする輩がいるなんて、思いもよらなかったな……」
「犯罪は犯罪ですが、あまりに幼稚過ぎて教師に報告しても信じてもらえないかもしれませんね」
昼休みに見知らぬ男にクッキーを強奪された毛色の違う猫——シャリーナ・クレイディアは、放課後の帰り道を片想い相手のリオルと共に歩いていた。
「初犯にしてはあまりに堂々としてると思ったのですが、もしかして何度罪を犯そうと咎められないから調子に乗っていたとか……」
「いやあ、さすがに被害報告が相次げば教師もおかしいと思うだろうけど」
クッキーを盗まれたことは不運だったが、そのおかげでリオルに送ってもらえるとなればプラマイゼロどころかプライスレスである。
「それに魔法まで使って無理矢理となれば、怪我をしてた可能性もあったんだ……何もなくて良かった」
「リオル……!」
なんてことないように呟かれた言葉に、シャリーナの胸が高鳴る。リオルが心配してくれた。気にかけてくれた。それだけのことが飛び上がる程嬉しい。
「私は世界一の幸せ者です……っ」
「ついさっき強盗に遭った奴の台詞じゃあないな」
あの時も、リオルは本も持たずに駆けつけてくれた。大きい風の音がしたからと、息を切らせて走ってきてくれたのだ。
……本を置いて立ち上がった瞬間のリオルはさぞ格好良かったことだろう。その瞬間のリオルはただシャリーナのことを心配して、シャリーナのことだけを考えていてくれたのだ。
その姿をこの目で見ることが叶わなかったことだけが残念でならない。
「……時間ってどうして巻き戻せないのでしょうか?」
「急に哲学者になるなよどうした」
「正確には過去のある地点を俯瞰で見るにはどうしたらいいかと」
「神にでもなるしかないんじゃないか」
そんなことを悩んでいるうちに女子寮の門が近づいてくる。女子寮に着いてしまえば、当たり前だがリオルは男子寮へと帰ってしまう。
「時を止めることができたら……」
「君が一体何を目指しているのかわからない……」
少々呆れの滲んだその表情も永遠に見ていたいほど格好いい。
その横顔に存分に見惚れながら、シャリーナは残り少ない下校デートの時間を全力で惜しみつつ楽しんだ。
シンデレラストーリー開演前に閉幕。




